その13 先ずは南に
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四式戦闘機・疾風以前の日本陸軍の戦闘機は、エンジンから伸びた排気管を機体の左右二ヶ所から出す、いわゆる集合排気管方式を取っていた。
それに対して四式戦闘機は、排気管を機体の周りに沿うような形で配置する、推力式単排気管方式を取っている。
いわば排気管のレイアウトを変えただけなのだが、これだけの事で同じエンジン、同じ機体でも、最高速度が30~50キロは向上したと言われている。
そんな画期的な推力式単排気管だったが、残念ながら欠点も存在する。
それは大きなエンジン音である。
グオオオオオオオオ!
「ちょ、は、ハヤテ様! こここれって大丈夫なんですか!」
「ダイジョーブ ダイジョーブ」
操縦席のすぐ目の前から排気管が出ているという事は、それだけエンジン音がうるさいという事でもある。(機体下部に排気管が配置されていた集合排気管の場合はもう少しマシになる)
ハヤテに言われるまま操縦席に乗り込んだシーロは、早くも自分の決断を後悔していた。
(大丈夫大丈夫って、本当に大丈夫なのか?!)
耳をつんざく爆音を上げながら、ハヤテは地上を疾走する。
やがてフッと振動が軽くなったと思った途端、一瞬の浮遊感と共に機首が引き上げられ、体がイスに押し付けられた。
そう思った次の瞬間、地上の景色はあっという間に下方に流れて行き、視界は一面の青空で占められた。
(飛んでいる!? 俺は今、空を飛んでいるのか!?)
ハヤテは大きく旋回しながら徐々に高度を取って行った。
やがて機首が水平に戻されると、ハヤテはシーロに声を掛けた。
「アンゼンバンド モウイイヨ」
「あ、ハイ。おおっ!」
眼下の光景にシーロは思わず声を上げてしまった。
現在は高度約千メートル。ここまで上がれば港町ホマレが一望出来る。
シーロはティトゥがハヤテに乗って空を飛ぶのを何度か見ているが、自分で経験したのは初めてだった。
現金な物で、ついさっきまでの後悔はキレイに消えて無くなり、シーロは興奮に胸が躍るのを感じていた。
「これはスゴイですね! ホマレの町がまるでおもちゃみたいですよ!」
「サヨウデゴザイマスカ」
シーロの喜ぶ姿にハヤテもどこか満足そうだ。
そんなハヤテの声に、シーロはこの飛行の目的を思い出した。
「あっとすみません。それで私に何か話があるという事でしたが」
「アア、ウン マズハ ミナミニ イコウカ」
「南? ええ、分かりました」
意味は分からないが、ハヤテは南に用事があるらしい。シーロは訳が分からないながら取り敢えず頷いたのだった。
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という訳でやって来ましたバーバラ島。
ここはトレモ船長の生まれ故郷。僕にとってはファル子達のおやつのおこしの原料、お米の仕入れ先となる。(第十六章 評議会選挙編 より)
久しぶりに来訪した僕を島民達は快く迎えてくれた。
『久しぶりですハヤテ様。今日はナカジマ様と子供達はご一緒ではないのですな』
『ゴキゲンヨウ トレモ イル?』
『申し訳ありません。息子は丁度先日、船で聖国の港に向かった所でして。来月には戻って来る予定ですが』
『ええと、ハヤテ様。こちらは一体? それにここはどこの島なんですか?』
僕はシーロに島長――トレモ船長のお父さんを紹介した。
『都市国家連合の南にある島ですって?! そんなデタラメな! 朝にホマレを出発してまだ昼にもなっていないじゃないですか!』
シーロは驚きの声を上げたが、島長はキョトンとしている。
まあ、この人は港町ホマレがどこにあるのかも分かっていないだろうからね。
『・・・ハヤテ様が凄い速さで飛ぶとは聞いていたが、まさかここまでヤバイとは。良くこれでミロスラフ王国はナカジマ様からハヤテ様を取り上げないもんだな』
シーロは真剣な表情で何やらブツブツ呟いている。
それはそうと、トレモ船長は留守なのか。まあ、僕も思い付いたのは昨夜だし仕方がないか。
この世界に電話やメールがあれば、事前にアポイントメントを取っておけたんだけどなあ。
僕は空振りに終わってしまった事にガッカリした。
その時、島民にしては珍しいタイプの、どこかあか抜けた雰囲気のオジサンが現れた。
『ほお~、これがミロスラフ王国のドラゴンか。いやあ、島の民から話は聞いてはいたが、聞きしに勝る面妖な姿ではないか』
『ダレ?』
『おおっ! 本当に喋るのだな! 初めましてドラゴン殿。拙者の名はドラスモット・バルテナス。バルテナス男爵家の末席に名を連ねてはいるが、拙者自身はこの歳まで嫁も貰っていなければ官位にもついてはいない、そこらの草莽だ。だから貴族といってもかしこまらずに、粗雑に接してくれて構わんよ』
拙者ことバルテナスさんは、そう言って日焼けして赤くなった首筋をピシャリと叩いた。
シーロが『バルテナス男爵家と言えば、確か聖国のコルベジーク伯爵家に連なる家だったはずだ』などと呟いている。
なる程。バルテナスさんは聖国の貴族だったのか。そんな人がなんでこんな場所に?
『バルテナス様は、天蚕の飼育方法を調査するためにこの島にいらした学者様なのですよ』
『ハハハ、そんな立派なものではないよ。虫の研究などという金にもならない物にうつつを抜かしているだけのただの穀潰しさ。昨年の末、拙者の元に突然、王城から使いがやって来てな。何でも新たな産業を起こす予定だからそれに力を貸すようにと言われたのだ。正直、実家でもずっと厄介者扱いをされてたので、これも丁度いい機会だからあちらで骨をうずめろと、僅かな支度金と共にこの島に追いやられてしまったという訳だ』
「あーなる程。シルクの量産に向けてモニカさんが手配してくれた研究者だったのか。聖国からわざわざこんな南の島までご苦労様」
『てんさん? 新たな産業? 聖国王家はここで一体何をやろうとしているんです?』
一人だけ事情の分からないシーロは困惑した顔で左右を見回すのだった。
僕達がバーバラ島で出会った聖国の貴族バルデスさんは、聖国メイドのモニカさんが養蚕事業の調査のために派遣した虫の専門家だった。
彼の仕事はシルクの原料を作る天蚕の養殖方法の確立。
彼は長年実家で穀潰し扱いをされていたせいか、偉ぶった所のない、貴族らしからぬオジサンだった。
浮世離れしているというかなんというか。ある意味、研究者らしいと言えば研究者らしい性格なのかもしれない。
『ほうほう、なる程。大人しい性質の個体を選り分けて、それらを掛け合わせる事で新たな品種を作れば、確かに飼育も楽になりそうだな』
『ソウ デキル?』
『やってみよう。そもそも昆虫研究者界隈では、日頃から大きく育つ個体同士を掛け合わせて、より大きな個体を生み出し、研究者同士で自慢し合っているくらいだからな』
天蚕は蛾の幼虫、芋虫なので、食べ物を求めてあちこち動き回って管理が大変となる。
その点、前世の蚕がいれば理想的なのだが、残念ながら島では絶滅してしまったようだ。
蚕とは家畜化された特殊な品種で、飼育のために動き回らないように改良されている。そのため、餌が無くなっても自分では探しに行かずに餓死するという。また、成長して蛾になっても、飛ぶために必要な筋肉が退化しているため、ほとんど飛ぶ事が出来ないそうだ。
つまり蚕は、野生では生きられない――人間の世話がないと生きていけない――特殊な生き物なのである。
『はあ、これがその天蚕とかいう芋虫の食事なんですね』
シーロは未だに虫を飼育するというのがピンと来ていないのだろう。怪訝な表情で辺りを見回した
『左様。天蚕ことヤママユガはクヌギなどの葉を食用としておる。しかしクヌギをそのまま育てると、二階建ての家の屋根よりも高くなり、ヤママユガの繭を採取するのが大変な苦労が伴う。そこでクヌギの根の周囲を石やレンガで囲い、葉刈り(植物の葉を部分的または全部刈り取る事)を行う事で人間の背丈程度にまで成長を抑えるのだ』
なる程。ここに植えられている木が妙に小さいのはそういう事だったのか。
つまりここにあるのはクヌギの木の盆栽という訳だな。
『ほう、ボンサイね。ドラゴンの間ではこういう形で管理された木をボンサイというのだな』
バルテナスさんはなにやら感心した風にウンウン頷いている。
おっと。つい話し込んでしまった。トレモ船長もいなかった事だし、そろそろ次の場所に向かわないと。
『シーロ ノル』
『ここの用事はもうよろしいので? 分かりました。それでは』
『ハヤテ様、今度は子供を連れてまたいらしてください』
『ドラゴン殿、今日はためになる話を聞かせて貰ったな。感謝するぞ』
『サヨウデゴザイマスカ マエ ハナレー』
僕はシーロを乗せるとエンジンを始動。バルテナスさん達に見送られながらバーバラ島を後にしたのだった。
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バーバラ島は絹の発祥の地として知られている。
そのバーバラ島では、ランピーニ聖国の貴族、ドラスモット・バルテナスという人物が、この地に養蚕の基礎を築いた人物としてその名を残している。
【養蚕の生みの親】、あるいは【シルクの父】として有名なバルテナスは、また、盆栽の生みの親とも言われている。
彼は島の女性を妻に娶り、生涯を養蚕の研究に捧げた。
今でもバーバラ島には彼の子孫と呼ばれる人達が残っているそうである。
次回「今度は西に」