エピローグ ミロスラフ王国軍、北上
この話で第二十二章も終わりとなります。
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大陸の西。カルシーク海に浮かぶ島、クリオーネ島。
ランピーニ聖国王家の象徴たる白亜の城。その執務室で宰相セレドニオ・アレリャーノは海軍騎士団からの報告書に目を通していた。
「思っていたよりも黒竜艦隊は厄介そうだね・・・」
報告書の提出者は聖国海軍騎士団団長ハイドラド。
彼は諜報部隊が集めて来た帝国海軍の情報――黒竜艦隊の情報――を下に、その対応策を検討していた。
専門家も交えた指揮官達によるシミュレーション。そこで出された様々な策を取り入れた実地訓練。
その結果分かった事は、『黒竜艦隊は侮れない』という、ある意味では予想通りの事実であった。
赤い髪の美女、宰相の夫人カサンドラが苦々しそうにその美貌を歪めた。
「エルヴィン殿下が変な安請け合いなんてするもんだから。これで負けたら聖国の面目は丸つぶれよ」
「ちょ、ここは屋敷じゃないんだ。発言には気を付けてくれないと」
アレリャーノ宰相は慌てて周囲を見回した。
文官と武官はどこの国においても仲が悪い。それはこの聖国においても同様である。
国家の財務を預かる事務官としては、軍部は存在するだけでも予算を消費する金食い虫だし、国の安全を守る軍部としては、事務官達はなんのかんのと理由を付けては金を出し渋る守銭奴でしかない。
帝国との戦を前に王城の空気はピリピリと張り詰めている。
こんな時に宰相府が海軍騎士団を批判したなどという噂が流れたら一大事。最悪、責任問題にすら発展しかねないだろう。
エルヴィン王子がナカジマ領から戻って一ヶ月。
この間にエルヴィン王子は国王を説得し、密かに出兵の約束を取り付けている。
その後も彼の後見人である三伯レンドン伯爵家元当主ミルドラドの協力の下、各所への根回しに精力的に動いていた。
日頃の王子の怠惰な姿を知る者達は、皆、彼の変わりように驚きの表情を隠せなかった。
「何を今更。元々エルヴィン殿下はこのくらいの仕事は出来るお人だったのよ。日頃はサボっていただけ。やる気を出さなかっただけなのよ」
これは彼の姉、宰相夫人カサンドラの言葉である。
とはいえ、エルヴィン王子のやる気のなさには、彼女にも原因の一端があった。
目に見えて分かり易い優秀な姉を持った王子は、幼い頃から常に周囲から出来の良い姉と比較され続けて来た。
その結果、王子は極端に自己評価が低くなり、『自分がやるよりも姉に任せておいた方が上手くやる』と考えがちになってしまったのである。
実際の所、姉のカサンドラが言うようにエルヴィン王子は決して凡夫ではない。むしろ平均よりも優れた処理能力を持っているのだった。
ちなみに今の所、まだ公式には出兵の発表はされていない。
しかし、少しでも目端の利く者達にとっては帝国との戦は既定路線。決定された物とみなされていた。
それを受け、軍部の方でも日々忙しく出兵に向けての対応――中でもとりわけ黒竜艦隊の対策――へと追われていた。
「それにしても帝国の新鋭艦隊の戦力がこれ程のものだったとは。我々は少し帝国の力を侮っていたみたいだね」
「帝国の力って言っても、あの船を造ったのは聖国の裏切り者達じゃない。こんな事になるなら強引にでも始末しておけば良かったんだわ」
黒竜艦隊を設計、製作したのは、聖国のとある貴族家だという事は分かっている。
彼は十年程前。大手の海賊と結託していたのが露呈し、お抱えの技術者達を連れて帝国に亡命したのである。
ハヤテによってアッサリ撃退されたので錯覚されがちかもしれないが、黒竜艦隊はそもそも聖国海軍を仮想敵として作られている。
ミロスラフ王国軍も苦戦した、帝国海軍の誇る精鋭部隊なのである。
艦隊を構成するのは全て最新鋭の船。しかも流出した聖国の技術で作られた、この世界で考え得る限り最新式の戦艦なのである。
それが弱い道理がない。むしろ強くて当たり前なのだ。
アレリャーノ宰相は報告書に目を落とした。
「兵士の練度ではこちらが勝っていると考えても、結局、海の上でものを言うのは船の力か。どんなに熟練の船乗りでも、船の性能を超えた速度は出せないし、積載容量を超えた数の兵士はどうやったって積み込めない。ウチの艦隊も新鋭艦の性能では決して引けを取らないものの、中には竣工時期の古い艦があって、それが味方の足並みを乱しているという訳か」
歴史とその規模で言えば、聖国海軍は黒竜艦隊を圧倒している。
しかし歴史があるという事は、その分、旧式化した船を数多く抱えているという事でもある。
それでも普段行っているような任務――海賊の退治には問題無いが、今回の場合、それら旧式船が味方全体の足かせとなっているのである。
ハイドラド団長から具申された案では、敵の新鋭艦隊に対抗するため、こちらも最新式の船だけを集めた特別艦隊を編成する、というものであった。
宰相夫人カサンドラは夫から報告書を受け取った。
「敵の最新式の艦隊にはこちらも最新式の艦隊で対応するという訳ね。力ずくには力ずくで、か。何とも芸のない話ね」
「とはいえ、団長がそれしかないと言うならそうするしかないんだろう。各所への手続きが大変だがやるしかなさそうだ」
アレリャーノ宰相は小さくため息をつくと、頭の中で連絡すべき相手をリストアップしていった。
「失礼します」
その時、開け放たれたままの執務室の入り口から声がかけられた。
そこに立っているのは、日本で言えば中学生くらいの歳のメイド少女。
癖のある薄茶色の髪をお団子にした、パッチリとしたつり目が印象的な、気が強そうな少女である。
ナカジマ家の押しかけメイド、モニカの推薦によって少し前からここで働くことになった従男爵家の子女、ズラタだった。
ここまで急ぎ足で駆け付けたのだろう。彼女は少し息を乱しながら口を開いた。
「ミロスラフ王国のドラゴンが現れました」
城の中庭は厳重な警戒態勢が敷かれていた。
その中心でどこか居心地が悪そうに佇んでいる巨大な緑色の機体。四式戦闘機・疾風。この世界ではミロスラフ王国のドラゴン・ハヤテと呼ばれる存在である。
最近では聖国王城でもすっかりお馴染みとなったハヤテが、今日に限ってなぜこうも城の騎士達に警戒されているのか?
その理由は嬉しそうに彼に話しかけている細面の貴公子。この国の第一王子エルヴィンにあった。
「殿下、そのように近付かれては危のうございます! お下がり下さい殿下!」
「だからさっきから何度も大丈夫だと言っているのに。お前達からも言ってやってくれないか?」
エルヴィン王子は横に控えてかしこまっている妹達に――第六王女パロマと第七王女ラミラと第八王女マリエッタに――声を掛けた。
三人は困った顔を見合わせるだけで何も言えない。
ハヤテが来たと聞いて喜んで中庭にやって来たら、護衛の騎士をゾロゾロと引き連れたエルヴィン王子が現れたのだ。
王族は生まれながらの公人である。同じ王族、血を分けた兄妹でも、男と女、王太子と姫では明確に上下の違いがある。
王太子を守る護衛の騎士の仕事に口出しをする事は、彼女達の立場では出来なかった。
「エルヴィン殿下! こんな場所で何をやっているのです!」
ここで赤い髪を振り乱して宰相夫人カサンドラが現れた。
「やあ姉上。今日は遅かったですね」
「あなたね! ――殿下が城の騎士達に命じて、私の所にハヤテが到着したという報告を伝えないようにしたんじゃないですか」
カサンドラ夫人は爆発しそうな感情を堪えると、絞り出すような声でエルヴィン王子に答えた。
「ズラタが気を利かせて知らせに来てくれなければ、危うく気付かなかった所だわ」
「ずっと気付かなくても良かったのに」
「殿下!」
宰相夫人の険悪な雰囲気に、ティトゥはすっかり怯えてチラチラとハヤテの操縦席を戻りたそうに見ている。
「別に姉上に含む所があって連絡を控えさせた訳じゃありませんよ。ただ単純に姉上を煩わせる必要がないと思ったから、報告させなかっただけですから。だってハヤテが来たと知ったら姉上は絶対に来るでしょう?」
「当たり前よ!」
竜 騎 士は要警戒。カサンドラ夫人の中では確定された事実である。
そんな要注意人物が自分のテリトリーである王城へとやって来たのだ。ボスである自分が直接相手をしなくてどうする。部下に任せておける訳などないではないか。
「ほらね。でも今回、ナカジマ殿とハヤテが用事があったのは私であって姉上ではないですから。だから私は姉上を呼ばなかったんですよ。はい論破」
エルヴィン王子はそう言うと嬉しそうにハヤテを見上げた。
はい論破、は、最近ティトゥが覚えたハヤテ発祥の言葉で、エルヴィン王子はそれを聞いて以来、いつか自分でも使ってみたいと思っていたのである。
現代日本でも最高に相手をイラッとさせるこの台詞は、この世界においても同様の効果を発揮するらしい。
カサンドラ夫人の額にピキリと青筋が立った。
「・・・必要があるかないかは私が自分で判断するわ。例え殿下といえども勝手に決めて貰いたくはないわね」
まるで地の底から響いて来るようなおどろおどろしい声に、エルヴィン王子は『やべっ! 調子に乗り過ぎた!』とばかりに笑みを引きつらせた。
「そ、それよりナカジマ殿から大事な話を聞いていた所だったんだ! ナカジマ殿、さっきの話を姉上にもして貰えないかな?!」
ティトゥは『えっ?! ここでこっちにパスが来るの?!』と絶望の表情を浮かべたが、カサンドラ夫人にジロリと睨まれると慌てて口を開いた。
「め、盟約に従い、ミロスラフ王国軍は北上を開始。ゾルタ北方貴族の領地に攻め込みましたわ」
ゾルタ北方貴族。いわゆる北方三男爵と呼ばれる三人の領主達が治めている土地で、一昨年の帝国による半島南征の結果、帝国領に組み込まれたばかりの地域である。
帝国領に組み込まれた、とは言うものの、代々領主同士の仲が悪く、常に小競り合いをしているという面倒な土地で、まるで現在の旧ゾルタの縮図のようなこの土地を、帝国も余程持て余し気味だったのか、朝貢を受け取るだけで代官を派遣することもなく、半ば放置状態にしていた。
ティトゥの言葉にカサンドラ夫人は怒りの感情を消し去り、瞬時に冷酷な為政者の顔になった。
「そう。始まったのね。――エルヴィン殿下」
「分かっている。こうなったらもう後戻りは出来ないね」
あの日。一か月前の三ヵ国首脳会議の際に、ミロスラフ王国国王カミルバルトから提案された一つの案。
それは開戦に先駆けてミロスラフ王国軍が北方三男爵の領地を攻めるというものであった。
(半ば放置状態とはいえ、北方三男爵領は帝国領に違いはない。皇帝ヴラスチミルは北方三男爵を救援するために帝国軍を差し向けるだろう。東の国境が手薄になったその隙を突いてチェルヌィフ王朝軍が侵攻を開始する。ランピーニ聖国もそれに合わせて艦隊を派遣する)
つまり帝国は東と西、そして南の軍と同時に相手をする事になる。
ヴラスチミルの圧政のせいで帝国は疲弊状態にあるという。食糧の備蓄は乏しく、豪華な離宮を建設するために国庫に負担を掛けた結果、街道は荒れ放題。橋が落ちたり、がけ崩れで山道が埋まっても修繕のための費用が出せなくなっているそうである。
そうでなくとも軍は動かすだけでも金がかかる。
兵糧の貯えも乏しく、金もなく、インフラすら十分ではない現状では、いかに帝国軍とはいえ、十全な力が発揮できるとは思えない。
しかも三か所もの戦場を同時に支えるのは、平時においてもかなり難しい。
おそらくヴラスチミルは早々に周辺領地を切り捨て、自分達の身を守るために帝都に戦力を集中させるだろう。というのがエルヴィン王子達の読みであった。
エルヴィン王子はふとハヤテを見上げた。
『・・・ナニ?』
「いや、何でもないよ、ハヤテ」
もし、ハヤテが予言した大災害、マナの大量発生による大爆発が起きなかったとしても、大陸は今までとは大きくその姿を変える事だろう。
ミュッリュニエミ帝国の支配力が弱まった結果、これまで帝国の下に甘んじていた領主達はこれをチャンスと己の力を誇示し始め、今まで帝国の影に怯えていた周辺国家は息を吹き返す。
次なる覇権を争う混乱の時代の幕開けである。
(人間とはどこまでも愚かな生き物だな)
そして自分はその愚かな生き物達を率いる国王になろうとしている。
エルヴィン王子はハヤテの何者にも縛られない自由な生き方に強い憧れを感じ、そしてそんなハヤテと契約して竜 騎 士となったティトゥに対して淡い羨望の念を抱くのだった。
なんだかんだで無事に会議も終わり、新たな戦いの幕が切って落とされた所で、第二十二章は終わりとなります。
どうでしょう? 楽しんで頂けたでしょうか?
この続きは、他作品の執筆(多分、『メス豚転生』になると思います)がひと区切りつき次第、開始しますので、それまで気長にお待ちいただくか、私の他作品を読みながら待っていて頂ければと思います。
最後になりますが、いつもこの小説を読んで頂きありがとうございます。
まだブックマークと評価をされていない方がいましたら、本当に、本当によろしくお願いします。
総合評価を上げてもっともっと多くの人に読んでもらいたいですから。
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