その25 災難の連続
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人の口には戸が立てられないと言う。
その言葉の通り、黒竜艦隊敗北の知らせは、その日のうちにたちまち帝国王城内を駆け巡った。
「それにしても信じられませんな、まさかあの黒竜艦隊が敗れるとは」
「あれは元々、聖国の技術者によって設計されたものと聞いております。所詮まがい物では本家には太刀打ちできないという事ですか」
「カルヴァーレ将軍ご自慢の艦隊も存外大した事はありませんでしたな」
「しっ。皆様声が大きいですぞ。どこで誰の耳に入るやら」
敗戦にショックを受けながらも、それでも他者に対しての当てこすりを忘れないのは、いかにも彼ら宮廷貴族らしいといった所か。
自国の領海内に他国の艦隊の侵入を許している割には、まるで他人事のような会話だが、彼らにとっては政争こそが真に重要な事であり、王城内の派閥争いこそが価値観の全て。
外の出来事は行ってしまえばただの変数、あるいは要因の一つに過ぎないのだろう。
おそらく彼らは帝都が敵の軍勢に囲まれるその日まで、本当の意味で国家存亡の危機を感じる事はないのではないだろうか。
夜中。王城の奥の会議室。
現実感希薄な貴族達とは対照的に、国の軍部を司る将軍達は敗戦の知らせに色めき出っていた。
なにしろ黒竜艦隊は来たるべき聖国戦に備えて密かに準備されていた、いわば対聖国の切り札なのである。
その黒竜艦隊が敗北したばかりか、敵艦隊の侵入まで許してしまったという。
国防を担う立場として、急ぎ何らかの対策を講じる必要があった。
「それで? 敵艦隊は今、どうしている?」
カルヴァーレ将軍は感情の読み取れない声で部下に問いただした。
「はっ! 黒竜艦隊を追ってトルランカに現れた敵艦隊は、湾の出入り口を囲む形で投錨。その後、周辺の土地に上陸部隊を送り込んでいる模様です」
「バカめ! なぜ事前に港の周囲の守りを固めていなかったのだ! 敵軍を止められる者は誰もいなかったのか!?」
どこかで酒を飲んでいた所に呼び出しを受けたのだろう。赤ら顔の将軍が報告を読み上げていた部下に噛みついた。
部下は困り顔でチラリとカルヴァーレ将軍の顔色を窺った。
「その・・・敵から攻め込まれる事は考慮されていなかったもので」
トルランカの防衛予算を出さなかったのは、軍部のトップに立つカルヴァーレ将軍である。
聖国の方からこちらに宣戦布告をして来る可能性は低い、ならば予算は他の部署に回すべきだとの判断だったのだが・・・結果としてはご覧の通りである。
赤ら顔の将軍も、流石にマズい事を言ったと判断出来る程度には酔いが回っていなかったようだ。
気まずそうな顔で黙り込んだ。
代わって生真面目そうな将軍が発言した。
「黒竜艦隊は動けないのか? 損害は大した事はなかったと聞いているが」
黒竜艦隊の被害は、重戦闘艦と呼ばれる大型艦が二隻沈没。小型艦は四隻が航行不能な損傷を受け、そのまま戦場に放棄されている。
知っての通り、沈没した二隻の大型艦は、火壺に帆を焼かれて漂流していた所を、ハヤテの250キロ爆弾による据物斬りを受けたものである。
四隻の小型艦は、ハヤテの攻撃でパニックに陥った乗員達が操船を誤り、衝突して沈んだものとなる。
ちなみにカルリア河口を巡ってミロスラフ王国軍と争った時、ハヤテが沈めた大型輸送船。黒竜艦隊はそれと同型の船を、後、二隻保有しているが、そちらは今回、最初から艦隊戦になるのが分かっていたため、港に残して行ったおかげで被害は受けていない。
「港から出ようにも、湾内の出入り口を聖国艦隊に封鎖されていますので」
狭い湾内で密集して動いている所を、敵の秘密兵器――火壺にでも狙われたら、今度こそひとたまりもない。
バルトルン艦長は船から帆などの燃えやすい物を降ろさせると、代わりに町の防衛用のバリスタを運び入れ、聖国船がこれ以上近付けないように防衛の構えを敷いていた。
「トルランカの町と船を守るので精一杯か。それも仕方がないのかもしれんが」
「そうですな。今は下手に負けを取り返そうと焦って打って出られるよりも、堅実に守りを固めておいて貰った方が、こちらとしても救援の目途が立ち易いのではないでしょうか?」
報告をしていた部下は、将軍達が理解を示してくれた事に内心でホッと安堵の息を吐いた。
実は聖国艦隊に打って出ようにも、黒竜艦隊の乗組員達はすっかりハヤテに恐れをなし、誰も戦いたがらなかったのである。
この艦隊は呪われている。出航したらまたあの化け物が飛んで来て、今度こそ全員やられてしまうに違いない。
そんな根も葉もない恐怖に取り付かれ、彼らは誰も船に近寄りたがらなかった。
恐怖心が生み出した虚構。理不尽な妄言だと切り捨てるには、彼らが受けたショックはあまりに大きすぎた。
実際、ハヤテ達竜 騎 士が理不尽な存在なのは間違いない。
そういった意味では、あながち根も葉もないものでもないのかもしれない。
艦隊の防衛も、バルトルン艦長達幹部が兵士達をなだめすかし、「これは敵を近付けさせないのが目的で、自ら出航して打って出るようなマネは絶対にしない」と説得した事で、ようやく実現させたのである。
こうして話し合いは実務的な内容に移った。
「それでは救援の部隊の編成ですが」
「トルランカの港の部隊が無事だと考えると、五千もあれば十分なのではないか?」
「数の方はともかく、問題は敵が船で来ているという点にあるでしょう。こちらが攻撃を仕掛ければ、敵は船の中に逃げ込んで別の場所に移動するだけでしょう。そうなれば後はいたちごっこ。水の上を行く船をどうやって陸から追いかければ良いのか」
「そんな時こそ黒竜艦隊の出番なのではないか? 指揮官のバルトルン艦長も汚名をすすぐ機会を待ち望んでいるに違いない」
カルヴァーレ将軍は黙ったまま、彼らの話に耳を傾けている。
やがて会議室横の小さな扉――控えの間に続いているドアが開き、部下が慌てた様子でカルヴァーレ将軍へと駆け寄った。
カルヴァーレ将軍の目が驚愕に見開かれる。
「何!? 構わん! その者を急いでここに通せ!」
「はっ」
将軍達が何事かと見守る中、若い騎士が部屋の中に通された。
余程急いで馬を飛ばして来たのだろう。疲労のあまり足取りは頼りなく揺れ、着衣にはこびりついた土が乾いて白くなっている。
騎士はカルヴァーレ将軍の前に立つと、踵を打ち鳴らした。
「至急、ご報告いたします! チェルヌィフ王朝の軍、約二万がブラフタ平原の砦から出発! 我が国に侵入致しました!」
「「「なっ!」」」
将軍達は驚愕の内容に思わず言葉を失った。
大陸一の大国、チェルヌィフ王朝の軍が国境を越え、自国に進軍を開始したというのである。
チェルヌィフ王朝軍動く。
総指揮官はレフド・ハレトニェート。柔軟な用兵を特徴とする、若くして名将の誉れ高い優秀な指揮官である。
「敵軍は街道を西に進みながら近隣の村々を襲撃。現在、我々東軍は敵を迎え撃つべく、街道の要害、エミネクの砦に集結中であります! 帝都からも至急、応援を寄こして頂きたく――」
「ま、待て! 待つのだ! そ、それは本当にチェルヌィフ王朝の軍で間違いないのだな!?」
騎士は、何を今更、とでも言いたげな表情を浮かべた。
将軍達が衝撃を受けている理由。それはチェルヌィフ側から攻めて来た点にあった。
チェルヌィフ王朝は国家の主権たる王家が途絶えたまま、未だ存続しているという珍しい国体を持つ国家である。
国の運営は、最も力のある六つの部族、いわゆる六大部族が持ち回りで行っている。
そういった政治形態を持つ関係上、どうしても現状維持に傾く傾向が強い。
実際、帝国と王朝の戦争でも、いつも仕掛けるのは帝国で、王朝側から攻め込んだ例はほとんどない。
力はあるが野心はない国家。それが帝国人のチェルヌィフ王朝という国に持っているイメージなのである。
そのチェルヌィフ王朝が国境を越えて軍を進めているという。
将軍達がにわかに信じられずにいたのも当然であった。
もしもハヤテがこの場にいれば、「なにそれ? 今まで散々、自分達の方から攻め込んでおきながら、相手から攻め込まれたらビックリするとか。どれだけ自分勝手な思考をしている訳?」と呆れたかもしれない。
将軍達はカルヴァーレ将軍に振り返った。
「閣下。チェルヌィフ王朝からの宣戦布告は?」
「・・・そのような通告は受けていない」
「ならば一体なぜ?」
なぜも何も、過去に帝国からチェルヌィフに攻め込んだ時は、大抵、宣戦布告のないだまし討ちだった。
チェルヌィフ側の指揮官のレフドとしては、相手に同じ事をやり返しているだけで、その事自体に特に他意はなかった。
帝国相手なら別に宣戦布告などする必要はない。そう考えていきなり軍を進めただけの事である。
「と、とにかく、急いで援軍を送らねば」
東軍の元々の指揮官はウルバン将軍――カルヴァーレ将軍のかつてのライバルだった優秀な指揮官である。
今では半島遠征の失敗の責任を取らされて解任させられ、東軍自体も近年、大きく予算が削られて弱体化の一途をたどっていた。
弱体化している上に優秀な指揮官まで失った東軍が、名将レフド・ハレトニェートに率いられたチェルヌィフ軍にどこまで抵抗出来るかは怪しい所である。
「聖国軍に続いてチェルヌィフ軍もか。どうしてこうまで災難が重なるのか」
誰かの漏らした愚痴がここにいる全員の気持ちを言い表していた。
ちなみに他国の軍で言えば、最初に攻め込んだのはミロスラフ王国なのだが、その事実は彼らの頭からはスッポリ抜け落ちていた。
それだけミロスラフ王国が取るに足らない小国という事もあるが、それ程までにチェルヌィフ軍が彼らに与えた衝撃は大きかったのである。
しかし彼らの災難はこれだけでは終わらなかった。
「なんだ? また地震か? 最近、妙に多くないか?」
「お、おい、これは大きいぞ! みんな気を付けろ!」
その夜、大きな揺れが帝都を襲った。
とはいえ、震度で言えば大体3。日本なら特に問題にもならない程度の揺れである。
しかし、最近まで全く地震のなかった帝都に住む民にとって、その揺れは恐怖を感じるに十分なものだった。
地震がなかったという事は、建物を建てる時に耐震構造を考慮する必要もなかったという事である。
町のあちこちで強度の低い建物が崩れ、深夜にもかかわらず帝都は大騒ぎとなった。
そんな大変な夜が明けて翌日早朝。
火急の知らせが王城に届いた。
報告者はカルヴァーレ領の代官。
昨夜領地を襲った地震で、皇帝ヴラスチミルが滞在しているヴラス=ベリオ館が倒壊。
現在も館は激しい炎に包まれ、皇帝の安否は不明というものであった。
この章も残り二話となります。
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