その12 シーロの迷い
すみません。予告とタイトルを変えました
夜。屋敷のみんなが寝静まった頃。
僕のテントを尋ねて来た者がいた。
昼間、僕達の間で一躍時の人となった某人物。
そう。チェルヌィフ商人のシーロである。
『ハヤテ様。ちょっと相談に乗ってくれませんか?』
シーロはさっきまでお酒でも飲んでいたのか、顔を赤くして目がいつもより座っている。
良くこんな状態で屋敷の門番が通してくれたな。と思ったら、遅くなったので今日は屋敷の宿舎に泊まっていたらしい。
『皆さんからそれはもう、根ほり葉ほり聞かれましたよ。ええ、もう本当に』
シーロはドスンと地面に腰かけると、『はあーっ』と大きくため息をついた。
あの後、シーロは代官のオットーの『こんな所で立ち話を続けるのも何だ』という提案で、屋敷に連行されて行ってしまったのだ。
『そうですわね。りあじゅうの話題はハヤテが大嫌いな物の一つですから』
とはティトゥの言葉だけど、違うから。確かに、僕は彼女の前で「リア充爆発しろ」と言った事はあるけど、あれはネットミームだから。ある種のお約束。定型文みたいなものだから。
『エマールサン イヤ?』
『エマールとの結婚がイヤなのかって事ですか? どうなんでしょう。正直、今まで私にとって彼女は仕事で付き合いのある先輩の娘で、師匠と弟子みたいな間柄でしたから』
今までシーロはエマールさんの事は恋愛対象として見ていなかったそうだ。
『むしろ例の投資の話が出るまでは、嫌われていても仕方がないとまで思っていたくらいですし』
シーロはエマールさんにチェルヌィフ商人の商売の、主に汚い面や裏の面を教えていたという。
当然、そんな事ばかり教えている人間が好かれるはずもない。そう思っていたので、彼女の口から結婚の話が出た時も「子供の思い付きだろう」と、それほど真剣には受け止めなかったんだそうだ。
それがまさか、彼女の方はあれから何年も約束を覚えていて、こうしてはるばる外国にまで会いに来るなんて。
予想外の出来事に、あの時シーロが固まってしまったのも無理がないというものだろう。
『・・・今日、初めて聞きましたが、エマールは俺が嫌われ役を自分から買って出ていた事を知っていたみたいなんです』
シーロが想像していた通り、エマールさんも最初の頃はシーロにあまり好意を抱いていなかったそうだ。
なぜ、この人はいつも後ろめたい商売の話ばかりするのだろう。自分の父親のように、もっとみんなから求められる商売をすればいいのに。
そう考えて、この人は余程性格が悪いんじゃないだろうか。とも思っていたんだそうだ。
そんな彼女の印象が変わったのはいつの頃からだろうか?
エマールさんはある日ふと、気が付いてしまったんだそうだ。
自分の父親は娘に商売の裏側を――汚い部分を見せないようにしている。と。
例えるならば、父親は自分にコインのキレイな面、表面だけしか見せようとはしていなかった。
それは別に彼女を騙そうとしていたのではなく、父親として商売のイヤな面を、自分のイヤな面を娘に見せたくはないという自然な反応だったんだと思う。
しかし、成長したエマールさんは、コインはコインという”物”であるという事が分かってしまった。
コインは絵に描いた丸ではなく、厚みもあれば裏面もある。つまり丸ではなくて一つの物質という事に気が付いてしまったのである。
それが分かった時、初めてエマールさんは今までのシーロが取って来た行動を理解した。
彼が今まで自分に教えて来たのは、彼女の父親が決して見せなかったコインの裏側の話。
表と裏があってこそ、物事は初めて現実となる。表だけでは絵に描いた丸のように概念の存在でしかない。
シーロは自分の将来を考えて、あえて自ら嫌われ役を買って出ていた。その事が分かったのである。
文句も言わず、嫌な顔をするでもなく、自分が割を食うのもいとわず、他人のために骨惜しみをしない。
それがシーロという青年の本当の姿。
それが分かった時、エマールさんはシーロの胡散臭い笑顔の裏に、彼の誠実な性格を感じ取ったのである。
『エマールには、こういう人は、誰かこの人の事を分かっている人が一緒にいてあげないと、いずれダメになるんじゃないかと思った、と言ってましたよ』
シーロはそう言って苦笑した。
ああ、うん。何と言うかごちそうさま。
そこまで自分の事を理解して貰えているなら、何も悩む必要はないんじゃないかな?
僕の白けた空気を感じたのだろう。シーロは困ったように眉をひそめた。
『ナカジマ様達も同じような反応でしたよ。じゃあなんで迷っているんだって。他に付き合っている女性がいないなら、エマールの気持ちに応えてあげればいいじゃないか、ってね。まあ、おっしゃる事は分かりますし、自分もこんな時期じゃなければ、そろそろ身を固める事を考えてもいいかと思ったかもしれません』
『コンナ ジキ?』
僕は反射的に聞き返してハッと気が付いた。
そういう事か。
シーロがエマールさんの気持ちに対し、もう一歩踏み出す事が出来ずにいるその理由。
それは彼が僕の言葉を――マナ爆発による大陸規模の大災害について、重く受け止めていたためであった。
『私ごときに何が出来るんだと、どうしてもそう思ってしまって。私はハヤテ様やナカジマ様のような事は到底、真似出来ませんから。私は何の力もないただの商人です。それを思うと婚約とか結婚とか、そんな事を言っている場合じゃないんじゃないかと思って。例えエマールと結婚して家庭を持ったとしても、大陸が吹き飛んでしまえば何の意味もない訳ですし』
あーうん。なる程。
男として、いや、同年代の男として、彼の気持ちは理解出来る気がする。
つまりシーロは、今結婚しても彼女を養っていけるか。自分なんかが家族を作って大丈夫なのか。それが不安なのだろう。
普通、それは経済的な理由である場合が多いと思われる。
その点であればシーロが心配する理由はない。彼はナカジマ家と太いパイプを持っているからだ。
なんなら僕から聖国王城やチェルヌィフのレフド叔父さんに紹介してあげたっていい。
だが、今回の場合は完全に彼の処理能力を超えている。
なにせ相手は大災害。五百年前に大陸を真っ二つに引き裂き、その後も長年に渡りこの星の生態系に悪影響を与える事になったマナ爆発。
その未曽有の厄災を前に、シーロが「今、結婚なんてしても」と思ったとしても仕方がないだろう。
シーロの気持ちは良く分かる。男として自信が持てない理由も良く分かる。
だが分かった上で僕は彼に言っておきたい事があった。
『シーロ』
『なんですか? ハヤテ様』
『モウネル アス クル』
『ええと、今日はもう寝て明日またここに来いと。そういう意味でよろしいのでしょうか?』
『ソウ ネル』
『は、はあ。分かりました』
シーロ僕に追い立てられるようにしてテントを出て行った。
さて、僕も明日までに自分の考えを纏めておかないと。
僕はブツブツと呟きながら長い夜を過ごしたのだった。
という訳で翌日。僕は朝の巡回に来た警備の騎士に手を貸して貰って、テントの外へと出ていた。
シーロがやって来るのを今か今かと待っていると、ファル子達を連れたティトゥが姿を現した。
「ギャウ! ギャウ!(パパ! パパ!)」
『おはようハヤテ。今朝は珍しく、随分早く外に出ているんですのね』
「おはようティトゥ。まあね。今日はシーロを乗せてこの辺を飛び回るつもりだから」
ティトゥは驚きに軽く目を見張った。
『シーロを? また一体なんでですの?』
「う~ん。そこは男同士、一度空の上で水入らずで話をしてみようと思って」
ティトゥは疑いの目で僕を見上げた。
『・・・ハヤテあなた、シーロがりあじゅうだから撃墜しようとか考えているんじゃないですの?』
どうやらティトゥは僕が嫉妬のあまり、シーロを酷い目に遭わせるつもりじゃないかと警戒しているようだ。
失礼な。僕は基本、挑戦して来た相手しか撃墜はしないから。そうじゃない時もあった気がするけど、あれはその時のノリというか、ちょっと調子に乗ってしまっただけだから。今日は大丈夫だから。
『本当かしら?』
なぜティトゥはここまで僕を疑うのだろう。まあいいや。丁度シーロが来た所だし、この話はここまでで。
『ハヤテ様、ちぃーす』
『シーロ ノッテ』
『へ? ええと、ナカジマ様、一体どういう事なんでしょうか?』
『知りませんわ。ハヤテはあなたと空の上で男同士で話をしたいんだそうですわ』
『は、はあ。空の上で、ですか』
ティトゥは自分が除け者にされた事で少しへそを曲げているようだ。いつもよりシーロに対して当たりが強いように思える。
シーロはティトゥがこれ以上何も言ってくれないので、おっかなびっくり。ビクビクしながら僕に近付いた。
『ええと、あの、ハヤテ様。本当に私が乗ってもよろしいのでしょうか?』
『イイ ノル』
『で、では失礼します』
シーロは何度かティトゥが僕に乗っている姿を見ているからだろう。意外と危なげなく操縦席に乗り込んだ。
『アンゼンバンド シメル』
『あ、はい。これの事ですね。――これでいいでしょうか?』
『マエ ハナレー!』
ガウン! ババババババ・・・・
エンジンが始動すると、プロペラが回転を始める。
騒ぎを聞きつけて屋敷から出て来た代官のオットーが、僕が飛ぼうとしているのに、ティトゥが庭に立っている事に驚きの表情を浮かべた。
『なんですの、オットー』
『あ、いえ。なにも』
ティトゥにジロリと睨まれて、思わず言葉を濁すオットー。
そんな二人を尻目に、僕は滑走に移った。
グオオオオオオオオ!
エンジンが唸りを上げると僕は屋敷の裏庭を疾走。
やがてタイヤが地面を切ると、フワリ。僕はシーロを乗せて大空へと舞い上がったのであった。