その8 飛行タイプ
僕がグルリと丘の上を旋回すると、ティトゥは風防に額をくっつけるようにしながら、外の景色を見下ろした。
『帝国兵の姿はどこにも見当たりませんわね。みんな上手く逃げ出したみたいですわ』
「そりゃ良かった。苦労した甲斐があったよ」
僕は小さくため息をついた。
『疲れたんですの?』
「ちょっとね。彼らが上手く逃げてくれた事に関しては僕も素直に嬉しいよ。そのためにわざわざこうして助けに来た訳だし。けど、少しだけスッキリしないと言うか、本当はもっとスマートに行く予定だったと言うか。まさか、ネドマだけじゃなくて、帝国軍まで一目散に逃げ出すとは思わなかったんだよ」
『けど、そのおかげで無事に彼らを助け出す事が出来たんだから、それでいいじゃないですの』
まあそうなんだけどさ。
帝都の北、マナ爆発の発生予想現場を目指していた僕達は、原始ネドマと戦っている帝国軍を発見した。
丘の上に追い詰められ、防戦一方となっていた彼らを救出するために、僕はネドマの群れへと襲い掛かった。
自慢じゃないが、今生の僕は二十ミリ機関砲の射撃の腕には少々自信がある。
とは言っても、四式戦闘機の主武装である二式二十ミリ機関砲の装弾数は、一丁辺り百五十発。機関砲だけで全てのネドマを駆逐するのは不可能である。
なので僕は攻撃を大型のネドマにのみ集中させる事にした。
後はこの隙に帝国軍が持ち直してくれればいいのだが・・・などと思っていたら、突然の襲撃に驚いたのか、帝国軍までネドマと一緒に一斉にその場から逃げ出したのだ。
「正に全軍崩壊って感じだったね。いやあ、あの時は本当に焦ったよ。そちらを襲う意思はない、狙っているのはネドマだけだって伝えたくても、空からじゃ僕の声も届かないし。結局、彼らの安全を守るためには、大急ぎで飛び回って少しでも大型ネドマの数を減らす事しか出来なかったからね」
そんな訳で初手からかなりバタバタしてしまったが、結果として帝国軍はネドマの包囲網から逃げ出す事になった。
瓢箪から駒が出る、ではないが、ティトゥの言った通り、僕達は無事に目的を果たす事が出来たのだった。
あれ? そういえば大事な何かを忘れているような・・・
『いやあ、それにしても、酷い乗り心地だったねぇ。これがハレトニェート殿(チェルヌィフの六大部族の一つ、ハレトニェート家の当主、レフド叔父さんの事)が言っていた、ハヤテのえあまにゅーばなのかな? 確かに、上になったり下になったりで、初めて経験する動きだったよ』
そうだ、エルヴィン王子! 今は聖国の第一王子を乗せていたんだった!
エルヴィン王子は苦笑しながら軽く腕をさすっている。激しい空中戦闘機動でどこか痛めたのかもしれない。やばっ。
『え、エルヴィン殿下! こ、これは大変失礼いたしましたわ!』
同じようにすっかり王子の存在を忘れていたティトゥが、慌てて頭を下げた。
エルヴィン王子は僕達の無礼に怒るどころか、『次にハレトニェート殿に会った時に自慢する話が出来た』などと嬉しそうにしている。
『惜しむらくは、激しい動きに耐えるのに精一杯で、ハヤテの戦いを落ち着いて見られなかった事かな。とはいえ、こんな危ない事をしたのが姉上(宰相夫人カサンドラさん)にバレたら、タダでは済みそうにないけどね』
「絶対に秘密にしておいて下さい」
『絶対に内密にお願い致しますわ』
即座に頼み込む僕達。
情けないって? カサンドラさんは気性の激しい女性と言うか、聖国の宰相夫人という立場を抜きにしても怒らせたら怖いタイプで、僕もティトゥもちょっと苦手としているのだ。
『それよりナカジマ殿。これからどうするつもりなのかな? 帝国軍を逃がす事には成功したようだが』
『そうですわね。ハヤテ、龍咆哮閃光枝垂れはまだ使えるんですの?』
「君は僕の言葉が通じるようになっても、頑なに自分の考えた中二名称を使うのを止めようとしないよね。二十ミリ機関砲の弾丸ならもうゼロだよ。今日の所はもう打ち止めだね」
もう少しペース配分を考えながら射撃していれば、予備の弾丸も残せていたかもしれないが、慌てていたせいもあって、ついつい過剰に攻撃を加えてしまったのである。
「とはいえ、弾丸をケチって帝国軍に被害が出てたら何の意味もなかったし、これはこれで必要な経費だったのかもしれないけど」
『それで今からどうするんですの?』
う~ん、どうだろう。いざという時に身を守る手段がないと考えると確かに心細いが、ぶっちゃけ、この世界で空を飛んでいる四式戦闘機が危険になるようなシチュエーションなんて想像できないんだよな。
「ある意味、空を飛んでいるだけで無敵みたいなものだし。せっかくここまで来たんだ。もう少し先まで行ってみようか」
『りょーかい、ですわ』
『どうやら方針が決まったみたいだね』
ティトゥが今の話を伝えると、エルヴィン王子は嬉しそうに頷いた。
彼もこの先に何があるのか、気になってはいたのだろう。
こうして僕は翼を翻して一路北へ。このネドマ騒ぎの原因が待つと思われる場所へと向かったのだった。
北に向かえば向かう程、地上の原始ネドマはその数を増やして行った。
『予想通りと言えば予想通りなんですけど、こうも数が多いとゾッとしますわね』
まあ確かに。
地面を埋め尽くす程、とまではいかないが、無数のネドマが蠢く様はあまり見ていて気持ちの良いものではない。
エルヴィン王子は、無人の村を荒らすネドマを見ながら呟いた。
『人間が滅びた後の世界ではこんな光景が広がっているのかもしれないね』
ちなみに人間の姿がないのはみんな逃げ出したからだとしても、飼われている家畜や犬、それに野生動物の姿なんかも見当たらない。
辺りは一面、見渡す限りのネドマ、ネドマ、ネドマ。ネドマだらけである。
動物達はネドマを恐れて別の場所に逃げてしまったのか、それとも逃げ遅れて餌食になってしまったのか。
ん? あれは?
『どうしたんですの? ハヤテ』
イメージとしては夏の蚊柱だろうか。
前方の空。無数の生き物が空を舞っているのが見えた。
『見た感じ、鳥の群れという訳でもなさそうだね。おそらく飛行タイプのネドマの群れではないかな』
『アレが全部そうなんですの?』
ティトゥがウゲッという感じで顔をしかめた。
確かに飛行タイプのネドマというのも気にかかる。しかし、僕が言いたかったのはそこではない。あの場所そのものだったのである。
「バラク、ちょっといいかな。あの場所について尋ねたいんだけど」
ホコリ。電子音と共に、バラク子機の画面が点灯した。
「! 前方から特に強いマナの反応を検知しました。あの位置に原始ネドマ発生現象に関わる何かが存在すると思われます」
やっぱり! この感覚はそういう事だったんだな。
北に向かうにつれて強まって来る異質な感覚。それは明確にあの方向から来ると感じていたが、やはりこの感覚とネドマ発生現象は何らかの繋がりがあったようだ。
この時の僕は、今までに経験した事のない感覚、そして異常現象の原因と思われる場所を発見した事に、完全に注意を奪われていた。
いや、それだけではなかったのかもしれない。
空を飛ぶ事の絶対的なアドバンテージ。この世界に転生して以来、一度も空中で苦戦していなかった事も、注意力が散漫になる原因になっていたのかもしれない。
僕はほとんど無意識に近い状態で、引き寄せられるようにフラフラと飛行ネドマの群れに近付いて行った。
そんな不注意な僕とは違い、パートナーのティトゥは油断なく周囲を見張っていた。
『ハヤテ! 止まって! このままだと取り囲まれてしまいますわ!』
「へっ? 取り囲まれるってどういう事?」
ティトゥの叫び声に、僕はマヌケな返事しか出来なかった。
『後ろ! 飛行タイプのネドマですわ!』
「後ろって、ネドマは前にしか――なっ!? し、しまった!」
ティトゥの見つめる先。僕達の背後では、地上にいたネドマ達が羽を広げ、今正に空へと飛び立とうとしていた。
なんというマヌケか!
僕は頭から冷水をかけられたような気がした。
飛行タイプのネドマは全部飛んでいる? そんな事、誰が決めた?
そう。飛行タイプの中の相当な数の個体が、地面に降りて羽根を休めていたのである。
注意深く観察していれば、直ぐに気付けたはずなのに・・・。
後悔しても後の祭り。
いつの間にか僕達は、飛行タイプの群れの真っただ中に飛び込んでしまっていたのだった。
次回「逃げ道」