その21 奥の手
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黒竜艦隊の創設者ハイネス艦長が、聖国艦隊との戦いに向けて編み出した”狼作戦”。
狼の狩りになぞらえたその作戦は、艦隊の主力で敵を追い回し、付いて行けなくなった船を群れと呼ばれる補助艦の小集団で取り囲み、各個撃破を図るというものだった。
「聖国船はまだ落とせないのか」
群れの一つを指揮する艦長は、苛立ちをにじませながら敵艦を睨み付けた。
副長が申し訳なさそうに答えた。
「思いの外、敵の抵抗が激しく。それにああも守りに徹せられると、小型船ではどうしても攻め手に欠けますので」
「そんな事は最初から分かっていた事ではないか! それを何とかするために、我々は今まで厳しい訓練を積んで来たのだぞ!」
それはそうなんですが・・・副長は返事に困って顔を伏せた。
黒竜艦隊の誤算。それは聖国艦隊から脱落した船が、想定していたよりも多かった事にある。
大型の外洋船が合計で八隻。これはちょっとした艦隊並みの数である。
それでも群れの船に比べれば、三分の一程度の数でしかないのだが、こちらは小型船。副長の言うように、単艦辺りの戦闘力では聖国船よりも遥かに劣っていた。
(だとしても何だ、この無様な戦いは! こんな戦いをしていては勝てる戦にも勝てんぞ!)
そして彼らが攻めきれてないもう一つの理由。それは船員の練度の低さにあった。
黒竜艦隊は先日のミロスラフ王国との戦いで――というよりも、ドラゴン・ハヤテによる襲撃で――多くの負傷者と行方不明者を出していた。
それらの欠員は直ぐに軍本部から補充されたものの、練度の低さだけはどうしようもない。
艦隊指揮官はやむを得ず、生え抜きの船員達を大型船の乗組員に配置換えする事で本隊の戦力低下だけは防いだが、結果としてそのしわ寄せを小型船が被る事となってしまった。
つまりは、小型船の戦力低下である。
艦長の船は群れの旗艦という事もあって、まだまともな船員が揃っているが、船によっては船員の過半数が素人同然という悲惨なものまである始末である。
そんな船が何隻も狭い海域にひしめき合っているのだ。
連携を取って敵船を追い詰めるどころか、互いの邪魔をしないよう、距離を取って取り囲むのが精一杯。こんな状態で聖国の精鋭艦隊を相手にしようというのがムリがあるのである。
(味方の本隊が敵の本隊を抑えている間に、我々群れの船が敵船を各個撃破していく。それが狼作戦の根幹だ。本来、補助的な立ち位置の小型船が攻撃の主力を担うという逆転の発想。しかし、群れの戦力低下が原因で今はそれが出来ていない。それは分かっているのだ)
今の所、敵は防戦一方。こちらがイニシアチブを握っている状況だが、本隊側の戦況次第では一気に崩れる危険すらある。
勝負は水もの。想定通りに行かないのが戦というものだが、まさかこんな形になるとは。
(とにかく、一隻でも良い。今は目の前の敵船を落とす事だけに集中せねば)
艦長が決意を新たにしたその時だった。船員達が海の一方を指差して大きな声を上げた。
「「「おおおおっ!」」」
「なんだ?! 何があった?!」
船長が慌てて振り向いたその先。そこは黒竜艦隊の本隊と聖国艦隊の本隊の姿があった。
黒竜艦隊の旗艦。船員達が弓を手に左舷に集まる中、敵の旗艦はスルスルと近付いて来た。
「撃てえっ!」
副長の命令で兵士達が矢を放ったのとほぼ同時に、聖国船からも矢が放たれた。
ヒュン! ヒュン!
矢羽が風を切り割く音と共に、タタタンと軽快な音を立てて次々に鏃が側舷に突き立った。
まだ距離が遠いせいか、それとも思ったよりも風が強いのか、両者の矢はほとんどが甲板まで届いていない。
兵士は新たな矢を弦につがえると次々に放った。
タン! タタン!
今度は甲板まで届く矢が出始める。
副長はまんじりともせず、相手の船の動きにジッと目を凝らした。
高速で移動する船同士。迂闊な動きが即座に衝突に繋がる恐れがあるからである。
敵の船との距離は変わらない。いや、少しずつだがジリジリと近付いているのか?
いつの間にか敵兵の表情すら見分けられるようになっている。
互いの距離が縮まるにつれ、矢が刺さり、負傷する兵士も出始めた。
遂には副長が立っている船尾楼甲板にも、矢が届いてカラリと床に転がった。
(やはり、勢いはこちらにある)
この時点で副長は味方の優位を確信した。
単純に矢の数の厚みが違う。やはり船員の数の差が効いているようだ。
極限まで精神を張り詰めている副長には、敵の兵士が怯えている気配すら感じ取れた。
(相手が尻込みし、船を引くようであれば、逆にこちらから接近する必要があるだろうな)
そんな考えがチラリと頭をよぎったその時だった。
副長の視界の片隅を赤い火のついた小さな塊が横切った。
(火のついた――壺?)
勢い良く飛んで来たそれは、火のついた小さな壺だった。
黒竜艦隊の船はどの船も真っ黒に塗られている。
これは防水と防火の目的を兼ねて船体に瀝青が――天然のアスファルトが――塗られているためである。
そのため敵が火矢を使っても船体に火がつくような事はない。ましてや壺に入った火口を投げ入れられたとしても同様である。
だが次の瞬間、副長は思わず我が目を疑った。
パッ!
「なっ! バカな!」
壺が落ちたと思わしき場所から、まるで乾いた枯草に火でも落としたかように、大きな炎が立ち上ったのである。
敵船に立ち上った赤い炎は、聖国艦隊の旗艦からも確認された。
「「「オオオオオオ!」」」
「おおっ! 一発甲板に命中したぞ!」
嬉しそうに白い歯を見せるのは、細面の貴公子。聖国の第一王子エルヴィンである。
王子の補佐官のエドムンドが主人の言葉に異を唱えた。
「しかし、残りの二発は届かずに船の舷側に当たってしまいましたが」
「だったらもう少し近付けばいいんだよ。操舵手!」
王子は操舵手に振り返ると敵船との距離を縮めるように命じた。
大きな炎が三つ。敵船の甲板上に上がった。
「よし! 今度は三発とも命中だ! 見て見ろエド(※エドムンドの愛称)、あちらは大慌てだ。さっきまで雨のように降り注いでいた矢が全く飛んで来なくなったぞ」
興奮に目を輝かせるエルヴィン王子。
この予想以上の戦果にバース副長は目を丸くしてハイドラド艦長に振り返った。
「か、艦長。見ましたか?」
「う、うむ。ミロスラフ王国の火壺。まさかこれほどの物だったとは・・・」
二人は甲板に据え付けられた”奥の手”。
艦隊の出撃前にエルヴィン王子たっての要望で、急遽取り付けられたばかりの投擲装置を見つめた。
少し前の聖国王城での話。
その日、ティトゥの口から、ナカジマ家の火壺(※ハヤテのガソリンを利用した火炎瓶)の話を聞いたエルヴィン王子は、非常に興味を示した。
「ほう! それは凄い! さしずめハヤテの力を秘めた武器という訳だな!」
「殿下のおっしゃる通りですわ」
『ああうん。まあ確かに、僕のガソリンを使っているからあながち間違いじゃないけど、火炎瓶は別に僕の武器って訳じゃないよ。確か地球で火炎瓶が本格的に使われるようになったのは1930年代の頃とか言われてたっけ? けど、バリスタで使われていたって話も聞いた事があるし、火炎瓶自体は昔からあったものなんじゃないかな』
「ナカジマ殿。ハヤテは何と言ったんだい?」
「殿下。こういう時のハヤテの話は聞き流しておけばいいんですわ」
ティトゥはいつものように塩対応で答えたが、エルヴィン王子から熱心に尋ねられると、渋々ハヤテの言葉を彼に伝えた。
「ほほう、バリスタで・・・。ナカジマ殿。少し相談があるのだが良いだろうか?」
こうしてエルヴィン王子はティトゥと相談。
火壺をいくつか譲って貰う事になった。
「今ここでお渡しするのは無理ですが、次に来る時には必ず持って参りますわ」
「それで構わないよ。いやあ、実に楽しみだねえ」
ハヤテ由来の武器が自分にも使えるというのが余程嬉しかったのだろう。エルヴィン王子は殊の外満足そうに大きく頷いた。
いつぞやの聖国王城で、ハヤテ達が聖国メイドのモニカに渡していたのは、この時話に出ていた火壺だったのである。(その4 研究者倶楽部 より)
エルヴィン王子は騎士に命じて何度か使用具合を試させると、自分の乗り込む艦隊旗艦へと積み込ませた。
そして投擲用のバリスタも、同じく船に乗せるように命じたのであった。
次回「燃える艦隊」