その31 一つの時代の終わり
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ミュッリュニエミ帝国、帝都バージャント。
初めてこの都市を訪れた者が最初に目にするのは、町を取り囲む高く堅牢な城壁である。
大陸に覇を唱える大国の首都に相応しい堂々たる威容。国に仇なす存在を阻む絶対的な防壁。帝国の歴史の中で、自国他国を含め、この城壁に敵対する軍勢が触れた事は一度たりともないと言われている。
そんな輝かしい帝国の記録が、遂にこの日、書き換えられようとしていた。
「ウワアアアアアアア!」
「早く門を開けろ! 味方の部隊を助けるんだ!」
軋む音を立てて巨大な門が開かれると、待ちかねたように味方の敗残兵達がドッとなだれ込んで来た。
ここまで全力で逃げて来たのだろう。兵士の中には町にたどり着いた途端、安堵のあまりその場で倒れ込んでしまう者が続出した。
「バカ野郎、こんな所でグズグズするな! 後ろから来たヤツらに押し潰されて死にたいのか!」
「チェルヌィフ軍はすぐ後ろまで迫っているんだ! 急げ! 急いで城壁の中に逃げ込むんだ!」
門の周囲は殺到する兵士達によってたちまちのうちに大混乱に陥った。
そんな無様な敗軍を遥か後方から見つめる将がいた。
チェルヌィフ王朝軍の総大将、六大部族ハレトニェート家の当主、レフド・ハレトニェートである。
レフドは帝都の様子から目を離さないまま側近に命じた。
「深追いは避けるよう、各部隊長には重ねて指示を出せ。我々はこの国を攻め滅ぼしに来た訳ではない。ここで悠長に攻城戦をしている余裕などないのだからな」
「はっ!」
側近は指揮官の指示を受けると、素早く伝令を走らせた。
圧倒的勝利に、しかし、レフドの顔色は冴えなかった。
「こんな無様な戦は初めてだ。なんで俺達が皇帝ヴラスチミルの尻拭いをするようなマネをしてやらねばならんのだか」
レフドはやるせない表情でそう独り言ちるのだった。
帝国領に深く足を踏み入れたチェルヌィフ軍だったが、その進軍速度は当初の想定を遥かに上回るものとなっていた。
その理由は大きく分けて二つ。
一つは予想されていた敵の抵抗がほぼなかった事。
彼らの障害となり得る第一候補。東部方面軍こと帝国第二軍。しかし、この精鋭部隊は王城からの命令で帝都まで引き上げられている。
そのため、この地にはレフド率いるチェルヌィフ軍に対抗出来るだけの部隊が既に存在していなかったのである。
加えて帝国の元将軍、ボリス・ウルバンの協力も大きかった。
復讐に燃えるウルバン元将軍は、病み上がりとは思えない程積極的に走り回り、レフド達の進軍に先駆けて多くの味方を作っていった。
このウルバンの手配がなければ、最悪の場合、帝国領の奥深くで物資を使い果たし、撤退を余儀なくされていたかもしれない。
次いで二つ目の理由。こちらは完全に彼らの予想外のものとなる。
この数年の大陸規模での農作物の不作。更には一昨年のペニソラ半島への大規模な遠征と敗北。それにも関わらず、新皇后に贈るための贅を凝らした離宮の建設。
度重なる労役と重税に、帝国国民はとっくに我慢の限界が来ていたのである。
元々ミュッリュニエミ帝国は、ミュッリ・リュニエミ帝国。
ミュッリとはこの辺りの古い言葉で、巨大化、ないしは大型化の意味を持つ。
ミュッリュニエミ帝国は、リュニエミ王国が強力な軍事力で周辺の国々を次々と併呑。巨大化――ミュッリ――した結果生まれた、帝国主義国家なのである。
そのような歴史的背景を持つため、中央から離れた土地に住む者達は(つまりは過去に併呑された国の旧国民達は)、元々皇帝に対しての忠誠心が非常に薄かった。
そんな彼らが厳しい労役と重税を我慢し続けて来たのは、力に対する恐怖。帝国が強力な軍事力を持っていたからに過ぎないのである。
だがここに帝国に匹敵する東の大国、チェルヌィフ王朝の軍勢が現れた。
指揮を執るのは名将の誉れ高いレフド・ハレトニェート。
遂に帝国の圧政を覆す時が来た!
地方に住む者は小は個人、大は地方の有力者が次々と蜂起。帝国に対して反旗を翻したのだった。
「バカな。一体どうしてこんな事に」
この事態に一番困惑していたのは他らなぬチェルヌィフ軍の指揮官、レフド・ハレトニェートであった。
次々に蜂起した、と言えば聞こえは良いが、その実態は指導者すらいない、目的も見通しも持っていない、ただの暴徒の集まりであった。
それどころか、各地で勝手にチェルヌィフ軍を名乗り、略奪や暴行まで行う始末。これにはレフドも頭を抱えざるを得なかった。
「俺達が帝国に攻め込んだ目的は、この国の帝都の近くで発生するというマナ爆発の調査を行うためだ。軍事的成功は、あくまでもそのための手段に過ぎん。帝国皇帝ヴラスチミルに対し、有利な条件で交渉に臨むための手札であって、決して帝国を追い詰めるためのものではないのだ」
レフドは帝国の現状を見誤ってしまったのである。
あるいは皇帝ヴラスチミルの愚策のツケを押し付けられているのか。
「ヴラスチミルは一体何をやっている。こんな時のための軍事力だろうに。というか、なんで俺が帝国の心配をしてやらなければならんのだ」
とはいえ、このまま帝国全土にまで混乱が広がれば、ハヤテ達と約束をしている異変の調査もままならない。大災害までの猶予は、もう半年を切ってしまっているのだ。
「この期に及んでも未だに沈黙を続けるヴラスチミルには文句の一つも言ってやりたい所だが、ここで愚痴をこぼしていても仕方がない。無能なヴラスチミルの仲間入りをしたくないなら、この事態を収めるための――あるいはこれ以上悪化させないための――手を何か打つ必要がある訳か」
レフドはしばらく考え込んでいたが、やがて部下を集めて命令を下した。
「全軍に通達! 我々は最大速度で帝都バージャントを目指す!」
レフドが選んだのは、一日も早く帝都バージャントに到着する事であった。
皇帝ヴラスチミルに面会すると共に、武力を背景にこちらの要求を呑ませる。
というよりも、最初からこれ以外の方法はなかったのかもしれない。
混乱を避けるために軍を戻すなどはもっての外。ランピーニ聖国と示し合わせて軍事行動を行っている以上、勝手に撤退する事は出来なかった。
「出来れば事前にエルヴィン殿と打ち合わせを行いたかった所だが・・・。流石にそれは不可能か」
もしハヤテがフラリとやって来るような事でもあればそれも可能なのだが、ご存じの通り、ハヤテ達はここの所カルヴァーレ侯爵領の帝国軍に付きっきりで、他の場所へと足を延ばすような余裕はなかった。
こうしてレフド率いるチェルヌィフ軍は、可能な限り最速で帝都バージャントへと向かう事となった。
帝都のカルヴァーレ将軍はこの報告を受け、慌てて部下に兵を集めさせたが、こうと決めた時のレフドの行動力は周囲の予想を遥かに上回っていた。
チェルヌィフ軍は帝国側が十分な準備を整え終わるよりも前に、帝都近くへと到着。そこに陣を敷いたのである。
「急げ! 野戦の準備だ! 門を開けろ!」
城下の盟という言葉がある。
城下、つまりは居城のすぐ下まで敵軍に攻め寄せられ、やむを得ず結ぶ屈辱的な降伏の盟約のことを言う。
この言葉からも分かるように、基本的に戦争というのは本拠地まで攻め込まれた時点でほぼ負け確。籠城が許されるのは援軍のあてがある時だけだが、本拠地まで敵が来ている状況でそんなあてなどあるはずもない。
指揮官が野戦で決着をつけたいと考えたのは当然の流れであった。
「考えようによってはこれは好機かもしれん。チェルヌィフ軍の進軍速度のせいで、確かに我が軍の準備は十全とは言い難い。ただしそれはチェルヌィフ側にとっても諸刃の剣となった。無理な行軍のせいで今頃兵士の疲労はピークに達しているに違いない。逆に我が軍の兵は集められたばかりで疲れとは程遠い。敵味方どちらの軍も万全な状態にないのであれば、地の利のあるこちらの方が有利。決して勝てない戦いではない」
帝国側のこの見通しは、しかし開戦直後、早々に裏切られる事となった。
互いの軍がひと当たりしたと思った途端、帝国軍の前線はあっさりと崩壊。兵士達は算を乱して戦場から逃げ出したのである。
確かに帝国軍指揮官の見立ては間違ってはいなかった。実際、レフドの限界ギリギリを攻めた行軍によって、チェルヌィフ軍の兵士の疲労は無視できないものになっていた。
しかし、そんな不利をかき消してしまう程、帝国側の兵士の士気は底をついていたのである。
「予想以上にあっけないものだったな」
敗走する帝国軍を見つめながら、レフドが思わずそう呟いてしまったのも無理はないだろう。
そんなレフドの背に配下の騎士が声をかけた。
「ご当主様。ウルバン将軍――あ、いえ、ウルバン殿が目通りを願い出ております」
「分かった、通せ」
騎士に案内されて来たのは、震える手で杖をついた初老の貴族。明らかに内臓を悪くしているのが分かる土色の肌にこけた頬。ただしその目だけは妄執を漂わせ、異様にギラついている。
かつてはカルヴァーレ将軍と並び、帝国の二虎と称されていた歴戦の名将。ボリス・ウルバンであった。
「閣下、先ずはおめでとうございます。あなた様は初めて帝都バージャントを攻め落とした勇将としてその名を歴史に刻む事でしょう」
「野戦で敵軍を退けただけだ。大体、俺にこの都市を攻め落とすつもりはない」
「それは勿体ない話ですな。ですが閣下。よもや私との約束をお忘れになった訳ではございませんな?」
ウルバン元将軍との約束。それは彼がチェルヌィフ軍に協力する代わりに、レフドは王城からカルヴァーレ将軍一派を追い落とすのに手を貸すというものだった。
「勿論覚えているとも。閣下の協力には我が軍も非常に助けられた。可能な限りその働きには応えるつもりだ」
「でしたら結構です。その時になったら是非、私にも見届けさせて下さい」
ウルバン元将軍はそう言うと感極まった様子で肩を震わせた。
「そうでなければ、あの世で家族に報告出来ませんから」
その後、帝都バージャントは門を固く閉ざし、籠城を続けた。
だが、カルヴァーレ侯爵領からの難民でパンパンに膨れ上がった都市には、十分な量の食料の備蓄が不足していた。
外部からの糧道の一切が断たれた事で、都市内はみるみるうちに不安が蔓延して行った。
数日後。王城からの使者がチェルヌィフ軍へと訪れる。
それは事実上の無条件降伏の使者であった。
次回「エピローグ 深紅の竜」




