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最初で最後  作者: 海底
4/4

4 おわる

 激しい雨が降りつづくなか、週刊雑誌用の撮影のため、リサの機嫌を取りながらタクシーでスタジオへと向かう。カメラマンが三ツ矢ということを知って、飛び跳ねて喜んだリサはすっかり機嫌が良くなって急いで支度をはじめた。久しぶりに見た三ツ矢は、相変わらず涼しい顔で淡々と仕事をこなす。

 撮影した画像を画面上で確認をするたび、リサは三ツ矢の肩に手をのせて一緒に画面を覗き込む。体が触れ合っているのに三ツ矢は避けようとしない。そういうところが悪い。確かに彼のいると現場はいつも雰囲気がよく仕事は円滑にすすむ。スタッフ、クライアント、アシスタントからマネージャーまで、親しく接することは現場を和ませるとはいえ、そういうところが女性に誤解を与え期待させてしまう。彼にとっては暇つぶしの行為かもしれないが、あんなキスをされたら誰でも勘違いするのだ。

 鈴谷は撮影風景を撮ってリサのオフィシャルSNSにアップする。マイラからとんでもなく下手と言われた写真センスは相変わらずで、自分で見ても間違いなくリサに怒られるであろう出来だったがそれでも構わなかった。今となっては、もうどうでもいい。

 仕事が早くて有名な三ツ矢の撮影は今日も順調に終わったが、片付け作業をしていたスタッフが豪雨で地下鉄が浸水していると騒いでいた。電車はまだ動いているが全員がタクシーの話をしているあいだ、鈴谷はとあるところに電話をかける。


「バスを手配したので、みなさんご希望の場所まで送り届けますよ」


 鈴谷が声をかけると全員が感謝の声をあげた。雨がひどくなることは想定していて、出かける前に事務所から一応バスの準備だけしておいた。送迎はリサだけで良いのだが、昔からの癖で念のため備えておいた。そうやって必要以上に存在感を押し売りするところがずる賢いと、秘書の先輩たちからよく言われていたことを思い出す。バスが到着するまで帰り支度を整えるスタッフたちのなか、リサはまだ三ツ矢に張り付いて鈴谷のことは目にも入っていない。

 バスが到着し、鈴谷は運転手に直接あいさつに行く。ビルの出入口から路肩に停められたバスまでは、たった数歩の距離だったがスタジオに戻ったときには全身ずぶ濡れになっていた。バスの準備ができたことを伝え、全員が一斉に出口へと向かっているにも関わらず、リサは三ツ矢にからみついて可愛い声ではしゃいでいる。十四歳からアイドルグループに加入し、ずっと人気アイドル上位を守りつづけたタイトルは伊達ではなく、自分の一番可愛い角度と仕草をよく知っている。だがその程度の攻撃では、圧倒的美女マイラが裸で押し倒してもダメだった三ツ矢には通用しない。


「三ツ矢さんは帰らないんですかあ?」

「まだ作業あるから」

「じゃあリサもお手伝いします」

「駄目ですよ。お疲れさまでした」


 リサは冷たくあしらわれても、相手にされたことで嬉しそうにスタジオを出て行く。激しく窓を叩きつける雨の音に負けない声量でしゃべりながら、スタッフは順番にエレベーター待ちをしている。鈴谷は最後尾で事務所に撮影終了と直帰の報告を入れていると、突然腕を掴まれてうしろに引っ張られた。


「なになに、なに?」


 戸惑いながらも三ツ矢に腕を引かれるまま歩いていくと、パーティションの裏に連れて行かれる。


「話があるからここで待ってて」


 そう耳元でささかれ反射的に肩をすくめ、黙って頷いた。

 にぎやかだったスタッフの声が消え、スタジオの硬い床を歩く靴の音が近づいてくる。パーティションの裏で、鈴谷は雨に濡れてみすぼらしさが増した頭を抱えていた。


「どうしたの?」

「ここに残ったことが知られて、めった刺しの流血沙汰になった自分を想像してました」


 本気で言ったつもりだが、三ツ矢は冗談を聞いたかのように軽く笑う。熱狂的なファンがエスカレートすると怖いのは、マネージャー歴の浅い鈴谷でもよく知っている。三ツ矢にはすでにストーカー化したファンがいるくらいだ、鈴谷ごとき瞬殺だろう。彼はデスクに戻り撮影した画像を確認しながら作業をつづけながら言った。


「気づかれないんじゃないかな」

「その可能性は高いですね」


 存在感のない鈴谷のことを思い出すとしたらリサくらいだろうが、いまリサは鈴谷に完全に興味をなくしている。近いうちにリサのマネージャーは、木下のような経験豊富なマネージャーに変わる。順調に活躍の幅を広げているリサには、今後のためにも新人マネージャーでは力不足なのかもしれない。


「シャワー勝手に使っていいですよ。進めておきたい作業があるのですこし時間ください。急いで終わらせるので」


 言われてから髪から靴の中までずぶ濡れの自分の格好を見直した。スタジオ備え付けのシャワーを使い、服が乾くまでのあいだスタジオに置いてある服を使わせてもらう。モデル用に用意されていたバスローブや派手な服は何着もあったが、誰も使わなそうなイベントのノベルティTシャツと無地のスカートを引っ張り出した。

 ドライヤーで吹きちらかした髪をそのままに、バッグからペットボトルを掴んで着信履歴を確認しながらソファに座った。


「リサさんから連絡ありました?」

「大丈夫そうです。まあもう関係ないけど――」


 言ってしまってからあわてて口をつぐむが、三ツ矢が作業の手を止めてこっちを見ているのが横目に見えた。


「それはどういう意味?」

「ああ、えっと体調不良により、退職することになりました」


 お茶を飲みながら、乾いた笑いを添えて言う。不眠症が完全にぶり返し、通勤中に倒れかけたこともあった。このままつづければ倒れて入院、という前職のときと同じパターンに入っている。そして、今日がリサとの最後の現場仕事だった。


「俺のことは気にしなくていいと言ったのに」


 やはりこの人に隠し事は難しそうだ。あの話を聞いて以来、あの事務所で働くことが、この業界にいることがつらい。切り捨てられた自分が、今度は誰かを切り捨てる側に回っていることが耐え難かった。たとえ三ツ矢が堪えたとしても、今後も同じことは起こるだろう。大人しくしていればいいのに周りに迷惑をかけて傷つけて、そして愚かで臆病な自分はいつも尻尾を巻いて逃げ出すのだ。


「もう終わったことです。そんなことより三ツ矢さんの話ってなんですか」


 まだなにか言いたそうにしていたがすぐ画面に視線を戻し、マウスを動かしている。しばらく無言の時間がつづきゲームをしながら三ツ矢を待っていると、パソコンの電源を落として鈴谷の元にやってきた。

 鈴谷のひざを跨いでソファテーブルに座ると、持っていたペットボトルを取り上げて後ろ手に置いた。三ツ矢のひざにあしが挟まれて、きつくひざを閉じても腿が触れてしまう。服越しでもすこしずつ伝わってくる体温に、そわそわしながら話を待つ。真剣な眼差しで見つめてくる三ツ矢の容姿はただの雰囲気ではなかったと、訂正を伝える必要があるほど整っていた。


「この業界で仕事をつづけるつもりはないと、以前言ったこと覚えてる?」

「はい、記憶してます」

「こんなのでも仕事を回してくれる人は結構いるから、フリーになっても食べていくには困らないんだ。それで景色の良いところに移って好きな写真も撮っていこうと思ってる」


 そのまま黙って聞いていると、ひざに置いていた手を握られる。はじめて触れた三ツ矢の手は自分の体温と同じで、長い親指で手のひらをなぞられるたびに手首がぴりぴりと痺れた。


「そのときは、俺と一緒にこない?」


 言われた言葉を頭の中でくりかえし、その場でしばらく固まった。三ツ矢は黙ったまま返答を待っている。気が遠くなりそうになる頭を振って意識を現実に戻す。


「それはその、言葉通りに受け取ってもいいのでしょうか」

「もちろん」

「……なんで私なんですか?」

「君のそばにいたいから。努力家だけど不器用すぎて放っておけない」


 頭が混乱して言葉がすんなり出てこないが、言いたいことは一つだけだった。手のひらを撫でる手を握り返し、なんとか声を絞りだす。


「いいですよ。私もあなたのことが気になって仕方がないし」


 全身が赤くなるほど照れているのに、精一杯の平常心を装った声で言う。


「よかった」


 三ツ矢にもそれが伝染したのか、気恥ずかしそうに頭をかたむかせて笑う。その顔は気取らずとても可愛かった。

 スタジオに着信音が反響する。こんな時でも鈴谷を呼び出す音は鳴りつづけるのだ。発信者は、時間的にもまだバスに乗っているであろうリサか、ストレスのはけ口を探している先輩か。点滅する端末にそろそろと手を伸ばし必死に言い訳を考えて躊躇しているところで三ツ矢に取りあげられ、電源を落とされた。

 表示がフェードアウトしていく画面に目が釘付けになっていると、首筋に手が滑り込み、その手に引き寄せられるままキスをする。ゆっくりとしたやさしいキスに、動揺していた心が一瞬で溶かされ、洋館の非常階段で知った忘れられないキスを、もう誰にも邪魔されることなく味わっていく。

 唇から離れ、三ツ矢が顔にかかる髪をすくい、目を覗き込んで言う。


「鈴谷さんは美人ですね、雰囲気じゃなくて」

「それ、いつまで気にしているんですか」

「好きな人に言われた言葉はさすがに引きずるよ」


 鈴谷は吹き出した。雰囲気イケメンと称したことを訂正しなければと思っていたが、それを伝えるのはもうすこしあとにすると決めた。


「先に言い訳しておくけど、俺は好きな人にしか触れません」

「ああ、例のうわさ」


 来るもの拒まず去るもの追わず、女性の体にしか興味がなく毎晩取っかえ引っかえ、マネージャー歴の浅い鈴谷ですら知っている評判。マイラのように恋人になりたがる人のほうが多いが、肉体関係だけでもと求める女性もすくなくない。三ツ矢経験者というのはその界隈で自慢材料になる、という話も耳に届いた。

 鈴谷としてはどうでもよかったが、本人が誤解されていたくないというなら真実を聞いておいてもいいかと姿勢を正す。


「うそなんですか?」

「……いや、粋がっていた時期もあるから全部が全部うそということもないと思うけど、女性とはもう長いこと個人的な関わりはないよ」


 決まりが悪そうにすこし目を逸らしながら言った。その仕草を見てふとマイラの言葉を思い出し、


「EDですか?」と閃いたように訊いた。


 今度は三ツ矢が吹き出した。


「ずっと好きになれる人を探していただけだよ」


 そのあいだにみんながついたちいさなうそは、すこしずつ形を成して歪んだ悪評が作られていった。広まってこびりついたレッテルはどんなに態度を改めても完全には消えない。

 三ツ矢の髪をそっと撫でる。仕事を回してくれる人がたくさんいるということは、それだけ彼の仕事は信頼され、努力と才能を認めている人がいるということ。鈴谷にそんな人はいなかったが、三ツ矢が努力家だと言ってくれたその一言で救われた。


「私が好きになった人は三ツ矢さんだけですよ」


 三ツ矢は嬉しそうな顔でテーブルから腰をあげ、ソファに乗りあげる。体を引き寄せられ抱きしめられながらキスをしていると、手がシャツの中に忍び入ってくる。あわててその手を押さえるが手の侵攻は止まらず、鈴谷は諦めるように力を徐々にゆるめていった。今日は違った意味で眠れないのかもしれないと覚悟を決めた。




 最後の数日は事務処理に追われていた。気分はすっきりしていたが、今までに蓄積した疲労が消えるわけもなく、退職日を目前に倒れてしまった。倒れた拍子に頭部を強打し、女性から滅多刺しはされなかったものの結局流血沙汰となり、人生二度目の救急搬送を経験する。


「最後の最後にハゲができました」


 病院のベッドに座ったまま側頭部のガーゼを押さえて言う。いつものように髪をしばったら見えてそうな位置だった。ストレス性脱毛は免れたが縫合部分からは今後髪の毛は生えないだろう。三ツ矢が、俺もあると言って後頭部を触っているのを見て、点滴の付いてない方の手で必死に髪をかきわけてハゲ仲間の証を探す。

 検査結果から頭部は外傷以外に問題なかったが気絶の原因となった過労と何日も続いている高熱を下げるため、結局入院することになってしまった。他の患者に気を使いながら小声で話をしているところに看護師が入ってくる。


「鈴谷さーん、お加減いかがですかー、これ記入お願いします。あとで回収しにきます」


 看護師は測り終えていた体温計をチェックしてテキパキと作業をこなす。渡された書類に必要項目を書き込んでいく。その様子を眺めていた三ツ矢が目を見開いて書面を凝視したまま、声をかけるまで微動だにしなかった。


「どうか、しましたか?」

「……鈴谷さんの名前、藤の花って書くんですね」

「そうですねえ。三ツ矢さんには何度も名刺を渡していますけど」


 お互いに忙しさから個人的に会うのはほんのわずかな時間だけ、二人はまだ名字で呼び合っていた。三ツ矢はしばらく沈黙していたがなにかを納得したようにうなずいて鈴谷の手を握り、いつものやさしい表情に戻る。


「裏方仕事の関係者をフルネームで覚えることって、あまりないですよね」

「じゃあ俺の名前も知らなかった?」

「ふふん、私を誰だと思っているんですか。はじめて仕事でお会いする前からいろいろリサーチして知ってましたよ。三ツ矢(けい)、学生時代から叔父にあたる自然写真家・霧島潤に師事、最初の受賞作は――」


 その先の言葉はキスで塞がれる。カーテンで他の患者には見えていないとは思うが公共の場では良くない。と、思いつつも鈴谷藤花は三ツ矢慧のシャツを掴み、その唇から離れようとしなかった。



 ◇



 鈴谷は退職と同時に携帯電話を解約し、新しい連絡先を誰にも知らせず姿を消した。

 痕跡を残さず逃げるように去った経験の浅いマネージャーのことなど大した時間もかからずに誰もが忘れていった頃、リサは次々と消えていくアイドル仲間の影に怯えながらも芸能界を生き延びていた。写真集は発売のタイミングが良かったことも相まって、想定より売れ行きは良かった。新しいマネージャーに対する不満がたまり、鈴谷に愚痴を聞いてもらいたくて連絡を入れたが、プライベートの電話番号はもう使われておらずメッセージは届かなかった。リサが必要と思うものは常にそろえられていて、癇癪を起こしても落ち着くまで静かに話を聞いてくれる。泣けばいつでも飛んできて背中を撫でてくれる鈴谷に、自分がどれだけ甘えていたかを痛感していた。

 リサがわがままを反省している頃、マイラは鈴谷の所在を事務所でたずねてみるも、鈴谷についてわずかな情報すら知っている人がいないことを思い知った。ずっと元気が無かったことには気づいていたが、忙しさからなかなか会えずにいたことをいまさらながら後悔している。鈴谷は人当たりは良いが心に壁があって、三ツ矢も同様に心を閉ざしていた。心を開きたいのにきっかけが見つけられない、そんなところが鈴谷と三ツ矢はよく似ていると感じたことがある。自分とはまったく違うあの二人の存在になぜか強く惹かれ好かれたかった。最後に会ったときはすこし仲良くなれた気がしている。いつか鈴谷が連絡してきたら、今度は二人で飲みに行きたいとマイラは願っていた。


 三ツ矢は変わらず同じフォトスタジオ勤務をつづけていたが、芸能事務所ともようやく折り合いがついた頃に退職を希望した。

 屋外での撮影終了後の片付け中、三ツ矢が出版社の編集者と談笑している姿を見ながら、マネージャーの和田が作業中の若い撮影スタッフたちに声をかけた。


「三ツ矢さんってあんな雰囲気だったっけ?」

「んー、外だと悪いイメージが先行しますけど、俺らの前ではいつもあんな感じですね。一時期こき使われて仕事量やばかったけど、文句も言わずにこなしていましたよ。いまはその憑き物が取れてすっきりしたんじゃないですか」

「ああ、そんな話ちらっと聞いたな。とうとうフリーかあ。まだ若いのにあれだけ名前売れていればクライアントも選び放題だろうなあ」

「ですね。まあでも腕は確かですし」

「顔もね」

「俺らに勝てる要素ないですね」


 弾けるような笑い声がビルの間で反響した。




「三ツ矢、もう上がっていいぞ。落ち着いたら連絡しろよ」

「必ずします」


 スタジオで長く一緒に働いた先輩が差し出した手を力強く握る。それを合図にその場にいた全員が三ツ矢のそばに集まり一斉に礼を言う。


「送別会したかったですぅ」

「気持ちだけで十分ですよ」


 女性たちがここぞとばかりに手や体に触れる。勢いに押されて後ずさる三ツ矢のもとに今日のメインモデルが花束を持ってやってきた。


「急だったのでお花しか用意できなくて……荷物になるかもしれませんが、いままできれいに撮っていただいた感謝の気持ちです」


 花束を贈る側でなく贈られたいと願う女性が、訓練された涙腺で瞳を潤ませながら寄り添う。花束の中に連絡先が書かれた紙片が混入していることに気づき、ふっと息を漏らして笑う。その笑顔を見た全員が期待に目を輝かせた。


「花はありがたくいただいていきます。妻が、喜びそうなので」


 お疲れさまでした、と言って踵を返す。背中に驚きの絶叫を浴びながら三ツ矢は足早に去っていった。

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