エピローグ 厄災を呼ぶ赤い宝石
このお話で第二十三章も終わりとなります。
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ランピーニ聖国の聖王都から西へ向かう事数日。
この国では二番目に栄えている港町、レンドン。
ゴチャゴチャと雑多な建物が立ち並ぶ住宅地を、ヒョロリと背の高い青年が歩いていた。
ヒゲの剃り残しが目立つ顔に、櫛も通していない頭。履きくたびれた靴に、皺の寄った上着。不快に感じる程見苦しい訳ではないものの、自分の身だしなみにまるで注意を払わない性格である事が良く分かる。
彼は聖国の土木学者、ベンジャミン。
ベンジャミンは周囲を見回すと、手の中のメモに目を落とした。
「はて。この辺りに住んでいると聞いて来たんだが」
メモはこの辺りに住んでいる学者の家までの道順を記したものだった。最近知り合った学者仲間に書いて貰ったものである。
この辺りの地図のはずなのだが、どうやら彼がこの場所を訪れたのはかなり昔の話だったようだ。
さっきから目印として書かれている物や建物がことごとく消えていて、ベンジャミンは途方に暮れていた。
「さっぱり分からん。どうせ学者なんてみんなまともな人間じゃないと決まっているというのに、どうしてあの時の僕はそんな者の言葉をまともに信じて疑いすらしなかったのか」
自分もその学者の一人でありながら、中々に辛辣な言葉を吐くベンジャミン。
彼は五百年前の大災害について記された古文を探すために(理想を言えばそれについて調べている研究者を捜すために)、母国のランピーニ聖国へと戻っていた。
調査のために何人もの学者の間を渡り歩いた彼は、その間に研究者という人種がいかに一般常識を持っていないかを痛感させられていた。
「当然のように時間に遅れる。約束を忘れても全く悪びれない。金に疎いくせに初対面の人間にも平気で金をむしんする。本当に学者というのは、どこまでも身勝手でいい加減に出来た生き物だ」
もし、ティトゥが今の言葉を聞いていれば、「あなたがそれを言いますの!?」と呆れ返ったに違いない。
借金を作って聖国にいられなくなり、流れて来たミロスラフ王国でも気にせず借金を作っていた男が言っていいセリフとは思えないからである。
「そろそろ誰かに道を尋ねるべきか。だが僕はこの場所に知り合いはいないと来ている。それに無作為に選んだ人物が僕の目的地までの道順を知っているとは限らない。ふぅむ、これは悩ましい問題だ」
もし、ハヤテが今の言葉を聞いていれば、「悩ましいも何も、だったら何人かに聞けばいいだけなんじゃない? そのうち知ってる人が見つかるかもよ」と、当然のツッコミを入れたに違いない。
ベンジャミンは仕方なく、もう一度メモの道を最初から辿り直そうと振り返った。
彼が元来た場所に戻るために歩き始めたその時だった。
「あの、ひょっとしてあなたはミロスラフ王国から来たベネドナジークという学者なんじゃありませんか?」
ベネドナジークはベンジャミンの家名である。
驚いて振り返った彼の前には、柔らかな笑顔を浮かべた小太りの中年男性の姿があった。
ベンジャミンはイスに座るとようやく人心地ついた。
「この辺は道も複雑だから迷ったんじゃありませんか? どうぞ」
中年男性はベンジャミンの前にカップを置いた。
お湯に味付け程度に甘みのある果実酒を混ぜたものだった。
一口飲むと歩き疲れた体に染み渡るようで、あっという間に飲み干してしまった。
中年男性の名はエリクス。このレンドンで古代文字の研究をしている学者という事だった。
「実は昨日、知り合いからあなたに私の事を紹介したという連絡が来たんですよ。ならば今日あたり訪ねて来るんじゃないか思いまして、朝から時々、その窓から目の前の通りを観察していたんですよ。そうしたら何度も家の前を横切る人がいるじゃないですか。これはきっと件の人物に違いない。そう考えて確認しに向かった所、あなたを見つけたという訳でして」
理解出来る話のようでありながら、「今日あたり訪ねて来る」と決めつけていた所など、中々に思い込みの強い人物のようだ。
だがベンジャミンは、それよりも地図を書いてくれた学者が、事前に先方に連絡していた事に軽い驚きを感じていた。
(学者の中にも、普通に一般常識を持っている人間もいるんだな)
ベンジャミンは自分が学者仲間に対して抱いていた、身勝手でいい加減という認識を改めようと考えた。
しかし、どうせすぐにその事を忘れてしまうに違いない。彼自身が身勝手でいい加減な学者だからである。
エリクスはベンジャミンの向かいのイスに座った。
「それで私の研究について話が聞きたいとの事ですが」
「ええ。私が調べているのは、大ゾルタ帝国が大陸を支配する以前の物。旧文明の文字で、五百年前前後に書かれた物についてです」
エリクスは「五百年前ですか? ちょっと失礼」と立ち上がった。
ゴチャゴチャと物が積まれた部屋は、いかにも”研究者の部屋”といった感じで、どこに何があるのか分からない。
とはいえそこは研究者。一見無秩序に置かれているように見えても、本人にはどこに何があるのか分かっているに違いない。
「あれ? この辺にあると思ったんだが・・・。ちょっと待っててくださいね」
どうやら本当に無秩序に置かれているだけだったらしい。
エリクスはああでもない、こうでもないとあちこちの資料をひっくり返し始めた。
そのまま待たされる事数十分。ベンジャミンがそろそろ飲み物のお代わりでも頼もうかと迷い出した頃、ようやくエリクスは目当ての品を発見した。
「そうそう、コレだコレコレ。いやあ、お待たせしました」
何やら無駄にやり遂げた感を出しながら、エリクスは机の上に紙の束を紐でまとめた物を置いた。
彼は紐をほどくと、紙を一枚ずつ丁寧にめくって行った
「レンドンの西にはドラッテという大きな古い村があるんですが、これはそこの村長の家の蔵に残っていた古文書の写しと、それに私が注釈を入れた物となります。まあ、古文書と言っても、中身は村人にいくら貸したとか、どこの家に子供が生まれたかとか、小麦がいくら収穫されたかとかを記録した物なんですが・・・あった、これです。ここを見て下さい。ここには大陸から渡って来た者達を村に受け入れたとあります」
確かに。紙にはベンジャミンが読めない昔の文字の横にエリクスが翻訳したと思われる現代の文字で、言われたような言葉が書かれていた。
「これが書かれた時代は?」
「文章の一部に新言語の構文の特徴がみられる事から、大ゾルタ帝国後期から末期にかけて。おそらくホルストル帝の戴冠期ではないでしょうか?」
「暴帝ホルストルか。多くの民族が大ゾルタ帝国から離れるきっかけとなった時期と聞いている。その村に大陸から移民が流れて来ていても不思議ではないか」
エリクスは「随分とお詳しいですね」と感心の声を上げた。
ベンジャミンは何人もの古文学者の話を聞くうちに、今や駆け出しの歴史学者と言ってもいい程度の知識を蓄えていた。
「それでしたら詳しい説明は不要でしょう。おそらく、これが書かれたのはざっと四百年前といった所ですか」
「四百年前か、新し過ぎるな。僕が調べているのはそれよりも百年前。五百年前に大陸に何が起こったかについてなんだが」
確かにこの文書は歴史学的には貴重な資料なのかもしれないが、ベンジャミンが欲しいのはあくまでも五百年前の大災害についてである。
眉を曇らせるベンジャミンに、エリクスは「そう結論を急がずに」と紙の束をめくった。
「ここ! ここです! 私はここを見て欲しかったんですよ。内容から考えて、おそらく移民の長が語った話を当時の村長が記録した物ではないかと思います」
「・・・彼らの先祖が体験した大災害、だと」
ベンジャミンの目が驚きに見開かれた。
そう。彼は遂に探し求めていた物に――五百年前の大災害を体験した者の記録にたどり着いたのである。
正確に言えば、この記録はベンジャミンが求めていた物とはやや異なっていた。
当時の人間による記録ではなく、あくまでもその子孫、しかもそれを伝え聞いた第三者が残した記録だったからである。
当然、正確性はさほど期待出来ないだろう。しかし、初めて見つかった大災害についての記録に、ベンジャミンは心臓の鼓動が激しくなるのを感じていた。
(大災害は本当にあったのか! あ、いや、ドラゴンの話を信じていなかった訳ではないのだが・・・)
彼の目は文字の上を辿るが、古代文字の横にエリクスが覚書程度に現代語の単語を書いてある程度の物で、内容は全く頭に入って来ない。
ベンジャミンは目でエリクスに説明を求めた。
エリクスの説明によるとこうである。(カッコの中は彼による捕捉)
昔(おそらくこの文章が書かれた時代より百年前。五百年前の大災害時代と思われる)、(とある王国で)大きな血の(ように真っ赤な)宝石が見つかった。国王はそれを自分の物としたため、神の怒りを買い、王国は地面を埋め尽くす(程の無数の)化け物によって滅ぼされた。
ベンジャミンは予想外の情報に困惑した。
「地面を埋め尽くす程の無数の化け物? 大災害は爆発じゃないのか?」
「爆発ですか? ここにはそのようには書かれておりませんね」
どういう事だ? ベンジャミンは混乱する頭で考えた。
血のような赤い大きな宝石。これについては一応は心当たりがある。以前ティトゥがファル子とハヤブサは赤い大きな宝石から生まれたと言っていた事があるからだ。
「ハヤテ自身は記憶にないそうですが、自分も多分、赤い宝石から生まれたんじゃないかと言っていましたわ」
「はあ、そうなんですか」
その時は「ドラゴンというのは不思議な生き物なんだな」としか思わなかったが、彼にはここに書かれている血の宝石とドラゴン・ハヤテの話が全くの無関係とは思えなかった。
だが何らかの繋がりがあるとするなら、それは一体何なんだろうか?
彼は知らなかった。
赤い宝石と呼ばれている物が、ハヤテのような魔法生物を生み出す種のような存在である事を。
そして以前に叡智の苔が計算した結果、自身とハヤテを生み出した魔法生物の種の大きさは、直径一メートル程の大きさだったのではないかと予想していた事を。
更にはミュッリュニエミ帝国で見つかった魔法生物の種は、それを遥かに上回る、直径五メートル以上もの大きさであったという事を。
(どういう事かは分からないが、初めて手に入った大災害絡みの情報だ。先ずは急いで聖国王城に持ち帰らなければ)
今は国外で活動しているとはいえ、ベンジャミンにとって聖国は生まれ育った故郷である。ある意味国を第一に考えるのは当然であった。
そもそもハヤテにはこちらから連絡する手段がない。引き続きこの国に残って調査を続ける以上、何かを発見する度にミロスラフ王国まで戻っては時間のロスが大きすぎた。
その時ベンジャミンはエリクスがジッとこちらを見ている事に気付いた。
「・・・あの、すみません。私の話がお役に立てたのなら、いくらか融通して頂きたいのですが」
ちゃっかりしている、とは思わなかった。研究者は年中お金に困っているものだし、こんな古くて狭い家に住んでいる以上、彼の懐に余裕がないのは一目瞭然だったからである。
「勿論だとも。他にも何かないか探しておいてくれると助かるんだが」
ベンジャミンが渡した金は彼にとって十分に魅力的な報酬だったようだ。
エリクスはほくほく顔で以降の協力を約束してくれたのだった。
帝国に何やら不穏な気配が漂い出した所で、第二十三章は終わりとなります。
どうでしょう? 楽しんで頂けたでしょうか?
今回はハヤテが登場しない回が続いたので、読者の皆さんが不満に思っていないかドキドキしながら書いていました。
頂いた感想を読んだ感じでは、楽しんで貰えていたようなので良かったです。
それと今回は章の途中で出版社様から他作品(メス豚転生)の書籍化の話を頂いた事で、更新が滞りがちになってしまいました。
私はマルチタスクが苦手というか、一つの小説を書きながら、別の小説の事を考えるというのが出来ないタチなので。
続きを楽しみに待ってくれていた方には申し訳ありませんでした。
次の章は、他作品の執筆(『メス豚転生』の予定)がひと区切りつき次第、開始しますので、それまで気長にお待ちいただくか、私の他作品を読みながら待っていて頂ければと思います。
最後になりますが、いつもこの小説を読んで頂きありがとうございます。
まだブックマークと評価をされていない方がいましたら、どうかよろしくお願いします。
総合評価を上げてもっともっと多くの人に読んでもらいたいですから。
皆様からの感想も随時お待ちしております。