その7 モンスター氾濫《スタンピード》
いつもより少しだけ長くなってしまいました。
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「脚を集中して狙え! 動きを封じるんだ!」
隊長の指示を受けた兵士達は、お互いをカバーしながらモンスターに立ち向かった。
モンスターの群れとの戦いも今日でもう三日目。
最初の頃の浮足立っていた姿がウソのような淀みない連携に、しかし隊長の表情は晴れなかった。
「くそっ、数が多すぎる! やはり早目に撤退すべきだったのだ!」
隊長は恨めし気な目で背後の斜面を振り返った。
丘のどこかでは、この事態を招いた指揮官達が兵士に掘らせた穴の中に隠れているはずである。
勿論、そんな事をしても何の意味もない。モンスターの優れた嗅覚は、どこに隠れても人間の痕跡を見つけ出すし、そうなれば逃げ場のない穴の中では、自分達の身を守る事など出来るはずもない。
彼らはただ、恐怖から逃れたい一心で、この丘に逃げ込んだだけなのだ。周りが見渡せる場所では、どこからモンスターに襲われるか分からない。それが怖くて仕方がなかったのである。
そして兵士に穴を掘らせ、自分達だけがそこに身を隠した。
彼らはモンスターに怯え、我が身可愛さに指揮官としての役目を放棄し、自分達の身を守る事だけを優先したのである。
「帝都を守護する我ら第一軍が、ヤツら無能な指揮官のせいでモンスター共の餌食になるのか・・・。この国は一体どうしてこうなってしまったんだ」
隊長が吐き捨てた言葉は、モンスターの断末魔の悲鳴によってかき消される。
倒しても倒しても次々に沸いて来るモンスターの群れに、帝国精鋭第一軍は次第に摺りつぶされつつあった。
時は遡って五日前。
カルヴァーレ侯爵領を突如襲った謎のモンスターの報せは、直ちに王城のカルヴァーレ将軍の下へともたらされていた。
「俺の領地にモンスターの群れが現れただと!? バカな! なぜ、よりにもよってこんな時に!」
聖国王家による宣戦布告と黒竜艦隊の敗北。そしてチェルヌィフ軍による東部地域への侵攻。
この二件だけでも(実際はミロスラフ王国の国境侵犯も含めると三件になるのだが)、国家を揺るがす大事件なのだが、更に今は地震による深刻な被害まで出ている。
泊まり込みでずっと対応に追われていたカルヴァーレ将軍が、苛立ちに感情を爆発させてしまうのも無理はなかった。
ちなみにこの国の王であり、本来の王城の主たる皇帝ヴラスチミルは、この時、王城にはいなかった。
カルヴァーレ侯爵領の宮殿で、倒壊する建物に巻き込まれ、死亡していたのである。
しかし、この国を襲った激しい混乱の中、名ばかりの皇帝の消息など気にする者はどこにもいなかった。
こうして誰からも忘れられていたヴラスチミルだが、実は死の間際に巨大な魔法生物の種に魂が吸い込まれ、新たな魔法生物として転生していた。
「早急に帝都から第一軍を差し向けろ! 急げ!」
被害地が自領とあってか、カルヴァーレ将軍の決断は早かった。
彼は即座に精鋭の第一軍にモンスターの討伐を命じた。
これには公私混同が過ぎるという声もあったが、帝都に隣接するカルヴァーレ侯爵領は、この国の重要地帯であり、また、昨夜の地震の震源地――被災地でもあったので、どの道、何らかの支援を行う必要はあったのである。
こうして第一軍は帝都を出発した。
指揮官はカルヴァーレ将軍派閥の有力貴族。実績はゼロにも等しい無名な軍人だが、コネと家柄で将軍の地位まで登り詰めた人物となる。
帝都を守る精鋭軍がそのような有様だった事からも、この時期の帝国軍の腐敗が目に余る状態だったかが分かるだろう。
第一軍は大量の避難民の流れに逆らって街道を北へと進軍。翌日には見た事もない謎の生物と――叡智の苔が原始ネドマと名付ける生物と――遭遇していた。
「な、なんだ、この化け物は!?」
これ以降、帝国軍では原始ネドマの事を【モンスター】呼び、そしてこのモンスターが大量に発生している現象の事を【モンスター氾濫】と呼ぶ事になる。
そしてそれはそのまま聖国軍とチェルヌィフ軍にも(ついでにハヤテ達にも)引き継がれ、同様に呼ばれるようになるのだった。
「カルヴァーレ将軍のご命令だ! 全て殺してしまえ!」
指揮官の命令で兵士達はただちにモンスターの駆除に当たった。
しかし、それはこの後、無限に続くとも思えるモンスターとの戦い。その絶望的な戦いの火ぶたを自らの手で切って落とす行為だったのである。
隊長はハッと我に返った。
いつの間にか意識を失っていたようである。
「俺は・・・痛っ。そうか、部下を助けるためにモンスターの攻撃を喰らったのか」
体を起こすと胸に刺すような痛みが走る。どうやら打ち身だけでなく、肋骨にもひびが入っているようである。
気絶していたのはほんの数十秒から数分程度だろうか?
周囲では未だに戦いの喧噪が鳴り響いている。
戦いが開始されてから今日で三日。今や帝国第一軍はすっかり疲弊し切っていた。
モンスターは昼も夜も関係なく、途切れることなく彼らに襲い掛かった。
睡眠の時間も許さないその数の暴力に、帝国軍は肉体的にも精神的にも追い詰められつつあった。
「隊長! ご無事ですか!?」
「ふ、副長か。味方はどうなっている?」
別の場所で部隊を率いていた副長が、痛みに顔をしかめる隊長に駆け寄った。
「分かりません。ですが、少し前からモンスターの圧が増しています。おそらくは――」
「やられてしまったか、後方に下がってしまったといった所か。・・・ここも長くは持ちこたえられそうにないな」
隊長は副長の手を借りて立ち上がった。
「痛っ――。あ、ありがとう副長。もう大丈夫だ」
リーダーが弱った姿を見せていては部下達の士気に関わる。
隊長は副長の肩を叩いて彼から離れると、痛みで丸まりそうになる背筋を無理やり伸ばした。
副長はそんな上司を気づかわし気な目で見ていたが、やがて意を決した表情で口を開いた。
「隊長。敵モンスターの群れは未だ尽きる様子がありません。これ以上、この場で戦っていても意味はないのではないでしょうか」
彼は臆病者と罵られるのを覚悟で言葉を続けた。
「今ならまだ、我々にも戦う力が残っています。ですが流石に消耗が激し過ぎます。これ以上、部隊の損耗が増すようでしたら、その・・・最後の力すら失われてしまうかもしれません」
「――最後の力。つまり撤退のための力も無くなると副長は言いたいのだな?」
隊長は刺すような眼差しで、ジッと副長の目を見つめた。
ゴクリ。緊張に思わず副長の喉が鳴ったが、カラカラになった口内には一滴の唾液も残っていなかった。
隊長は不意に力を抜くと、小さくかぶりを振った。
「それは俺も考えていた。いや、間違いなく他の部隊の隊長達も同じ事を考えているはずだ。ここで戦いを続けていても何の意味もない。それなら消耗を避けて帝都まで撤退すべきではないか、とな」
「それでしたら!」
「出来たら既にそうしているのだ。現在、我々は各部隊ごとに分かれて戦っている――と言えば聞こえは良いが、実際は自分達の身を守るために必死に戦っているといった状況だ。こんな中、各部隊で連携して撤退作戦を行うのは不可能だ。指揮官が身を隠している以上、全体を指揮出来る者は誰もいないんだからな」
指揮官は不在。そして独自に他部隊の隊長に連絡を取ろうにも、与えられた持ち場を必死に支えている今の状況では、そんな余裕などあるはずもない。
だからといって勝手に持ち場を離れれば、そこが防衛ラインの穴となって戦線が崩壊する危険がある。指揮官としては、そんな博打を打つ訳にはいかない。
「そんな・・・」
「誰もがこのまま戦いを続けていてもムダだという事は分かっている。だが、分かっていても動けない。自分が取った行動で、全軍を危機に晒す訳にはいかないのだからな」
「で、ですが隊長――隊長? どうかしましたか?」
不意に隊長は何かに気を取られた様子で眉をひそめた。
「ふうむ、さっき倒れた時に頭でも打ったんだろうか? 急に耳鳴りがし始めたんだが」
「耳鳴りですか? そう言えば私の耳にも何か異音が聞こえているような」
副長が怪訝な表情を浮かべたその時だった。
ヴーン・・・
独特な羽音を響かせて、青い空に不思議なシルエットを持つ飛行物体が姿を現したのである。
「な、なんでしょうか、あれは!? 新手のモンスターでしょうか!?」
「いや、違う! あれはモンスターなんて代物じゃない!」
浮足立つ副長に対して、隊長はあの存在に心当たりがあるようである。
「モンスターではない、が、どうしてヤツがこんな場所に!?」
「危ない! 襲い掛かって来ます!」
飛行物体はキラリと陽光を反射すると、こちらに向けて急降下を開始した。
グオオオオオオ!
パパパッ!
飛行物体の翼に激しく光が瞬くと、「ギャオオオオオオ!」というモンスターの断末魔が響き渡った。
「な、なんだ一体!? 一体何が起きている!?」
「た、隊長ーっ!」
混乱する二人の下に、今までモンスターと戦っていた部下達が慌てて駆け寄って来た。
「化け物が! 急に空を飛ぶ化け物が現れたと思ったら、大型のモンスターが次々にやられていきす!」
「なんだって!?」
どうやら空を飛ぶ謎の飛行物体の目的は、モンスター共の殺害らしい。
人間を避けてモンスターだけを一方的に殺しているようだ。
「隊長、副長! あそこを!」
兵士達が指差す方を見ると、飛行物体は今度は別の場所にダイブ。やはりモンスターの断末魔が響くと、そこで戦っていたと思われる兵士達が上げた歓声が鳴り響いた。
副長達は予想外の展開に理解が追いつかない様子である。
その中で隊長だけはいち早く我に返ると、彼らに命令を下した。
「撤退だ! あの場所にいる味方部隊と合流して撤退を開始するんだ!」
「えっ?」
「呆けている場合か! 分からんのか! ヤツはこちらが撤退するための援護をしてくれているんだ!」
実際の所は本当にそうかどうかは分からない。もしも飛行物体の正体が隊長の想像通りであるなら、それが帝国軍を助けてくれるとはとても思えないからである。
しかし、飛行物体の思惑はともかく、今が撤退のための好機であるのは間違いない。
手強い大型のモンスターは飛行物体が仕留めてくれている。
他の部隊の隊長達も、きっとこのチャンスを逃さずに動くはずである。
「急げ! モンスターは直ぐに数を増やして戻って来るぞ! 今は時間との戦いだ! 走れ!」
「「「はっ!」」」
彼らはモンスターの死骸を乗り越えて走り出した。走り出して直ぐに、隣の部隊もこちらに向けて走って来るのが見えた。
やはりどこの部隊も考える事は同じだったようである。
果たして飛行物体の方はと見ると、今は別の場所に襲い掛かっているようである。おそらくあの場所にも味方部隊が存在しているのだろう。
「それにしても――」
隊長は湧き上がるアドレナリンに痛みを忘れた状態で呟いた。
「――それにしても、ヤツはミロスラフ王国のドラゴンだろうに。なぜ我々を助けるような事をしているんだ?」
そう。飛行物体の正体はミロスラフ王国のドラゴン・ハヤテ。
この帝国軍にとって忌むべき存在が、なぜ、自分達を助けるようなマネをするのだろうか?
「――まあいい。ドラゴンの考える事など、俺達人間に分かるはずもない。あるいは今日のことはただの偶然。ヤツが勝手にやった行動が、たまたま俺達の窮地を救う形になっただけなのかもしれんしな」
だとしたら、自分達は相当にツイていたという事になる。
隊長は小型のモンスターを蹴散らしながら、一先ずそう結論付けるのだった。
運の良い者達がいれば、その逆に運の悪い者達もいるようだ。
穴の奥に身を潜めていた指揮官達は、外でモンスターと戦っていた隊長達とは違い、騒ぎに気が付くのが遅れてしまった。
「なんだ? 一体何の騒ぎだコレは?」
指揮官の取り巻きの一人がおっかなびっくり。穴の中から顔を出すと、弾丸を打ち尽くしたハヤテが北の空へと去って行く所だった。
「あれは・・・はて? 鳥にしては妙な形をしているようだが」
「おい、いい加減に中に戻れ。お前が見つかったせいでモンスター共にこの穴の位置がバレたらどうするんだ」
男は同僚に怒られて、慌てて穴の中に頭を引っ込めた。
こうして再び周囲に静けさが戻った。
やがて誰も守る者のいなくなった丘に、モンスターの群れが登って来るのだった。
次回「飛行タイプ」