その1 忙中おのずから閑あり
テントの外で女性の話し声がする。
それに気付いた途端、僕の翼の上で昼寝をしていたファル子達リトルドラゴンズが、ムクリと体を起こした。
やがて開け放たれたテントの入り口から、レッドピンクのゆるふわヘアーの美少女が――僕の契約者のティトゥが姿を現した。
「ギャウ! ギャウ!(ママ! ママ!)」
『あなた達、どこに行ったのかと思ったらパパのテントの中で遊んでいたんですのね』
ティトゥは元気よく突撃して来たファル子を受け止めると、その首をコショコショとくすぐった。
「ギャウギャウ!(くすぐったい! ママ、くすぐったいって!)」
僕は娘と戯れているティトゥに声を掛けた。
「ティトゥ。君、また仕事を抜け出して来たのかい? いい加減にしてくれないと僕がオットーに恨まれるんだけど」
『す、少しの間休憩しているだけですわ。ちゃんとオットーにも、ハヤテに会いに行くと断ってますわよ』
どうだか。
叡智の苔の予言した未曽有の大災害。
その発生地点は、この国とも因縁浅からぬミュッリュニエミ帝国。その帝都のすぐ北だと推測された。
ミロスラフ王国とランピーニ聖国、そしてチェルヌィフ王朝の三国は、共同して三方から軍事的圧力をかけ、帝国皇帝ヴラスチミルを会談の場に引っ張り出す事を決めたのだった。(第二十二章 対策会議編より)
国が動く(※しかもそのうちの二国は、この大陸でも有数の大国)となれば、もう僕達の出る幕などあるはずもない。
事態の主導権は完全に僕達の手を離れ、国の管理下に置かれる事となったのだ。
ティトゥは不満顔を見せていたが、僕としては肩の荷が軽くなった気がしてホッとしていた。
こうして僕達は蚊帳の外に置かれる事となった。
勿論、帝国との決着が付いた後は、叡智の苔の指示に従って、調査のために帝都の北まで行かなければならないのだが、それはそれ。
全ては先の話である。
『忙中おのずから閑あり』という言葉があるが、僕にとっては今が正にそれ。
この忙しい中にポッカリと空いた時間を、僕はティトゥの屋敷のテントで、ファル子達と戯れながらのんびりと過ごしているのだった。
「ん? どうかした?」
『ハヤテはいいですわよね。毎日こうやってのんびり出来て』
ティトゥは小さなため息をつくと、恨めし気な目で僕を睨んだ。
まあ今の僕は基本、各地の連絡係くらいしかやる事がないからね。仕事が山積みの当主のティトゥからすれば、さぞ妬ましく思えるのだろう。
『そうは言っても、その連絡係というのが、ハヤテ様しか出来ない事なんですけど』
いつの間にかテントに入っていたメイド少女カーチャが、ハヤブサを抱き上げながら苦笑した。
「そんなにホマレの方は大変なの?」
『ええ。マジでえぐいって感じですわ。今日も朝から訴訟の資料とのにらめっこで、このままだと頭がどうにかなってしまいそうですわ』
ティトゥは心底疲れた様子で力無くうなだれた。
というか、マジでえぐいとか、君はまた僕のしょうもない言葉ばかり覚えて。
それはさておき。昨今の港町ホマレの問題。中でも治安の悪化は、特に彼女と代官のオットーの頭を悩ませていた。
『人が増えるのは、町としてはいい事なんですよね?』
『増えている、ではなく、増え過ぎている、というのが問題なんですわ』
そういう事。
過ぎたるは及ばざるがごとし。いや、この場合は、薬も過ぎれば毒となる、か。
何事も度を超せばロクな事はないのだ。
この冬の間、港町ホマレは農閑期の出稼ぎに来ていた人達でごった返っていた。
それ自体は早期に対策が出来ていた(※第十八章 港町ホマレ編を参照)事もあったため、それ程大きな問題にはならなかった。
やがて春になると、彼ら出稼ぎ労働者達はそれぞれの村や町へと帰って行った。
これでようやく一安心。
そうホッとしたのもつかの間。すぐにそれを上回る人達が大挙して港町ホマレに押し寄せて来たのであった。
『これにはご当主様とハヤテ様にも責任があります』
とは、代官のオットーの言葉だ。
元々、港町ホマレを訪れる人達は増加傾向にあった。
そこに加えて、一度訪れた人達が故郷に戻って色々と吹聴した事、更には村に帰った出稼ぎ労働者達が町の様子を広めた事などが、強く人々の関心を引いた。
そんな流れを決定づけたのが、先日、僕達が介入した戦争である。
ミロスラフ王国軍を苦しめた帝国の大艦隊。その艦隊を退けた僕の活躍は、戦場から帰って来た負傷兵や旅の商人達の口から『カミルバルト国王の歴史的大勝利』として語られ、瞬く間に人々の間に広まったのであった。
「あー、つまりは、アレだ。せっかくブームが冷めかけていた所に、追加の燃料が投入されたせいで、また竜 騎 士人気が再燃してしまったって訳ね」
『ハヤテの活躍をみんなが認めてくれたんですわ』
「ギャウギャウ!(※分かっていないけど、ティトゥが喜んでいるので喜んでる)」
ティトゥは満足そうにしていたが、ホマレの領主としては手放しで喜んでばかりもいられない。
町の人口が増えるという事は、それだけトラブルも増えるという事なのだ。
中でも特に問題になったのは、先程も言った町の治安の悪化である。
『宿屋の数が足りません』
その直接の原因となったのは町の宿屋不足である。
冬の間の出稼ぎ労働者達を受け入れるため、屋根が付いているだけで食事も出ない素泊まりの安宿――いわゆる木賃宿は増設したものの、通常のサービスを行う宿となるとそう簡単には増やす事は出来ない。
寝床にあぶれた旅行者は、勝手に空いた土地で寝泊まりを繰り返し、近隣の住人との軋轢の原因となっていったのである。
『少し前までならあちこちに雪も残っていましたが、今なら外で寝泊まりしても、最悪、凍死の危険はありませんから。それに人が増えると、単純にその分だけ問題を起こす者の数も増える訳ですし』
「あーわかりみ。そもそも人が増えるとてきめんに民度が下がるよね」
日本でも近年では車中泊を禁止するキャンプ場が増えているという。
自然の中で過ごすキャンプは、かつては一部の人達だけの限られたレジャーだったが、漫画やアニメの影響からか気軽に手を出す人達が増えて来た。
そんななんちゃってキャンパー達にとって、テントの設営や片付けは面倒で煩わしい作業でしかない。
その点、車中泊ならば手間もかからないし、なんならエアコンだって付いている。仮に天気が悪くなっても、雨の中、濡れながらテントを張らなければいけないような事もない。
こうして駐車場で車中泊をする者達が増え始め、彼らの車のカーオーディオにエンジン音(※エアコンをかけるため)、それにドアの開け閉めの音などが一般のキャンプ客の迷惑になるようになり、車中泊そのものを禁止にするキャンプ場が増えているのだそうだ。
「キャンプが限られた人達の間だけで行われていた頃は、こんな問題にもならなかったんだろうね。ネットゲームやスポーツ観戦なんかもそうだけど、ブームになって一般ファンが増えるとどうしても民度が下がってマナーの悪化が問題になってしまうよね」
『ははあ、そうですか』
オットーは分かったようなそうでもないような、何とも言えない気のない返事をした。
『それよりもハヤテ、さっき言った「わかりみ」ってどういう意味なんですの?』
そしてティトゥは少し自重しようか。君が僕発祥の変な言葉を使う度に、オットーが悲しそうな目で僕を見て来るからさ。
そんな訳で、最近の港町ホマレの人口はうなぎ登り。それを追いかけるようにトラブルの発生件数も急増中という、困った状況になっているのだった。
ティトゥは『今は大陸の全ての命の危機なのに、何で私はこんな事をしなければならないんですの』などとブツブツ文句を言っていたけど、帝国が三国同盟に降伏しない限り、僕達に出来る事なんて何もないからね。
今のうちに大人しくオットーの言う事を聞いて、領主の仕事に専念しておいた方がいいと思うよ。
『あの、ご当主様』
その時、テントの外から見張りの騎士が困り顔を覗かせた。
彼のすぐ後ろには、小柄な若いメイドの姿が。
誰だろう? 見覚えのない人だけど。
『そう言えば忘れていましたわ。エマール、そんなに心配しなくても大丈夫だから入っていらっしゃい』
若いメイドさんの名前はエマールというらしい。
エマールさんは僕の方を警戒しながらおずおずとテントの中に入って来た。
まあ鎖につながれてもいない巨大な謎生物だからね。普通に怖がっても仕方がないと思うよ。
『ハヤテ。彼女はエマール。最近、屋敷で雇ったばかりの新しいメイドですわ』
ティトゥから紹介を受けて、エマールさんは慌てて僕にペコリと頭を下げた。
年齢はティトゥと同年代。二十歳前後といった所だろうか。体付きは少しふっくらしているし、あまり運動は得意でなさそうだ。何と言うか、小動物系の可愛い感じの女性である。
・・・おっと、いかん。ティトゥが僕の方を見ている。
どうやら僕の返事を待っているようだ。
『ゴキゲンヨウ』
『しゃ、喋った?!』
『エマール。ここにいるのがハヤテですわ。ハヤテは私の契約しているドラゴンですのよ』
「ギャウギャウ!(ママ! 私も! 私も!)」
『はいはい。騒がなくてもあなた達の紹介もしてあげますわ。エマール。この子がファルコ。ハヤテの娘ですわ。カーチャが抱いているのがハヤブサ。こちらは男の子でハヤテの息子ですわ』
「ギャーウ(よろしくー)」
エマールさんはティトゥの腕の中でジタバタと暴れるファル子を、おっかなびっくりといった様子で眺めている。
それはそうと、どうしてティトゥは彼女を僕の所まで連れて来た上で紹介までしてくれたんだろうね?
次回「無口なメイドさん」