その7 エマージェンシー!
僕たちの目的地エニシダ荘は街道を内陸部へと進んだモンタルボという場所にあるらしい。
馬で行けば三日はかかる距離だが、僕なら一時間ほどでひとっ飛びだ。
一週間前にマチェイを出た時にはあれだけ大騒ぎしていたメイド少女のカーチャも、少しは空に慣れたのか、今日はティトゥに抱きかかえられたままじっとしている。
夏の照りつける太陽の下、僕はエンジンの音を軽快に響かせながら少女二人を乗せて気持ち良く空の旅を続けた。
『あれがそうなんじゃないかしら?』
ティトゥが手元の地図に目を落としながら僕に報告した。
僕たちの眼下に広がるのはだだっ広い草原。
話通りの景色だ。おそらくここがモンタルボであることは間違いないだろう。
『麓の村ではヤギの放牧をしていると言っていたので、間違いないですわ』
そう言われてみると草原にポツンと白い群れが見える。
多分あれがヤギの群れなんだろう。
とすれば、おそらくひときわ大きなあの建物が目的地であるエニシダ荘だ。
おや? でもあれじゃあ・・・
『・・・あれでは降りられる場所が無いですわね』
そうなんだよね。
僕達のために屋敷の準備をしてくれている作業の真っ最中だったのかもしれない。庭には荷物がいっぱい積まれていて、僕の降りるスペースが無かったのだ。
しまったな。先に連絡を入れておけば良かったのかも・・・
『でもそれだとまた何日もかかることになるわ』
そうなんだよね。
現代日本なら電話一本で済むことも、この世界では全部人力で賄わなければならないのだ。
さてどうしたものか。
と、僕達がのんびり考えられていたのはここまでだった。
『うぷっ・・・ お・・・ ぶぶっ・・・』
『ちょっと、カーチャ! 嘘でしょう?! 止めて頂戴!』
すっかり静かにしていたカーチャだったが、どうやらずっと気分が悪いのを我慢していたらしい。
両手を口に当てて必死に嘔吐を堪えようとしている。
『待って! 今開けるから! ここで出しちゃダメ!』
密室かつ密着状態でのリバースを恐れて慌てて風防を開けようとするティトゥ。
て、危ないよ! まさか飛行中にカーチャの体を外に出すつもりじゃないよね?
今、何キロ出てると思ってんの? 新幹線よりスピードが出てるんだよ?!
僕は必死に風防を開けられまいと抵抗した。
なかなか開かない風防にますます焦るティトゥ。
すでに口元までせり上がっているのか秒読み状態のカーチャ。
「エマージェンシー! エマージェンシー! 非常事態につき緊急着陸を試みる! みんなどけええええ!」
僕は一路急降下! かつてない速度で屋敷の中庭に着陸を試みる!
全ては終わった。
風防の開け放たれた操縦席ではティトゥが魂が抜けたような表情になっている。
彼女の個性であるゆるふわピンクの長い髪から豊かな胸にかけて悪臭を放つシミ。
ギリギリ間に合わなかったのだ。
謝りながらギャン泣きするカーチャ。
僕は少女達から目を反らして周囲の様子を見渡した。
・・・ぶっちゃけヒドイ有様だ。
周囲は戦場もかくやという、それはそれはヒドイことになっている。
僕はあらゆる荷物をなぎ倒し、おそらくこの屋敷の名前の元になっているエニシダであろう植物をもなぎ倒し、屋敷の敷地ギリギリいっぱい使って何とか着陸することに成功していた。
大きなケガをした人がいない様子なのが不幸中の幸いである。
みんな怯えた目で遠巻きに僕を見ていた。
あ~、申し訳ない。
もし、今の体が四式戦闘機ではなく元の体だったら、頭を下げ倒して顔を上げられなかったに違いない。
でも残念ながら今の僕には下げる頭も無い。
それどころか、機首を上に向けたレシプロ機独特の駐機スタイルって何だかふんぞり返っているようにも見えなくもない。
それがまた僕の心苦しさに拍車をかけていた。
『これは一体どういう事ですか』
周囲がざわめきに包まれる中、歳のいったおばあさんメイドが人をかき分けて歩み出た。
周りの反応からすると、どうやら彼女がここの責任者のようだ。
彼女は慌てて止めようとする使用人を振り切り、毅然とした態度で僕の前に立った。
『こちらの不手際にご不快になられたのでしたら、何もこのように事を荒立てずとも、ひと言おっしゃって頂ければよろしかったかと存じあげますが』
老女の、責めるでもなく、不満を言うでもなく、ただ諭すようなその言葉に僕は返す言葉も無かった。
全くもっておっしゃる通りでございます。
やむを得ない。ここは覚えたばかりの言葉で謝意を伝えよう。
『サヨウデゴザイマスカ』
使用人達の間に沈黙が流れた。
そしてポカンと口を開けて驚く初老のメイドさん。
あ、これ僕の勘違いだ。どうやら彼女は僕ではなく、僕に乗っているであろう人物に話しかけていたんだ。
まあ、そりゃそうだよね。
まさかこんな大きな図体をした謎存在が、人間様の言葉を話すとは思わなかったんだろう。
初老のメイドさんは軽く目が泳がせるが、自分の責務を思い出したのかコホンと咳をすると気持ちを切り替えた。
大人だ。
『降りてきて頂けますか?』
僕と老女の話を聞いていたのだろう。カーチャもぐずりながらも泣き止んでいた。
『うちのハヤテが大変ご迷惑をおかけしましたわ』
『いえ、こちらも不手際があり、誠に申し訳ございませんでした』
無理やり気持ちを持ち直したティトゥが、初老のメイドさんにお詫びの言葉を述べている。
初老のメイドさんはここのメイド長なんだそうだ。名前はマルデナさん。
年齢のせいかマチェイ家のメイド長、ミラダさんとどことなく雰囲気が似ている気がする。
というかティトゥ、その言い方だと僕が粗相をしたみたいに聞こえるんだけど。
カーチャはすっかりしょげ返って顔も上げられないようだ。
『お客様のお召し物を準備なさい。湯と拭きものの支度も忘れずに』
メイド長のマルデナさんの指示で慌てて動き出す使用人達。
『庭の片付けは後で。先ずはお客様のおもてなしを・・・』
と、言いかけて僕の方を見るメイド長。
あー、まあ確かに、僕もマリエッタ王女のお客様リストに入っているでしょうね。
『ハヤテ。貴方は後回しになってしまいますが、構いませんわよね?』
『サヨウデゴザイマスカ』
ティトゥがメイド長に気を利かせて僕に問いかけて来たので、無難にそう応えておいた。
というか便利だな『サヨウデゴザイマスカ』。もっと早く覚えておけば良かった。
おっと、メイド長が僕のことを訝しげに見ているぞ。
あれは「ひょっとしてオウムのように覚えた言葉を返しているだけなのでは?」とか思っている顔だな。
『マタ、アトデ』
僕の返事に驚くメイド長。
ふふん。どうよ?
何となく、してやったり感に浸る僕。
そして僕の言葉使いが気に入らなかったのか途端に不機嫌になるティトゥ。
そんな会話に気を取られて、僕は良く目立つ金髪縦ロールの少女二人が庭から姿を消していることに気が付かなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「お・・・恐ろしいですわ! 何なんですのあのドラゴン! ねえ、ラミラ!」「いきなり私達に襲い掛かって来ましたわ! 乱暴者ですわ! ええ、パロマ!」
エニシダ荘の一室で震え上がっているのはまるで双子のような一組の少女達。
第六王女パロマと第七王女ラミラである。
外ではティトゥがハヤテの行動を説明し終わっている。
自分達のためにハヤテが緊急着陸を行ったとの説明に、今では全員が納得しているようだ。
実際に少女達の惨状(主にティトゥの)を目の当たりにしているのだ。理解できない方がどうかしているだろう。
しかし、早々に屋敷に逃げ込んだ二人の王女はそのことを知らなかった。
二人は今でもドラゴンが自分達のイタズラに腹を立てて暴れたものだと思い込んでいた。
「あんな大きくて狂暴なドラゴンが暴れては私達なんてひとたまりもありませんわ」「そうよね。どうしましょう」
あの時。
恐ろしい咆哮を上げながら上空から襲い掛かってきた大きなケダモノ(※王女主観)に、二人はまるで蛇に睨まれた蛙のように真っ青になってガクガクと震えることしかできなかった。
以前、妹であるマリエッタ王女からドラゴンが大型船を一撃で沈めたと聞いた時、二人は鼻で笑ったものである。
島国であるランピーニ聖国では、庶民から王族まで、船は身近に存在する見慣れた存在である。
まだ子供の彼女達にとって大型船とは盤石の砦のような存在だったのだ。
それがひとたまりもなく沈められるなどあり得るはずがない。
そう思っていた。今日までは。
「あれはヤバいですわ。恐ろしいですわ」「そうだ! 聖都から騎士団を呼びましょうよ! それが良いわ!」「そ・・・そうね! そうしましょう!」
ラミラのアイデアにパロマも飛びついた。
こうして二人の要請で聖都に騎士団の派遣が申請された。
・・・はずもなく、二人のお目付け役のメイド長マルデナによってこの申請は握りつぶされた。
二人は彼女から今日の事についてお説教をもらうことになるのだった。
次回「エニシダ荘の朝」