その24 据物斬り
島影もない一面の大海原に立ち上る一筋の黒い煙。
その煙を目指してから一分もしないうちに、僕達は船団を発見していた。
「ティトゥ、あそこを見て!」
『ええ。聖国軍の船と帝国軍の船が戦っていますわ』
どうやら帝国海軍は聖国艦隊の情報を事前に掴んでいたらしい。
予想される航路上で網を張って待ち構えていたようだ。
両軍の船は入り乱れ、正に戦闘の真っ最中となっていた。
ティトゥは戦況を見て表情を固くした。
『帝国軍の船の方が数が多いように見えますわ』
確かに。
約二倍程だろうか? ティトゥの指摘通り、船の数では帝国軍が圧倒している。
ただし、大型艦の数は若干、聖国側の方が多く見える。それもあって聖国艦隊はどうにか戦えているようだ。
しかし予断を許さない状況にあるのは間違いない。
今も十隻程の聖国船が倍以上の数の敵小型船に囲まれているのが見えた。
『ハヤテ、どうするんですの?』
ティトゥの目がチラリと横に――僕の翼に向けられる。
彼女が翼下に懸架されている250キロ爆弾を使って欲しいと考えている事は明白だ。
「爆弾ならダメだよ。相手の数が多過ぎるからね。一隻や二隻を沈めた所で事態が変わるとは思えない」
250キロ爆弾は左右の翼に一発ずつ。計二発しかない。
三十隻近くもいる敵小型船に対して、その程度の数では正に焼け石に水である。
『だったらどうするんですの? このままだと味方の船が沈められてしまいますわ』
ティトゥは焦りの表情で訴えた。
それは確かにその通りなんだけど・・・。だからと言って僕の最大の武器を安易に使い切るのは躊躇われる。使うなら出来る限り効果が見込める使い方をしたい所だ。
僕はもう一度戦場を観察した。
すぐ真下では先程も説明した通り、十隻程の聖国船が倍以上の数の敵小型船に取り囲まれている。
更にはずっと北にも四十隻程の船団が。
こちらは全てが大型艦で構成されている事から、おそらく旗艦を中心とした主力同士の争いが行われているのだろう。
二発の爆弾で最大の戦果を上げるなら、あちらの戦いに手を貸すべきか?
しかし、それだと真下の味方を見捨てる事になってしまう。どう見ても敵に取り囲まれているこちらの方こそ火急だと言えるだろう。
ティトゥは緊張の面持ちで僕の返事を待っている。
慌てるな。慌てるな、僕。焦って取り返しのつかない事になったらどうする。
再度、眼下の聖国船を落ち着いて見直すと、船員達が白い歯を見せながらこちらに嬉しそうに手を振っているのが見えた。
あ、あれ? 意外と余裕があるのかな?
逆に帝国軍の船の方が僕の姿に動揺を隠せないようだ。今も隊列が乱れ、仲間同士慌てて追突を回避している姿が見える。
更に彼らの進路先にあるのは・・・
「あれだ! ティトゥ、あの船を狙うよ!」
『あの船って、あれは・・・何か良い考えがあるんですのね。りょーかい、ですわ。行って頂戴、ハヤテ!』
ティトゥは一瞬怪訝な表情を浮かべたが、直ぐに頷くと素早く安全バンドで体を固定した。
良い考えかどうかは分からないけど、ダメで元々。今は帝国軍の兵士の間に広まっているであろう僕の悪名に賭けるしかない。
僕は翼を翻すと、船団の進行方向の先へと――漂流中の敵大型船へと爆撃進路を取ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
海上は大きな歓声と悲鳴に包まれていた。
歓声は聖国船の、悲鳴は帝国船の、それぞれの船の乗組員達が上げている声である。
「あれがミロスラフ王国のドラゴンか・・・」
聖国船の若い貴族の青年が呟いた。開戦早々に抜け駆けの功名に走った、アラーニャ艦隊の艦長である。
聖国海軍騎士団でミロスラフ王国のドラゴンを知らない者は誰もいない。彼らは一昨年、マリエッタ王女の指揮下で海賊相手にハヤテ達と共に戦い、その並外れた能力を目の当たりにしている。
アラーニャ艦隊の乗組員達は誰もドラゴンを見た者はいないが、その噂だけは知っていた。
「艦長! 敵船団の包囲網に乱れが生じています!」
部下の声に振り向くと、確かに。あれだけ統率されていた敵船団に隙が出来ている。ハヤテの登場に動揺した船が隊列を乱したようだ。
ちなみに今、声を掛けたのは、この戦いが始まる前に艦長を諫めて船室に拘束されていた例の慎重派の部下である。
ギリギリの戦いに戦力を遊ばせておく余裕がなくなった事で、現場に復帰したようだ。
それはさておき、これは包囲から抜け出す絶好のチャンスである。
青年艦長は目を皿のようにして敵の守りが薄くなっている場所を探した。
「見ろ! ドラゴンが!」
誰かの声と同時に、ヴーン! ハヤテが唸り声を上げながら急降下を開始した。
進路の先にあるのは、黒竜艦隊の大型艦。
火壺の攻撃を受けて帆が焼け落ち、乗組員が全員退艦して漂流中の、敵の元旗艦だった。
青年艦長は思わず不満顔になった。
「ドラゴンは何を考えているんだ?」
あんな誰もいない船に襲い掛かるくらいなら、この船の周りにいる敵船を攻撃してくれればいいのに。
彼がそう続けようとしたその時だった。ハヤテの翼から黒い小さな塊が離れると、糸を引くように無人の敵艦へと吸い込まれて行った。
ドーン!
腹に響く轟音。そして敵艦の中央にパッと大きな煙が立ち上った。
「なっ・・・!」
一体何が起きたかと目を見張る艦長。やがてギシギシと不気味な軋み音を立てながら、船が大きく傾いて行った。
「船が傾いている? ま、まさかこのまま沈むというのか? バカな。この艦に匹敵するサイズの外洋船だぞ。ドラゴンはたった一度の攻撃で、しかも甲板に放った攻撃で、一気に船底までぶち抜いたというのか!? そんなのは信じられない」
彼が信じようと信じられまいと、目の前の現実が消える訳ではない。
ハヤテは進路を変えると急上昇。今度はもう一隻の漂流船。黒竜艦隊の二番艦へと向かった。
「まさか、それも一撃で沈めてしまう気か? そんな事はあり得ない。そんな事が出来るはずがない」
艦長の気持ちは分かる。
今の攻撃だけだと偶然という事も考えられるからである。
たまたま損傷が大きくて沈みかけていた船に、最後に一押しをしただけ。ドラゴンの攻撃はきっかけを与えただけで、遠からず沈んでいた。そう考える事も出来る。
しかし、二隻連続となるとそうはいかない。流石に偶然が重なっただけと考えるのには無理がある。
では偶然でなければどう考えればいいのか?
「ドラゴンは大型の外洋船をたったの一撃で沈める事が出来る。つまりは我々の乗っているこの船も。ドラゴンにとっては小船だろうと大型船だろうと同じ。そういう事だというのか」
艦長が固唾をのんで見守っているその先で、白い煙が上がった
ドーン!
今度は距離があったせいだろう。船に白い煙が上がったのが見えた後、少し遅れて爆発音が轟いた。
「ワアアアアアッ!」
「ああ・・・沈んで行く・・・そんな・・・バカな」
ドラゴンの活躍に歓声を上げる船員達。
そんな中、艦長を含めた幹部だけが、傾いて行く船の姿を自分達の立場に置き換え、顔色を悪くしている。
ハヤテは自分の戦果を確認するように船の上空を何度か回ると、フラリとこちらに機首を向けた。
「うわあああああっ!」
今度の声は敵の小型船から。しかも歓声ではなく悲鳴が上がった。
今のハヤテの攻撃は動かない船を、いわば据物斬りのような形で攻撃しただけだったのだが、その威力は船員達の(特に小型船に配属されたばかりの新兵達の)度肝を抜いた。
大型船を一撃で沈めるような化け物に、空から狙われて平静でいられるはずはない。
各船は我先にと算を乱して逃げ出した。
そんな彼らの頭を踏みつけるように、ハヤテは悠々と船団の上を飛び越えた。
「うわあああああっ!」
もはや群れの指揮官が何を指示しようと無駄である。
信号旗や手旗信号ではパニックに陥った味方の船を押しとどめる事は出来なかった。
「か、艦長」
「ああ、今のうちに味方の艦隊に合流するぞ」
こうして窮地を乗り越えた聖国船団は、味方の艦隊に合流。再びその隊列に加わった。
しかし、敵黒竜艦隊の船員達は既に戦う気力を失っていた。
あんなデタラメな力を持った化け物を相手に、どう戦えと言うのか。
実際はハヤテの250キロ爆弾は二発で打ち止め。後は二十ミリ機関砲による反復攻撃しか残っていなかったのだが、当然ながら黒竜艦隊側はその事を知らなかった。
つまり彼らはハヤテ渾身のハッタリにまんまと引っかかってしまったのである。
やがて新たに旗艦となった船に後退を指示する信号旗が掲げられた。
黒竜艦隊は母港であるトルランカの港へと撤退したのだった。
こうして大陸史上初の本格的な艦隊戦、カルシーク海海戦は聖国艦隊の勝利という結果で幕を閉じた。
被害は黒竜艦隊側は大型艦二隻沈没。小型船に多数の損傷と負傷者数十人。
聖国艦隊側は艦艇にこそ被害はなかったものの、敵小型船に囲まれていた船の乗組員に多数の負傷者を出したのだった。
次回「災難の連続」