その3 男版ティトゥ
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帝国領西の港トルランカ。
ふ頭には小型から中型の船が係留され、喫水の深い(水面から船底までの距離が深い)大型船は、波の穏やかな湾内に静かに錨を下ろしている。
見る者が見れば、ひと目で最先端の設計である事が分かるこの船団こそ、帝国最強を誇る黒竜艦隊。
しかし最強の黒竜は、先日の聖国艦隊との戦いによってその翼を折られ、今や駕籠の中に閉じ込められた猛禽も同然となっていた。
「報告致します! 例の化け物は――ミロスラフ王国のドラゴンは、港の上空を離れ、東の空へ去って行ったとの事です!」
部下からの報告を受けて、黒竜艦隊艦長バルトルンは小さく安堵のため息ついた。
無敵の黒竜艦隊を、二度に渡って撤退に追い込む原因を作った憎むべき敵、ミロスラフ王国のドラゴン。
先程、不意にそのドラゴンが港の上空に現れたのである。
弓矢も届かない遥か上空の高みからこちらを睥睨する恐ろしい姿に、兵士達はたちまちパニックに陥った。
報せを聞いたバルトルン艦長にも、『すわっ! これは聖国軍による全面攻勢の前触れか!?』と、緊張が走ったのだが、結局、ドラゴンはしばらく港の上空をグルグルと回っただけで姿を消してしまったのだった。
「ヤツは一体、何がしたかったんだ?」
バルトルン艦長の最もな疑問に、当然のように部下は何の返事も持たなかった。
こうなるとこちらから出来る事は何も無い。
艦長は今日の所は見張りを増員するように指示を出すと、部下を下がらせた。
一人になった部屋の中。バルトルン艦長は誰に言うともなしに呟いた。
「何が目的なのか分からない、という点で言うのなら、聖国軍もそうだ。ヤツらは一体何を企んでいる」
帝国海軍史上最強の黒竜艦隊対、聖国海軍精鋭部隊。
世界初の大艦隊同士による本格的な海戦は、聖国艦隊の勝利に終わった。
黒竜艦隊はトルランカに逃げ込むと、急いで守りに入った。
守りを固める帝国海軍に対して、聖国艦隊の指揮官は一先ず港を放置。艦隊を湾内に封じ込める事を優先した。
「だが、それもおかしな話だ。聖国がこの時期に戦いを挑んだ理由は、黒竜艦隊の戦力を警戒しての事としか考えられない。だとすれば、こんな封じ込めだけで満足するはずはない。これでは一体、何のために戦ったのか分からないではないか」
黒竜艦隊は敗れたとはいえ、まだほとんどの戦力を残している。
戦闘の中核を担う大型戦闘艦に至っては、失ったのはドラゴンによって沈められた二隻だけといった状況だ。
つまり聖国にとって黒竜艦隊の脅威はまだ消え去っていないのである。
それなのに海上を封鎖して、相手を動けなくしただけというのではいかにも手ぬるい。激しい防衛戦を覚悟していたバルトルン艦長達にとっては拍子抜けもいい所だった。
「それに帝都から未だ援軍の知らせが届かないのも解せない。最優先で対応すべき事だと分かっているだろうに」
彼らがトルランカに籠城を始めてから既に五日。
援軍の編成に手間取っているにしても、いくらなんでも動きが遅過ぎた。
「知らせを持った使者がことごとく聖国軍に捕えられているのかとも思ったが、古巣の情報局からの連絡員も姿を現さないのはおかしい。そこまで完全な封鎖が行える程、聖国軍の兵士の数は多くないはずだ」
情報局からの連絡員は見た目は一般人と変わらない。広く情報を集めるため、日頃は市井に混じって普通に生活しているからである。
「今の状況は不自然だ。一つ一つはただの違和感でしかないが、ひょっとして裏では何らか見えない繋がりがあるのではないだろうか? くそっ。現場の指揮官の立場では、得られる情報が少な過ぎる。中央にいた頃は、まだ情報に関してだけは不自由する事はなかったのだが」
バルトルン艦長は少し前までは軍本部にある情報局のトップにいた。その頃に培った彼の直感が激しく警鐘を鳴らしている。
ひょっとしてこの帝国で、何かが起きているのかもしれない。だとすれば一番高い可能性は一体何だ? 何が起きればそうなる?
我ながらいささか陰謀論が過ぎているのかもしれない。だがバルトルン艦長は胸に湧きおこる不安を、単なる気のせいだとは切り捨てる事が出来ずにいた。
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聖国海軍の兵士達に見守られながら、落ち着かない気分で待つ事少々。
予想していたよりも随分と早く、ティトゥはエルヴィン王子達と一緒に戻って来た。
『殿下! お考え直し下さい! 殿下!』
『もう決めた事だから。それじゃナカジマ殿、よろしく頼むよ』
『は、はあ。ええと、そちらがよろしいのでしたら』
『いい訳ないだろう! ナカジマ殿からも殿下を説得して頂きたい!』
・・・なんだろうね、この光景。
何やら面倒事の気配がビシバシ伝わって来るんだけど。
妙にやる気をたぎらせているエルヴィン王子に、聖国海軍のお偉いさん達が泣きそうな顔で縋り付いている。ティトゥはどうしていいか分からずに身の置き所がない様子だ。
そんな光景に戸惑う僕(と周囲の兵士達)を前に、エルヴィン王子は輝くような笑顔を浮かべて僕を見上げた。
『じゃあハヤテ。早速帝都バージャントまでひとっ飛びお願いするよ』
「はあ!? 帝都バージャントって、まさかこの帝国の首都のバージャントの事を言ってる訳!? えっ!? ちょ、ティトゥ、一体なんでそんな話になってる訳!?」
『私に聞かれても困りますわ』
ティトゥは、もうイヤ、といった感じでかぶりを振った。
『ナカジマ殿、ハヤテは何と返事をしたんだね?』
『事情が分からずに驚いているんですわ。殿下が急に帝都まで飛ぶようにおっしゃられるものですから――』
『であれば、私からドラゴンに説明致しましょう!(ドラゴンが断れば、殿下もこれ以上のムチャは言えないだろうしな!)』
王子の秘書っぽい人が鼻息も荒く強引に前に出て来た。
誰でもいいから、マジで説明お願いします。
こうして聞かされた話の内容は僕の想像を超えたものだった。
「いやいや、王子自ら一人で対戦国の首都に乗り込むなんて、どう考えたってあり得ないでしょ。わざわざ殺されに行くようなもんじゃない」
『――と言ってますわ』
『そうでしょうとも! ええ、ええ、そうでしょうとも! ホラ、殿下! 今の言葉をお聞きになりましたか!? このようにドラゴンですら物の道理が分かっているのです! どうか今一度お考え直し下さい!』
呆れる僕に、鬼の首を取ったかのように勝ち誇る秘書っぽい人。
ドラゴンですらとか、結構な言われようだけど、まあ、彼の立場からするとそうなのかもね。
ちょっとだけムッとするティトゥ。
しかし王子はそんな秘書の言葉を完スルー。顎に長い指を当てると、思案顔で僕に尋ねた。
『でも、ハヤテはナカジマ殿を乗せて我が国の王城に降り立っているよね? ならば帝国の王城でも同じ事くらい出来るんじゃないかい?』
「いや、そりゃまあ、出来るか出来ないかで言えば出来るけど、問題はそういう物理的な部分にあるんじゃなくてですね。僕には王子の身の安全を保障出来ないと言っているんですよ」
『――と言ってますわ』
『殿下の安全を保障出来ないとはどういう事だ! この方は次期聖国国王になられるお方なのだぞ!』
僕の言葉尻を捉えてキレる秘書の人。
あなたちょっと情緒不安定過ぎやしませんかね?
最初に見た時はいかにも頭のキレそうな、仕事出来ますよオーラを放っていたイケメンだっただけに残念かも。
まあ、それだけ主人の事を本気で心配しているのだろうが、それにしたってポンコツが過ぎやしませんか?
『それにハヤテはナカジマ殿を乗せてチェルヌィフ王朝の王城にも降りたと聞いたが?』
エルヴィン王子の発言に、周囲の人間が『えっ? お前そんな事までしたの?』と、信じられない物を見る目で僕に振り返った。
いやまあ、確かにやったけど。
ていうか、ティトゥ。君、こんな話までエルヴィン王子にしてた訳?
本人は自慢話のつもりだったのかもしれないけど、こんなの全然自慢になんてならないからね。真っ当な感覚を持った社会人なら、むしろ人様に迷惑をおかけてスミマセンと思わなきゃいけない話だから。
(そう言えば・・・)
僕は不意に、以前に感じたイヤな感覚を思い出した。
エルヴィン王子から伝わって来る、この得体の知れない信頼感。
あの時の僕は、それを『ティトゥから感じるのと同じ物』だと思ったのである。
(ヤバい。この人、本当にティトゥと一緒だ。この目は、僕なら何でも出来ると、疑いもなく信じている目だ)
例えて言うなら、男版ティトゥ?
そしてどちらかと言えば意志も強くなく、状況に流されやすい僕という人間は、こういうグイグイ来るタイプとはあまり相性が良くないのである。
それはティトゥの例からも分かるだろう。
(マズイ。これ絶対にマズイって)
僕は助けを求めてティトゥに振り返った。
しかし僕の頼れるパートナーは、目を合わせてくれようともしない。
どうやらティトゥは、美人翻訳者として僕の言葉を翻訳する役目に徹するつもりのようだ。
そこには彼女の強い意思が感じられた。
いや、気持ちは分かるけど。面倒事に関わりたくないという気持ちは良く分かるけど。
『うん。それでどうかな、ハヤテ』
『ドラゴンよ、事は聖国とミロスラフ王国の友好にも関わって来る重要な問題だ。それを良く考えて発言をするように』
そして謎の圧をかけてくる大国のお偉いさん二人。
誰か、誰か助けて。
次回「上機嫌な王子」