その1 包囲網完成
ティトゥの屋敷のテントの中で、僕は操縦席に固定された黒い板――叡智の苔ことバラクの作ったスマホの子機でビデオ通話を行っていた。
「こっちは変わりないかな。そういや、ホマレの港にデンプションの(チェルヌィフで一番大きな港町。ハヤテ達が巨大オウムガイネドマと戦いを繰り広げた場所でもある。【第十二章 ティトゥの怪物退治編】より)大型商船がやって来たんだってさ。珍しい香辛料が大量に入荷されたってんで、王都やお隣のネライ領から商人達が大挙して押し寄せて来て大変だってオットーがぼやいていたよ」
スマホの画面に映っているのは、灰色の髪を長く伸ばした少女。
小叡智のカルーラである。
『商人は地獄耳。それはどこの国でも変わらない』
「チェルヌィフ人のカルーラが言うと妙に説得力があるね」
チェルヌィフは商人の国と言われているそうだ。どこの国に行っても大きな町には、大抵チェルヌィフ人が店を出しているらしい。
今まではそんな話を聞かされても、ただ漠然と『そういうものなのか』と思っていただけだったのだが――
「けど、これって良く考えると結構スゴい事だよね。ニュースやSNSのないこの世界で、チェルヌィフ人だけが商人を通じて、各地の情報を握っている事になる訳だし。そのうちこっちの世界版総合商社とかが生まれるんじゃないかな」
『にゅーす? そーごー何?』
カルーラは大して興味が無さそうに首を傾げた。
僕は水運商ギルドの本部長、やり手商人のジャネタお婆ちゃんの顔を思い出してちょっとだけ苦笑してしまった。
ジャネタお婆ちゃんなら、きっと今の話に嬉々として食い付いていたに違いない。
総合商社とは貿易商社の大型版。
しかしその事業内容は、単なる商品の売り買いを超え、企業への投資やプラントの開発、物流のインフラ構築等の多角的な事業までもこなしてしまうという。
「そういや総合商社って日本で生まれた独自のビジネスモデルだって聞いた事があったっけ。海外にはないシステムだから、英語でもそのまま”Sogo Shosha”と呼ばれているとか何とか」
『お待たせしましたわ』
テントの入り口が開くと、レッドピンクのゆるふわヘアーの美少女が現れた。
僕のパートナー、ナカジマ家当主のティトゥである。
「あれ? ファル子達は一緒じゃないんだ」
『あの子達ならカーチャが面倒を見ていますわ。と言っても、食事を終えた途端、すぐに寝床に戻ってしまいましたけど』
リトルドラゴンズのファル子とハヤブサは、この数日、妙に大人しくなっている。
特に体調が悪い訳ではなさそうなのだが、日頃はワンパクなファル子まで元気がないのはちょっと気にかかる。
本人達いわく、『少し体が怠いだけ』との事なので、今は静かに様子を見守っているのだが・・・。
それでいいのかって? だって仕方がないだろ。ファル子とハヤブサはこの世界に二人だけの本物のドラゴン(僕はなんちゃってドラゴンだから。本当は四式戦闘機で、ティトゥが勝手にドラゴン認定しているだけだから)。医者に診せようにも、ドラゴンの事を知っている医者なんてこの世にいないのである。
ティトゥは僕を見上げると、『それでどこまでカルーラから話を聞いたんですの?』と尋ねた。
「いや、全然。君が来るまで世間話をしてただけ。先に聞いても二度手間になるだけだろ?」
『それもそうですわね』
ティトゥは長いスカートをたくし上げると、手慣れた動きでヒラリと操縦席に乗り込んだ。
『カルーラごきげんよう。で? チェルヌィフ軍の方は順調ですの?』
「ええと、確か帝国の強力な砦に向けて攻撃を開始した所だったんだよね? エミネク砦だっけ?」
そう。カルーラはその報告をするために、僕に電話をして来たのだ。
確かにファル子達の事は気になるが、戦争には多くの人間の命が掛かっている。公私を混同しながら取り組んで良いものではないのだ。
僕とティトゥは固唾を飲んでカルーラの返事を待った。
『その戦いについて今朝、戦場から報せのハトが届いた。上手く砦を攻め落とせたみたい』
『うえっ!? もうですの!? 確か以前に話を聞いた時には、一ヶ月くらいはかかるんじゃないかって言ってましたわよね!?』
サラリと告げられた驚きの内容に、ティトゥの口から変な声が漏れた。
ていうか、エミネク砦は帝国における対チェルヌィフ戦の最重要拠点。常時敵の第一方面軍だか第二方面軍だかが守備のために張り付いていると聞いていたんだけど・・・
『それで合ってる。けど、こちらの予想以上に敵守備隊が弱体化していたみたい。一年前に指揮官が更迭されたけど、まだ後釜も決まっていなかったそう。それだけじゃなく、戦力そのものも大分引き抜かれてたみたい。減った分は新兵で水増しされてたって』
『それはまたお粗末な・・・帝国は随分とチェルヌィフの事を甘く見ていたんですのね』
帝国首脳部の見通しの甘さに、ティトゥは呆れ顔になった。
『こっちの方もベネセ家との戦いが長引いていたから、当分、戦いを挑んで来る余裕はないと高を括っていたのかも』
『それにしたって、大事な国境の部隊を指揮官も決めずに放置しておくなんて、いくらなんでも気が緩み過ぎですわ。元々の指揮官はどんな人だったんですの?』
『さあ? ミロスラフ王国に負けた責任を取らされて、軍から追放されたって聞いてるけど』
『この国に負けたって――あ~、あの時の』
「あーね。一昨年のあの戦争の指揮官だったのか」
僕とティトゥの間に微妙な空気が流れた。
一昨年の冬。帝国は五万の大軍で半島に侵攻を開始した。
隣国ゾルタを滅ぼし、次はいよいよ僕達の住むミロスラフ王国へと進軍を開始したのだが・・・色々あって、最終的には国境辺りで無事に追い返す事に成功したのだった。(第七章 新年戦争編 より)
「そうか。あの時の指揮官は、軍を辞めさせられちゃったんだ。こっちとしても負けられない戦いだったし、仕方がなかったと言えば仕方がなかったんだけど、何だかその指揮官に申し訳ない事をした気がするなあ」
『なんでハヤテが敵の指揮官なんかに気を使っているんですの?』
『ティトゥの言う通り。むしろいい気味だと思う』
見ず知らずの敵指揮官に同情する僕を、ティトゥとカルーラはバッサリ切り捨てた。
いやまあ、彼女達の反応の方が普通なのかもしれないけど。
けど、総指揮官といえば軍における最高キャリア。そんな偉い人が辞めざるを得ない原因を作った身とすれば、どうしても申し訳ない気分になってしまうというか、流石にティトゥ達のようには割り切れないかな。
『それでハレトニェート様(レフド叔父さんの事)はどう言ってるんですの? このまま帝国内まで攻め込むつもりなんですの?』
「ちょ、ティトゥ! 流石にそれはやりすぎだって!」
僕は慌ててティトゥの言葉を遮った。
この戦いは帝国を滅ぼすのが目的で始めた訳ではない。攻め込んだのはあくまでも手段。帝国皇帝ヴラスチミルに圧力をかけて、会談の席に引きずり出すのが本当の目的なのだ。
カルーラはコクリと頷いた。
『そう。その件について直接二人と話がしたいらしい』
『そういう事ですのね。その何とか砦まで行けばいいんですの?』
エミネク砦ね。しかしそうか。レフド叔父さんも予想外に上手く行っている事で、方針の練り直しを図りたいようだ。
『そうなる。地図を貸して貰ったけど――どう? ちゃんと見えてる?』
『もうちょっと近付けてくれません? あ、少しだけ右に。そうそう、その位置でしばらく動かさないで頂戴』
カルーラが国境近くの地図を広げると、ティトゥは急いでメモ用紙を引っ張り出してそれを書き写し始めた。
確かスマホにはビデオ通話を録画出来るアプリがあったはずだけど、バラクの子機には入っていないのかな?
まあ、ティトゥはこうやって地図を描くのが好きだから、余計な事を言う必要もないか。
ちなみに彼女がメモ用紙として使っているのは、港町ホマレのジトニーク商会で売られているわら半紙である。お値段一枚一ベルク(ベルクはこの国の通貨単位。一ベルク約五十円)。かつてヤラの妹カタリナが絵を描くのに使っていたアレである。(第十八章 港町ホマレ編 より)
ティトゥにも『木や布に描くよりも、随分書きやすくなりましたわ』と大変好評である。
「ねえティトゥ。だったら先にエルヴィン王子に連絡しておいた方がいいんじゃないかな? 聖国軍としてもチェルヌィフ軍に歩調を合わせる必要がある訳だし、彼個人としてもチェルヌィフ側の戦いがどうなったか、一刻も早く知りたいだろうし」
『それもそうですわね』
『それなら帝国の南に攻め込んでいるミロスラフ王国軍にも知らせてあげれば?』
『ミロスラフ王国軍ですの? ・・・まあ、確かにそうかもしれないけど、それって本当に必要なのかしら?』
カルーラからの提案に、ティトゥはあまり気乗りしない様子で眉をひそめた。
どうやら以前に行ったプレゼンの失敗で、ミロスラフ王国軍の将軍達に対しての苦手意識が、まだ彼女の中に残っているようである。(第二十二章 対策会議編 より)
とはいえ、今では作戦に協力してくれているのに、過去の感情を理由に情報を伝えないのでは誠意に欠ける。
そのくらいはティトゥにも分かっているのだろう。渋々といった感じではあるが納得してくれたようだ。
『写し終わりましたわ! カルーラ、もう下ろしていいですわよ!』
『・・・腕が棒になるかと思った』
カルーラは地図を下ろすと、辛そうに腕をさすった。
やっぱり録画の方が良かったのかも。なんかゴメンね。
それはさておき、今日の報告の結果、帝国の南はミロスラフ王国軍が、旧小ゾルタ北方貴族領を。同じく西は聖国海軍が海軍の本拠地トルランカの港を。東の拠点、エミネク砦をそれぞれ手に入れた事になる。
三国による帝国包囲網の完成である。
正確に言えば、どこも一先ず制圧したというだけで、もしも帝国軍が本腰を入れて奪還しに来れば、防衛し続けるのは困難なのかもしれない。
しかし、我々の狙いは恒久的に帝国領の一部を制圧し続ける事にあるのではない。
本当の狙いは相手を交渉のテーブルに着かせる事。
この包囲網は帝国皇帝ヴラスチミルにこちらの要求を呑ませるための脅し。交渉を有利に進めるためのカードでしかないのである。
本番はあくまでもこれから。帝国との交渉にある。
それを忘れてはいけないのだ。
この後、僕とティトゥは今日中に今の話をエルヴィン王子に伝えておくべく、聖国海軍が上陸しているトルランカの港を目指して飛び立った。
その空の上でも、ティトゥとカルーラはビデオ通話でたわいのない話を続けていた。
僕は念のためにティトゥに注意勧告をした。
「ねえティトゥ。本当は飛行機が飛ぶ時には通信機器は切っておくのがルールだからね。僕の場合は構わないけど、だからと言って他所でも同じ事をしちゃダメだよ」
『ハヤテは何を言っているんですの? 私がハヤテ以外に乗って空を飛ぶ機会なんてあり得ませんわ。それにバラクの子機はこれ一つきりじゃないですの』
そして呆れ顔の彼女からキレイな正論パンチを返されるのだった。
ごもっとも。
次回「エルヴィン王子からの提案」