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その29 メザメ伯爵家の凋落

◇◇◇◇◇◇◇


 鬼手(きしゅ)という言葉がある。囲碁・将棋などでさされる奇抜な手のことを言う。

 王都で開かれたこの陰謀渦巻く招宴会で、主催者であるマリエッタ王女のとった行動は正に鬼手(きしゅ)であった。

 かつてミロスラフ王国で知らぬ者のいない元第一王女ラディスラヴァ、現ラダ・レブロン伯爵夫人を自分の代理として担ぎ上げたのである。


◇◇◇◇◇◇◇


「何だったんだあれは・・・」


 呆けた顔で中庭を見ているのはランピーニ聖国友好使節団メザメ伯爵の部下の男である。

 中庭は未だに混乱と興奮に包まれている。

 主催者代理を任されたレブロン伯爵夫人は屋敷に去り、屋敷の主であるマコフスキー卿は膝を付き立ち上がる気配もない。

 こんな有様では誰がこの事態をまとめることができるのだろうか。


 男はふと自分の周囲を見渡し、ハッとした。

 一緒にいたはずのとある人物がいないではないか。


「ネライ卿! どこに行かれたのですか!」


 慌ててあてもなく走り出す男。

 だがここから事態は男にとって最悪の方向へと向かうのだった。


◇◇◇◇◇◇◇


 突然ドアが大きな音をたてて開かれた。

 無礼な振る舞いに部屋の主、ランピーニ聖国友好使節団副代表メザメ伯爵の眉間に皺が寄った。


「捜したぞ! この卑劣漢めが!」


 白刃を片手にドカドカと部屋に入ってくるのは元第四王子・ネライ卿。

 予想外の来客に目を見張るメザメ伯爵。

 それもそのはず、二人の間には何の接点もないのだ。


「失礼ですがどなたですかな?」


 メザメ伯爵がいつものような慇懃無礼な物腰で答えた。

 ちなみにここまでは中庭の騒ぎは届いていないのか、メザメ伯爵はいつもの余裕の表情を浮かべている。

 もし中庭に降り立った人物の姿を見ていれば、とてもではないが今のように平静ではいられなかっただろう。


「よくもぬけぬけと! これが動かぬ証拠だ!」


 メザメ伯爵に突きつけられる紙の束。


 メザメ伯爵はそれを良く知っている。

 伯爵の政敵、ノールデルメール伯爵を陥れるため、自分が命じて作らせた偽資料だったからだ。

 ネライ卿の目的が理解できずに鼻白むメザメ伯爵。


「それが一体私に何の関係があるのでしょうか?」

「聖国が我が国を裏切った証拠だ! この愚か者が!」


 愚か者はお前だ!


 メザメ伯爵は思わず声を大にして叫びそうになった。

 ようやくネライ卿の目的が分かったのだ。

 あろうことかこの男は伯爵が聖国の人間であるというだけの理由で糾弾しに来たのだ。

 だが彼がネライ卿を理解したと考えたのは早計だった。

 ネライ卿の行動は彼の理解のさらに斜め上をいったのである。


「弁解無用! この薄汚い裏切り者めが、報いを受けろ!」


 突然突き出された剣を慌ててかわすメザメ伯爵。


 ザクリ!


 ネライ卿の剣は伯爵の座っていたイスの背もたれに深々と突き刺さった。


 コイツ、本気で俺を殺そうとしやがった!


 紙一重で命を拾ったことに気が付き、青ざめる伯爵。


「な・・・何をするんだ!」「黙れ! 今更何を言われても聞く耳持たんわ!」


 イスを蹴り飛ばして剣を抜くと再び切りかかるネライ卿。

 メザメ伯爵は転がるように床に身を投げ出して凶刃をかわした。


 この狂人め!


 メザメ伯爵は文官だ。体は嗜み程度にしか鍛えていない。

 生死のかかった場面では精神も体力も桁違いに消耗する。

 たったこれだけの動きでもメザメ伯爵はすでに息を荒くしていた。


 このままだと殺される。


 メザメ伯爵は部屋の隅まで懸命に逃げると、そこに置いてあった護身用の剣を抜いた。


「止めだ!」


 伯爵を部屋の隅に追いやったことで勝利を確信したのだろう。ネライ卿は剣を全力で振るうべく頭の上に大きく振りかぶった。

 だがそこに大きな隙が出来た。

 メザメ伯爵は奇声を発しながら剣を腰だめに構えたまま体ごとネライ卿にぶつかって行った。



 部屋の中ほどでもつれるように倒れ込んだ二人。

 上に乗った男――メザメ伯爵がはじかれたように立ち上がった。

 かたわらにはネライ卿の手から離れた剣が転がっている。

 伯爵は慌てて剣を蹴り飛ばした。

 剣は床を滑ると家具の下の隙間にスッポリと入り込んだ。

 何度も自分の命を脅かした凶器が手の届かない場所にいったからだろうか、伯爵はようやく落ち着いて物を考える余裕が出来たようだ。

 伯爵は荒い息を整えながら自分の足元で倒れた男――ネライ卿を見つめた。

 ネライ卿は大きく目を見開き動かない。その脇腹には伯爵の剣が深々と突き立っていた。


 ――即死か。


 真っ赤な血が高級な絨毯に染み込んでいく。

 メザメ伯爵は血まみれの服のまま最悪の事態に頭を抱えていた。

 しかし、彼の最悪はまだ始まったばかりだった。


「これは一体どういうことだ?」


 女の声に身をすくめる伯爵。

 振り返った彼が眼にしたのは部屋の入口で仁王立ちになる長身の女性。


「レブロン伯爵夫人?!」


 そう、そこに立っていたのは聖国にいるはずのラダ・レブロン伯爵夫人だったのだ。



「メザメ伯爵か。確か友好使節団の副代表だったか。」


 レブロン伯爵夫人は足元に転がる男をチラリと見た。


「ここに倒れているのは私の愚弟のようだが?」


 本来ここにいるはずのないレブロン伯爵夫人に混乱していたメザメ伯爵だったが、ようやく今の状況を思い出したようだ。

 メザメ伯爵は慌てて言い訳を口にした。


 この男が突然ドアを開けて入って来た。

 男は錯乱していたようで突然剣を抜くと意味不明な叫び声を上げながら自分に襲い掛かってきた。

 訳も分からず全力で抵抗した結果、この男ともつれるように床に倒れてしまった。

 その時男は倒れた衝撃で誤って自分の剣で腹を突いてしまったようだ。

 自分が気が付いた時には男はすでにこと切れてしまっていた。


 言うまでも無く、全て咄嗟に口をついて出た嘘である。

 伯爵としては、ネライ卿の腹に剣を突き立てたのは自分ではなく全くの無関係、ということにしたかったが、自分しかこの部屋にいない上に、血痕がこの場にしか残っていない以上それは不自然過ぎる。

 そもそも服にべったり返り血を浴びている。これで無関係と言い張るのは流石に無理があるだろう。


 しかし咄嗟についた嘘にしては筋も通っているしまずまずの出来だ。

 細かい部分は後で整合性を取れば良い。伯爵はこの場はこれで押し通す事にした。


「この男が私の弟だとは?」

「今初めてお聞きしました。弟君と言われますとどなたになるのでしょうか?」


 白々しい嘘をつくメザメ伯爵。

 レブロン伯爵夫人はネライ卿に刺さった剣を指差した。


「それで? この部屋でこの剣を抜いたと?」

「え・・・ええ。それが何か?」

「腰の鞘と剣の柄の意匠が合わないようだが?」


 夫人の指摘にメザメ伯爵の額に冷や汗が浮かんだ。


「剣の幅も合わないようだ。鞘に納まらないんじゃないか?」


 何も言い返せないメザメ伯爵。

 剣に造詣が深くない伯爵はそんな簡単なことすら思い至らなかったのである。

 その時、騒ぎを聞きつけてようやく屋敷の者達がやって来た。


「こ・・・これは」


 悲惨な状況に絶句する使用人。そんな彼らにレブロン伯爵夫人は軽く告げた。


「腹の傷を見てやってくれ。こんな男でも私の弟だ。粗相のないようにな」

「えっ?」


 ポカンと口を開ける使用人とメザメ伯爵。


「亡くなられているのでは?」

「脇腹を刺されたくらいで死ぬわけないだろう。大方頭を打って気を失っているだけなんじゃないか?」


 そう言われてみるとネライ卿の胸は僅かに動いているように見える。浅く呼吸をしているのだ。


 コイツ死んでいなかったのか?!


 愕然とするメザメ伯爵。

 面倒なことになった、と内心焦るものの最早どうしようもない。

 少しでも自分の立場を良くするため、つかなくても良い嘘を吐いたことがあだになったのだ。

 慌てて倒れたネライ卿に近づく使用人。だが、夫人は手を上げるとそれを制止した。


「少し待て、その前にコイツを拾っておかなくてはな」

「そ・・・それは!!」


 言うまでもない。ネライ卿が持っていたメザメ伯爵の作らせた偽資料である。



 ネライ卿の応急手当てを始める使用人達。

 そのかたわらで興味深気に資料をめくるレブロン伯爵夫人、そして死刑執行の宣告を待つ罪人ように青ざめて震えるメザメ伯爵。

 やがて伯爵夫人は資料から顔を上げると伯爵の方へと向き直った。


「これが本当なら看過できんな、国としての信用に関わる。これは是非とも陛下の判断を仰がねばならん案件だ。もしこれが本当なら(・・・・・・・・・)ば、な。」


 その言いようから夫人がこの資料が偽資料であると気付いているのは明白である。

 膝を付き首を垂れるメザメ伯爵。

 もしここがランピーニ聖国であったなら、もしかしたらメザメ伯爵は財産をまとめて伝手を頼りなりふり構わず他国に亡命したかもしれない。

 だがここはミロスラフ王国だ。伝手も無く手持ちのわずかな財産しかないメザメ伯爵が逃げても到底逃げ切れるとは思えない。



 この後、拘束されたメザメ伯爵は友好使節団がランピーニ聖国に帰り着くと直ぐに王家直々に裁かれることになる。


 この際にネライ卿殺害未遂が取り上げられることは無かった。

 厳しい取り調べの結果、ネライ卿の方から襲い掛かったことが明らかになったからである。

 ミロスラフ王国側は自国の元王族の乱心に口を閉ざし、ランピーニ聖国側はそもそもそうなった原因がメザメ伯爵の偽資料にあるのが明白なため同様に口を閉ざした。

 つまり双方合意の上で事件自体を無かったことにしたのである。


 メザメ伯爵の罪は資料をねつ造して聖国と他国との関係を悪化させようとしたこと――国家に対する特別背任罪である。

 これは大変に重い罪で、メザメ伯爵はほとんどの財産を没収されることで辛うじて息子に家名を継ぐことを許された。

 しかし伯爵本人はこの後一生屋敷から出ることも許されず、誰とも面会することも出来ない囚われの人生を送ることとなる。


 メザメ伯爵のはた迷惑な野望はここに潰えたのである。 

次回「鬼の平蔵」

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