その10 シーロの借金
『エマール?! お前、エマールか! なんでお前がナカジマ様のお屋敷にいるんだよ?!』
チェルヌィフ商人の青年シーロは、驚きの表情でエマールさんに詰め寄った。
『お二人はお知り合いだったんですの?』
『あっと、ゴホン。失礼しましたナカジマ様。まさか知り合いがここにいるとは思わなかったので、つい取り乱してしまいました』
シーロは一つ咳払いをすると居住まいを正した。
『彼女の父親とは昔、同じ商人の下で働いていた仕事仲間だったのです』
シーロがまだ若い駆け出しだった頃。師匠として師事した商人の下で働いていたのが、エマールさんのお父さんだったんだそうだ。
やがてお父さんは師匠の下から独立して自分の店を構える事になった。
その際に彼は自分が目を掛けていた若者――つまりはシーロの事ね――に声をかけたんだそうだ。
『先輩は店を離れる時、私に「独立する気があるなら、今なら俺がいくらか融通してやれるぞ」と言ってくれたんです。いやあ、あの時は嬉しかったですね。なにせ私の師匠は商売に関してはともかく、人間的には割と終わっている人だったので。あの頃はもう、一日も早く逃げ出したくて仕方がありませんでした。ですので渡りに船とばかりに先輩の誘いに乗ったという訳です』
その後、エマールさんのお父さんは、ミュッリュニエミ帝国のとある町で小さな店を開いた。
そしてシーロは、彼の勧めで聖国と帝国の間で商品を取引する貿易商の商売を始める事となったという。
『とは言っても、私は別に先輩に雇われていたという訳ではありませんでしたがね。ですが帝国での取引の際には、いつも先輩の店を利用させて貰っていました。エマールとはその頃に顔なじみになった感じです』
つまり、先輩はシーロの商人としての才能を見込んで、独立に際して師匠の下から引き抜いたという事だろうか?
自分の店の従業員にしなかったのは、独立独歩の気質が強いシーロの性格を考えての事。
実際、自由にやらせていたからこそ、シーロはのびのびと商売を行う事が出来、結果として先輩の店も潤う事になったと。
本人も満足。周りも儲かる。なる程。エマールさんのお父さんは、なかなか人を見る目が確かだったようだ。
『それでナカジマ様。なぜエマールがナカジマ様の屋敷で働いているんでしょうか?』
シーロとしてはやはり一番気になっている点はそこらしい。
ティトゥはちょっと言い辛そうにしながら答えた。
『それは・・・私よりも、本人の口から説明してもらった方が良いと思いますわ』
『? そうですか。分かりました』
シーロは少し不思議そうな顔をした後、エマールさんに同じ質問をしたのだった。
エマールさんがナカジマ家で働くことになった理由。
ティトゥは『本人の口から説明してもらった方が良いと思う』なんて言っていたが、結局、エマールさんの言葉足らずっぷりに焦れて自分で説明する羽目になってしまった。
『――という訳だったんだそうですわ』
『そんな。先輩がそんな事になっていたなんて、全然知らなかった・・・』
恩人でもあり、良き理解者でもあった先輩の訃報に、シーロは大きなショックを受けた。
そんな姿を見かねたオットーが慰めの言葉を掛けた。
『知らなかったのも仕方がない。お前が以前の仕事を辞め、この国にやって来た後に起きた不幸なんだからな』
『そうですわよ。エマールも気に止まなくていいと思っていますわ』
いや、ティトゥ。君がそれを言うってどうよ。
まあエマールさんもウンウン頷いているから、別に間違ってはいないんだろうけどさ。
『それでエマールは、なんでチェルヌィフに帰る家族と別れてミロスラフ王国にやって来たんだ?』
『だからそれはエマールが家族から離れて自立したかったからであって――』
「いや、ティトゥ。ここは口を挟むべきじゃないでしょ。君、どこまでエマールさんの気持ちを代弁するつもりな訳?」
いくらなんでも流石にやり過ぎだから。
ティトゥは僕に話を遮られ、不満顔になった。
そんな顔をしてもダメなものはダメだからね。
『お金』
エマールさんが一言呟いた。
『お金貸してるから』
シーロはハッと動きを止めた。
お金?
・・・あ~なる程。そういう事か。
ティトゥも気付いた様子でシーロに振り返った。
『そういえば、シーロ。あなたさっき言ってましたわね。昔、エマールのお父様から、「独立する気があるなら、今なら俺がいくらか融通してやるぞ」と言われたって。シーロ、あなたまさかその時にお父様から借りたお金をまだ返していなかったんじゃないですの?』
ティトゥの指摘にシーロは気まずそうに目を逸らした。
この反応、これはやってますわ。図星ですわ。
ナカジマ家のご意見番、ユリウスさんも呆れ顔になった。
『なる程。つまりそこの娘は、父親が貸した金を返さずに姿をくらました男を捜して、この国までやって来たという訳だったんじゃな』
『違います』
『違うって・・・ハッ! お、おい待て、エマール! 今その話を出すのは止めてくれ!』
『オットー、シーロを押さえておきなさい。違うってエマール、何が違うんですの?』
シーロは慌ててエマールさんを止めようとしたが、ティトゥの指示でオットーが素早く羽交い絞めにした。
シーロは暴れるが、オットーはガッシリと捕まえて離さない。
オットーは案外着やせするタチで、ああ見えて実は結構良い体をしている。昔は家を飛び出して傭兵をしていた頃もあったそうだ。
実家とよりを戻してからは代官としての仕事に専念していたが、昨年、ナカジマ領収穫祭の綱引き大会でロマ爺さん率いるアノ村漁師チームに負けてからは、忙しい仕事の合間を縫って体を鍛えるようになっていたのだ。
『後生だ、エマール! それだけは止めてくれえええ!』
『シーロには私もお金を貸しています』
『ちょ、エマール、一体どういうことなんですの?!』
どうやらシーロはエマールさんのお父さんだけではなく、エマールさんからもお金を借りていたようだ。
ちなみにエマールさんから聞いたその金額は、ちょっと引くくらいの額だった。日本で例えれば高級な外車が買えるくらいの金額、と言えば伝わるだろうか。
『・・・シーロ、あなた年若い女の子からそんな大金を借りてたんですの?』
『シーロ、お前というヤツは・・・』
『はあ・・・シーロよ。流石にワシも呆れて物も言えんぞ』
「ギャーウー?(カーチャ姉、みんなどうしたの?)」
『ハヤブサ様は知らなくてもいいです。汚い男性の話ですから』
「ギャウギャウ!(長話にすっかり退屈している)」
あーうん。流石に僕もこれは擁護出来ないかな。
『違うんです! みんな俺の話を聞いて下さい! この金はそういうんじゃないんですよ! 話せばきっと分かって貰えますから!』
シーロは周囲から注がれる冷たい視線に、慌てて叫んだのだった。
シーロの説明によると、チェルヌィフ商人の間では、借金は別に悪い事ではないのだそうだ。
例えばA氏がB氏からお金を借りたとする。
B氏が社会的な立場のある人物。例えば大きな商会の商人だった場合、周囲はA氏の事を「あのB氏がお金を貸す程信用している人物」と見るのだそうだ。
これは言い方を変えれば、A氏は借金をする事で社会的な信用を買っている、とも言えるだろう。
逆に借金がゼロの商人の場合は、「あの人は誰も金を貸したがらないような信用のない人物」と思われ、誰からも取引をして貰えないのだそうだ。
そういう習慣もあって、チェルヌィフ商人は、むしろ積極的にお金の貸し借りをするのだという。
オットーは『う~む』と唸り声を上げた。
『シーロの言わんとしている事は分からないでもないが・・・どうも実感は湧かんな』
『それが正常な感覚だと思います。実際、チェルヌィフでも一般人は違いますし。借金は多ければ多い方がいい、なんてのは、商人の間だけの特殊な習慣ですから』
そんなにお金の貸し借りばかりしてたら、揉め事も多いんじゃない? と思ったら、実際、借金関連のトラブルは後を絶たないそうである。
『呆れたな。だったらなぜそこまでして借金をするんだ?』
『借金の相手を見定める”目利き”も、商人としての能力の見せどころですからね。騙されたら騙された自分のせい。高い授業料だったと諦めるしかない、という訳で』
ちなみに、シーロの師匠だった商人は、かなり悪徳寄りの商人だったらしい。
彼はそんな師匠の下で、チェルヌィフ商人の世界のルール、慣習と厳しさを、骨の髄まで叩き込まれたんだそうだ。
ティトゥは疑いの眼差しでシーロを見つめた。
『騙されたら騙された自分のせいって、それって自分がエマールの借金を踏み倒したから言ってるだけなんじゃありませんの?』
『そうです。言葉で誤魔化そうとしているようにしか聞こえません』
しかし、シーロの懸命な説明も、女性達の白い目を覆すほどではなかった模様。
ティトゥ達の辛辣な言葉に、シーロは僕に泣きついた。
『ハヤテ様~。あなたからもナカジマ様にお願いしますよ~』
「ああうん。まあ僕もシーロの言ってる事が分からないではないかな」
こちらの世界では銀行が存在しない。つまりお金を稼いでも安全に預けておける場所が(仕組みが?)存在しないのである。
どこかにお店を構えている商人ならまだいいが、店を持たない行商人や、かつてのシーロのような貿易商は、稼いだお金を全て持ったまま移動しなければならない。
決して治安が良いとは言えないこの世界でそんな事をしていれば、強盗に襲ってくれと言っているようなものだ。
それに紙の紙幣が流通している現代地球ならともかく、こちらの世界のお金は硬貨。持ち運ぶ時の重さもバカにはならない。
チェルヌィフ商人は借金云々の話は、そういった不便を解消するために生まれたルール。商人達の生活の知恵的な独自の価値感なんじゃないだろうか?
『ハヤテもシーロの味方なんですの?!』
『ご当主殿よ、そう声を荒げるでない。お主もさっきのシーロの様子を見ているだろう。こやつはこの娘に会うまで、恩人の死を知らなかったのだ。おそらく、仕事に忙殺されている間に、意図せず疎遠になってしまっただけなのだろう。そもそも、借金を踏み倒すつもりでいたなら、最初から自分がミロスラフ王国にいる事も言わなかっただろうに』
ユリウスさんの指摘にティトゥも言葉に詰まらざるを得なかった。
確かに。エマールさんが家族と別れてミロスラフ王国にやって来たのは、シーロがこの国に――ナカジマ領にいると知っていたからだ。
つまりシーロは彼女に(彼女の父親に?)自分がティトゥの下で働いていると教えていたという事になるのだ。
「ん? あっ。じゃあ、あの夜にエマールさんが僕のテントまで来たのって、僕じゃなくてシーロに会うためだったとか?」
『そうなんですの? エマール』
『はい』
相変わらずエマールさんは口数の少ないこと。
しかしなる程、これで分かった。
あの夜、エマールさんは、たまたま門番か誰かから、「いつもの商人がドラゴンに会いに来ている」と聞いて、急いで僕の所へ来たのだろう。
しかしテントの中は静まり返っていて誰の声もしなかった。
エマールさんは、もうここにはシーロはいないと知って、ガッカリして立ち去ったのだ。
次回「六年前の約束」