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最初で最後  作者: 海底
1/4

1 はじめ

鈴谷すずや女史、“男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる”という言葉をご存じ?」

「はあ、どこかで聞いたことありますねえ」

「今夜、ワタクシはそれを目指します」


 真剣なまなざしの絶世の美女マイラと目も合わせず、アプリゲームで必死に指を動かしながら、適当に相づちを打つマネージャー二年目の鈴谷。

 CGのように整った顔と神がかりなプロポーションを持ったモデルが、メガネをかけてもさもさの頭髪を一本にしばっているだけのマネージャーに、撮影スタジオの隅でヒソヒソと耳打ちしている。

 マイラは芸能人二世で親戚に有名映画監督、海外育ちで芸能活動をゆるやかに嗜む。若者が盲目的に憧れる、生まれついての人生勝ち組。

 本日は慣れ親しんだ女性誌の撮影で、現在は休憩中である。タイムアタックを邪魔されデイリーミッションクリアに失敗した鈴谷はゲームを諦め、しかたなくマイラの話に付き合う。


「相手は難攻不落の三ツ矢さんで、お間違いない?」


 姿勢を正して聞くと、彼女は不適な笑みを浮かべた。


「例え1パーセントの可能性でも挑戦を恐れないのが、女というもの」

「ゼロじゃなくて?」


 マイラが鈴谷を睨めつけ、ペットボトルをまるで呑んだくれのようにテーブルに叩きつけた。海外生活が長いせいか、彼女は恋に対してオープンでかなり情熱的である。そして鈴谷はそんな生まれつき陽の気を放つマイラにも全く影響されない平坦な性格の持ち主である。

 タレントとマネージャーという関係だが、マイラは人懐こい性格でオフのときでも親しくしている。

 事務所は恋愛禁止ではないが、あまり無謀な相手に恋をして身を滅ぼされては困る、というのがマネージャーとしての意見だ。放任主義の鈴谷をも心配させるほどに、マイラが執心している三ツ矢という人物には良くないうわさが絶えない。


「雰囲気イケメンの三ツ矢さん、読者モデルから女優まで年齢問わず、来るもの拒まず去るもの追わず、女性を取っかえ引っかえ。さすがのマイラさんでも遊ばれてぼろぼろに泣かされるのがオチですよ」


 あえて脅すように一気に言葉を捲し立ててから水を飲む。すぐに反論がくると構えていたのにマイラからの反応がない。不思議に思っていると、ほんの数秒前まで、あれほど情熱的にまくし立てていたはずのマイラが澄ました顔で急に目を逸らした。


「誰がなんだって?」


 背後から降ってくるように声が聞こえて、口に含んでいた水を吹き出す。ゆっくり振り向くと、うわさの三ツ矢が立っていた。鈴谷は愛想笑いを浮かべながらこぼれた水をタオルで拭き取る。

 幸いなことにスタッフから撮影再開の声がかかり、全員が動き出した。三ツ矢は冷たい視線を鈴谷に残しながら、それ以上はなにも言わずその場を離れていった。マイラも同じようなまなざしを向け、親指で首を掻くまねをしてから三ツ矢のあとをついて撮影に戻っていく。

 三ツ矢という人はフォトスタジオ勤務のカメラマンで、いまは芸能業界内での人物撮影を中心に仕事を受けている。知名度は十分あるのに独立せず、大手企業の専属にもならず、かたくなに中堅スタジオ勤務をつづけている。さらに、技術だけでなく容姿にも恵まれ、雑誌に顔や経歴、親戚までもが晒されて以来、なにかと『有名人』扱いされていた。

 マイラは以前から三ツ矢のファンで、彼女の位置を虎視眈々と狙っているが、当の本人は特定の恋人を作らず、いつも連れている女性が違う。彼とは何度か仕事で会ったことはあるが撮影現場を見ていても、三ツ矢が勝手に集める女性からの熱い視線はとにかく多い。

 鈴谷は事務所にクレームが来ないことを願いながら、再開された撮影を眺めていた。



 ◇



 数日たってもクレームはこなかったが、代わりにマイラのまぶたが数日腫れた。芸能人美人ランキングトップ5の武力を持ってしても三ツ矢攻略失敗、といううわさはどこから漏れたのか広まりつつあった。気の強い彼女のことだからすぐに立ち直るだろうと、本人が相談してくるまでは放置していた。

 しばらく収録の様子を観察していると、別の事務所のマネージャーと目があってあいさつする。


「鈴谷さん、今度飲みに行きましょうよ」

「そうですね、お時間あえばぜひ」

「そう言って何度誘っても付き合ってくれないじゃないですか」

「スケジュール掴めないのはお互いさまですよねえ」


 対マネージャー用の作り笑いを浮かべ、テンプレのような会話を和やかに展開する。相手は名刺交換をすでに済ませている、最大手芸能事務所の木下という男。距離を保ちつつ仲良くしていくべき相手だが、木下は常に主導権を握りたがる強引なタイプだった。アルコールに弱いわけではないが人と飲みに行くことが苦手な鈴谷は、どんなメンバーであってもなるべく参加したくなかった。しかし、仕事の都合上どうしても避けられないときもある。こういうことに関しては仕事が一番の言い訳になるためのらりくらりと交わしてきたが、この男の誘いはとにかくしつこかった。


「じゃ、めげずに連絡いれますね」


 にこにこと笑いながら木下はその場を去っていく。スーツ越しにもわかるほど、何らかの激しいスポーツをしているような筋肉質な体つきをしている。声がやたら大きく自信家で、人の話を聞かない面倒な人という印象しかない。

 突然、弾けるような大きな笑いが聞こえてスタジオに視線を戻すと、マイラを中心に笑いが起こっている。さすが根性の座った芸能人というところか、マイラはすでに調子を取り戻しているようだった。

 そう安心したのも束の間、残念なことに三ツ矢の件で、マイラは事務所から呼び出しをされてしまった。あの一件は、マイラの両親の耳にも入っていてもおかしくないほど広まっている。全力で庇うつもりで意気揚々と事務所に向かったが、事実確認だけして鈴谷は早々に追い出されてしまった。

 いきなりやることがなくなり帰ろうとしたところで着信音が鳴り、画面を見ると木下という文字が浮んでいる。永遠に無視をつづけるわけにもいかない。深呼吸をしてから通話ボタンを押していつも通り、定型のあいさつを交わす。


「いま、みんなと飲んでいるのでほんのちょっとでいいから顔出してくださいよ。店のアドレス送ります」


 まだあいさつしかしていないというのに、一方的に位置情報が送られてくる。確認すると歩いていける距離。木下の術中にハマったような不快感を覚えたが、「みんな」という言葉にすこし気がゆるみ、いまから向かうと返事をした。


 到着したダイニングバーの入り口で電話している小柄な女性に見覚えがあった。向こうも鈴谷に気づき、電話で喋りながらジャケットの袖を掴んでくる。


「明日七時に。はい、はい、失礼します……。もしかして鈴谷さん?」

「そうです、浅海さんでしょうか」


 何度か顔を見たことがある、大手芸能事務所のマネージャー浅海が目を輝かせた。顔と名前や情報を記憶する技術は前職で培った。浅海の満面の笑みにつられて鈴谷も笑う。


「わお、さすがうわさに聞く敏腕マネージャー。浅海です、よろしくね。鈴谷さんのことは木下くんからいろいろ聞いてるよ」


 鈴谷の芸能事務所も名前は売れているが、木下や浅海の所と比べると規模はちいさい。浅海はまるで以前からの知り合いのように気さくに話しかけてくる。木下とふたりきりの飲みではなかったことに心のなかでほっとしていると、浅海が顔を覗き込んできた。


「木下くんと二人きりのがよかった?」

「まさか」

「はは、それ聞いたらあいつがっかりするよ」


 その言葉は聞き流し、フロアに目を向けると木下が手をふっている。テーブルにもうひとり、初見の男性がいた。和田ちゃん、と浅海があいだに入って紹介してくれる。銀縁のメガネに一重の鋭い目つき、絵に描いたようなマネージャーといった風貌の男と早速名刺交換をする。


「この店、業界御用達だから顔見知りが結構集まる溜まり場なんだ。時間あるときここに集まってみんなで飲んだりするの」

「俺は仕事の愚痴しか言わないけどね。それでもよかったらいつでも参加して」


 と、和田が言い、浅海が「それは全員同じだよ」と笑った。和田は宣言通り、早速愚痴をこぼしはじめ、酒が入っている浅海がけらけらと高笑いを響かせる。マネージャー同士思いつく限り批評を並べていく。

 しばらくすると興味は鈴谷の過去に移り、根掘り葉掘り質問がつづいた。


「へえ、大企業の役員秘書だったのか。どうりで優秀なわけだわ」

「いえいえ、三年も持たず辞めていますから」


 前職の話は鈴谷が出し渋ったせいでそれ以上会話は広がらず、それを察したのか浅海が話題を切り替えて、最近あった失敗談を話しはじめた。黙ってその話を聞いていたが、グラスを握っていた手を木下に撫でられ、ゆっくりと手を引っ込める。


「重役秘書ってことはきれいな格好していたんでしょ」


 せっかく浅海が流してくれた話をふたたび持ち出す木下に、愛想笑いを添えて返事をする。


「いまよりは、見た目を気にしたビジネススタイルを保っていましたね」

「つづければ? 結構きれいな顔してるのに、勿体ないなあ」


 日焼け止めだけを塗った顔にメガネをかけて、動きやすいストレッチの効いたパンツスーツ。最後はいつ美容院にいったのか覚えていないもさもさのミディアムヘアを無理やり一本に縛ったこの姿を、昔の職場の人たちが見たら絶句することだろう。


「ところで、マイラさんと三ツ矢くん、うわさになってるけど実際どうなってるの?」

「どうでしょう。マイラさんは大人ですから、個人に任せています」


 酒の入った木下はいつも以上にしつこかったが、鈴谷もいつも通りかわしつづけた。マネージャー同士で揉めると後々面倒になるから気をつけるようにと言われている。言葉は慎重に選び、木下の自尊心を傷つけないよう、それでも調子に乗らせないよういなしていく。


「よし、そろそろ帰るぞ。明日も頑張って働きましょ」


 浅海があくびをしながら言った。まだ遅いと言うほどの時間でもないが、仕事帰りに何杯か軽く飲んで帰るのがルールだと言って現地解散となった。想像していたよりも軽い飲み会であったことに安堵し、その場で挨拶をして鈴谷は化粧室へ向かう。

 何度もマイラから電話が入っているのを確認し、かけ直そうと手元を見ながら化粧室を出ると、帰ったと思っていた木下が目の前に立っていた。


「もうすこし飲もうよ」

「すみません、明日早いので帰ります」


 乾いたような声で笑いながら後ずさる鈴谷の背後を、他の客が早足に通り抜けようとした。木下は鈴谷の背中に手を回して衝突をとっさに止める。


「すみません」


 顔が近づき、むせるほど酒気を帯びた息が顔にかかった。


「ありがとうございます……あの、もう大丈夫です」

「まあまあ、そんなにかしこまらないでよ」


 背中に回された腕は離れず、指先に力が入り脇腹を揉むように撫でられて一気に鳥肌が立つ。浅海と一緒に店を出るべきだったと今更後悔しても遅い。必死に押し返しても片腕だけで鈴谷を小脇に抱えられる木下に対し、力での抵抗はむなしくすこしずつ引きずられていく。


「現場で堂々と人の悪口を言っていたマネージャーさん、こんばんは」


 聞き覚えのある落ち着いた低い声がして、声の主を振り返ると例の三ツ矢がいた。その横にはマイラほどではない美女がいる。この人の周りにはいつでも目が覚めるような美女がいるらしい。


「あ、はい、こんばんは。先日は不適切な発言をしてしまい、大変申し訳ございませんでした」


 三ツ矢の出現に木下が怯んだ瞬間を逃さず、腕からすり抜け三ツ矢に向かってぺこぺことお辞儀をする。状況からトラブルと察した木下はちいさくあいさつをして店の出口へと歩き出し、寄り添っていた女性も三ツ谷に言われて奥の個室へと移動していった。

 周りに誰もいなくなると、三ツ矢の声のトーンがすこしだけ和らいだ。


「いまは仕事の打ち合わせ中で、さっきの女性は撮影の参加者です」

「はあ、そうですか」


 どうでもいい情報だったが一応相づちを打ち、恐る恐る三ツ矢を見上げる。人の顔色や仕草を観察するのは前職からの癖だが、彼の感情は表情からいまいち読み取れない。黙ってその場に固まる鈴谷に三ツ矢は話をつづけた。


「マイラさんの件、変に話が広まっていますが、もしなにか問題になるようならマイラさんの都合に話を合わせて構わないですよ」

「なるほど」


 こっちが本題かと無言で何度かうなづく。あれから日数はたっているが、変な尾ひれがついたうわさが広がってしまっている。両親のせいで何かと目立ってしまう人だから、事務所には伝えておこうと思っていた。カメラマンの火遊びは勲章になるだろうが、タレントの場合は擦り傷も致命傷になりかねない。しかし、マイラを気遣うようなことを言う三ツ矢は、それほど悪い人ではないのかもしれない。


「マネージャーさん」

「はい。鈴谷と申します、よろしくお願いします」


 仕事で何度も会っているが記憶はされていないらしく、ついあいさつを加えてしてしまう。


「先日の件と先ほどの件、二つ貸しにしておきます」

「先ほどの件、と言いますと……あっ、お気遣いありがとうございます」


 この店にいたのは偶然でもわざわざ声をかけてきたのは、木下との押し問答に気づいて止めに入ってくれたのだろう。声を荒げたつもりはなかったが経験の差か、ずいぶん勘の良い人だと知る。そして先日の件というのは悪口のことだろう。時間が経っても忘れてくれてはいないようだ。


「意外と根に持つタイプなんですね」

「しつこいですよ、俺は」


 真顔で平然と言いのける三ツ矢に、笑いながら肩をすくめて見せた。


「笑顔が胡散臭い鈴谷さん、覚えておきます」


 三ツ矢は捨て台詞を残し去っていった。

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