その9 まるで探偵小説のクライマックスシーン
テントに入って来たのは、人好きのする笑顔のメイドさん。
聖国メイドのモニカさんである。
『ハヤテ様、おはようございます』
『オハヨー』
ここの所モニカさんはずっと聖国王城で忙しくしていたが、ようやくそれもひと段落ついたとの事で、昨日、僕が迎えに行って来たのである。
『今日は天気も良いですし、外で日光浴でもされますか?』
「・・・・・・」
『ハヤテ様?』
丁度いいタイミングだ。僕はモニカさんに数日前から気になっていた事を相談する事にしたのだった。
『この屋敷に不審者が入り込んでいると』
モニカさんの目がスッとすがめられた。
いや、怖いんだけど。それに不審者とか、誰もそこまでは言ってないから。
僕が彼女に話したのは数日前、夜中にチェルヌィフ商人のシーロが顔を出した時の事である。
話を終えたシーロが立ち去った後、誰かがテントの外までやって来て、ジッと中の様子を伺っていたのである。
その謎の人物はしばらくこちらの様子を探った後、屋敷の方へと立ち去って行った。
突然の事で僕も身構えてしまったけど、あれは一体誰だったんだろうか?
結局、謎の人物はあの夜以来、二度と現れなかったのだった。
『つまりその人物は、夜中に警備の者の巡回の隙を突き、ハヤテ様のテントまでやって来た上で、中の様子を伺っていたという訳ですね?』
そう聞くとかなり怪しい人物だな。
そういえばモニカさんも昔は同じような事をしょっちゅうやっていた記憶があるけど、その点、ご自身ではどうお考えなんでしょうか?
モニカさんは顎に手を当てて考え込んだ。
『状況から考えて相手は屋敷の者でしょうね。足音が軽かったという点から、私も女性だと思います。確かにハヤテ様が言われたようにエマールという使用人が怪しいですね』
あの後、僕も自分なりにあの夜の事を考えていた。
その結果、あれはティトゥの見込んだ新人メイド、エマールさんだったのではないかと思ったのである。
丁度エマールさんが雇われたタイミングだったし、足音の条件も小柄な彼女ならば一致する。
テントの外で黙って様子を伺っていたのも、彼女の性格なら――無口で警戒心の強い性格なら――分からないでもない。
実際、あの後も二、三度、彼女はティトゥに連れられて僕のテントにやって来たのだが、相変わらず僕に近付こうともしなければ、話しを振られても一言二言しか返事をしなかったからである。
『その上、たまにハヤテ様とご当主様を探るような目で見ていた、と』
『サヨウデゴザイマス』
そう。彼女で一番気になった点はそこだ。
最初は珍しさからチラ見してるのかと思っていたが、エマールさんがこの屋敷で働くようになってからもう数日。
いい加減、新鮮味も薄れているはずである。
それなのに、僕はまだしも、あれだけ一緒にいるティトゥにまで未だに探るような目を向けるのは流石に不自然だ。
『そのエマールという者は、裏がありそうですね。何か目的があってこの屋敷に入り込んだのかもしれません』
あ、やっぱりモニカさんもそう思う?
僕も色々考えた結果、そういう結論に達したのだが、全ては状況証拠であり、僕の想像でしかない。
だから誰かに僕の考えを聞いてほしかったのだが、どうやらモニカさんもエマールさんが怪しいと感じたようだ。
『時期が時期だけに他国の諜者。特に帝国から送り込まれた工作員の可能性がありますね。あそこは一昨年に続いて二度、ハヤテ様に煮え湯を飲まされていますから』
エマールさんが帝国の工作員? 流石にそれはどうだろう?
戸惑う僕にモニカさんは振り返った。
『・・・一度様子を見ておく必要がありますね。ハヤテ様、失礼します』
モニカさんはペコリと頭を下げると急ぎ足でテントから出て行った。
どうやらエマールさんの所に行ってみるみたいだ。
それはそうと、どうせなら出て行く前に、誰かに僕を外に出して日光浴させてくれるように頼んでいってくれれば嬉しかったのだけど・・・どうやらそんな事を言える雰囲気じゃなさそうだ。
僕は空気を読んで黙って彼女の背中を見送ったのだった。
それからしばらく後。
なんだか外が賑やかだな、と思ったら、ティトゥがテントの中に入って来た。
「ギャウ! ギャウ!(パパ! パパ!)」
それと桜色の子ドラゴンのファル子。
続いてハヤブサを抱っこしたメイド少女カーチャ。
次いで新人メイドのエマールさん。
そしてモニカさんに、代官のオットーに、ナカジマ家のご意見のユリウスさんって、次から次へとゾロゾロと。
ていうか、なんでオットー達まで来てる訳?
『ご当主様が一緒に来るようにと。何でもエマールがどうとか』
『ハヤテ、モニカさんから話は聞きましたわ。あなたエマールを疑っているそうですわね』
ティトゥはオットーの言葉を遮ると僕を見上げた。
『詳しく聞かせて頂戴』
ええと、本人の前で話さなきゃいけない訳? これって結構気まずいんだけど。
ていうか、何でモニカさんはみんなまで連れて来ちゃうかな。
――まあこうなってしまっては仕方がない。
結局、僕はティトゥの圧に諦めると、さっきモニカさんに説明した話を繰り返したのだった。
という訳で説明終了。
話の途中で飽きてしまったファル子達が、途中でテントの中で追いかけっこを始めたりもしたけどそれはともかく。
ティトゥ達は微妙な表情でエマールさんを見つめた。
『エマールが帝国の工作員・・・ですの?』
あ、いや、それを言い出したのはモニカさんであって僕じゃないから。
どうやらティトゥは――それとオットー達も――エマールさんの工作員疑惑にはピンと来ていないようだ。
まあ気持ちは分かるよ。
モニカさんは状況的にそう判断したみたいだけど、エマールさんだよ?
太っているって程じゃないけど、体付きから見ても明らかに運動は苦手そうだし、口数が少ないからコミュニケーション能力だって高くない。この人程スパイに向いていない人はそうそういないんじゃないだろうか。
オットーも僕と同じように思ったのだろう。『いやいや、待ってください』と手を振った。
『エマールをこの屋敷で雇うに当たっては、チェルヌィフの水運商ギルドが彼女の身柄を保証してくれています。帝国の工作員というのは何かの間違いじゃないでしょうか?』
チェルヌィフの水運商ギルド?
ああ、そう言えば彼女の祖父母の家はチェルヌィフの地元では有名な商家なんだっけ。そちらに伝手があっても全然不思議じゃないのか。
ユリウスさんは顎ヒゲをしごきながらエマールさんを見つめた。
『この娘が帝国の、な。少なくともワシの目にはそんなふうには見えんが』
ユリウスさんが言うには、後ろめたい仕事や隠し事をしている人間は、割と言葉や態度に出てしまうんだそうだ。
『態度だけで隠し事が分かるんですの?』
『うむ。人の体というのは案外素直なものでな。呼吸や瞬き、唾を飲み込むといった極当たり前の動作だが、隠し事をしている人間がそれを悟られまいとすると、心の緊張が体に現れ、それらの動作が不自然になるのだ。分かり易い例で言えば、ウソをついている人間は瞬きの回数が減る、などだな』
ティトゥとカーチャは素直に感心しているが、モニカさんがサラッと聞き流している所を見ると、そちら界隈(?)では割と基本的な知識のようだ。
僕? そう言えば探偵物のドラマか何かでそんな話を聞いた事があったような、といった感じかな。
ていうか、今更だけど今のこの状況、まるで探偵小説のクライマックスシーンみたいなんだけど。
関係者一同が一つの部屋に集められて、一連の事件の種明かしからの、探偵の「犯人はこの中にいます」「犯人はあなたです」の決め台詞。
だとすれば、今回の容疑者はエマールさんという事になる訳だが・・・。
小説の場合、大抵こういうのは作者が仕掛けたミスリードで、本当の犯人は別にいるというのがお決まりのパターンである。
だとすれば、謎の人物はエマールさんでないという事になるんだけど・・・ならば一体誰なのだろうか?
『それで、深夜にテントの外からハヤテの様子を伺っていたのは、エマールなんですの?』
『はい。私です』
あ、そこはあっさり認めちゃうんだ。
まあ、別に悪い事をしたって訳じゃないし、隠す必要もないと言えばないよね。
『そう。なぜ深夜にハヤテの所に行ったんですの?』
『ハヤテ様に用事があった訳ではありません』
あれ? 僕のテントに来たのに、目的は僕じゃなかったってどういう事?
そもそも深夜でなければいけない理由って何?
エマールさんは口数が少ないせいもあって、尋ねた事しか答えてくれない。
何とももどかしい感じだ。
『ハヤテに用じゃなかったのなら、なんでそんな事を――』
ティトゥが重ねて尋ねたその時だった。テントの入り口から陽気な声が響いて来た。
『おや? 皆さん屋敷にいらっしゃらないと思ったら、ハヤテ様のテントに集まっておられたのですね? ナカジマ様、ご無沙汰しております。今日はユリウス様に頼まれていた件の報告がてら、顔見せに参上いたしました』
どことなく胡散臭い笑みを湛えた青年商人。チェルヌィフ商人のシーロである。
ティトゥは話の腰を折られたせいで、不満げな顔をシーロに向けた。
『シーロ!』
『えっ?』
女性の声にハッと振り返ると、シーロの名を叫んだのはエマールさんだった。
エマールさんは目を丸くしてシーロを見ている。
シーロは屋敷のメイドが突然自分の名前を叫んだ事に戸惑っていた様子だったが、彼女の顔を見つめると驚きの声を上げた。
『エマール?! お前、エマールか! なんでお前がナカジマ様のお屋敷にいるんだよ?!』
どうやら二人は以前から顔見知りだったらしい。
次回「シーロの借金」