その31 戦勝式典
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太鼓の鳴る音が遠くに聞こえる。
耳をすませば管楽器の演奏も聞こえるかもしれない。
だがそれらは歓声にかき消されてここまでは届かない。
戦勝式典のパレードが王城を発った音だ。
ここは王城の奥。国王ノルベルサンド・ミロスラフの寝室である。
ラフな部屋着でベッドに身を起こすのは国王ノルベルサンド。かたわらのイスには彼の妻・皇后ペラゲーヤ・ソトニコフが座っている。
「パレードが始まったか」
国王は痩せた暗い雰囲気を持つ小男だが、今日はいつもに増して暗く沈んで見えた。
ランピーニ聖国王女マリエッタ・ランピーニが主催する招宴会に体調不良で欠席した国王だが未だに本調子ではないのだ。
先程までは王城の裏の広場で開かれた式典に出席していたが、どうやら外の風に当たったことで病気がぶり返してしまったようだ。今は解熱剤を飲んで体を休めている。
「ここまで歓声が聞こえるなんて凄い盛り上がりですね」
国王の言葉に王后が答えた。大柄でふくよかな女性だ。国王とはまるで正反対の見た目である。しかしこれで二人は仲の良いおしどり夫婦なのだ。
「結局我は何も出来ないのだな」
国王の言葉に皇后は沈黙で返した。
王后は決して嘘や安易な慰めの言葉を口にしない。
そのことが暗に国王の言葉が紛れもない事実であることを語っている。そのことをイヤというほど知っている国王はなおさら惨めな気持ちになった。
マリエッタ王女の主催で開かれることになった招宴会。
そこは複数の勢力の入り乱れる陰謀の場と化していた。
それに対して国王の打った手は文字通り正に”王手”、それは決まれば勝利が約束された一手だったのだ。
だがその王手は成らなかった。直前で王の体調が急変したからである。
それどころかむしろ王の取ったある行動が裏目に出ることになった。
カミル将軍を王都から遠ざけてしまったことである。
国王は病床の身で思うようにならない自分の体に焦るのみであった。
だがそんな国王を救った者達がいる。
先立っての隣国ゾルタとの戦いでもその名をはせた姫 竜 騎 士、ティトゥ・マチェイとそのドラゴン・ハヤテである。
彼らはあろうことか渦中のマリエッタ王女を母国に逃がしたのみならず、聖国からミロスラフ王国元第一王女ラダ・レブロン伯爵夫人を連れて来て事に当たらせ、自らは王都で蠢動する過激派の行動部隊の検挙に中心的な役割を果たしたのだ。
全てを知る自分は国王の権力を使い、その結果何も成すことが出来ず。
片や下士位貴族の娘にすぎない彼女は、ドラゴンの力を使ってその日のうちに全てを綺麗に解決してしまった。
国王は己の心にジワリジワリと嫉妬と羨望の黒い染みが広がるのを止めることが出来なかった。
「弟君のことはどうなされますか?」
「意識が戻ったのだそうだな」
あの日助けられた元第四王子ネライ卿パンチラは意識不明の重体だった。
強く頭部を打ったせいと、多くの血を失ったためだと思われた。
彼は時々意識を取り戻すと意味不明の妄言を呟き、また意識を失う。
ベッドに身を起こすことが出来るまで回復したのはつい先日のことである。
「”沈黙の塔”に幽閉するようすでに手配済みだ。流石にもうかばいだて出来ん」
沈黙の塔は王城の裏に建てられた高い塔だ。
塔の内部は最上階に生活用の部屋があるだけで、後は最上階と入り口を繋ぐ螺旋階段しか存在しない。
歴代で罪を犯した王族や心身に欠損のある者が人目を避けて隔離される、いわば王族の流刑地なのだ。
かつては夜な夜な漂ってくるうめき声から”慟哭の塔”又は”嘆きの塔”と呼ばれていた。
しかし、前国王が「自分の住む王城にそんな嫌な名前の施設があるのは気に入らない」と沈黙の塔に改名したのだ。
何かと問題発言や問題行動の多かった前国王にしては、珍しく周囲に好感を持たれたエピソードである。
「さようでございますか」
「不満か?」
王后は珍しく少し考え込むと結局首を横に振った。
王后は商業大国でもあるチェルヌィフ王朝の出身である。そんな彼女にとって死刑や奴隷化などみすみす人材を潰すような行為は嫌悪でしかなかった。
だがそんな彼女も、元第四王子の生かし方は流石に思い付かなかったようである。
「生きてさえいれば心を入れ替えることもあるだろう」
国王は王后の心をおもんばかってあえてそう言ったが、本心から信じての言葉ではなかった。
そもそも沈黙の塔はその性質上、今まで生きて塔から出た者は誰もいないのだ。
事実パンチラ元第四王子は沈黙の塔に幽閉されると、一年もしないうちに精神が限界を迎え、気がふれてしまう。
その後、多くの幽閉された者がそうしたように塔の上階から飛び降り、床に頭を打ち付け死亡するのだった。
そう、そのためにこの塔はやたらと高く作られているのである。
彼の記録は「病死」と一言のみ記され、王家の共同墓地に埋葬されることとなった。
葬儀も行われなければ墓石に名を刻まれることすら無い。
もし遠い未来にミロスラフ王家のことを調べた者がいたとしても、彼の事を気にする者は誰もいないだろう。
彼は王家の家系図に、名前と偽りの死亡原因のみ記されただけで、忘れ去られていくのだ。
こうして誰よりも自己顕示欲と承認欲求の高い男は、皮肉にも自らの浅慮な行動によって、誰からも顧みられることのないまま、寂しくその生涯を閉じることになるのである。
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遠くで太鼓の鳴る音が聞こえて来た。どうやらパレードが始まったようだ。
『ハヤテ殿、準備できましたよ』
僕の胴体のハッチを開けて頭を突っ込んでいた髭隊長アダム班長が顔を出した。
その上半身は顔といい髭といい白い粉で覆われている。
あれ? 顔と髭って意味合いが被ってたかな?
そばに控えていたカーチャが慌てて大き目のハンカチを渡した。
カーチャにお礼を言うと顔を拭うアダム班長。
『パレードが始まったようですな。いや、間に合って良かった』
今日僕のテントにいるのはアダム班長とカーチャの二人だけだ。
ティトゥはティトゥパパと式典に参加しているし、マリエッタ王女もその侍女のビビアナさんもランピーニ聖国友好使節団として主催者側のゲストとして参加している。
そうそう、結局あの日僕達は招宴会の会場に戻らずに自分のテントに直帰した。もう日が落ちて暗くなりかけていたからだ。
テントで待っていたマチェイ家の使用人のルジェックが、大きな体を小さく丸めて泣き出したのには困ったよ。
ずっと一人で待っていて不安だったらしい。
これにはティトゥも苦笑いだった。
結局ティトゥはルジェックを慰めながら二人で宿屋に帰って行った。
翌日、いつものようにカーチャを連れてテントにやってきたティトゥからあの後招宴会の会場で何があったのかを聞いた。
と言ってもティトゥもティトゥパパからの又聞きなんで、詳しいことはこの時点ではほとんど分かっていなかったんだけどね。
やっぱり会場は大変だったようだ。
『散々愚痴を聞かされましたわ』
ティトゥの言葉に、一緒にその場にいたカーチャは苦笑いだった。
僕達が詳しい話を知ったのはさらに翌日、色々な件を粗方片付けたラダ叔母さんが、王女の侍女のビビアナさんに連れられて僕のテントを訪ねてきた時のことだ。
僕達はラダ叔母さんの口から、事の顛末について隠すことなく全て聞かされた。
屋敷の持ち主、パンチラ元第四王子と共謀してマリエッタ王女をさらおうとしたマコフスキー卿は謹慎処分。おそらくは財産と土地の半分は没収されて名ばかりの上士位となるだろうという話だ。
罰として下士位に降格させたりしないのかと思ったけど、どうやらこっちの方が罰としてはキツイらしい。
上士位は下士位より国に果たさなければならない義務が多いらしく、目減りした資産でやりくりするのはかなり大変だと思われるそうだ。
おそらく家督を継ぐ者も出ずに、いずれはどこかの家に吸収されるんじゃないか、と言っていた。
そもそもいきなり上士位を潰すと、そこの寄り子になっている下士位の家が困ることになる。
つまりこれはマコフスキー卿が潰れるまでに寄り子の下士位の家が身の振り方を考える、いわば猶予期間というやつなんだろう。
確かに寄り子の彼らには何の非もないもんね。急に親会社が不祥事で潰れることになった子会社みたいなもんだ。
何とかいい感じに収まって欲しいものである。
マコフスキー卿と組んで王女をさらおうとした実行犯、パンチラ元第四王子は何故かランピーニ聖国のメザメ伯爵に切りかかったあげく返り討ちに遭って意識不明の重体らしい。
・・・一体アイツは何をしたいんだろうね?
色々と説明は聞いたけど、どうも僕の脳が彼の事を考える事を拒絶しているのか、さっぱり頭に入らなかった。
人間の記憶領域は有限だ。入れなくてもいい情報は入れない。情報の取捨選択である。
屋敷にいた文律派という名のテロリスト共はその日のうちに全員逃げ出したらしい。
しかし、あれから二日もたった今では、ほとんどの者が捕まっているそうだ。中には騎士団詰め所に自首してきた者もいたという。
組織の中心人物だったマコフスキー・長男は現在消息不明だが、仲間と仲違いして一人で逃亡しているので捕まるのも時間の問題、と見られているそうだ。
まあ確かに苦労知らずの貴族のボンボンが、苦しい逃亡生活をいつまでも続けられるとは思えないよね。
ラダ叔母さんはこれらの後始末を大車輪でやってのけ、ようやく解決の目途が立ったのでレブロンの町に帰るため僕のところにやってきたのだそうだ。
個人的にも燃料が全部回復したところだったので丁度良かった。今回は結構あちこち飛び回って燃料も消費してたからね。
昨日の時点では増槽の分までは回復しきっていなかったんだよ。
てなわけで僕は再びラダ叔母さんとティトゥを乗せるとクリオーネ島までテイクオフ。
すでに一昨日一往復しているからね。
今回は何事も無くレブロンの港町までたどり着いたよ。
嘘です途中で滅茶苦茶道に迷いました。
一昨日は本当に奇跡的にたどり着いたんだなぁ。まあクリオーネ島って広いからね、そりゃそうだよ。
結局散々あちこちふらふらと飛び回って、クリオーネ島からミロスラフ王国に帰り着いた時にはもう夕方近くだった。
王都が見えた時にはガス欠寸前でドキドキしながら飛んでたね。
実際にタイヤが地面に着いた途端にガス欠でエンジンが止まったのには驚いたよ。後ほんの少し道に迷っているか、上陸地点が南北どっちかにズレていたら危ないトコロだった。
ガス欠で身動き出来ない僕は騎士団の人達に押してもらって何とかテントに戻ることが出来た。
ティトゥの心配っぷりったら無かったよ。本当ゴメンね。
翌日は特に念入りにブラッシングしてもらって僕はご機嫌だったけどね。
今回の旅は本当に色々あったなぁ。
ティトゥの天敵・元第四王子は足腰立たないようにしてやったし、他国の王女と契約することになったし、変な陰謀に振り回されたかと思えば強烈な叔母さんと知り合いになったし。
僕とティトゥとの絆もこの旅を通じてより強くなったと思うよ。
うん、これがこの旅一番の収穫だ。
そんな風に僕が今回の旅の総括をしていると、テントにアダム班長の部下が入ってきた。
『そろそろパレードが大通りに差し掛かりそうです』
『ハヤテ殿』
よーし、王都での最後にもうひとっ飛びしましょうかね!
次回「エピローグ 曲芸飛行」