第5話【初めまして、異世界の少年】
ようやく異世界召喚魔法を成功させたのも束の間、肝心の異世界人が膝から崩れ落ちた。
「ちょ、おい!?」
少年が濡れた床に身体を横たえるより先に、ユフィーリアは雪の結晶が特徴の煙管を振った。
煙管の動きに合わせて魔法が発動し、少年の身体がふわりと空中に浮かんだ。
浮遊魔法と呼ばれる初級の魔法だ。練習すれば誰もが簡単に習得できる魔法で、非常に汎用性が高い。この魔法のおかげで重い荷物の運搬が便利になり、体が不自由な人間でも補助具を使わず移動することが出来るようになった。
間一髪のところで少年を濡らさずに済んだユフィーリアは、安堵の息を吐いた。
「あっぶねえ……」
あと少しだけ浮遊魔法の発動が遅ければ、彼は魔法水で濡れた床と激突を果たしているところだった。
煉瓦の床に身体をぶつければ痛いし、何より衣服が濡れてしまう。起きた時に濡れた服を着ていたら、気分はあまりよくはないだろう。
儀式場の外から成り行きを見守っていたエドワードが、
「大丈夫ぅ?」
「何とかな……」
魔法でふわふわと空中を漂う少年を引き寄せ、ユフィーリアは彼の健康状態を確認する。
脈拍も正常で、呼吸も安定している。
若干の疲れは見えるが、まあ許容範囲だ。重い病気を患っているようには見えないので、召喚された衝撃による気絶だろうか。
持病や個人情報に関する話は、彼が目覚めてからするべきか。
「とりあえず、安全に寝かせる場所に行かねえと」
「保健室にでも行ク♪」
アイゼルネの提案に、ユフィーリアは顔を顰める。
保健室に行けば、七魔法王の第六席【世界治癒】がいる。
正直な話、あの第六席の少女が苦手だった。自らを『聖女』と称する彼女は熱心な宗教家でもあり、事あるごとに「神様はいつでも見ておられます」などと頭が痛くなるような発言ばかりするのだ。
七魔法王は聖職者ではなく、魔女や魔法使いといった正反対の位置にいる。
他人がどれだけ「お前は魔女だ」と説いても、あの少女はまるで聞く耳を持たない。それどころか自分が信仰する宗教に勧誘してくるので、出来るなら関わりたくないのが本音だ。
ジロリと南瓜のハリボテを被った娼婦を睨みつけ、
「お前は、あの頭のおかしな話の聞かねえ聖女サマのところに行きてえのか?」
「行きたくないネ♪ おねーさん、神様とか信じてないもン♪」
「アタシも同じ気持ちだよ」
やれやれと肩を竦めたユフィーリアは、
「仕方ねえ。用務員室に連れ帰って様子を見るぞ」
根城にしている用務員室には、ユフィーリアたちの居住区画が併設されている。
ちょっと魔法を使って広くしているが、各々の自室もあるし住み心地は教員寮よりもいい。ユフィーリアは教員寮にも部屋を持っているが、用務員室の方が落ち着けるので帰っていない。
気絶した彼を用務員室まで運び、エドワードかハルアのベッドを借りれば解決だ。
幸いなことに、今日は入学式で校舎を利用する生徒はいない。隠蔽工作という面倒なことをせずとも、安全に異世界人を運ぶことが出来る。
三人もその意見に賛成のようで、
「じゃあ、俺ちゃんは落ちた荷物を運ぶねぇ」
「オレ、その細長いの運ぶ!!」
「ハルちゃんは壊しちゃいそうだから、おねーさんが運ぶわネ♪ ハルちゃんはお部屋に戻って、ベッドの準備をお願イ♪」
「分かった!!」
ハルアは溌剌とした口調で頷き、儀式場から飛び出していった。
エドワードは少年が落とした学生鞄を拾い上げ、魔法水で濡れてしまった部分を軽く拭う。鞄の布地は撥水性の高いもので作られているようで、軽く拭っただけで濡れた部分が乾いてしまった。
一方で、アイゼルネは空中に浮かぶ少年の肩に引っかかる、黒い布で包まれた細長い何かをそっと外してやった。気絶した少年をすぐに寝かせてやるように、という配慮が感じられる。
言葉巧みに一番危なっかしいハルアを追い出すことに成功した二人を見やり、ユフィーリアは苦笑する。
「お前ら、ハルの扱いが上手くなったな」
「当たり前でしょぉ。何年一緒にいると思ってるのぉ?」
「ハルちゃんと一緒にお仕事してから、だいぶ長いもんネ♪ あしらい方も覚えるわヨ♪」
頼もしいのか、薄情なのか分からない答えを返す彼らに「だよな」と応じたユフィーリアは、浮かぶ異世界人を引き連れて用務員室へ向かう。
異世界召喚魔法で人間を召喚するのが仕事ではなく、そのあともやるべきことはある。
その仕事に取り掛かることが出来るのは、この異世界からやってきた少年が起きてからだろう。
☆
用務員室に異世界人の少年を運び込み、ユフィーリアたちの居住区画で休ませてから五分後のことだった。
「――わああああああああああああああああああああッ!?!!」
聞き覚えのない声による絶叫が、ユフィーリアの耳を劈く。
それまで優雅に紅茶を啜りながら書類仕事を順調に終わらせていた彼女だが、その悲鳴によって「うおッ!?」と驚く。
驚いた拍子に報告書の一枚がビュン!! とあらぬ方向に飛んでいってしまい、エドワードが巻き添えで悲鳴を上げた。嫌な連鎖である。
悲鳴が聞こえてきたのは、ユフィーリアたちの居住区画からだ。
確か、あの部屋には異世界人の少年が寝かされていたはずだが――。
「おい、ハルはどこに行った?」
「ハルちゃん? 見かけてないよぉ」
心臓の辺りを押さえながら、ユフィーリアが魔法で飛ばしてしまった書類を手渡してくるエドワード。
用務員室に、ハルアの姿はない。
あの異世界人の少年を運び込んだ際は「ベッドの用意が出来た!!」と犬のようにキラッキラの笑顔で報告してきたが、見える範囲に彼はいない。
まさか、と思った次の瞬間、居住区画へ繋がる扉が勢いよく開くと、琥珀色の瞳を輝かせたハルアが大音声で報告してくる。
「起きたよ!! 異世界の奴!!」
「ハル……お前、驚かせんなよ」
「声が大きかった!? ごめんなさい!! でも今は無理!!」
「アタシらじゃねえよ、異世界の坊ちゃんだよ!!」
ハルアは「あ、そっち!?」と言い、
「オレね、気になったから添い寝してあげてたの!! 寂しそうだったでしょ!! そしたら目が覚めたよ!!」
「おい、馬鹿の添い寝って誰に得があるんだ?」
「俺ちゃんに聞かないでよぉ。誰も得なんかしないでしょぉ」
ユフィーリアは深々とため息を吐き、興奮状態のハルアを手招きする。
「ハル、異世界の人間は召喚されてまだ混乱してんだよ」
「うん!!」
「だから、状況の整理が出来るまで優しくしなきゃいけねえ」
「うん!!」
「具体的に言えば、自分の椅子に座って大人しくしてろ。いいな?」
「うん、分かった!! でもあとでオレもお話させてね!!」
初めて見る異世界人を前に興味が尽きないのか、ハルアは「どんなお話がいいかな!?」と大きな声でエドワードと相談していた。それはもう少し小さな声でやるべきではないのだろうか。
ユフィーリアは席を立ち、異世界人の少年が起きるまで後回しにしていた仕事を片付けに取り掛かる。
アイゼルネに「紅茶を頼む、夜で」と注文をしてから、開けっ放しにされた居住区画へ踏み込んだ。
革張りの長椅子や脚の低い机、本棚などの家具が揃う居間がユフィーリアを出迎える。すぐ近くには台所があり、用務員一同で食事をする為の机と椅子も並べられている。
さらに『女子部屋』『男子部屋』『風呂』『便所』などの札が下げられた扉があり、生活できる状態は整っていた。魔法で構築された空間とは思えないほど、綺麗で清潔感のある部屋だった。
男部屋の扉を軽く叩き、ユフィーリアは「入るぞ」と一声かけてから扉を開ける。
「…………あ、あの……」
やたら大きなベッドが、左右の壁際に設置されていた。
床には鉄アレイや絵本、兎のぬいぐるみなどが散乱している。
異世界から召喚された少年は、部屋に入って右側のベッドにいた。もう起きても大丈夫なようで、上体を起こしたままユフィーリアを見つめている。
怯えた様子を見せる少年に、ユフィーリアは「体調は?」と問いかける。
「え、あ、大丈夫です……」
「そうか。息が出来ないとか、頭が痛いとか、そういった症状もねえな?」
「は、はい。ないです」
辿々しく応じる少年の答えを、ユフィーリアは魔法で呼び出した羊皮紙に書き込んでいく。
「あ、あの。それって何を……?」
「異世界召喚魔法で人間を召喚した場合は、健康面や精神面で異常が出たりする場合があるって言われてるからな。まあ、医者で言うところの問診票みたいなモンだ」
異世界召喚魔法の数少ない成功例を参照すると、複数人を召喚すれば仲間外れなどの問題が発生したり、単独で召喚すれば精神をおかしくして会話にならなかったりなどの結果が報告されている。
なので、異世界人を召喚した時は、彼らが精神崩壊を起こさない為にも出来る限り周囲の環境を希望通りに整えてやるのだ。まあ、大体は美少女で周辺を固めておけば満足するようだが。
もちろん、その辺りも抜かりはない。
魔法学院の女子生徒は綺麗どころが多く、きっと彼にも満足してもらえるだろう。
質問表に羽根ペンを走らせながら、ユフィーリアは煙管を咥える。清涼感のある煙を吐き出しつつ、
「これからいくつか質問していくけど、まあ気楽に答えてくれ。分からねえなら『分かりません』って答えりゃいいから」
「あ、は、はい。――あの、一つだけ質問してもいいですか?」
「ん? 何だ?」
質問表の内容を確認しながら、ユフィーリアは少年の質問とやらに応じる。
「あの、元の世界に帰ることって出来ないんですか?」
「無理だな」
ユフィーリアは即答する。
「悪いな、異世界召喚魔法は一方通行なんだよ。召喚されたが最後、お前はこの世界で骨を埋めるしかない。運がなかったと諦めてくれ」
「そ、うですか……」
少年は困惑した様子で「どうしよう……」と呟く。
もしかして、元の世界に残してきた家族が恋しいのだろうか。
羊皮紙で個人情報を確認する質問事項へ視線を落とし、家族構成の部分を発見すると、さりげなく質問を投げかけた。
「向こうに残した両親が恋しいか?」
「あ、いえ。両親はいないです」
おっと、思ったよりも重い答えだ。
「母は生まれて間もない頃に亡くなり、父は四歳の時に行方知れずとなりました。今は叔父夫婦の元で暮らしています」
「じゃあ、その叔父夫婦が心配すると?」
「そうですね。それと学校にも迷惑をかけてしまうかも……」
困惑するだけで焦る素振りは見せない少年は、
「連絡することも無理ですよね?」
「無理だな。諦めろ」
「ですよね」
この少年、意外と神経が図太いのかもしれない。
咥えた煙管を脱力して落とさないように注意し、ユフィーリアは次の仕事に取り掛かるのだった。
与えられた仕事は完璧にこなす――それがユフィーリアのやり方である。取り掛かった仕事は最後まで投げ出さず、完璧にこなして給金を上乗せしてもらうのが目的なのだ。