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幕間【異世界転移とはこのことか】

 成績優秀、品行方正、温厚篤実。

 周囲が抱く東翔あずましょうという少年の評価は、一貫して『いい子』だった。


 学校の成績は上位で、性格も真面目。弓道部に所属し、そこそこの成績を残している。

 決して注目されるような人柄ではないが、礼儀正しい優等生という印象である。クラスメイトを纏めるリーダー的存在ではなく、リーダーを補佐する縁の下の力持ちと呼べる存在だった。


 逆に言えば、尖った才能がない普遍的な少年だった。



「…………」



 中間テストの上位成績者が記された用紙が廊下に張り出され、たくさんの生徒が張り紙に注目していた。


 翔の名前は上から五番目ぐらいに記載され、学年一位の生徒とは二〇点以上も差がある。

 一番でもなく、二番でもなく、五番。成績優秀の四文字は当てはまるだろうが、どうにも中途半端なイメージだ。他の生徒に注目されるはずもない。


 多数の生徒に混ざって張り紙を見上げていた翔は、静かにその場から立ち去った。


 どれほどいい子でも、注目されるほどの才能はない。

 どれほど真面目でも、所詮はその程度の人間だ。


 むしろ、真面目だ何だと言うのならば――。



「コラ、そこの男子!! 止まりなさい!!」


「ええー、俺たち何も悪いことしてませんよー」



 廊下中に響き渡る教師の声に、翔は足を止めた。


 見れば、生活指導の教師が数名の男子生徒を捕まえて説教をしているところだった。

 男子生徒たちは制服すらまともに着ていない、いわゆる不良と呼ばれる存在だった。髪の毛も脱色し、耳にはこれでもかとピアスをつけている。


 説教を受けているというのに、彼らは「すいませんでしたぁ」と真面目に謝罪する素振りすら見せない。気怠げな態度で説教が終わる瞬間を、今か今かと待っている。



「うわ、怒られてるよ」


「また何かやったんでしょ」



 他の生徒は怒られている男子生徒から視線を外し、声を潜めて会話する。


 翔は説教を受ける男子生徒を一瞥し、自分の教室を目指して歩き去る。

 生徒指導の教師による説教を背後で聞きながら、窓ガラスに映り込んだ自分の格好を見やった。


 着衣の乱れはどこにもなく、長い黒髪は一つに引っ詰められている。この学校は頭髪に関する校則が緩く、翔のように長髪の男子生徒は髪を結べばお咎めなしだった。

 それ以外は特に何もない。ピアスも開いていないし、髪も脱色していない。地味で特徴のない格好だ。



「……普通だな」



 自分の姿に、そんな評価を下す。


 真面目でいい子という評価に、翔はうんざりしていた。

 普通で、普遍的で、ありふれていて、どこにでもいる。『真面目でいい子』という評価など、地味でこれと言った印象はない人間に対して送られるものだ。


 だからだろうか。

 翔は、ずっと『悪い子』に憧れを抱いていた。



 ☆



 夕暮れに染まる住宅街を、翔はひたすら歩く。


 疲れた様子など一切見せず、ピンと背筋を伸ばして突き進んでいく。

 隙を見せないその姿勢は昔から「真面目だね」「いい子だね」と評価された弊害で、他人に弱味を見せられなかった。家族にも見せられない。


 内心では「疲れたな」と思いながら、翔は弓道で使う長弓を背負い直す。



「帰ったら夕飯の前に今日の復習を……予習は夜にやれば……」



 帰宅後のスケジュールを立てていく翔は、やはりどこまでも真面目だった。


 翔の両親はいない。

 生まれて間もない頃に母親を亡くし、四歳の頃に父親が行方知れずとなった。それからは叔父夫婦に引き取られ、何の不自由もなく暮らしている。


 医師であり厳格な性格の叔父に、穏やかで常に笑顔を絶やさない叔母。

 今まで面倒を見てくれた彼らに迷惑などかけられず、翔は『真面目でいい子』のレッテルを剥がせずにいる。そんな性格が災いして、未だに真面目でいい子を演じているのだろう。


 夕暮れ時になって「やべえ、母ちゃんに怒られる!!」などと叫びながら走り去っていく小学生の姿を一瞥し、翔はため息を吐いた。



「寄り道なんてすれば、叔母さんに心配をかけてしまう……」



 かと言って、憧れがない訳ではない。


 コンビニで寄り道をして、友人たちとカラオケを楽しんで、夜遅くまで公園でジュースを片手に長話をして――そんな娯楽は、翔の人生になかった。

 友人とテレビゲームに興じるということもなく、むしろゲームは一度もやったことがない。ゲームセンターにすら行ったことがない。


 ちょっとした刺激に対して、翔は大いに興味があった。



「あ……」



 そんなことを考えているうちに、自宅が見えてきた。


 広くもなく、狭くもない、ごく普通の一軒家。

 隣近所と比べて屋根の形状や壁の色などは違うが、大体同じような間取りだろう。個性もクソもあったものではない。


 翔は慣れた手つきで学生鞄から鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。施錠を外そうとしたその時、足元で何かが青く輝く。



「ん?」



 足元へ視線をやれば、そこには青い光を放つ幾何学模様が浮かび上がっていた。



「え、何だこれ――うわッ」



 目が眩むほどの強い輝きを放ち、翔は思わず目を瞑ってしまう。


 その間、周囲が劇的に変化したことを彼は知らない。

 光がようやく収まった頃、瞳を開けば世界が変貌していた。



「ここは……」



 暗い、ひたすらに薄暗い。


 煉瓦造りの部屋は蝋燭の明かりだけが光源で、教室程度の広さがある。何故か足元はビチャビチャに濡れていて、翔はそんな床を踏みしめて立っていた。

 明らかに家の前ではない。というか、自分の住んでいた世界ではない。


 周囲を見渡す彼は、部屋の中に自分以外の人間を視認する。


 銀髪碧眼の美女だった。


 透き通るような銀髪に、薄暗い部屋の中でも色鮮やかな青い双眸。息を飲むほどの美貌と白磁の肌は、今まで見てきた女性の中で最も美しいと思える。

 黒いタートルネックと袴を思わせるズボン、安全靴という黒で統一された衣装の上から、袖のない外套コートを羽織っている。二の腕まで黒い長手袋で覆われ、肩だけが剥き出しの状態になっていた。



「ようこそ、魔法界エリシアへ」



 そう言って、美女が手を差し出してくる。


 なるほど、これが異世界転移か。

 かの有名な事象に巻き込まれるとは大変名誉あることだが、その役目が自分に回ってきてしまうとは運がない。


 現実を認知すると同時に、翔は膝から崩れ落ちた。


 ちょっと、異世界転移はさすがにキャパオーバーである。

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