第1話【入学式】
その昔、七魔法王と呼ばれる七人の偉大な魔女・魔法使いがいた。
非常に優秀で、なおかつ長い時間を生きる彼らは、自分たちに匹敵する優秀な魔女・魔法使いを育成することを目的とし、協力して一つの魔法学校を作り上げた。
その学校は、今では魔法界エリシアに於ける唯一の教育機関として有名となり、多くの優秀な魔女・魔法使いを輩出した。
『それが、このヴァラール魔法学院の始まりです』
広い講堂の壇上で、遠くまで声を届ける拡声魔法を使用する青年が創立秘話を明かす。
ずらりと並ぶ黒い長衣を纏った彼らは、ヴァラール魔法学院の新入生である。
若々しい少年少女から老人まで、幅広い年齢層の人間が講堂に集められて壇上に立つ青年の話に耳を傾ける。欠伸をして退屈そうに話を聞く生徒はおらず、誰も彼も真剣な眼差しを青年へ向ける。
この魔法学院は、一五歳以上であれば誰にでも入学資格が与えられる。
魔法を学ぶことに年齢は関係ない、という強い思想を掲げているのが理由だ。種族や年齢、貧富の差など無視して、等しく入学資格を与えることで、誰もが気軽に魔法を使える世の中を実現しようとしている。
青年は朗らかな微笑みを新入生へ投げかけ、
『長々と話してしまい、申し訳ございません。――それでは教員の紹介に移りましょう』
青年がそう言うと、彼の背後に五人の教員が出現する。
今まで青年以外に人の影はなかったのに、最初からいたとばかりに自然な様子で出現したのだ。
おそらく転移魔法でも使用したのだろうが、その痕跡を見せない魔法の腕前に新入生が驚きを露わにする。
『まずは僕から。――ヴァラール魔法学院の学院長であり、七魔法王が第一席【世界創生】グローリア・イーストエンドです。エリシア魔法歴史学の授業を担当します』
最初に自己紹介したのは、先程から新入生へ向けて挨拶をする青年だ。
烏の濡れ羽色をした黒い髪を紫色の蜻蛉玉がついた簪でまとめ、厚手の長衣を羽織っている。顔立ちは中性的で男にも女にも見え、生徒を見つめ返す瞳の色は鮮やかな紫をしている。
長衣の下には清潔な襯衣を着込み、不思議な色合いの宝石を使用したループタイが胸元で光る。見た目通りの爽やかな印象を与える格好だが、学院長と名乗るにはどこか幼い気もする。
青年は次いで、背後に立つ五人の教員の紹介へ移る。
『では右から。――七魔法王が第二席【世界監視】であり、副学院長のスカイ・エルクラシス。彼には魔法工学の授業を担当してもらいます』
紹介を受けたのは、赤い髪をした猫背気味の青年だ。
雑に伸ばしたボサボサの赤い髪は鮮血のような毒々しさがあり、肌の色も病気を疑いたくなるほど白い。さらに彼は自分の目元を黒い布で覆い隠し、視界を遮った状態で壇上に立っている。
真っ黒な長衣は、引きずるほど裾が長い。学院長と名乗った青年よりも厚ぼったい印象を新入生に与え、近寄り難い雰囲気を漂わせる。
一歩前に進み出た彼は、ペコリと頭を下げただけだ。そのままそそくさと元の位置に戻り、気まずそうに顔を逸らす。
『七魔法王が第三席【世界法律】であり、魔導書図書館の館長を務めるルージュ・ロックハート。彼女には魔導書解読学を担当してもらいます』
紹介されて前に進み出たのは、派手な赤いドレスを身につけた淑女だ。
艶やかな長い赤髪は炎を想起させ、真っ赤な紅を差した口元は緩やかな弧を描く。図書館の館長というより、どこぞの貴族の令嬢を思わせる彼女は、立ち振る舞いに優雅さがある。
色鮮やかな赤いドレスは入学式の場に相応しいものではないように見えるが、彼女にとってはこれが正装である。ルージュという名に恥じぬ、どこまでも己を赤く染めた淑女だ。
ドレスの裾を摘み上げ、優雅なお辞儀をした彼女は楚々と元の位置に戻る。
『七魔法王が第四席【世界抑止】であり、墓守を務めるキクガ・ヨイヤミ。彼には死者蘇生学の授業を担当してもらいます』
次に紹介を受けたのは、黒く不吉な印象のある男だ。
腰まで届く長い黒髪は絹糸を彷彿させ、さらに金や銀で作られた細い鎖の髪飾りをこれでもかと頭に巻いている。異様な雰囲気を漂わせる髑髏を模した仮面を装着したその姿は、不気味の一言に尽きた。
喪服を思わせる黒い着物に彼岸花をあしらった羽織を合わせ、些か墓守らしくない格好である。だが、纏う雰囲気こそ死の気配が漂い、墓守ではなく冥府の王のようだ。
男は「よろしくお願いします」と一言だけ告げ、元の位置に戻った。
『七魔法王が第五席【世界防衛】であり、植物園の管理人を務める八雲夕凪。彼には防衛魔法の授業を担当してもらいます』
次に紹介を受けたのは、もはや人ですらない。二足歩行する白狐だ。
背丈は隣に並ぶ墓守の男と同じぐらいで、淡雪の如き純白の体毛と随所に施された赤い隈取が特徴だ。ふさふさの尻尾を九本も持ち、それぞれが自分の意思でもって動かしている。
どこからどう見ても九尾の狐だが、その服装は神主のようである。白衣と黒い袴を身につけて、腰の辺りから九本の尻尾が伸びている状態だ。
白狐は「よろしく頼むぞい」と人間の言葉できちんと挨拶して、何か言葉を続けるより先に墓守の男によって襟首を掴まれて引き戻された。
『七魔法王が第六席【世界治癒】であり、我が学院の保健医を務めるリリアンティア・ブリッツオール。保健室には彼女が常駐しておりますので、怪我をした場合は是非頼ってください』
次に紹介されたのは、金髪の少女だった。
黄金を溶かしたような見事な金色の髪と、穏やかな光を湛える緑色の瞳。微笑を浮かべる目鼻立ちは愛らしく、保健医に相応しい清らかさを感じる。
彼女の服装だが、なんと修道服だった。純白の修道服に華奢な身体を包み込み、胸元では歪な形をした十字架が揺れる。魔女というより、聖女と呼んだ方が正しいかもしれない。
新入生を魅了する美しき聖女は「よろしくお願いいたします」と挨拶をして、大人しく引っ込んだ。それだけで何故か他の教員が安堵の表情を見せる。
学院長の青年はその後も教科担当の教員を紹介し、そして『最後に』と続ける。
『我が学院の用務員を紹介したいと思います』
新入生が一斉にざわめいた。
それもそのはず、普通なら用務員など学院長の口から紹介するに値しない役職だ。
戸惑う新入生に向けて、青年は『そんなに身構えなくて大丈夫ですよ』と呼びかける。
『我が学院の用務員は、授業に必要な素材の採取や校内の清掃などの雑務を担当してもらっています。他にも授業の相談や生徒同士の喧嘩の仲裁、魔法が暴走した際の対応も担っております。何か悩みがあれば、用務員の方へ相談するとすぐに解決してくれますよ』
今度は「そんなに優秀なのか」と新入生は驚愕する。
それだけ優秀な人材が、用務員の役職に甘んじていることが謎である。新入生を相手に教鞭を取っていた方が、遥かに有意義だろう。
だが、ここは魔法学院である。普通の勉強を教える学校ではなく、魔法という他にはないものを学ぶ為の場所だ。用務員の仕事も特殊なものになるし、優秀な人材が必要になるのも無理はない。
学院長は『彼女たちが我が学院の用務員です』と呼びかけ、
『用務員の主任を務めるのは、七魔法王の中でも最強と名高い第七席【世界終焉】で――あれ?』
青年が間抜けな声を上げる。
彼が視線を投げた先には、誰もいなかった。
紹介するはずだった用務員の存在が、この壇上のどこにもいないのだ。
『あれ? ねえ、ユフィーリアは? 彼女はどこに行ったの?』
拡声魔法がまだ発動していることすら忘れ、青年は背後に控える五人の教員に質問する。
しかし、彼らの返答は全て『否』だった。
ある者は首を振り、ある者は肩を竦め、ある者は呆れたようにため息を吐き、それぞれの反応で「知らない」と返す。
『――ユフィーリア!! 入学式はちゃんと出席してって言ったじゃないかッ!!』
この日一番の大絶叫が、さらに拡声魔法で強化された上で講堂内に響き渡った。
幸いだったことは、新入生の中に一人も聴覚に関する犠牲者が出なかったことだろう。
☆
――同時刻、ヴァラール魔法学院の中庭にて。
「眠ィ……」
そう呟いたのは、中庭に設置された長椅子に腰掛ける銀髪碧眼の美女だ。
透き通るような長い銀髪に、色鮮やかな青い瞳。人形めいた顔立ちは息を飲むほど美しく、白磁の肌は瑞々しさがある。
ただ長椅子に座っているだけで一枚の絵画になりそうな、飛び抜けた美貌を持つ女である。
目を見張るほどの美麗さを誇るが、自らを着飾るつもりはないらしい。
上半身は下着の如く薄く袖のない布地が肌にピタリと吸い付き、下半身は逆に幅広の洋袴で覆われている。美女の華奢な足を守る頑丈な安全靴、そして両腕を包む黒い長手袋という黒一色でまとめられていた。
全身を黒い装束で覆う彼女は、
「天気いいから眠くなってきたな……ふあぁ」
美女にあるまじき大欠伸をし、雪の結晶が特徴的な煙管を咥える。
はあ、と白煙を吐き出せば、清涼感のあるスーッとした匂いが鼻孔を掠める。
退屈を紛らわせる為に煙管を吹かす美女は、
「用務員室に戻って昼寝でもするかな。今日は入学式で、生徒もいねえし」
よっこいせ、と長椅子から立ち上がると同時に、どこからか「ユーリ!!」と彼女を呼ぶ声があった。
振り返れば、巌のような顔面を持つ巨漢が石ころを手にして駆け寄ってきた。
その身長は見上げるほど高く、多く見積もっても二メイル(メートル)は軽く超すだろう。灰色の短髪と銀灰色の双眸、泣く子も黙るどころか裸足で逃げ出すほどの悪人面だ。
迷彩柄の野戦服に彫像の如き筋肉を押し込み、胸元は窮屈なのか大胆に開放している。首から犬が躾の際に用いる口輪を下げ、それ以外に異様な雰囲気はない。
美女は軽く腕を掲げて挨拶し、
「よう、エド。何か拾ったか?」
「見てこれぇ、黒ずんでるけど魔石を拾ったよぉ」
駆け寄ってきた巨漢は、キラッキラの笑顔で美女に石ころを見せる。
表面は黒ずんでいるものの、確かに魔法の実験で使われる魔石である。
とはいえ、色の状態がよくないので、このままでは屑石として廃棄されるのがオチだが。
手持ち無沙汰に煙管を揺らす美女は、ニヤリと笑った。
「よし、遊ぶか」
「いいねぇ、中庭も広々と使えるしねぇ」
「どこまで遠投できるか競おうぜ」
「ユーリ、身体強化魔法を使ったらダメだからねぇ」
「ハルとアイゼも呼んでこいよ。四人で競って、ビリは昼飯奢りな」
「それ絶対にアイゼが負けるじゃんねぇ。いいよぉ」
本日は魔法学院にとっても大切な式典が行われているにも関わらず、彼らは黒ずんだ魔石を投げて距離を競うという遊びに興じることを選んだ。
巨漢がいそいそと他の面子を呼ぶべく、校舎を振り返る。
「やあ、ユフィーリア。楽しそうだね?」
彼らのやり取りをニコニコとした笑顔で眺めていたのは、この学院の長である青年だった。
ついでに言えば、本来ならこの場にいないはずの存在だった。
銀髪碧眼の美女と強面の巨漢が、同時に回れ右をする。
即座にこの場から撤退しようと試みるが、それより先に青年の雷が落ちた。
「用務員は全員、学院長室に集合!! 特にユフィーリアは絶対だよ!!」
「…………へえーい」
やる気のない返事で応じた彼女こそが、ヴァラール魔法学院の用務員にして七魔法王最強と名高い第七席【世界終焉】だ。
彼女の名前を、ユフィーリア・エイクトベル。
最強の大魔女にして、魔法学院最悪の問題用務員である。