その8 船団出航
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その日、大陸に激震が走った。
ランピーニ聖国によるミュッリュニエミ帝国への宣戦布告。
大陸一の海運大国が大陸の大国に挑戦状を叩きつけたのである。
開戦に至った理由は、帝国が聖国王女パロマの誘拐事件に関与していたというもの。
これにより両国の信頼関係は損なわれた。帝国の卑劣な行いに対して、聖国王家はどれだけの犠牲を払おうとも、必ずや正義の鉄槌を下すだろう。
帝国にとって、この宣戦布告は正に寝耳に水。全くの予想外の出来事であった。
そもそも、パロマ王女の誘拐事件自体が二年近くも前の話。
今更そんな話を蒸し返して非難されるとは、誰も想像していなかったのである。
「何を今更そんな昔の話を! 大体、誘拐事件を起こしたのは海賊であって我が国は関係あるまい!」
「そもそも、海賊ごときに王族をかどわかされたのは、ヤツらが無能故の事! それを棚に上げて、我が国が関与したなどと言いがかりをつけるとは言語道断! 恥を知るがいい!」
帝国の貴族達は憤ったが、王城の反応は微妙なものだった。
パロマ王女の誘拐事件に帝国は関わっていない。
自信を持ってそう言えるし、そういう意味では聖国王家の非難は全くの言いがかりである。
しかし、それをもってして、帝国は無関係である、と言い切れるかといえば実はそうではない。
それはどういう意味か?
実はあの時期、帝国は密かに海賊達に対して、聖国船に対してのみ有効な私掠免許状を出していたのである。
私掠免許状とは、民間の船が他国の船を攻撃・拿捕することを国が認める勅許状(公的な許可)の事を言う。
そのためこの勅許状を持つ海賊は、聖国海域で船を襲っても帝国まで逃げて来れば無罪放免。罪に問われる事はなくなった。
二年前、聖国近海をやたらと海賊が荒らし回ったのは、裏にそういった事情があったからなのである。
全ては帝国皇帝ヴラスチミルによる嫌がらせ行為。聖国の経済力を削ぐための計略だったのだが、流石に調子に乗った海賊が王女の誘拐という暴挙にまで及ぶとは予想外だった。
そういった理由もあって、事情を知っている者達の口は自然と重くなり、歯切れも悪くなっていたのだった。
「とはいえ、何も言い返さないままでいては、暗に聖国の言い分が正しいと認める事になってしまうぞ」
「それはマズいな。ここは一刻も早く使者を出し、話し合いの席を設けるべきだろう」
「なにを悠長な事を! 相手は既に宣戦布告をしているのだぞ! そのような事をしている場合か!」
「だからこその話し合いなのだ。ひとまずは時間を稼ぎ、その間に迎撃の準備を整えるのだよ」
開戦を主張する軍部と、話し合いを優先すべきとする文官達。
両者の意見は食い違い、議論は平行線を辿った。
王城の権力の頂点に立つカルヴァーレ将軍も、取るべき対応を決めかねていた。
なぜ聖国が突然、このような暴挙に出たのか。聖国王家の真意を計りかねていたからである。
(少なくとも今年の頭、聖国王城で開かれた新年式の時には、開戦に向けての気配は何ら感じられなかった。それがなぜ、急にこちらに攻め込んで来る。この時期に戦いを始める理由は何だ?)
考えられる原因としては、帝国海軍の精鋭部隊、黒竜艦隊の存在があるだろうか?
黒竜艦隊の規模、そして戦力を目の当たりにした事で、聖国海軍上層部が強い危機感を覚えた。その結果がこの戦争に繋がったのではないだろうか。
(黒竜艦隊が化け物(※ハヤテの事)の攻撃で被害を負っているうちに叩くべきだ。焦った軍部がそう強く働きかけた結果、聖国王家が開戦を決意した。そう考えればこの慌ただしい宣戦布告も理解が出来る。しかし、だとすれば聖国の情報収集能力も思った程ではないな)
ハヤテに沈められた大型輸送船はともかくとしても、他の船の修理は現時点でほぼ完了している。
後は補充された船員達の慣熟訓練だけ。全艦による作戦行動は既に可能となっているのである。
(どちらにしろ宣戦布告した以上、敵は動くはずだ。ミロスラフ王国軍への対処もまだだというのに、面倒な事になったものだ)
この時点でカルヴァーレ将軍は、ランピーニ聖国とミロスラフ王国の侵攻は別モノだと考えている。
自分達にとっては不運な事に、たまたま二国の侵攻が重なってしまっただけ。つまり両国は別に示し合わせて動いている訳ではないと考えていたのである。
これはカルヴァーレ将軍にとって、いや、帝国軍にとって、それだけミロスラフ王国が取るに足らない存在だったのが理由である。
つまりは今回の件も、彼らにとっては地方で起きた反乱程度の感覚でしかなかったせいなのだ。
だがもし、彼らが聖国の宣戦布告の真実を――その原因が、ミロスラフ王国のドラゴン・ハヤテにあったと――知ればどう思っただろうか?
本当の目的は、大陸全土を巻き込む未曽有の大災害の調査。帝国皇帝を会談の場に引っ張り出すために、その前段階として今回の宣戦布告を行ったと知ったならば・・・
おそらく話の真偽を疑うよりも先に、発言者の頭の中身の方を疑ったに違いないだろう。
帝国が上を下への大騒ぎをしている一方その頃。
ここクリオーネ島、ランピーニ聖国では、聖国海軍艦隊が出航の準備を急いでいた。
港に居並ぶ大型艦の数々。
そのどれもが洗練されたデザインをしているように感じられるのは、決して見る者の錯覚などではない。
実際にこれらは聖国中の各艦隊から集められた選りすぐりの新鋭艦達。
帝国の黒竜艦隊に対抗するため、高性能な聖国製の外洋船の中でも、特に設計の新しい新造艦だけを集めた特別な艦隊だからである。
聖国海軍騎士団のエース部隊とも言える精鋭艦隊。それを指揮するのはハイドラド艦長。
まだ四十歳の(艦隊の指揮官を任されるにしては)新進気鋭。聖国海軍騎士団きっての期待の逸材である。
揺るぎなくどっしりと立つその姿からは、体幹が鍛え上げられているのが良く分かる。
意思の強さを感じさせる太い眉に大きな目。丁寧に馬蹄形に整えられた口ひげからは、几帳面な性格が見て取れる。
ハイドラド艦長は旗艦の甲板を歩きながら、自分自身の目で最終確認を行っていた。
三十代前半の明るいブラウンの髪の士官が無念そうに呟いた。
「残念です艦長。もう少し時間に余裕があれば、アラーニャの造船所で完成間際の最新艦も加える事が出来たのですが」
「そうぼやくな副長。時間的にここまでが限界だったのだ」
士官は――バース副長は艦長の言葉に異を唱えた。
「しかし、各部隊から最新鋭の船と乗組員を集めたとはいえ、我々は一度も艦隊訓練を行っていないではないですか? ならば少しでも戦力となる船が欲しいと考えるのが当然でしょう」
最新鋭の船とそれを操る精鋭の乗組員達を集めた、聖国海軍騎士団のエース部隊。
そう言われれば聞こえは良いが、実は時間が取れなかったために全体の訓練は一度も行われていない。
個々の能力は高いが、寄せ集めの部隊に過ぎないのだ。
これではバース副長が不安を覚えるのも仕方がないと言えるだろう。
「こんな事ならウチの部隊だけで出撃した方がまだましだったんじゃないでしょうか?」
ハイドラド艦長はゆっくりとかぶりを振った。
「副長の気持ちは分かるが、それではむざむざやられに行くようなものだ。帝国の新鋭艦隊はそんなに甘いものではない。勿論、副長達の能力にはなんら疑問を抱いてはいないが、いかに船員の技量が優れていようとも、船の能力を超えて速度を出す事は出来ないし、舵の能力を超えて船を旋回させる事は出来ないのだ」
乗組員の力で船体の能力は引き出せても、限界を超える事までは出来ない。
バース副長にも当然、そんな理屈は分かっていた。
「心配するな。この作戦通りに行けば、敵艦隊が動き出す前に我々はトルランカの港を押さえる事ができるはずだ。そうなれば敵は袋の鼠。いかに新型艦だろうが港から出られなければ戦う事など出来はせんからな」
「そう上手くいくといいんですが・・・」
バース副長はそれでも納得し切れない表情で背後の艦橋を見上げた。
ハイドラド艦長もつられて同じように見上げる。
バース副長が不安を感じているその理由。彼がこの戦いにただならぬ重圧を感じている理由。
勿論、負けて良い戦いなどはこの世に存在しないが、それでも彼らにはどうあっても負けられない理由が――最低でもこの船は守り通さなければならない理由が――その先に存在していたのである。
「いやあ、実に壮観だねぇ」
ここは件の艦橋の中。
弾んだ声を上げているのは、細面の品の良い青年。
聖国王太子のエルヴィンである。
エルヴィン王子はご満悦な表情で港を見回した。
「ホラホラ、見てごらんよエド(※王子の補佐官エドムンドの略称。ナカジマ家の聖国メイド・モニカの兄)。あの無数に並び立つ帆柱の数々を。正に壮大。男なら誰でも――それこそドラゴンのハヤテですら、この光景にはきっと血沸き肉躍るに違いないね」
ゴキゲンな王子の後ろで不満そうな仏頂面を隠し切れないのは、皺ひとつないピシリとした服装の長身の青年。エルヴィン王子の片腕、補佐官のエドムンドであった。
「どうしても殿下が直々に旗艦に乗られなければならないのですか」
「しつこいなエドは。その話なら何度もしたじゃないか」
エルヴィン王子はうんざりした顔で振り返った。
「この戦いは僕に課せられた試練。僕がこの国の王位を受け継ぐために、どうしても果たさなければならない崇高なる義務なんだよ」
「殿下。そのような耳障りの良い言葉で私は騙されませんよ」
「・・・はあ。ホント、エドはマジでしゃばい」
「人前でため息はお止め下さい。それと、ドラゴンから覚えた訳の分からない言葉を使うのもです。あなたはこの国の王族なのですよ」
今朝から――いや、エルヴィン王子が自分も旗艦に乗り込むと言い出した時から、二人の間で何度となく繰り返されて来たやり取りである。
エルヴィン王子が自分がこの戦いの指揮官になると宣言すると、周りは騒然となった。
戦場でもしもの事でもあったらどうするのか。ましてや船で戦場に向かうなどもっての外。
板子一枚下は地獄。
船の事故はすなわち命の危険に直結するのである。
「エルヴィン殿下! あなたはこの国の王太子なのですぞ! どうかお考え直し下さい!」
「いいや、これだけは絶対に譲れない。レフド殿(チェルヌィフ王朝の六大部族ハレトニェート家当主)とも約束しているからね。絶対に行くよ」
いつもは柔和な印象のエルヴィン王子だったが、しかし、今回に限ってはガンとして自分の考えを曲げようとしなかった。
「・・・殿下にもお考えがあってここまでおっしゃっておられるのでしょう。ならばこれ以上我々がお止めする事は出来ないわ」
「そ、そんな・・・」
最後まで最も強固に反対していた宰相夫人カサンドラが(渋々とはいえ)折れた事で、エルヴィン王子の同行に反対出来る者は誰もいなくなった。
「いいえ。私は未だに納得しておりません」
「エドもしつこいね。納得してないも何も、もう船に乗り込んでいる以上、今更だよ。大体、姉上が認めた事を君の立場で覆せる訳がないだろうに」
「それでもです。奥方様も大変心配しておられましたよ」
「それも王族たる者が負う義務みたいなものさ。つまりはアレだよ、ノブリスオブリージュだよ(※フランス語で高貴な者が果たすべき義務の意。当然、出自はハヤテだと思われる)」
「そんな風にまた訳の分からない妙な言葉を使って・・・」
二人の言い争いは、ハイドラド艦長達が艦橋に上って来るまで続いたのだった。
こうしてエルヴィン王子を総指揮官とする艦隊は聖国の港を出航した。
目指すはミュッリュニエミ帝国、トルランカの港。
風さえ順調ならば、三日から四日程の日程で到達可能と見られている。
帝国王城が未だ混乱の中にあり、対応が後手に回っている今、聖国海軍騎士団の策は――電撃的に進撃して港を封鎖。黒竜艦隊を封じ込めるという策は――十分に成功する見込みが高いと思われた。
こうして艦隊は何事もなく航路を進み、やがて三日目の朝を迎えたのだった。
次回「まるで探偵小説のクライマックスシーン」