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加藤良介 エッセイ集

なろう系主人公についての考察

作者: 加藤 良介

この考察文は断定口調で書いております。一部表現が強くなりますがご了承ください。

 小説家になろうに自作を投稿している私には不思議に思うことがある。

 その事を今回は書いて行こう。

 この界隈で蠢いている私の耳にもなろう系主人公というワードは耳に入ってくる。

 主に悪口、いや、全て悪口。

 いや、悪口というのは公平ではない。批判と言い換えよう。

 彼らはいかに、なろう系主人公は駄目であるかを、論理的に情熱的に語ってくれる。それを拝聴し私も大いに納得したのだが、おかしな点がある。お気づきだろうか。

 それだけ、駄目な主人公なのにどうして作品は人気があるのだろうか。

 普通に考えると、作者が意図して構成していない人間の屑やサイコパス、あるいは動く植物人間のようなキャラが主人公では人気は出ない。

 しかし、なろう系主人公と称されるキャラが登場する作品は出版され、メディアミックスとして商業ベースに乗っている。

 批判している人の主張が正しいのであれば、商業的に成功できない。何か見落としがあるのだろう。

 そこで、私は気が付いた。

 なろう系主人公を擁護している情報が出てこない。

 先にもいったが、出てくるのは全て批判的な内容ばかりなのだ。

 なぜないのかを考えよう。



 第一章  なろう系主人公を擁護する意見が一般的でない理由。



 ①そもそも擁護する人間などいないから。

  

 これは間違っている。好意的に判断する人間がいなければ、ビジネスとして成立しない。意見を言わない=存在しないではない。


 ②下手に擁護して攻撃されることを恐れている。


 考えられる。ネットの中での議論はその性質上、多様な意見を許容することが難しい。どうしても違う考えを攻撃し排除し、同一性の集団で集まってしまう。そのため言うだけ無駄と考えているかもしれない。ネットというインフラがか抱える構造的問題だ。


 ③批判に対して論理的に反論することが出来ない。


 なろう系主人公の批判を読んだり聞いたりしていて、まず驚くのが主張が恐ろしく論理的なのだ。この主人公がいかに問題あるかを、分かりやすい例を交えて懇切丁寧に説明してくれる。これらレベルの高い批判に対しての反論の方法は二つしかない。同等以上の整合性のとれた反論を行うか、感情的に喚くかの二種類だ。どちらも見かけないという事は、論理的な反論は不可能だが、感情に任せて喚くのもみっともないという、極めて常識的な判断ができてているという事だ。

 こう考えると「なろう系主人公」を好む読者が愚かとは思えない。


 ④嫌われているという事を知らない。批判に対して興味がない。


 知らない者は反論しない。

 もしくは、知ったとしても批判意見に対して興味が無ければ聞いてもらえるはずもない。聞いていない話に反論はできない。めんどくさい奴らが何かを勝手に囀っているだけだろう。という大人の対応。

 ああ、理解できる。

 好きなものに対して文句を言う奴の相手など誰が好んでするものか。


 ⑤主人公に対して興味がない。


 あり得るだろうか。話の中心の人物に対して興味がないのであれば、何を読んでいるのだ。物語か。脇役か。世界観か。だが、主人公に興味が無ければ、いくら批判されても「そうだね」の一言で話は終わる。作品の面白さと主人公を分けて考えていれば、いくら主人公に問題があっても作品の成功には支障が無いだろう。


 思いつくのはこれぐらいか。

 これらの中のいくつかの要因が重なり合って、主人公を擁護する意見を目にしないのだと考察する。

 個人的意見としては批判を恐れず、なろう系主人公のどこが良いのかを発信してほしいものだ。



 第二章  なろう系主人公が跋扈する理由



 批判文を読んでいて感じたのだが「小説家になろう」に投稿している作者の少なくない数がシーン優先で執筆しているように思える。

 小説の書き方としては、


  「テーマ」→「登場人物」→「世界観」→「プロット」→「ストーリー」→「シーン」


 の順番で構成すると良いのだが、これを逆に構成する方法もある。

 即ち。


  「シーン」→「ストーリー」→「登場人物及び世界観」→「プロット」


 この順番である。お分かりいただけるとは思うが、この構成だとテーマというものは存在しないか、「シーン」自体がテーマである。

 物語の結果として場面があるのではなく、やりたい場面を構築するために物語があるのだ。その為に作品構成であるプロットを論理的に組み立てるのが困難となる。

 誤解してほしくないのだがシーンから始まってる作品が悪いという訳ではない。

 アニメ界にビックインパクトを与えた新世紀エヴァンゲリオンはまさにシーンから構成された作品の代表例だろう。あの作品は庵野 秀明の見せたいシーンの詰め合わせだから、今のような展開になっているだろう。初めからテーマやプロットがあったとは思えない。


 シーンから話を組み立てると、前のシーンと次のシーンで整合性が採りにくくなってしまう。

 あくまでもやりたいのはシーンであるので、シーンとシーンとの繋がりには意識が向かない。そのため主人公がサイコパスに見えたり一行矛盾に陥ったり、何とか整合性を取ろうとして説明臭くなってしまうのだ。

 なろう系主人公が嫌いな人は論理的な人が多い為か、この矛盾が気になるのだろう。

 逆に気にならない人は、シーンが重要なのであってストーリーや登場人物は付帯物でしかないので気にならないのだ。あえて言えば考えるのではなく感じる人とでも呼べばいいのか。

 シーンから構成される作品の主人公にとって、一貫性とはあった方がよいという程度のものなのだ。

 加えて、作品の投稿のやり方もこれを助長させる。

 「小説家になろう」において人気を上げる最も確実な方法は、こまめに投稿することにある。そのため、一回に上げる文章の内容は薄くなりがちだ。

 特にシーンから構成すると、どうしても前後で矛盾が発生してしまう。そして、作者もそれに気が付かないのだ。作者が気が付かないという事は読者も気が付きにくい。その場その場のシーンだけ見ているので全体が把握しにくいのだ。

 批判文の多くが書籍に目を通している。書籍化されて通しで読んでいくからこそ、その矛盾に気がつけるのだ。

 

 これが、なろう系主人公が闊歩する原因の一つだ。

 決して、作者に精神的問題があるわけではない。

 場面場面だけ見ているから組み合わせた時に全体が歪み、その歪みを主人公が一身に受け止めるのだ。ある意味で「なろう系主人公」とはその世界の被害者であり生贄なのだろう。



 第三章  なろう系主人公が好まれる理由



 需要があるという事は人気、最低でも必要性はある。

 多くの批判文がなろう系主人公を好む読者のその幼児性や精神の薄弱性を指摘している。

 一面ではその通りだろう。

 だが、ここまで考察して、私の中に一つの答えが出てきた。

 それは第一章⑤で一部指摘したが、そもそも読者には主人公への興味が無く、その事象にのみ興味があるのではないかという事だ。

 何かというと主人公が行動しその結果起こった事象にのみ着目すれば主人公の行いは気にならないのだ。企業の経営者が一人一人の労働者の人格や行動に興味が無く、その収益のみに興味があるように、読者は主人公が持ってきた果実にのみ興味があるのだ。

 主人公が行動した結果。人から感謝される。大金を得る。異性に好かれる。社会的地位が上昇する。これら結果に興味があるのだ。その為、結果さえ出してくれれば過程には興味が無い。

 これにシーン優先で物語を構築すれば見事になろう系主人公が完成する。

 観たいシーンを頑張れば前後の繋がりに矛盾があっても構わないし、結果さえ出してくれれば人間性は問わない。こちらが欲しい物さえ提供してくれるのであれば後は些細な問題だ。極めて合理的な考え方だ。

 ゆえに主人公の人格や設定が崩壊してしまうが問題とされないのだ。

 なろう系主人公とはブラック企業でこき使われる一労働者なのだ。

 哀れな労働者に目がいく人と、労働者の境遇が気にならない人の感覚の差が、どれだけ批判されても需要がなくならない結果となる。

 彼ら彼女らは生き物ではなく機械だと思えば過酷な労働にも何の同情もわかない。現に登場人物たちは実際の人間ではなく作者の中で構成された疑似人格でしかないのだ。ゲームに出てくるNPCといった方が理解が早い。

 いくら傷つけても心は痛まないのだ。むしろ自己の優位性を確認するためにも蹂躙すべき存在だ。極めて人間的思考といえるだろう。

 なろう系主人公とは人間ではなく人の形をした道具だ。それも大変便利な道具なのだ。人気が出ないわけがない。



 第四章  結論



 ものの見方は一面的では駄目だ。

 なろう系主人公はその事を教えてくれた。

 見ている角度が違えば印象は違う。その角度を間違っているというのは簡単だが、相手を納得させることはできない。

 論理を重視する人と感情を重視する人の意見は決して噛み合うことはない。

 なろう系主人公とはその両者の間で引き裂かれる存在なのだ。


          

                 終わり


最後までお読みいただきありがとうございます。

多くの箇所で断定口調で書きましたが、私一個人の考えであることを強く宣言いたします。

考察文を書く時はあらかじめ結論が決まっていて、それに向かって書くのですが、今回はどのような結論になるか不明なまま書き始め、このような最後になりました。


ご意見、ご感想などございましたらお書きください。


これ以外にも小説、考察文を投稿しております。よろしければそちらの方もご一読いただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても興味深く参考になりました [気になる点] なろうを読んで凄く違和感を感じていたのですが やりたいシーン言わせたいセリフから始まるから矛盾を生じさせる と言うのが目から鱗でした [一言…
[一言] 本来であれば、登場人物こそが心臓であり、エンジンなんですけどねー。 全てではないが、なろう系の登場人物たちには興味を持てないので、パーツの一つって認識です。 なろう系というのは、コントラスト…
[一言] 確かになろう主人公って高速でブレまくって多重人格レベルに分裂してるけど、いかに主人公らしく行動するかじゃなくて行き当たりばったりに受け狙いでシーン書いてるせいなのか・・ テンプレ(お題)が嫌…
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