その25 招かれざる客
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10年ほど前、ミロスラフ王国第一王女ラディスラヴァ・ミロスラフがランピーニ聖国レブロン伯爵家を尋ねた時、レブロンの町はひどいありさまだった。
町の要人には汚職がはびこり、大通りは昼間からガラの悪い男達が酒を飲んで暴れ、町の人間は顔を伏せ常に怯えて暮らしていた。
その原因は海賊。
当時クリオーネ島近海を荒らしまわっていた史上まれに見る大規模海賊組織が、レブロンの町を根城にしていたのだ。
役人は海賊から袖の下を受け取り、町の被害を見て見ぬふりをした。
まともな役人は町を捨てて逃げるか、海賊の息のかかったならず者によって命を奪われた。
レブロン伯爵当主は良く言えば鷹揚な、悪く言えば統治に無関心な小者で、その跡継ぎの息子も良い年齢をして領民を顧みず遊び暮らしていた。
そんな領主の息子を海賊が攫ったのも、海賊が領主を舐めきっていたからにすぎない。
レブロン伯爵家では上を下への大騒ぎとなったが、誰も有効な手段を講じることは出来なかった。
役人や家臣はみんな海賊のひも付きだったのだ。
もし当主が国にでも訴えれば芋づる式に罪が暴かれて自分の立場を危うくすることになりかねない。
彼らは必死になってうろたえる当主を宥め、無為に時間を浪費するだけだった。
そんな中、憤慨して立ち上がる者がただ一人いた。
たまたまレブロン伯爵家を訪れていたミロスラフ王国第一王女ラディスラヴァ・ミロスラフ。後のラダ・レブロン伯爵夫人である。
彼女はわずかな手勢を引き連れ海賊のアジトを強襲。
最後は海賊のボスとの壮絶な一騎打ちを制し、見事レブロン伯爵の息子を救出することに成功したのだった。
彼は海賊からひどい仕打ちを受けていたらしく、無事に助けられたことに喜び、泣いて感謝を示した。
しかし、彼女はそんな彼をすげなく突き放した。
「アナタはひどい目に遭ったと私に訴えるが、この町の者の受けている仕打ちを知っていてそんなことを言っているのか?」
他国の第一王女に連れられて見た町の景色は、青年の知っているレブロンの町では無かった。
汚職役人によって、都合の悪い部分は伯爵家に巧みに隠されていたのだ。
青年は凡庸だが善良だった。その日彼は今までの自分を恥じると共に領民のために現状を改善しようと決意したのだ。
彼はそのために第一王女に協力を求めた。他国の内情に関わることに難色を示した王女だったが、青年の熱意にほだされて力を貸すことにした。
それは厳しい道のりだった。周りは全て潜在的な敵だらけだったと言っても良い。
そんな中彼女は戦い、また守り、何年もかけて少しずつ町を取り戻して行った。
レブロンの町がまともと言える状態になったのはつい最近になってのことである。
今では陽気な人々の住む大きな港町として栄えている。
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『直接ハヤテで空から乗り付ければいいじゃないか』
マリエッタ王女の叔母であるラダ叔母さんの提案に僕達は言葉を失った。
・・・そんなことして大丈夫なの?
『そんなことをして大丈夫なわけありませんわ』
やはり大丈夫ではないようだ。
『どうせ小うるさい宰相辺りがごちゃごちゃ言っているだけだろう。構わん構わん、私が許すから直接向かえ』
それでもティトゥは気後れしているようだ。
そんなティトゥにラダ叔母さんははっぱをかける。
『戦いは先手必勝! うじうじしてたら竜 騎 士なんて勇ましい名前が泣くぞ!』
あーあ、竜 騎 士はティトゥの弱点なのに。
ほらやっぱり。ティトゥはキリッと表情を引き締めると力強く頷いた。
『ハヤテ!』
はいはい。ティトゥが良いなら僕は良いんだよ。
僕は二人を乗せ、ミロスラフ王国王都ミロスラフまで街道の上を飛ぶのだった。
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暮れ七つ(午後4時)の鐘が鳴ってしばらくたったころ。
貴族街のマコフスキー卿の屋敷には多くの馬車が到着していた。
ランピーニ聖国友好使節団代表マリエッタ・ランピーニ第八王女の主催する招宴会に参加する人々の馬車である。
ちなみに今到着しているのは位の低い下士位の貴族達である。
上士位の貴族は招宴会の始まる少し前、暮れ六つ(午後6時)の鐘の鳴る前くらいに屋敷に到着する。
下士位の貴族としてはあまり遅く到着して上士位の馬車を待たせることになってはいけない。
かといって早く到着しすぎては主催者に迷惑がかかる。
程よい時間を見計らって会場入りしなければならないのである。
みんな当然そう考えるため、この時間は混雑してしまうのも仕方のないことなのであった。
「結局ハヤテ様は戻られませんでしたね」
マチェイ家の借りた馬車の中、心ここにあらずといった感じでぼんやりと外を見ていたメイド服の少女カーチャが呟いた。
正面に座っている騎士団の見た目出来る女カトカ女史がそんなカーチャを慰めるように答えた。
「だが王女殿下の安全は確保されたことになる」
カトカ女史の隣に座る髭の立派な騎士団員アダム班長も頷いた。
「空の上までハヤテ殿を追いかけて行ける者などいませんからな」
馬車の中の最後の一人、カーチャの隣に座るマチェイ家当主シモン・マチェイが一つ咳をした。
「二人ともその辺で。すでに屋敷の敷地内です。どこに耳があるか分かりませんから」
その言葉に馬車の中に緊張感が漂った。
彼らは全員今日の招宴会の企みを知っている。
・・・はずであろうおそらくはカトカ女史も多分。
ともかく、マリエッタ王女の不在で誰がどう動くか予想もつかない。
シモンとカーチャを護衛する二人は目配せをしてお互いを確認した。
カトカ女史はシックなナイトドレス。
動きやすさを考慮したのかこの世界のものにしては若干露出が多めだ。
なんと彼女の私物である。実は彼女は結構良いトコロのお嬢様なのだ。
アダム班長はシモンの替えの服を着ている。こちらは体型の問題か若干動き辛そうだ。
彼らはマチェイからシモンと一緒に王都に来た使用人ということになっている。
まあ実際にアダム班長はマチェイ家の者を護衛して一緒に王都に来たわけなのだが。
シモンの見たてでは、王女不在であろうがなかろうが騒ぎは起きると踏んでいる。
使節団副団長のメザメ伯爵が騒ぎ自体を望んでいることと、元第四王子であるネライ卿の人となりを考慮した結果の判断だ。
そして間の悪いことに現在王都騎士団の多くがカミル将軍に連れられて王都を離れている。
混乱が屋敷を超えて王都内にまで拡大する危険も十分に考えられる。
シモンは最悪、貴族街全体を巻き込んだ暴動になる可能性すらありうるとまで考えていた。
本来であれば何かしら理由を付けて欠席する方が無難なのだが、もし聖国から帰ってきたティトゥとマリエッタ王女と何らかの理由ですれ違うことになれば不味い。
一応王都騎士団の壁外演習場にルジェックを残してあるものの、時間が迫ればティトゥ辺りが直接ハヤテを城門前に着陸させかねない。
いざという時のためにこちらも現場にいるべきだと、判断したのである。
実はこの時、馬車の列の先頭でちょっとした騒ぎが起こっていたのだが、流石に彼らの場所までその喧騒が届くことは無かった。
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「マリエッタ王女が見当たらないだと?! どういうことだ!」
屋敷の奥の部屋ではマコフスキー卿当主ヤロスラフ・マコフスキー卿が王女の世話に割り当てたメイドを怒鳴りつけていた。
「王女の侍女はどうしている?」
ヤロスラフの息子ヤロミールが当主の剣幕に怯えて縮こまるメイドに尋ねた。
「見ていないと。用事で外に出た時にはいたみたいですが、帰ってきた時にはもう姿を消していたようです」
ヤロミールはメイドの言葉に不自然な点を感じた。
マリエッタ王女の侍女は王女に強い忠誠心を持っていたようだった。そんな彼女が王女の不在に何も行動を起こさないものだろうか?
だがヤロミールのぼんやりとした違和感は明確な形を取る前に霧散した。
同士の若手貴族が部屋に入ってきて信じられない報告をしたからである。
「おい、ネライ卿が屋敷に来ているぞ!」
「はぁ?!」
ヤロミールは若手貴族の言葉に耳を疑った。
「打ち合わせでは屋敷の外の混乱に乗じて密かに迎え入れるはずだっただろう」
「そ・・・そうだ」
若手貴族の男も途方に暮れている様子だ。
あまりのことに本来聞かれてはならない話をメイドの前でしたことすら失念している。
「だが来てしまったんだ。丁度今、馬車で正面玄関に乗り付けたところだ」
信じられない言葉にマコフスキー親子は唖然とした。
「来客にも見られた・・・ということか?」
「ああ。それどころか騒ぎになっている」
ネライ卿が案内状を持たないことを見咎めた屋敷の者と現在揉めているという話だ。
「バ・・・バカな。何を考えているのだあのお方は」
「君の名前を叫んでいたぞ」
「俺の名前を叫んでいたのか?!」
あまりの事態に脳が理解をすることを拒んでしまったようだ。
ヤロミールはオウム返しに質問を返した。
「ああ・・・ヤロミールを呼べ、俺は彼に招待されているのだ、と言っていた」
「・・・・・・。」
言葉を失い立ち尽くすヤロミール。
ネライ卿は彼の自慢の頭脳をもってしても理解し難い存在だったのだ。
「早く行った方が良いんじゃないか? あの分だとネライ卿は今日の計画のコトを全部喋りだしかねないぞ?」
「あ・・・ああ・・・そ・・・そうだな」
若手貴族の男に肩を押され、おぼつかない足取りで部屋から出ていくヤロミール。
両手で顔を覆い項垂れるマコフスキー卿。
若手貴族の男はふと振り返ると、メイドが一人部屋にいることに今更のように気が付いた。
どう考えても聞いてはいけない話を聞いてしまったことに気が付いたメイドの顔は青ざめていた。
聞かれたか。マズイな。
男の視線が鋭くなった・・・ が、男は黙って開けっ放しになっている入り口へと首を振った。
慌てて走り出すメイド。
彼女が横を走り去るその時、男は小さく一言呟いた。
「決して他言無用」
一瞬ビクリと立ち止まるメイドだったが、急いで男に頭を下げると部屋から走り去って行った。
(甘いか? いや、大義のために行動を起こす我らがメイドを口封じなど。そんな胸を張って言えないことは出来ない)
青臭い理想論だ。だが若手貴族の男にとってそれは譲れない信念だった。
後にこの一件が全て終わった後、マコフスキー卿の屋敷の者は厳しい事情聴取を受けることになる。
しかし、あのメイドの口からこの件が語られることは無かった。
次回「誰がために鐘は鳴る」