その11 六年前の約束
あの日の深夜。僕のテントを訪れていた謎の人物は、新人メイドのエマールさんだったという事が判明した。
目的はシーロに会うため。
この数日間、頭を悩ませていた謎が解明した事で、僕はスッキリとした気持ちになっていた。
『つまりエマールは、この屋敷にいればそのうちシーロがやって来る――シーロに会う事が出来ると思って、働き始めたんですのね? だったらだったで、私に一言くらい相談して欲しかったですわ』
『すみませんでした』
ティトゥの指摘にエマールさんは申し訳なさそうに頭を下げた。
まあ、エマールさんは人見知りするタチだから、自分の雇い主に――しかも貴族当主のティトゥに――相談するのはハードルが高過ぎたかもね。
代官のオットーがシーロに振り返った。
『なら後はシーロがエマールに借金を返せば解決だな。彼女の分の額はさっき聞いたが、父親からはいくら借りていたんだ?』
『ええと・・・これくらいで』
シーロは周りの目を気にしながら小声である数字を呟いた。
『それは・・・流石に直ぐには出せないだろう』
『はい。おっしゃる通りで』
シーロが言うには、今の自分なら無理をすれば払えない金額ではないが、そんな大金は手元に置いていないとの事である。
ここでナカジマ家のご意見番、ユリウスさんからシーロに助け船が入った。
『オットーよ。ならばワシが代わりに立て替えてやろう』
『ユリウス様、よろしいんですか?』
この国の元宰相だったユリウスさんの下には、頻繁に大手商会や貴族関係者から贈り物が届けられている。
要は袖の下。つまりは賄賂なのだが、結構な額になるこれらの品のほとんどを、ユリウスさんはナカジマ家に預けていた。
本人が言うには、『どうせ墓の中まで持っていけるものでもあるまい。ならばこの土地の開発に役立てて貰った方がこれらの品も生きるというものだ』との事である。
ナカジマ家が発展すれば、それだけこの国も豊かに、強くなる。
ユリウスさんは宰相を辞めた今でも、国の事を第一に考えているのだ。
『構わん。こやつにはワシも色々と手伝って貰っているからな。借金で首が回らなくなってはワシも困る』
『ありがとうございます。ユリウス様』
今泣いた烏がもう笑う、ではないが、シーロの顔にいつもの胡散臭い笑みが戻った。
彼にとって恩のある先輩。その娘がわざわざ遠いミロスラフ王国までやって来たというのに、借りたお金を返せない事に、忸怩たる思いを抱いていたのだろう。
シーロはお調子者のように見えて、実は案外、義理堅いのだ。
それは命を救われた恩を返すため、今までの仕事を投げ出してこのナカジマ領に駆け付けてくれた事からもハッキリしている。
後、これで屋敷の女性達から女の敵のような目で見られずに済む、というのも大きかったのかもしれない。
『私が何か? ハヤテ様』
『ナンデモゴザイマセンワ』
ティトゥは嬉しそうにエマールさんに声を掛けた。
『良かったですわねエマール』
『・・・・・・』
しかし当のエマールさんは、喜んでいるというよりも戸惑っているように見える。
何故に?
予想外の反応にティトゥが不思議そうな顔をしたその時だった。シーロがエマールさんに振り返った。
『色々と苦労を掛けて済まなかったなエマール。これで俺も先輩の娘に不義理をせずに済みそうだ』
『違う』
『違う? 違うって何がだ?』
エマールさんはフルフルとかぶりを振ると、懸命に言葉を探しながらシーロに訴えた。
『お金じゃない。私は約束を果たして貰いに来た』
◇◇◇◇◇◇◇◇
師匠の下から独立したシーロは、エマールの父の勧めで聖国と帝国の間で貿易商の仕事を始めた。
取引先も次第に増え、商売が軌道に乗って来たある日の事。彼はエマール父からある相談を受けていた。
「俺が先輩の娘にチェルヌィフ商人の仁義を教えるんですか? それって息子の方にじゃなくて? この店の跡継ぎでしょ?」
「バカ言うな。息子はこの間までおしめを履いていたような歳だぞ。商売を学ばせるには早すぎるっての。お前は俺の子の性格を歪めるつもりか」
エマールの父が言うには、娘に商売を教え始めたはいいものの、自分の子供、それも娘という事もあって、どうしても手心を加えてしまうのだそうだ。
「娘はもの凄く妻似で可愛いから、仕方がないと言えば仕方がないんだが・・・だからと言って、俺が手心を加えたせいで中途半端に商売を覚えてしまっては本人のためにならん。知っている気になっている、という思い込みはこの仕事では一番マズイからな」
シーロは彼の奥さん、エマールの母の小柄な姿を思い出した。
なる程、この先輩と並んだら、旦那と奥さんと言うよりも父親と娘に見えるかもしれない。そういう意味では、確かに娘と似ているんだろう。
シーロは内心でそんな失礼なことを考えていた。
「その点お前は、あの人の下で働いていながら、仕事だけを覚えて性格は全く毒されなかったという希少品だ。娘の教師としては申し分ない」
「希少品って・・・まあ気持ちは分かりますが。あんな終わった人間になったら、俺を産んでくれた親に顔向け出来ませんからね」
シーロはおどけて肩をすくめつつ、自分はなんだかんだ言っても、この頼みを受ける事になるんだろうな、と思っていた。
日頃は口にも態度にも出さないものの、シーロはこの面倒見の良い先輩に、独立の援助をして貰った恩を強く感じていたからである。
それからというもの、シーロは仕事で帝国に訪れた時には毎回、店に顔を出し、エマールにチェルヌィフ人の商売を――主に父親が娘には語って聞かせたくない類の裏の部分や汚い部分について――容赦なく教え込んだ。
毒は知らなければ、薬と間違えて飲んでしまう。火傷の痛みを知らなければ、火を見ても危険を感じずに近寄ってしまう。
染まる必要はないが、知識がなければ自分の身も守れない。
商売の理想や綺麗な所は彼女の父親が教えてくれる。だから自分は生徒にとって、汚い事ばかり教えるイヤな教師。ある意味での反面教師になろう。
シーロは先輩が自分に望んでいる役割を理解し、きっちりとその仕事をこなしてみせたのである。
そして今から六年前の事となる。いつものように店を訪れたシーロは、エマールから渡された大金に目を丸くしていた。
「この金はどうしたんだ? エマール」
「投資」
以前にシーロが教えた、チェルヌィフ商人は借金を信用と考えるという話。(※前回、シーロがハヤテ達にした話)
エマールはそれを実践するべく、シーロにお金を貸す――彼の商売に投資する――事にしたというのだ。
(参ったな。あれはそんなつもりでした話じゃないんだが)
勿論、あの話自体にウソはない。シーロが師匠から教わったチェルヌィフ商人の性質。独自の価値観である。
ちなみにこのお金は彼女が店を手伝うようになってから貰ったお金。それにプラスして、いずれ彼女が結婚する時にと、両親が積み立ててくれていた結婚資金だという。
「そんな大事な金を預かれる訳ないだろうが! 大体、先輩と奥さんは知っているのか? 勝手に持ち出していいもんじゃないだろ、コレ」
「いい。私のお金だから」
シーロは金の入った袋を返そうとするが、エマールはガンとして受け取らない。
彼女は割と思い込みが強い所があるというか、一度こうと決めたら譲らない事があった。
(・・・仕方がない。ここはエマールの気の済むようにしてやるか。後で先輩に返しとけばいい訳だし)
シーロはこの場は一先ず受け取っておく事にした。
「分かった。じゃあいつか倍にして返してやるよ」
「(フルフル)」
エマールは黙って首を横に振った。
「そのままの額でいい」
「そうか? だがそれだとお前にメリットがないだろう。商人はタダで人に金を貸すのはご法度だぞ。もしそんな事をしたら、他にもタダで借りようってヤツらがハイエナみたいに群がって来るからな」
アイツにはタダで貸したのに、俺からは利子を取るのか! そう言われてしまえばどうしようもない。
商人は自分で自分の身を――自分の財産を守る必要があるのだ。
シーロの忠告にエマールは返事をしなかった。
彼女は少しの間躊躇っていたが、やがて顔を上げると、意を決した表情でジッと彼を見つめた。
「利子はいらない。でも私のお金でシーロが出世したら、お礼として私をあなたの奥さんにして欲しい」
◇◇◇◇◇◇◇◇
『ええっ?! それって二人は婚約をしていたって事ですの?!』
予想外の展開に目を丸くするティトゥ。
エマールさんは真っ赤になって俯いている。
逆にシーロは完全に凍り付いてしまっていた。
ユリウスさんは「ふうむ」と唸った。
『出世か、なる程。今のこやつはワシやナカジマ家のお抱えのようなものだ。一介の貿易商から貴族家の覚えめでたい立場に。これは確かに出世と言えるだろうな』
『じゃあエマールとシーロは結婚するんですの?』
『ええと、両者の同意があるのであればそうなるのかと。エマール、お前はそれで構わないのか?』
『(コクリ)』
『ちょ、ちょっと待って下さい皆さん! 何勝手に話を進めているんですか! あれは子供の言葉! ただの口約束ですから!』
みるみるうちに外堀が埋められていく状況に、シーロが慌てて再起動した。
子供の言葉。なる程、六年前となると、今二十歳前後のエマールさんは、大体中学生くらい。確かに子供と言ってもいいだろう。
そしてシーロはその頃二十歳前後、大体大学生くらいか。
大学生の男が、中学生女子から、大金を預かって結婚の約束をする。
うん。犯罪だね。
『シーロ ギルティ』
『ぎるてぃって何ですか?! ハヤテ様! 俺はエマールに商売を教えただけでやましい事は何もしていませんよ!』
叫ぶシーロに、今までずっと黙ったままだった聖国メイドのモニカさんが口を開いた。
『その事ですが、さっきの話だと、あなたは彼女から預かったお金を、後で両親に返したんですよね。でしたら婚約の話以前に、そもそも彼女からの借金も無かった事になるのではありませんか?』
モニカさんのごもっともな指摘に、シーロは不自然に「うっ!」と言葉を詰まらせた。
『お金は返したんですよね?』
『え、ええと、実はその、その日丁度、商品の取引で纏まった現金がどうしても必要になりまして・・・』
シーロはモニカさんから目を逸らした。その額に汗が浮かぶ。
ティトゥが呆れ顔で問いただした。
『まさか使ってしまったんですの?』
『それがその・・・はい』
メイド少女カーチャが軽蔑の眼差しでシーロを睨んだ。
『最低です』
シーロは今度こそ何も言い返せなかった。
次回「シーロの迷い」