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失地回復

今川家臣団と父今川氏真は桶狭間の合戦以降周囲からは見限られ、侮られ、見下されて坂を転げ落ちるように今川家は没落していったが、その一番の原因は三河の徳川家康の裏切りである。


今までは徳川家康の心変わりによる裏切りだと思われていたが徳川家康が影武者であり徳川家は実は裏切っていなかったことを俺から告げられて今川家臣団と父今川氏真は怒り心頭であった。


そして俺は三河にいた際に酒井忠次や鳥居の爺様達から今川家は三河で圧政をしいて三河者は貧しい暮らしと飢えに苦しんだ、家康は人質先で酷い扱いをうけていたなどと刷り込まれたが、今川家の者達の話を聞く限りそれは真っ赤な嘘である事がわかった。


普通に考えて三河の者達がへそくりを蓄えられたり、徳川家康が今川家というより日の本の中でも指折りの高僧であり日の本一の軍師と言われた太原雪斎から当主の息子の氏真と一緒に勉学を学べたり一門衆から今川義元自らの養女にした瀬名姫を娶れるなどとむしろ破格の待遇で優遇されていたのである。


母である瀬名姫の実家である関口家のことも服部半蔵達に命じて再度密かに調べ直したが、俺や世間が考えていたような理由では無く結核に当主がかかってしまいそれを看病した妻や一族の者が皆死んでしまったと言うのが真実らしい。


その事実を隠したまま寿桂尼の指示で三河と徳川家康を牽制する為に世間で知られているような話になったらしい。


俺は突き止めた内容を父である今川氏真に突きつけて母瀬名姫に謝罪してもらうよう懇願した。


氏真は眉毛をハノ字に下げて口を真一文字に結んだがすまなかったと母瀬名姫に謝ってくれた。


しかし三河の影武者徳川家康はともかく、酒井忠次をはじめとする家臣団は愚かというほかない。


変な欲を出さずに今川家の家臣でいればこれから滅ぼされる必要がなかったのと、史実で徳川家康は家系図を偽造して源氏を詐称したが、史実でも今現在でも俺を後継ぎにしておけば問答無用で源氏の本家筋に近かったのだ。


実に愚かなりと思ったが、史実でも俺と母瀬名姫は酒井忠次のせいで殺されたのを思い出し、俺は無意識に恨みはらさでおくべきかとつぶやいていた。 


徳川家康には史実においてもこの時代の通り桶狭間後に暗殺されて影武者と変わった説、その数年後に死んだ説、関ヶ原の戦いの際に更にその影武者も暗殺された説、大阪の陣でも同様である。


ただ俺が思うに、徳川信康への冷遇の数々や後の母子の惨殺、石川数正の出奔、天下統一後も信康の質素でボロい墓が直されなかったこと、徳川の名を取り上げたことから考えても桶狭間後にすぐ暗殺されたのが事実で史実だと思う。


そんな不幸や不遇、怒りに耐えてきた今川家臣団と今川氏真の三河に対する噂を広げることや悪口は俺の想像以上の成果を挙げていた。


統一されたばかりの国など今川家を裏切っていない、今川家が後ろ盾になる、帰属するものは無条件で許す、悪いのは全て影武者徳川家康であると言えば心が揺るがない訳がない。


しかも松平清康を尊敬したり慕う民や土豪も多く、その一族だと思っていたものが赤の他人であり、その悪評の数々を聞かされただけでなく正室である瀬名姫と真の後継者である竹千代を虐待して飯も食うに困るほどに追い込みさはには殺そうとしたという話が三河中に広まってしまってはもはや手に負えない。


俺は三河の混乱の隙をついて朝比奈泰朝を総大将にした8千の軍勢に三河吉田城を攻めさせて落城させた。


吉田城はそれなりの堅城であったが、今川派というか竹千代派が城門を開いた為、雪崩れ込み城代を討ち取り制圧したのであった。


残念ながら城主である酒井忠次は岡崎に詰めていた為討ち取ることは出来なかったが、今まで弱体化して防戦一方だった今川家が復活してあっと言う間に東三河の要である吉田城を奪い返してしまったのである。


東三河の諸豪族達は、吉良家を筆頭に影武者徳川家康に岡崎に人質をとられた者達も人質を犠牲にして皆今川家の配下に戻ったのであった。


そして西三河も安祥城までが今川家の傘下に降った為、残るは岡崎のみとなった。


俺は三河での失地回復で湧く今川館での祝宴の最後に皆に声をかける。


「皆の者、この度の働き見事であった。この元康深く礼を言う。祖父である神君今川義元公が統治した領土を取り戻す時が今こそ来たのだ。三河統一にあと一歩、そう残すところは岡崎のみである。通常ならばここまで戦果を挙げれば岡崎を攻めるのは来年以降となろうが我は違う。世の中時間と情報、そして銭が運命を左右するのだ。準備が出来次第すぐに岡崎を攻める。父上もご同行願いますかな。」


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお元康様万歳!今川家万歳!」」」」」


「おほほほほほ、麻呂にも従軍を求めるとは元康も出陣するからだけとは思わんが何か思うところがあるのかえ?」


「フッフッフッフ何父上にも積年の恨みを晴らす機会を逃して欲しくないだけにござるよ」


「赤い鳥と共に戦えば勝ち続ける。皆の者敵は岡崎にあり」


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお」」」」」


こうして三河平定の最終段階に入ったのであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 1話1話短いから読みやすい [気になる点] 誤字が所々有りますね。 1例ではさはには →さらにはじゃないかな? 1話1話が短い分ちょっと淡白過ぎるかな。 城攻めました、城落としましたでは少…
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