その22 燃える艦隊
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黒竜艦隊の旗艦は喧騒に包まれていた。
「落ち着いて火を消すんだ! 帆に燃え移ったらおしまいだぞ!」
「ギャアアアアア!」
運悪く足元に火壺が落ちた兵士が火だるまになって絶叫する。
副長は目の前の光景が理解出来ず、愕然としたまま立ち尽くしていた。
「副長! おい! しっかりしろ、副長!」
「ハッ! か、艦長。も、申し訳ありません、つい取り乱しておりました。お前達、ポンプだ! 消火ポンプを使え! 急げ!」
副長の指示で兵士達が木製の手押し式消火ポンプに取り付いた。
兵士が舷側から布製のホースを海に投げ入れると、二人の兵士がポンプから伸びた横木を上下に動かす。
「だ、ダメだ! 敵が火を付ける勢いの方が早い!」
「火に布を被せろ! 空気を遮ぎるんだ!」
「バカ、よせ! そんな事でこの火が消えるか!」
「うわあ! 俺の服に火が! た、頼む、誰か消してくれ!」
兵士達の悲鳴が上がる中、聖国旗艦からは次々と火壺が投げ込まれる。
あっという間に船上は炎に包まれた。
やがて船員達の抵抗も虚しく、火はメインマストの帆に燃え移った。
見張り台の上の兵士が、慌ててロープを伝って逃げ出すのが見える。
「ああっ! お、俺達の船が!」
「どうしてこんな事に。黒竜艦隊は最強の――大陸一の無敵の艦隊だったはずなのに」
船員達は煤だらけになった真っ黒な顔で、帆が焼け落ちていくのをただ呆然と見上げていた。
消火ポンプを操作している兵士だけは、顔を真っ赤にしながら横木を全力で押しているが、水の勢いは悲しい程に貧弱で、火を消し止めるどころか勢いを弱める事すら出来なかった。
いつの間にか聖国船からの攻撃は止んでいたが、誰もその事に気付いていなかった。
聖国船の船団は、帆を焼かれて動力を失った敵旗艦を戦力外とみなして放置。敵二番艦へと攻撃の矛先を移していたのである。
船上でおそらくただ一人、その様子を観察していたバルトルン艦長は、急いで副長に振り返った。
「副長。それでこれからどうするのだ?」
「ど、どうするとは、どういう事でしょうか?」
「呆けている場合か! 味方の船はまだ戦っているのだぞ! お前には指揮官としての責務を全うす――」
「「「うわあああああ!」」」
遠くから聞こえて来る悲鳴に思わず振り向くと、味方の船から大きな炎が上がっているのが見えた。
聖国旗艦の例の攻撃にやられたのである。
「ああ・・・」
外から見れば良く分かる。あの勢いはどうしようもない。
いくら黒竜艦隊が燃えにくいように船体に瀝青(天然のアスファルト)を塗っているといっても、木で造られているのは変えようもない。
それにあれだけ矢継ぎ早に火をつけられてしまっては、人力で消し止めるのは不可能だ。
それこそ甲板にズラリと消火ポンプを並べていればどうにかなるのかもしれないが、常識的に考えてそんな船などはない。
そのような船は最早、戦闘艦とは呼べないだろう。
バルトルン艦長は悔しそうに呟いた。
「――この有様。つまりは完全に聖国にしてやられたという訳だな。我々が対聖国戦の切り札として黒竜艦隊を作り出したように、聖国も対黒竜艦隊の切り札としてあの武器を作っていたのであろうな」
副長は黙って艦長の言葉を聞いている。
「これは俺の不覚、情報部の落ち度だ。副長、済まなかった」
あの武器が黒竜艦隊との戦いを想定して考案、開発したものであるのは間違いない。
問題は帝国の情報部が、事前にその情報を微塵も掴めていなかった点にある。
そう。聖国は帝国の誇る情報部から、完全にあの兵器の事を隠蔽してのけたのである。
真に恐るべきは聖国王家の防諜力か。
バルトルン艦長は自分が艦隊を指揮する能力を持っていない事を知っていた。なので実際の艦隊運用は副長に一任する事にし、自分は彼のサポート役として少しでも勝率を高めるために尽力して来たつもりだった。
「それがどうだ。俺は専門分野である諜報戦で、聖国の後れを取ってしまった。その結果がこの始末だ。本当に不甲斐ない」
バルトルン艦長は力無く顔を伏せた。
ちなみにご存じの通り、火壺はエルヴィン王子がティトゥの話を聞いて興味本位で譲ってもらったものであって、黒竜艦隊の切り札として開発された訳でもなんでもない。
帝国の情報部が情報を掴んでいなかったのも、ある意味当然なのである。
今回の戦いに持ち込まれたのも、王子の気まぐれ。そもそもが完全にイレギュラーな存在だったのである。
全てはバルトルン艦長の聖国王家に対しての買い被りなのだが、この場にその間違いを正せる者は誰もいなかった。
「いえ、艦長。不甲斐ないのは私の方です」
副長は小さくかぶりを振った。
「全ては私の力不足によるもの。私の心の弱さが招いた結果。艦長がそのように責任を感じる必要はありません」
聖国艦隊の旗艦がこちらに船を寄せて来た時。副長は「しめた!」と喜んでしまった。
今思い出してみれば、あの時バルトルン艦長は「副長! これは?!」と確認をしていた。
艦長は相手がこのような動きをする以上、敵指揮官に何か狙いがあるのではないかと警戒したのだ。
「それなのに自分は、艦長の質問の意図にまるで気付いていませんでした。それどころか、ようやく敵が音を上げてくれたかと、気が緩んでしまう始末。本当に情けない。自分は今までハイネス艦長の下で一体何を学んで来たのか」
副長はそう言って自分を責めたが、流石にそれは自分に対して厳し過ぎるだろう。
それでもあえて彼がミスをした点を挙げるとするのであれば、自らが舵を取り、旗艦の操船を行った事にこそあるのではないだろうか?
この戦いにかける意気込みは分かるが、艦隊の指揮に加えて船の操縦にまで手を出したのは流石にやり過ぎである。
そのプレッシャーが精神の疲弊を誘い、ギリギリの場面での判断力を奪い、弱気に流れる原因を作ってしまったものと思われる。
「副長。味方の船がこちらの指示を求めていますが」
船員の声に顔を上げると、いつの間にか火は消し止められていた。
焼け跡は目につくものの、思っていたよりも被害は大きくないようだ。とはいえ、メインマストの帆が焼け落ちている以上、少なくともこの戦いではもう役に立たないだろう。
右舷には味方の船が一隻。どうやら艦隊から外れてこちらの救助に来てくれたようだ。
船員達が慌ただしくボートの準備をしているのが見えた。
副長はこちらを見ている部下達に振り返った。
「これより我々は右舷の船に移動する! 以降、作戦の指揮はあの船で行うものとする! 総員、退艦の準備にかかれ!」
「「「おおっ!」」」
「無事なボートにはケガ人を優先的に乗せろ! そっちの焦げてるボートには元気なヤツらが乗れ!」
「どうせ船はすぐそこだ! 泳げる者は自力で泳いで行け! 急げ!」
キビキビと動く船員達を見て、そして彼らの熱気を肌で感じているうちに、副長は消えかけていた闘志が再び心に湧き上がって来るのを感じていた。
(部下達はまだ諦めていない。そうとも。この船は焼かれてしまったが、我々はまだ負けた訳ではないのだ)
バルトルン艦長は後方の艦艇を見ながら呟いた。
「副長。気付いているか? 敵の旗艦は例の武器をもう使ってはいないぞ」
「なんですって!?」
慌てて振り返ると、黒い煙を上げている二番艦が目に入った。
一瞬、副長の胸に忸怩たる思いが浮かぶ。
しかし、その気持ちを抑えて良く見てみると、どうやらあちらも火は消し止めているらしい。ただし、この船と同じように帆は焼け落ち、動力を失って漂流している。
目に入る範囲でやられているのはその船だけ。
バルトルン艦長の言うように、聖国艦隊はあの兵器の使用を止めてしまったようである。
「あれ程有効な兵器を使用するのを止める理由はない。おそらく数を用意する事が出来なかったのか、あるいは何らかの理由でもう使う事が出来なくなってしまったかのどちらかではないだろうか」
「そうか。だが、もしそうだとするなら・・・」
確かに重戦闘艦を二隻も失ったのは痛手である。
しかし、幸い船員に死傷者は少ない。聖国艦隊の切り札は見た目こそ派手だが、殺傷力は意外と高くはない。
そしてこれ以上は使えないようであるのなら・・・
ならばまだだ。まだここから逆転の目は十分にあり得る。
副長の目に力が宿った。
そんな彼の肩をバルトルン艦長が掴んだ。
「その顔。何か勝算を見つけたようだな」
「はい。ご心配をおかけしました。今度こそは聖国艦隊の好きにはさせません」
「良く言った。おおい、そこのボート! まだ出すな! 俺達も乗せろ!」
バルトルン艦長は副長の腕を引っ張ると、ボートに下ろされた縄梯子に駆け寄った。
ボートには既に定員を超える人数が乗っていたが、兵士達は無理やり席を詰めて二人が座る場所を作った。
「人数が多い! 横波に気を付けろ! ソーレ! ソーレ!」
男達がオールを漕ぐとボートはゆっくりと進み始めた。
狭いボートの中で副長は自分の行動を振り返っていた。
(今までの自分はハイネス艦長の立てた作戦にこだわり過ぎていた。いや、縋っていたと言ってもいい。だが今、この黒竜艦隊を指揮しているのは、ここにいないハイネス艦長ではない。自分とバルトルン艦長なのだ)
その事実を自覚した時、副長は目の前が開かれたような気がした。
あるいは自分はこの戦いで指揮官として一皮剥けたのかもしれない。そんな風にも思った。
(だが全ては戦いを終え、生きて帰った後での話だ。先ずはこの戦いに勝つ事を考えねば)
副長が決意を新たにしたその時だった。遠くで「おおおおっ!」という大きなどよめきが上がった。
今度は一体なんなんだ、と疑問に思う間もなく、ボートを漕いでいた兵士達の手が止まると、全員が驚愕の表情で空の一点を見上げた。
「まさか・・・なんで・・・なんであの化け物がこんな所に・・・」
「最悪だ・・・」
絶望が男達の心を支配した。
副長も燃えかけていた闘志がたちまち萎えて行くのを感じていた。
「ミロスラフ王国の、ドラゴン・・・」
そうそれは彼らにとっての凶兆。敗北を運ぶ忌まわしき翼。
四式戦闘機・疾風。
この世界ではミロスラフ王国のドラゴン、ハヤテとして知られている存在の姿だった。
ハヤテはキラリと陽光を翼に反射させると、次第にその姿を大きくしていった。
次回「現地視察」