その28 ダイナミック着地
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王都に暮れ六つ(午後六時)の鐘を知らせる鐘が三度鳴り響いた。
場所はマコフスキー卿の屋敷で開催されたランピーニ聖国マリエッタ・ランピーニ王女殿下主催の招宴会。
最初に気が付いたのは中庭の会場にいたある下士位の男だった。
「おい、あれは何だ?」
彼が眼にしたのは王城から飛び立つ見た事もない飛行物体だった。
この距離でハッキリと形が見えるということは鳥などではあり得ない。
もし鳥だとすれば信じられないほどの大きさだ。
男の叫び声に彼の周囲にいた者達も騒ぎ出した。
飛行物体はまるで獲物を探すように王都の上を飛び回ると、時折建物の屋根を掠めるように舞い降りる。
「マチェイ殿あれは・・・」
「な・・・なんということだ」
会場の一角でそんな会話も交わされるが、周囲のざわめきにかき消されて誰の耳にも入らない。
「おい、こっちに向かってくるぞ!」
誰かの叫びに中庭は騒然となった。
「ご当主様あれは!」
「話は後だ、今は手分けして皆をここから下がらせないと!」
「そ・・・そうですな。皆さん! 私達は王都騎士団の者です! 中庭にいる方々はどうぞ屋敷の方へとお下がり下さい!」
「みんな下がるように! あれは危険なモノではないがここにいては迷惑がかかる!」
「ど・・・どうかお下がりください!」
そんなマコフスキー卿の屋敷の騒ぎをよそに、暮れ六つの時を告げる鐘が厳かに王都に鳴り響くのであった。
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マリエッタ王女の叔母にあたるラダ叔母さんの指示で、僕が王都の貴族街の路地裏の上空を飛ぶと、そこには目を丸くして僕を見上げる数名の男達の姿があった。
『レブロン伯爵夫人、今の人達は?』
『ふん。やはり居たか』
ティトゥの問いにラダ叔母さんは鼻を鳴らして答えた。
『この手の輩が考えることなどお見通しだ。一体私が何年こういう相手と戦ってきたと思っている』
ラダ叔母さんの簡単な説明で彼らが文律派――マリエッタ王女の命を狙う若手貴族達であることが分かった。
彼らは貴族街のあちこちで火を放ち、その混乱に紛れて屋敷で事を起こそうとしているというのだ。
なるほどね。これなら限られた人数で大きな効果が見込めるし、火をつけるだけだから無関係な人の命は奪わないから人道的だよね。
て、そんなわけねーよ!
火事で財産を失う人もいれば命を失くす人や負傷する人もいるだろう、それにもし火事が予想外に広がって王都中が火の海になったらどうするんだよ。
やはり文律派は放っておいてはいけないヤツらのようだ。
僕は気を引き締め直した。
僕はラダ叔母さんの指示に従ってあちこち飛び回った。少なくとも彼らは4つのグループに分かれているようだ。
全員僕を見つけると例外なく目を丸くして動きを止める。
『ハハハハハ、凄いなドラゴンというやつは! よし、これで連中の出鼻は挫けた。今のうちに私を招宴会の開かれている屋敷に降ろしてくれ』
僕はティトゥの指示に従って大きな屋敷を目指した。
招宴会の開かれているマコフスキー邸の場所はマリエッタ王女に聞いていたらしい。
いつの間に、というかもうすっかり二人は友達だからね。会話の流れで聞いたんだろう。
会場に近づくと中庭に集まった人達が僕を見て大騒ぎしているのが見える。
あ、そういえば庭も会場になってるんだっけか。
参ったな、これじゃ降りる場所が無いぞ。
『構わんから目の前に降りてやれ』
ラダ叔母さんはそう言うけどいくらなんでもそれはちょっと。
『降・り・ろ』
・・・はい。
なんだろう。このわずかな時間ですっかり尻に敷かれてしまった気がする。
ティトゥが微妙な顔で僕を見る。そんな目で僕を見ないで欲しい。
僕が旋回しながら高度を下げると中庭の人達が屋敷の方に逃げるのが見えた。
ああなるほど、ティトゥパパが来ていたのか。それにあの髭はアダム班長だな。メイド少女はカーチャに違いない。とするとあのドレスの女性はカトカ女史か? 4人は慌てて中庭の人達を誘導している。
ティトゥパパ達の活躍のおかげで中庭には十分なスペースができた。
僕は滑り込むようにそのスペースに着陸するのだった。
十分なスペースができたと言ったがあれは嘘だ。
僕のダイナミック着地によってなぎ倒されたテーブルやら料理やらで僕の周りはかつてないほどの大惨事となっていた。
これって拾ったらまだ食べられないかな・・・貴族の人達が拾った物なんて食べないよね。ゴメン。
ティトゥパパが手を顔に当てて天を仰いでいるのが見えた。
文句はこれを指示したラダ叔母さんに言って欲しい。
『これは一体どういうことだ!!』
恰幅の良い中年のおじさんが顔を真っ赤にして屋敷から飛び出して来た。
なんだか王城でも似たような展開を見た気が・・・。
ほらほらクレーム対応係のラダ叔母さん、早速お仕事よろしくお願いしますね。
『主催者を任されたのは良いが遅れそうになったのでな。直接屋敷に降ろしてもらった』
中年おじさんが眼を剥いて驚く。
『ラディスラヴァ王女殿下!!』
その言葉に周囲で様子を見守っていた人達が一斉にざわめき出した。
ティトゥパパも目を丸くしている。
この人達、中年おじさんに言われるまでラダ叔母さんと分からなかったのかな?
・・・ああそうか。そういえばここにいるのは下士位の貴族だっけ。王族の、しかも10年も前に他国へ嫁いだラダ叔母さんの顔を見たことのない人も大勢いるよね。
実際に屋敷の窓から顔を出している、多分上士位の人達は一様に驚いた顔・・・青ざめた顔? でラダ叔母さんを見ている。
なんかラダ叔母さんってこの国だとどこに行っても「げえっ関羽」状態だね。ジャーンジャーンジャーン。
『ししし主催者とももも申されままましても』
『姪のマリエッタ王女殿下に任されたに決まっておるだろうが。ここに印章も預かっている』
ラダ叔母さんが掲げた手には小さな指輪があった。あれが印章というヤツなのかな?
後で聞いたことだけど、あれは指輪印章と言ってマリエッタ王女の紋章が彫られているある種の印鑑のようなものらしい。
正式な書状は溶かした蝋をたらした上でその蝋に指輪印章を押し付けて封印をするそうだ。
だから受け取った人はまず封蝋を確認する。
誰かが勝手に開けて中の文章をのぞき見したら開けた時に蝋が壊れているからだ。
もし封蝋に刻まれた印章が壊れていたり割れていたりしたならそれは誰かによってすでに一度開かれているという証拠になる。
つまり印章は一種のセキュリティーシステムなのだ。
ちなみに封蠟を綺麗に剝がして中身を見た後で元通りの状態に戻す技術も存在するそうだ。
犯罪と防犯のいたちごっこはいつの時代でも存在するのである。
ラダ叔母さんはティトゥに振り返った。
『ここは私に任せてマチェイ嬢はハヤテと行け』
これは降りる前に言われていたことである。
僕達は貴族街で見付けた火付け犯人どもを追い回す役目を仰せつかっていたのだ。
『でもお一人で残られるのは・・・』
ティトゥが心配そうにラダ叔母さんを見た。
少し嬉しそうに微笑むラダ叔母さん。
『他人にそんな顔で心配されたのはいつ以来だろうね。私なら大丈夫さ、腕に覚えもあるしな』
彼女はそう言って腰に佩いた剣を叩いた。
ビクッとする中年おじさん――後で聞いたけど、屋敷の持ち主のマコフスキーさんだったんだって、と静まり返る周囲の人達。
本当にラダ叔母さんこの国にいたころ何やってたのさ。
ティトゥは小さく頷くと素早く僕に乗り込む。操縦席で立ち上がるとラダ叔母さんの方に向かって胸を手で叩き宣言した。
『お任せくださいラダ・レブロン伯爵夫人。私とハヤテとでご期待に応えてみせますわ!』
『うむ、任せた』
後で聞いた話をしてばかりで申し訳ないが、姫 竜 騎 士のネームバリューを警戒したこの国の宰相によって僕達の情報は規制されていたそうだ。
まあそうは言っても実際は結構ゆるゆるだったみたいだね。町は噂で溢れかえっていたって話だし。
偉い人主導の方針なんていつだってそんなもんだ。
そんなわけで貴族達がドラゴンの名前がハヤテ、噂の姫 竜 騎 士がティトゥと知ったのはこの瞬間だったようだ。
ティトゥのことを知っている人達が一斉にティトゥパパの方を見た。
額に汗を浮かべながらも目を反らすティトゥパパ。
・・・僕達が去った後大変だろうな。ご愁傷様です。
ティトゥは操縦席に座ると風防を閉めた。
何だか久しぶりにティトゥと二人きりで飛ぶね。
そう意識すると心が沸き立つ感覚を覚える。
ティトゥもそう思ったようだ。
『ようやく二人きりになれましたわね』
おほぅ。僕のモテない人生でよもやこんな美少女からそんな素敵な言葉を聞かされる日が来ようとは。
『さあ、王都に火をつけようとする輩を懲らしめに行きますわよ!』
まあ色っぽい展開にならないことは知ってたんだけどね。
僕はエンジンを吹かすと、なんだかもう滅茶苦茶になっているパーティー会場の残骸をメキメキと踏みつぶしながらゆっくりと動き出した。
・・・いや、本当にごめんなさい。これからの働きで返しますんで。
僕はブーストをかけると走り出した。タイヤが地面を切ると僕の機体は再び王都の空へと舞い上がる。
西の空に太陽が落ちようとしている。王都は夕焼けに真っ赤に染まっている。
日が落ちるまでに片付けないとな。ここからは忙しくなるぞ。
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飛び去って行くハヤテを眺める会場の人々。
やがて口々に先ほどの出来事を語り合う。
そんな人の群れから外れて大股で屋敷へと向かう一人の女性。
一人の太った中年男性が慌てて彼女へ駆け寄った。
「ラディスラヴァ王女殿下!」「私は今はその名で呼ばれていないぞ。ただのラダ、ラダ・レブロンが今の名だ」
マコフスキー卿の言葉にレブロン伯爵夫人は足も止めずに素っ気なく答えた。
彼女は昔から興味の無いことに対しては同様の態度を取る。
それは彼女がマコフスキー卿のことをその程度にしか思っていないということを意味している。
「ではレブロン伯爵夫人。マリエッタ王女殿下から主催者を拝命されたとおっしゃられていましたが・・・」
「姪から全て聞いている。”全て”だ。そして私がここにいる。この説明で不足か?」
ジワリと脳裏に浮かぶ嫌な予感にマコフスキー卿の心臓は早打ち、額にはビッシリと汗が浮かぶ。
「・・・全て・・・でございますか?」
「当たり前だ。そうでなければあの責任感の強い姪が私に後を託すものか」
レブロン伯爵夫人はここで初めて立ち止まるとマコフスキー卿を冷めた目で見た。
「私はもうランピーニ聖国の人間だ。しかし姪の身に危険が及ぼされるとあれば黙ってはいない。貴様も身辺の整理をしておくことだ」
紙のように真っ白な顔色になり膝を付くマコフスキー卿。
レブロン伯爵夫人はそんな彼に二度と目をやることもなく今度こそ屋敷の中へと入って行くのだった。
次回「メザメ伯爵家の凋落」