その2 エルヴィン王子からの提案
帝国に入った僕達はそのまま進路を西に変更。海岸線に沿って飛行を続けた。
やがて前方に大きな入り江が見えて来る。
帝国艦隊の鎮守府(後方施設を含めた軍事港湾)、トルランカの港だ。
大きな湾の外に長く伸びた二本の岬。その先端部分を結ぶ海面では、所々で白い波が砕けている。
これはそこだけ海が浅くなっている――何か大きな物がその場所に存在している証拠である。
そう。この場所には聖国艦隊による海上封鎖の一環として、閉塞船が沈められているのだ。
『今日のところも帝国艦隊に動きはないようですわね』
ティトゥは帝国艦隊を見下ろして呟いた。
港にはまるで枯れ木の山ように船のマストが立ち並ぶだけで、帆で風を受けている船は一隻もない。
この世界の外洋船は、全てが帆船――風を動力として動いている船なので、帆がなければ動く事は出来ないのだ。
「港の出口は完全に聖国海軍に抑えられちゃってるからね。仮に強引に出航させたとしても、狭い湾内で速度も出せずにモタモタしている所を、あっという間に取り囲まれて袋叩きにあうだけなんじゃないかな」
そうなれば最悪、沈められて閉塞船の仲間入り。湾内の障害物がまた一つ増えるだけの結果になるかもしれないのだ。
敵の指揮官もそれを恐れているのか、彼らは泊地(港湾において船舶を停泊させる水域)とその背後に作られた町を守って動いていない。
エルヴィン王子の指揮する聖国海軍は、守りを固めた敵軍に無理に攻め込むような事をせず、周辺の村を襲撃して回ってこの町を孤立させようとしているようだ。
『なんだかじれったい作戦ですわね』
「仕方がないんじゃない? ヘタに追い詰めると、窮鼠と化すかもしれないし。それに地元が戦場になっている帝国なら、やろうと思えばどこからでも戦力を調達出来るけど、聖国側が戦力を補充しようと思ったら、海を越えて本国から兵士を連れて来なければならない訳だし。エルヴィン王子としても、少しでも味方に被害が出ない方法を取るしかなかったんじゃないかな」
正確にはエルヴィン王子が、というよりも、実際に艦隊を指揮している聖国艦隊の偉い人が、なんだろうけど。
所詮王子はお飾りの指揮官、とまでは言わないにしろ、軍事に関しては明らかに畑違い。日頃から訓練を積んでいる職業軍人に、知識や経験で敵うはずもないだろう。
そんなこんなで港の上を旋回しながら帝国軍の観察を続けていると、僕を見つけた兵士がこちらを見あげながら何かを叫んでいるのが見えた。
さすがにこの距離では彼らの声までは届かないが、慌てて物陰に身を隠している所からも、僕からの銃撃を恐れているのは明らかだった。
・・・そんな事する訳ないのに。
もし、僕が彼らの立場ならと考えると、十分に理解出来る反応なのだが、やはりこんな風に怖がられるのはあまり気分のいいものではないな。
『ハヤテ。帝国軍の偵察はもう十分ですわ。エルヴィン殿下に報告に行きましょう』
「・・・うん。そうだね」
僕の沈んだ気持ちを察したのだろう。ティトゥに優しく促されて、僕は翼を翻したのだった。
といった訳で、トルランカから少し街道を進んだ先にある大きな漁村。
エルヴィン王子率いる聖国艦隊は、この地を占拠して本部にしていた。
沖には外洋船が錨を下ろし、人や物資を乗せた小舟がせわしなく船と陸地の間を往復している。
ここでは先程のトルランカとは打って変わり、僕達は熱烈な歓迎を受けていた。
『ワアアアア! 竜 騎 士! 竜 騎 士!』
『姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士!』
兵士達の熱狂っぷりに、ティトゥは困り顔で僕を見下ろした。
いや、そんな目で見られても困るんだけど。
もう帰りたいですわと顔に書いてあるのは分かるけど、そんな訳にはいかないからね。
「ほら、ティトゥ。前を向いて。エルヴィン王子が来たよ。スマイル、スマイル」
『やあ、ナカジマ殿、ハヤテ。二人共スゴい人気だね』
気さくな雰囲気で笑顔を浮かべる細面の青年。
ランピーニ聖国の第一王子。エルヴィンである。
ティトゥは取り繕った笑顔でエルヴィン王子に挨拶を返した。
『ごきげんよう。エルヴィン殿下』
『ゴキゲンヨウ』
『『『しゃ、喋った!?』』』
歓声から一転、驚きの声が上がり、エルヴィン王子は楽しそうに、護衛の騎士達は困り顔になったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
報告の内容が内容なだけに、これほど大勢の兵士達の前で話すのは流石にはばかられる。
といった訳で、ティトゥはエルヴィン王子が宿泊している屋敷へと向かう流れとなった。
「まあ、屋敷と言っても、他の家よりはましといった程度の漁村の家なんだがね。あんなに立派な屋敷に住んでいるナカジマ殿を招待するには心苦しい場所だが、どうか勘弁して欲しい」
「オ、オホホホホ」
エルヴィン王子は以前にティトゥの屋敷に訪れた事があるので、粗末な家に案内されて気分を害するのではないかと心配したようだが、彼女は今の屋敷に引っ越す前には、コノ村の小さな村長宅で一年近くも生活を送っていた。
しかも元々コノ村は、アノ村の住人達が冬の間だけ生活するために用意していた仮の住居でしかない。
おそらくエルヴィン王子が案内してくれる家は、あの頃にティトゥが住んでいた家よりも大きくて立派なのではないだろうか。
それが分かっているティトゥは乾いた笑いを浮かべる事しか出来なかった。
ティトゥは騎士の手を借りて用意された馬に跨った。
実は彼女は馬に乗ったのは初めてだったが、良く躾けられた馬はブルルと一声鳴くとティトゥを背に乗せて歩き始めた。
「姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士!」
兵士達の歓声の中、ティトゥは馬から振り落とされまいと表情を固くしている。
「うん、上手いものだ。さすが日頃からハヤテに乗っているだけの事はあるよ」
「あ、ありがとうございますわ」
馬は騎士にひかれるまま、大人しく歩いている。騎士達は気性の良い馬を選んでくれたようだ。
最初は緊張していたティトゥも、そのうちに馬の動きに慣れ、周囲を見回す余裕が出て来た。
(・・・何だか、ものスゴく警戒されてますわ)
王子のすぐ後ろ。仏頂面で馬に揺られている青年の姿があった。
ティトゥは覚えていなかったが、彼はエルヴィン王子の補佐官のエドムンドである。
ちなみにエドムンドはナカジマ家の押しかけメイド、モニカの兄でもある。
その事からも分かるように、彼にとってティトゥとは、主君と妹が立場を忘れて追っかけになってしまうような推し。つい警戒してしまうのも仕方がないと言えた。
ティトゥが後ろを気にしているうちに、一行は目的地に到着した。
「ほら、あそこだよ。狭い家だが戦場で贅沢は言えないよね」
(やっぱりコノ村の私の家よりも大きいですわ!)
村の他の建物から薄々予想していた事ではあるが、やはりエルヴィン王子の住居はティトゥが住んでいた家よりも大きくて立派だった。
ティトゥは謎の敗北感を覚えながら馬から降りた。
「姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士!」
そして兵士達の声を背に受けながら、家の中へと案内されたのだった。
家にはエルヴィン王子を始め、艦隊の主だった将軍達も入って来た。
居並ぶ面々を前に、ティトゥは小叡智カルーラから聞かされた話を彼らに伝えた。
「チェルヌィフ軍がエミネク砦を落としたですと!?」
将軍達から大きなどよめきが上がった。
「信じられん! まさかエミネク砦が落ちる日が来るとは!」
「ウルバン将軍が更迭されたとは聞いていたが、まさか将軍がいなくなって一年程の間に、それほど砦の守備が弱体化していたとは」
驚きに沸き返る将軍達に、ティトゥは不思議そうに尋ねた。
「皆さんは海軍の方達ですわよね? 帝国の、それもチェルヌィフとの国境近くの砦の事をどうしてご存じなんですの?」
この素朴な疑問に、将軍達は苦笑しながら答えた。
「帝国が聖国艦隊を仮想敵と考えていたように、我々の方も帝国を仮想敵と考え、日頃から情報を集めていましたからな」
「左様。いかにチェルヌィフ側にあるとはいえ、帝国の最重要砦ですからな。軍人としては、このくらいの情報は当然知っていて然るべきと言えるでしょう」
なる程と納得するティトゥをよそに、エルヴィン王子は思案顔で呟いた。
「聖国の艦隊の方もそうだけど、想定していたよりも遥かに順調に事が進んでいる。これもハヤテの持つ力、ドラゴンが引き寄せる不思議な力によるものなのか・・・」
エルヴィン王子はしばらくの間、黙って自分の考えに沈んでいたが、不意に何かを決意した表情で顔を上げた。
そして次に彼の口から出たのはとんでもない提案だった。
「ナカジマ殿。今から僕をハヤテに乗せて帝都バージャントまで送り届けてくれないか? 僕は皇帝ヴラスチミルと差し向かいで話をしてみたい」
次回「男版ティトゥ」