その29 ありえない客(だがまだ他に来ないとは言っていない)
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例え今が戦闘中でなくとも、軍の最高責任者はやらなければならない事が山積みになっている。
敵味方の情報の精査。ひっきりなしに入って来る部下からの報告。諸侯との書簡のやりとり。将軍達との軍議。空いた時間には陣地を見回り、味方兵士の士気も上げなければならない。
ミロスラフ王国国王カミルバルトは、そういった仕事を忙しくこなしながらも、その実、気持ちは上の空だった。
ちなみに彼が今、手にしているのは、ヘルザーム伯爵側の有力貴族から送られて来た手紙。
こちら側への寝返りを打診していた件への返事という、今後の戦局をも左右しかねない大変重要な物だったが、いかんせん今のカミルバルトは明らかに集中力を欠いている。
彼の目は先程から手紙の文字の上を滑るばかりで、その内容は全く頭に入って来なかった。
「・・・ダメだ。気になって全然仕事が手に付かん」
とうとうカミルバルトは手紙を読むのを諦めると、落ち着きなく指で机を叩いた。
どこかのナカジマ家当主ならともかく、彼ほどの為政者が仕事に身が入らない理由とは一体?
それはこの屋敷の客間でくつろいでいるはずの(というか、そうでなければ非常に困る)、とある人物にあった。
「くっ。これでは生殺しも同然だ。エルヴィン殿下も一体何を考えていおられるのか」
先程、ハヤテに乗って予告もなくこの町へと現れたランピーニ聖国の第一王子エルヴィン。
ちなみにハヤテはエルヴィン王子を降ろすと、サッサとその場を飛び去ってしまった。
カミルバルトを始めとするミロスラフ王国軍の面々は、ポカンとした顔で空の彼方に小さくなっていくハヤテの姿を見送る事しか出来なかった。
そんな彼らにエルヴィン王子は事もなげに言い放った。
「ああ、ハヤテならすぐに戻って来ますよ。実は私の他にもう一人。あなた方との会談を希望している人物がいまして。ハヤテはその人物を迎えに行ったのですよ」
「そ、そうでしたか」
ハヤテが消えた理由は判明した。
しかし、エルヴィン王子はその人物が誰かまでは明らかにしなかった。
彼曰く「どうせすぐに分かる事ですから」との事だが、どうせその客の護衛も担当する事になるであろうアダム特務官の顔は明らかに死んでいた。
「それで、殿下がこのような場所までおいでになられたのは、いかなる理由によるものなのでしょうか?」
「それはですね――いえ、私が先に話すと、後から来る者と話に食い違いが出るかもしれません。その者が来てから、改めて話し合いの席を設けては貰えないでしょうか?」
エルヴィン王子は一見、温厚で親しみやすい印象で、今の発言にも特に裏表はなさそうに感じられる。
しかしカミルバルトは、慎重にエルヴィン王子の言葉の内容を慮った。
(裏表はなさそう? バカな。エルヴィン殿下はあのランピーニ聖国の王族だぞ。そんな人間が言葉の内容通りの発言をするものか)
武術も達人の域にまで達すると、構えすら取る必要がなくなるという。
一見するとただ普通に立っているだけ。この体から余分な力が抜けた姿の事を【自然体】と言う。
カミルバルトはエルヴィン王子の一見呑気な雰囲気すらも、一流のテクニック。武術の達人で言う所の【自然体】のようなものではないだろうかと判断した。
(こう見えて本心では何を考えているか分かったものではない、か。やり辛い相手だ)
カミルバルトは心の中でエルヴィン王子に対しての警戒を上げた。
エルヴィン王子はそんな思いに気付いているのかいないのか。「ハヤテが戻って来るまで、どこかで休ませて貰えませんか?」などと頼んで来た。
「それならば現在私が泊っている屋敷がよろしいでしょう。アダム、エルヴィン殿下をご案内差し上げろ」
「は、はい!」
アダム特務官は、「ああ、やっぱり自分が担当になるんだ」と情けない顔をしたがそれも一瞬の事。直ぐに気持ちを切り替えると、部下に馬車の手配を急がせたのだった。
などという事があってから、そろそろ一刻(※約二時間)が経とうとしている。
カミルバルトはこの空き時間に少しでも仕事を片付けるけるべく、デスクに向かったのだが、結局、エルヴィン王子の事が気になって仕方がなかったのは冒頭で述べたとおりである。
ここでアダム特務官が報告のために部屋へとやって来た。
彼が言うにはエルヴィン王子は部屋でゆっくりしているそうである。
「というか、聖国の王太子殿下をお待たせするとか、非常に気が気でないんですが。こんな事をして本当に大丈夫なんでしょうか?」
「・・・俺達がやっている事じゃない。文句ならハヤテに言ってくれ」
「ハヤテ様ですか。そう言えばハヤテ様が連れて来るもう一人の人物とは、一体誰なんでしょうね」
「さて。聖国の王子を待たせているんだ。ひょっとしたら聖国国王かもしれんぞ」
アダム特務官はヒイッ! と上ずった声を上げた。
竜 騎 士ならやりかねない。そう思ったようだ。
カミルバルトは表情を緩めると軽く手を振った。
「――まあ流石にそれはないだろうがな。普通に考えれば国王と次期国王が揃って国を離れるなどあり得んだろう。そうだな。可能性としては王女の誰かか、あるいはレンドン伯爵辺りか」
「レンドン伯爵ですか?」
ミロスラフ王国はランピーニ聖国と関係が深いとはいえ、数多い貴族家を全て覚えているのは宰相とその部下くらいではないだろうか?
アダム特務官は聞きなれない貴族家の名前に片眉を上げた。
「レンドン伯爵家はエルヴィン殿下の母親の生家。レンドン伯爵家当主は殿下の叔父という話だ」
「ああ、なる程」
エルヴィン王子が待たされる程の相手となれば、かなり候補は絞られる。
順当に考えれば、聖国王家の人間か、あるいは実の母親の親兄弟。叔父であるレンドン伯爵辺りか。
ちなみにカミルバルトはレンドン伯爵家が代替わりしている事を知らなかった。彼らは昨年末からずっと戦地にいたからである。
現在ではレンドン伯爵家は、エルヴィン王子の叔父ミルドラドではなく、彼の息子パトリチェフが当主となっている。(詳しくは、第二十章 聖国の三伯編 その15 三伯の二 レンドン伯爵家 からの一連の出来事を参照)
アダム特務官は、ホッと安堵の表情を浮かべた。
それなら少しは安心。などという考えが浮かんだ時点で、彼もかなり感覚がマヒしている。
レンドン伯爵家は聖国の三伯のトップ。聖国第二の港レンドンを治める大貴族である。その当主ともなれば、決して気を抜いて良いような相手ではない。
それでも三伯がまだ普通に感じられる程、彼にとってエルヴィン王子はありえない客だったという事なのだろう。
アダム特務官は報告を終えると、すぐさまエルヴィン王子の下へと走って帰った。
王子の近くにいるのも気が気でないが、かと言って目を離しているのも不安で仕方がないという事らしい。
アダム特務官の胃に穴が開かないか心配される所である。
アダム特務官が部屋から去った後、カミルバルトは読みかけていた手紙を手に取った。
彼の目が再び装飾過剰の文章を追い始めたその時だった。屋敷の外でどよめきの声が上がった。
「――来たか」
はたしてその直後。部下が開け放たれたままにしていた入り口に姿を現した。
「陛下! ドラゴンです! ナカジマ家のドラゴンがやって来ました!」
カミルバルトは今度こそ手紙を放り出すと、イスを蹴って立ち上がったのだった。
ハヤテは先程降り立ったのと同じ場所にその大きな翼を休めていた。
カミルバルトは遠巻きにハヤテを取り囲む兵士達の輪を抜けると、乗っていた馬から降りた。
さっきはあまりの出来事に、つい馬上でエルヴィン王子を出迎えてしまった。同じ轍を踏まないようにしたのである。
そんなカミルバルトのすぐ横で馬車が停まると、中からエルヴィン王子が降り立った。
二人が到着したのを確認したのだろう。
ハヤテの背中の風防が開くと、飛行服を着た見目麗しい少女が立ち上がった。
ナカジマ家当主。人類史初のドラゴンとの契約者。姫 竜 騎 士ことティトゥ・ナカジマである。
全員が緊張の面持ちで見守る中(※エルヴィン王子は除く)、ティトゥは先程同様、背後を振り返ると同乗者がイスから立ち上がるのに手を貸した。
彼女に手伝われて姿を現したその人物は――
(((えっ? 誰?)))
もしもこれが漫画やアニメなら、全員の頭の上にクエスチョンマークが描かれていたかもしれない。
彼らは戸惑いの表情を見合わせた。
騎士の年齢は三十代半ば。ガッシリとした体形。大柄な体。あまり見慣れない異国風の鎧の非常に凝った造りから、家柄の高さが推測される。更にはその鎧が浮いていない――しっくりと本人の体に馴染んでいる所から、歴戦の強者感を感じさせる。
ひょっとしてエルヴィン王子の護衛の騎士なのだろうか?
周りの者達は頭に疑問符を浮かべたままでエルヴィン王子に振り返った。
カミルバルトも最初は彼らと同様に、怪訝な表情を浮かべていたが、騎士のマントに刺繍された紋章の正体に気付くと、ギョッと目を見開いた。
「は? う、ウソだろう。あの方はまさか・・・。というか、本当にあの方を連れて来たというのか? はるばるチェルヌィフから? 信じられん。というかあいつらバカじゃないのか?!」
彼は思わずそう呟くと両手で頭を抱えた。
「へ、陛下? いかがなされたので?」
「ハレトニェート家だ」
「は?」
「チェルヌィフ王朝のハレトニェート家だと言ったのだ! あの紋章は間違いなくチェルヌィフ王朝の支配者、六大部族ハレトニェート家の物! そしてハレトニェート家の武人であのただならぬ佇まい! まさか、あの方はチェルヌィフに名高い――いや、だがそんなはずは・・・しかしだとすれば年齢は一致する――」
カミルバルトは震える手で口元を押さえながらブツブツと呟いている。
この国の貴族でチェルヌィフ王朝の六大部族ハレトニェート家の名を聞いた事のない者などいない。
将軍達はギョッと目を剥くと、あり得ない物を見る目でこの異国の騎士を凝視した。
混乱のざわめきが広がる中、件の騎士はハヤテの翼の上から気安くエルヴィン王子に声を掛けた。
「おお、エルヴィン殿下。待たせてしまって済まなかったな」
「いえ、意外と早かったですよレフド殿」
「レフド?! やはりチェルヌィフの【双獅子】! レフド・ハレトニェートだったのか!」
エルヴィン王子の言葉に、カミルバルトはまるで悲鳴か何かのような叫び声を上げてしまうのだった。
次回「三ヵ国対策会議」