その10 エミネク砦の両国首脳
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帝国は東に大陸の大国、チェルヌィフ王朝と隣接している。
地政学の原則の一つに、隣国同士は対立する、というものがある。
帝国とチェルヌィフの関係もこのルールにもれず、歴史上常に大小の小競り合いが絶えなかった。
エミネク砦はそんな対チェルヌィフ戦での切り札。防衛の要として建設されたものとなる。
しかし砦は期待された役割を果たす事なく、チェルヌィフ軍に制圧され、今やチェルヌィフ軍指揮官レフド・ハレトニェートの指揮下に置かれていた。
チェルヌィフ軍の兵士達が見上げる中、その飛行物体はゆっくりと砦の上空を旋回していた。
長く伸びた直線的な翼。低翼単葉のシルエット。
四式戦闘機・疾風である。
この世界ではミロスラフ王国のドラゴン・ハヤテとして知られている。
ハヤテは高度を下げながら主翼後縁の高揚力装置を展開。十分な揚力を確保すると、胴体に収納されていた主脚を出した。
そして左主翼前縁の着陸灯を光らせながら、着陸のためのファイナルアプローチへと入った。
ゴオオオオ・・・
地面効果で軽く機首が下がると(地面効果とは航空機が地表(や水面)近くを飛行する際、地面からの空気の反射によって揚力が増す現象)、ハヤテはパワーを抜いてそのままタッチダウン。海軍式三点着地をピタリと決めた。
「おおい、ハヤテ! ナカジマ殿!」
大きく手を振りながら歩いて来るのは、立派な鎧を着た大柄の武人。
チェルヌィフ軍の指揮官、レフド・ハレトニェートである。
「ご当主様! 危のうございます!」
「どうかお下がり下さい!」
彼の部下と思われる鎧姿の将軍達が、慌てて主人を止めに入る。
「なに心配するな。俺がハヤテに乗ってミロスラフ王国まで行ったという話はしたであろうが」
「そ、それは知っていますが、今はあのように興奮している様子ですし」
轟々とうなりを上げるエンジン音が、彼らにはドラゴンが威嚇しているように感じられたらしい。
レフドは気にせず歩き出そうとして、ハヤテの全身がいつもと違い、汚れてキズだらけになっているのに気が付いた。
「むっ? これは一体?」
レフドが怪訝な表情を浮かべたその時だった。
エンジン音が止まると、風防を開けて若い女性が姿を現した。
ハヤテのパートナー、小上士位ナカジマ家の女当主、姫 竜 騎 士ことティトゥ・ナカジマである。
巨大なドラゴンに、うら若き乙女が乗っていたという事実に、兵士達の間から驚きの声が上がる。
だが、レフドはティトゥに続いて現れた品の良い青年の姿に目を見張っていた。
「エルヴィン殿! まさかお主が直々にやって来るとは!」
そう。この青年こそランピーニ聖国の第一王子、エルヴィン・ランピーニである。
エルヴィン王子はいつもの外向きの笑みを浮かべながらも、挨拶もそこそこにレフドに声をかけた。
「急いでお報せしなければならない事が起きたので、ナカジマ殿とハヤテに無理を言ってここまで連れて来て貰いました。急な話ですが、今からお時間をいただけますか?」
「――勿論だとも。おい、エルヴィン殿を応接室、いや、俺の使っている部屋に案内する。急いで準備を整えさせろ」
「はっ!」
レフドはエルヴィン王子の表情を見て、何も聞かずに即座にそれらの事を決定した。
それを見たティトゥは、心の中で『この人は本当に即断即決の武人なんですわね』と感心したが、なぜ応接室ではなく、わざわざ自分の部屋を指定したのかまでは分からなかった。
「ナカジマ殿はどうするかね? ハヤテの側にいたいなら、そのように取り計らうが?」
「・・・確かにハヤテの事は気になりますが、今は至急、お伝えしなければならないお話がありますので」
確かにハヤテのケガは気にかかるが、本人からは『大きな問題はない』と言われている。ならばハヤテの側で気を揉んでいるよりも、今の自分にも出来る事をすべきだろう
レフドは気丈に顔を上げるティトゥを見て小さく頷いた。
「そうか。ではハヤテの面倒はこちらで見よう。とは言ってもドラゴンには特別な世話はいらないんだったな」
「左様でございます」
レフドの言葉に周囲から軽い驚きの声が上がる。
実際、まだ子供のファル子とハヤブサはともかく、ハヤテは基本的に人の手を必要としない。
食事も摂らなければ水も飲まず、睡眠すらも必要としないのだ。
そんなデタラメな生き物がこの世にいるのか? と言いたい所だが、こうして実際に存在している以上、いると言うしか他にない。
竜 騎 士というのは常識が通用しない存在なのである。
レフドは自らエルヴィン王子とティトゥの案内を引き受けた。
ティトゥは砦の門をくぐる際、一度だけ心配そうにハヤテを振り返ったが、直ぐに視線を戻すと砦の中へと入って行ったのだった。
ティトゥとエルヴィン王子は砦の一室に案内された。
先程の話からすると、ここがレフドの部屋なのだろう。
若い兵士が手早くお茶の用意を済ませると、ティトゥ達と入れ替わるように部屋から出て行った。
「こんな場所でスマンな。なにせ砦を落としたばかりで、他に人目がないと断言できる部屋を知らんのだ」
「そちらも派閥争いしか知らない貴族には苦労されているご様子で」
「全くだ。ヤツらはどうあっても、俺がとてつもない野望を抱いて軍を動かした事にしたいらしい。ヴラスチミル(帝国皇帝)が素直にこちらの言う事さえ聞けば、こんな砦など直ぐにでも返して領地に引き上げるつもりなんだがなぁ」
苦笑するレフドとエルヴィン王子
ティトゥは今の二人の会話を聞いて、なぜレフドが客をもてなすための設備が整った応接室ではなく、不自由な自室に案内したのかを察した。
客をもてなすための設備が整っているという事は、それだけ人の手がかかる――人の出入りが多いという事になる。つまり他派閥から送り込まれた内通者が入り込む隙が生まれるという事にもなるのである。
(今はこんなにも大変な時なのに、あのハヤテがあんなにキズだらけになるくらい大変な事が起きているというのに、人間はまだ人間同士で足の引っ張り合いを止めようとはしないんだわ)
人間という生き物の持つ業の深さ。そのどうしようもなさに、ティトゥは気持ちが重く沈むのを感じていた。
「それで? 聖国の王太子がわざわざ出向く程の話だ。どうせ良い内容ではないのだろう?」
「残念ながら。レフド殿が思っているより、更に悪い内容だと自信を持って言い切れますよ」
「それはそれは、本気で聞くのが恐ろしいな。――では伺おうか?」
「はい。ではナカジマ殿、よろしいですか?」
「え? あ、はい!」
エルヴィン王子に促され、ティトゥは慌てて顔を上げた。
そう。今は落ち込んでいる時ではない。確かに人間の中にはどうしようもなく聞き分けの悪い者達もいる。だが、ここにいるエルヴィンやレフドのように、ハヤテの忠告を重く受け止め、みんなのために動いてくれる人間だっているのだ。
人間の中にだって誇れるような人はいる。
だったら自分も、ハヤテからそう思って貰えるような人間でありたい。
ティトゥは気持ちも新たに、先程見て来た恐るべき事態をレフドに伝えた。
レフドは初めは怪訝な表情で、次に驚きの表情で、最後には深刻な表情で、ティトゥとエルヴィン王子の語る内容を聞き終えた。
「・・・なる程。守りの要の砦を失ったにしては、帝国に何の動きも無いのが妙だとは思っていたのだ」
エミネク砦は帝国の対チェルヌィフ防衛の切り札。守りの要である。
そんな重要拠点を失ったのだ。普通に考えれば、国防上の意味でも、また帝国の威信を守るという意味でも、直ぐにでも取り返そうと攻めて来るのは間違いない。そうレフド達は考えていた。
「だが、敵に全くそんな動きは見当たらなかった。それも帝都のすぐ近くでそんな事が起きていたというのなら納得だ」
「同じ事は聖国海軍でも思っていましたよ」
聖国海軍でも、帝国軍がトルランカの港を取り返しに来ようとしないのはおかしいと考えていた。
ハヤテ達から、チェルヌィフ軍がエミネク砦を落としたという話を伝えられた時には、そのせいでこちらに軍を送る余裕がなくなったのか、とも思っていたが、今考えれば単にそれどころじゃない状態になっていただけだったのではないだろうか。
レフドは考えを纏めながら顎ヒゲを弄んだ。
「ふぅむ。俺としてはこのまま守りを固めるつもりでいた。俺達が落とせたとはいえ、砦の防衛力は非常に優秀なものだったからな。この戦争の目的が皇帝ヴラスチミルに圧力をかけるという点にある以上、ここを守って帝国軍の攻撃を跳ね除けていればその目的は達成できる訳だ。ならば危険を冒してまで、これ以上帝国領に足を踏み入れる必要はない」
ここまではエルヴィン王子も同意見なのか、納得顔で頷いている。
レフドは「だが」と言葉を切った。
「だが、こうなってくれば話は別だ」
「そうですね。我々が帝国軍を警戒して動かないのは逆に帝国にとっては都合がいい。その分、異変の対応の方に戦力を回せる訳ですから」
「ヴラスチミルに楽をさせてやる義理はないな。むしろ盛大に引っ掻き回して苦労させてやりたいくらいだ」
レフドの彼らしからぬ陰険な言葉に、ティトゥとエルヴィン王子は、チェルヌィフの戦車派と呼ばれる三部族が、帝国に対して抱える積年の恨みの一端を見た気がした。
「我が軍は準備が出来次第、エミネク砦を出発する。目指すは帝都バージャント。皇帝ヴラスチミルには直接こちらの条件を突き付けてやる事にしよう」
次回「当事者意識」