その4 上機嫌な王子
聖国軍によって制圧された漁師町。
その大通りで僕は何度目かになるため息を漏らしていた。
「やっぱりこうなっちゃったかぁ・・・。僕の事だから、多分、断り切れなくなるんじゃないかとは思っていたんだよねぇ・・・」
『まだ言っているんですの? 私はもう諦めましたわ』
開き直った顔でバッサリ切り捨てたのは、飛行服姿のゆるふわヘアーの美少女。
僕のパートナーのティトゥである。
『向こうが勝手に言い出した事なんだから、私達が気を揉まなければいけない理由なんて何もないんですわ』
「いやまあ、言いたい事は分かるんだけどさ。君はあの光景を見て、本当に何も感じない訳?」
僕達の視線の先。
そこでは飾りのついた豪華な服に着替え直した聖国王子、エルヴィンが、配下の将軍達に泣きつかれていた。
『殿下! 殿下! もう一度お考え直しをお願いします!』
『ではせめて護衛としてこの私をお連れ下さい! 命にかけても殿下をお守り致します!』
『大丈夫、大丈夫。こちらにはハヤテが付いているんだよ。皆が心配するような危険は何もないさ。それにハヤテの背中は二人が定員なんだ。だから他に誰かを連れて行く事は出来ないんだよ』
立派な服を着た大人達が、親と子程も歳の離れた青年に恥も外聞もなく懇願している姿は、見ていてとても痛々しいものがある。
周りの兵士達も、日頃は雲上人の将軍達の哀れな姿に困惑を隠し切れないらしく、顔を背けてこの光景を見ないようにしていた。
そんな死にそうな顔の将軍達に比べて、エルヴィン王子の顔はツヤツヤしている。というか、まるでこれから観光旅行にでも出かける前のようなワクワクとした表情まで浮かべている。
それだけ僕を信用し切っているという証拠なんだろうけど・・・ああ、ダメだ。プレッシャーで、存在しないはずの胃に痛みが――
「ねえティトゥ。今からでも逃げちゃダメかな?」
『それはそれで後々問題になるんじゃないかしら』
そうかもしれない。けど、帝国王城に聖国王子が囚われる原因を作った戦犯になるよりは、まだマシとは言えないだろうか?
『殿下は、いざとなったらハヤテがひと暴れして助けてくれると思っているみたいですわね』
「いやいや、ムリムリ。僕が戦車や装甲車だったならともかく、戦闘機だよ? 地上で何が出来るっていうんだよ」
『だったらさっきそう言えば良かったじゃないですの』
言ったよ! ていうか、君も翻訳してくれたよね!?
けどエルヴィン王子は、『いざという時には空に逃げたらいいのさ。そうすれば帝国軍だって追って来られないじゃないか』と言って、聞き入れてくれなかったのだ。
僕は少し恨めしそうに、ジト目でティトゥを睨んだ。
『なんなんですの? 何か言いたそうな雰囲気を出してますけど』
「いや、別に」
エルヴィン王子とティトゥに共通する問題点として、二人共僕の事を人間以上の存在――もっと言えば、何でもできる完璧な存在だと思っている(勘違いしている)という所が挙げられる。
そんなティトゥを通訳として頼っていた時点で、最初から説得が上手くいくはずなんてなかったのかもしれない。
『やあ、お待たせ』
とか何とか言っている間にタイムアップ。
ホクホク顔のエルヴィン王子が僕の翼の上に登った。
「あ~、来ちゃったかぁ。来ちゃったよぉ」
『もう諦めたらどうなんですの? 殿下。先程お話したように、帝国王城に降りられる場所があるかどうかの見極めはハヤテに任せて頂きますわ。その上でハヤテがどうしてもムリだと判断したなら、申し訳ありませんが諦めて頂く事になりますが、それでも構いませんわね?』
『うん。それは仕方がないよね』
「え~。でも、どうせその時になったら、無理やりにでも降りるように言ってくるんでしょ? 今からその光景が目に浮かぶようなんだけど」
『こらハヤテ! いい加減にして頂戴! オホホホ。ではこちらにお座り下さい』
ティトゥは渋る僕を叱ると、王子に手を貸して胴体内補助席に案内した。
『ナカジマ殿! 殿下を! 殿下をよろしくお願いいたします!』
『くれぐれもムチャはさせないようにして下さい! 殿下の身の安全を第一にお願いします!』
将軍達はこちらを遠巻きにして必死にティトゥに呼びかけた。
本気で王子を心配しながらも、必要以上に近付いて来ないのは、ドラゴンという巨大な謎生物が恐ろしいからだと思われる。
『ワカッテル』
『お、おふっ!? ――ほ、本当によろしく頼みますぞ、ドラゴン殿』
僕が返事を返すと、彼らは一瞬、驚きに棒を飲んだようになったものの、すぐに再起動すると今度は僕にお願いした。
『マカセテ』
僕だって戦犯になんてなりたくないからね。
さっきはエルヴィン王子に言い任されて帝国の王城まで飛ぶ所までは了承したが、絶対に帝国王城には着陸はしないつもりだから。
例え王子にウソをつくことになっても、このラインだけは譲れない。
さっきティトゥにも強く念を押しておいた所だ。
「上空からの敵情視察。そう考えるなら、指揮官を乗せて敵国の空を飛ぶのも、あながち無意味な行為じゃないよね」
『ナカジマ殿、ハヤテは何と言ったんだい?』
『ええと、ハヤテは殿下をお乗せ出来て光栄に思っているんですわ』
ティトゥは曖昧な返事で誤魔化すと、エルヴィン王子の体を安全バンドで固定した。
『では今から出発致しますわ。前離れーっ! ですわ。さあ、ハヤテ』
「はいはい。エンジン点火」
グオン! バババババ・・・!
『『『ワアアアア!』』』
ティトゥに促されてエンジンを始動すると、その轟音とプロペラの回転に周囲の兵士達から驚きの声が上がった。
僕はゆっくりと動力移動。滑走路代わりの広い街道へと機体を進めた。
「離陸準備よーし。離陸」
グオオオオオオ・・・
スロットルを開き、エンジンをフルパワーにすると、機体はビリビリと振動しながら疾走を開始した。
『『『オオオオオーッ!』』』
兵士達のどよめきが瞬く間に後方へ過ぎ去っていく。
やがてフワリ。
翼に生じた揚力が、重力を上回ると、鉄の機体が宙へと浮きあがった。
エンジンが唸り声を上げる中、エルヴィン王子の満足そうな声が聞こえた。
『うん。この感じ。やはり空を飛ぶという感覚には、他では味わえない解放感があるね』
最初はあまり気乗りしないフライトだったとはいえ、この言葉には僕もティトゥも同意せざるを得ない。
やっぱり空を飛ぶのっていいよね。
僕達はちょっと困った気持ちになりつつも、妙な一体感を感じるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『ワアアアア! 竜 騎 士! 竜 騎 士!』
『姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士!』
割れんばかりの歓声を上げる兵士達。
熱狂の中、聖国海軍の指揮官達は、魂が抜けたような顔で、青い空を背景に徐々に小さくなっていくハヤテの後ろ姿を見送っていた。
『ああ・・・行ってしまった』
『やはり命に代えてもお止めするべきだったのだろうか』
王子自らが単身で敵国の城に乗り込むという荒唐無稽な話。
平時に聞かされていれば、誰もが発言者の正気を疑ったに違いない馬鹿げた話。
しかし、今回に限ってそのデタラメな提案が通った理由。それはよりデタラメな存在、ミロスラフ王国のドラゴン・ハヤテにあった。
『アレを目の当たりにしてしまうとなあ・・・』
聖国海軍精鋭艦隊が苦戦していた帝国最強黒竜艦隊。
ドラゴン・ハヤテはその戦場にフラリと現れると、瞬く間に敵大型艦二隻を沈めて、戦いを決定づけてしまったのである。
その圧倒的なスピード感。常識外れの火力。そして実際に目の当たりにした際の巨大で異質な姿。
それらが原因となって、彼らはすっかりハヤテという超生物の底知れぬ存在感に呑まれてしまったのである。
もちろん、全ては勘違いに過ぎない。ハヤテの正体は(この世界では未来兵器とはいえ)ただの戦闘機で、宿っている精神も極一般的な日本人青年のものでしかない。
何でも出来るというのは、エルヴィン王子の(それとティトゥの)買い被りであって、本当のハヤテは地上では日向ぼっこをするのにも人の手を借りなければならない程、不自由な体でしかないのだ。
しかし、異常な空間の中では、正常な人間こそが少数派となる。
熱狂の渦に包まれる兵士達、そして手放しにハヤテを信じるエルヴィン王子の熱にあてられているうちに、指揮官達の中の常識が揺らぎ、『ひょっとして自分の方が間違っているのかも』という変な錯覚を引き起こしてしまったのである。
経験豊富で優秀なはずの聖国海軍の指揮官達すら惑わせてしまうとは、竜 騎 士とはなんというはた迷惑な存在なのだろうか。
『とにかく今は殿下のお戻りを待つしかない』
『ああ。ドラゴンも降りる場所が見つからなければ戻って来ると言っていたし、案外、すぐに戻って来る事になるかもしれんしな』
指揮官達はそう考える事で一先ず気持ちを落ち着ける事にした。
実際に彼らの言う通り、エルヴィン王子達はこの後すぐに戻って来る事になるのだが、それは彼らが考えていたような理由ではなかった。
それは驚くべき光景――ハヤテも含めて誰もが想像もしなかった光景――を見たためになるのだが、今の彼らにそんな未来など知る由はなかった。
次回「原始ネドマ」