その3 クリオーネ島へ
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私はハヤテさんに乗ってお嬢様――ティトゥ様とランピーニ聖国まで旅行に行くことになりました。
急に決まった旅行で家族には心配されましたが。・・・そういえば、つい先日王都から帰ったばかりでした。
若い娘がこうも頻繁に家を空ければ両親も心配しますよね。
「ではお母様行ってまいります」
「生水には気を付けるんですよ」
ティトゥ様がお母様に挨拶をしておられます。
今回は私とお嬢様だけがハヤテさんに乗って行くことになっています。
本来ハヤテさんの定員は一名で、二人乗りはムリをしているのだそうです。
あんなに大きな体なのに一人しか乗れないなんて、やっぱり空を飛ぶのって大変なんですね。
そんな貴重な体験を私も出来るのかと思うと今からワクワクして来ます。
お嬢様は、今日は私の家の上を飛んでくれるよう、ハヤテさんにお願いしてくれたそうです。
私はつい嬉しくなって、昨日の晩、家族に自慢してしまいました。
弟達はみんな羨ましそうにしていました。
実は、村では今、ハヤテさんは凄い人気者なんです。
なんだかお父さんも羨ましそうな顔をしていたような気がしますが…気のせいですよね?
でも、考えてみればそれも当然かもしれません。
空を飛んで外国に行く。
半年前の私なら想像もしなかった話です。
ずっとティトゥ様やハヤテさんと一緒にいたせいで、私の感覚は大分マヒしてしまったのかもしれません。
「どうしてもハヤテに乗って行くのかね?」
「お父様しつこいですわ。マリエッタ様だってハヤテに会いたいに決まっていますわ」
ティトゥ様がご当主様と何やら揉めています。
ご当主様は未だに納得出来ていないご様子ですね。
昨日も何度もみんなで一緒に船で行くように説得されていました。
まあ普通そうですよね。
「それに船で行くとなったら、いつあちらに到着出来るか分かりませんわ」
「いや、それが普通の旅行というものなんだが・・・」
「もういいですわ。さあ、行きましょうカーチャ」
ああ、ご当主様がガッカリされています。
でもこんな風に昨日の今日で旅立つことになったのは、あまりにしつこいご当主様をティトゥ様が煩わしく思われたから、といった理由もあると思いますよ。
私は項垂れるご当主様に頭を下げると、急いでお嬢様を追いかけました。
「・・・どうしたのかしら。ハヤテがしょぼくれているように見えるわ」
「そうですね。昨日はあんなに元気でしたのに」
屋敷の裏庭に待っていたのは荷物を積んだハヤテさん・・・なんですが、いつもと雰囲気が違いました。
ハヤテさんは表情が顔に出やすい――といっても日頃は身じろぎ一つしない方ですが、実は割と素直な性格の方で、慣れてしまえば案外感情が分かり易いのです。
人間と違ってドラゴンは情緒が単純に出来ているのかもしれません。
「何かあったの? オットー」
「さあ、私にもさっぱり。お嬢様達が海で泳がないと聞いてからこんな感じで」
さっぱり意味が分かりません。
私達と一緒に海で泳ぎたかったのでしょうか?
「ハヤテって泳げるんですの?」
「私に聞かれましても・・・」
ティトゥ様も同じことを考えたようです。
でも残念なことに私も泳ぎは出来ません。
うちのわんぱくな弟達なら去年も川で泳いでいましたが・・・。
「普通淑女は泳いだりしませんわ」
「ですよね」
私達の言葉にハヤテさんが大きなため息をつきました。
本当にこの人、何を考えているんでしょうか?
「まあ良いですわ、乗ってしまいましょう。案外空に上がれば元気が出るかもしれませんわ」
ハヤテさんは空を飛んでいる時が一番生き生きとしているのだそうです。
ついに私も空を飛ぶんですね。
私はドキドキと高鳴る胸を抑えきれずにいました。
・・・今思えばこの時が一番楽しかった気がします。
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『お母さーん、お父さーん、もう家に帰りたいー! うえええええん!』
『あーもう、うるさいうるさいうるさーい! いい加減諦めたらどうなんですの!』
「はあ・・・全てが虚しい。水着美少女のいない海なんて、まるでネタの乗ってない寿司だ。そんなの寿司じゃないよ、ただの酢飯だ」
僕は元気無く飛び続けた。
ていうかカーチャ元気だな。その元気を僕に分けて欲しい。
ちなみに僕はすでに海の上を飛んでいる。
かつては一大決心をして挑んだ洋上飛行だが、三度目ともなれば慣れたもので、大分緊張感も薄れていた。
というか僕の機体って結構優秀だったんだよね。
今ではキチンと計器を見て飛んでいれば、そこそこの誤差で目的地に到着出来るということが分かっている。
どうやら僕の計器は勝手に自差修正や偏差を調整してくれているようなのだ。
何この無駄な高性能。いや無駄ってことはないけど。全然助かってるけど。
そんなわけで気持ちは黄昏つつも僕の体は順調に飛行、こうして僕達は無事クリオーネ島へと到着したのだった。
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「何?! ドラゴンが来たって?! 早いなオイ! まだ手紙を積んだ船が出てから10日しか経っていないじゃないか!」
ここはレブロン伯爵領レブロンの港町。
屋敷に飛び込んで来た騎士の報告に、代官のメルガルは眼を剥いて驚いた。
マリエッタ王女の侍女ビビアナからの手紙――という体を取ったマリエッタ王女の手紙を積んだ船が、港を離れたのはつい10日前の事。
代官のメルガルは同封された手紙でその内容を知らされていた。
ティトゥ・マチェイは、そのメイドの少女と共に聖国に招待された。
家族と共に来るかどうかは分からない。おそらく王女とも親しいドラゴン・ハヤテも共に来ることを考えれば、ティトゥであればハヤテに乗って空からやって来るだろう。
その場合、彼らはこの町を目指すはずなので、もてなしの準備をして欲しい。――といった内容だった。
「急いでマリエッタ王女殿下に到着の連絡を入れなきゃならん! お前は早馬の用意をしておけ! 王家に送る連絡状の書式を揃えておくのも忘れるな! お前達は屋敷に戻って歓待の準備だ! 相手は聖国でいえば男爵令嬢だが、王女殿下が直々に招いた客人だ。そのことを忘れず、伯爵令嬢をもてなす気でかかれ! 騎士は動ける者を総動員して町に行って警備だ! どうせもう騒ぎになってるだろうしな! それとお前は――」
矢継ぎ早に部下に仕事を割り振る代官メルガル。
彼は日頃の言動こそ軽薄そうに見えるが、これでもラダ・レブロン伯爵夫人の右腕とも懐刀とも言われる男だ。その実務能力は抜きん出ている。
「しかし、さすがは竜 騎 士。なんつー行動力だ。あのレブロン伯爵夫人が手放しで褒めるだけのことはあるわな」
強烈な伯爵夫人を思い出し、代官メルガルはついため息をついた。
「メルガル殿?」
「いや、何でもない。さて俺も急いで出迎えに行かなきゃな」
ドラゴン・ハヤテはいつぞやのように港に着地していた。
それは良いのだ。それはそれとして・・・
「え~と、何があったので?」
代官メルガルは目の前の二人の少女に問いかけた。
メイド服の少女は目を真っ赤にはらして今もしゃくり上げている。
ピンクの髪の令嬢はくたびれ果てた様子でその目は座っている。ちなみにその特徴的なピンクのゆるふわヘアーはぐしゃぐしゃだ。
そして二人とも取っ組み合いでもしていたかのように着衣が乱れている。
ティトゥのドレスはカーチャの涙と鼻水でカピカピだ。
「泣き疲れたのか少しは落ち着いていたんですが、着陸する時にまた泣き始めてしまったんですわ」
ほとほと疲れ果てた様子でため息と共にティトゥがこぼした。
どうやら着陸のために降下した時、その身体が浮くような感覚と急速に地面が近づいてくる光景で、カーチャの恐怖心がぶり返したらしい。
そしてハヤテは港の人達に群がられ、無遠慮にあちこち撫で回されている。
『はあ・・・。何かもうどうでもいいや』
「なんだよドラゴン。今日は随分と元気が無いじゃないか」
「よお、これからどうするんだ? またすぐにとんぼ返りか?」
だが、今日のハヤテは魂が抜けたように無気力だ。
野次馬達にされるがままになっている。
(おいおい。どうすりゃいいんだ? これ)
それは代官メルガルの実務能力をもってしても、答えの出せない難問であった。
次回「レブロンの町で」