その28 国王カミルバルトの後悔
といった訳で僕達はヘルザーム伯爵家の屋敷のある町――のお隣の町へと到着した。
ここは・・・ええと何て名前の町だっけ?
『屋敷のある町がアルピナで、この町はテツネだね』
胴体内補助席で細面の貴公子、ランピーニ聖国の第一王子エルヴィンがサラリと答えた。
そして全くピンと来ていない僕とティトゥ。こうして聞かされても、そんな名前だったっけ? としか思えないんだけど。
エルヴィン王子は驚く僕に、自慢するように言った。
『これでも為政者の端くれだからね。名前を覚えるのは得意なんだよ』
『それでハヤテ。一体どこに降りるつもりなんですの?』
為政者の端くれ未満の領主が慌てて口を挟むと話題を変えた。
「う~ん。後の移動の事を考えれば、出来るだけ町の中心近くに着陸した方がいいんだろうけど、それっぽい場所は全部埋まってるみたいなんだよね」
町の中心には丁度手ごろな広場があるにはあるが、残念ながらミロスラフ王国軍の物と思われるテントで既に一杯になっている。
他の場所も荷物やら何やらで占められて、僕が着陸出来そうなスペースはなさそうだ。
「町の外の街道は空いているみたいだし、ちょっと離れてしまうけどそちらに降りるしかないかな」
『仕方がありませんわね』
エルヴィン王子は僕の言葉をティトゥに翻訳して貰うと、なる程、と頷いた。
『領地の中心近くの、しかもこの規模の町となると、街道も人や馬車で込み合っているものだが、今は敵軍に占拠されている最中だからね。街道も空いているという訳だ』
あ~、なる程。僕らにとってみれば味方の軍でも、この土地の人間にとっては敵国の軍隊。
その敵軍に占拠されている町に、わざわざ来ようとする者などいるはずもない。街道がガラ空きなのも当然か。
僕は何度か街道の上空を通過。
問題無く降りられそうなのを確認すると、可能な限り町の近くに着陸したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ハヤテが町の外に着陸したという情報は、直ぐにミロスラフ王国国王、カミルバルトの下へと届けられた。
カミルバルトは直ぐに立ち上がるとマントを手に取った。
「馬の仕度をしろ! それとアダムも呼べ! 急げ!」
「陛下?! まさかご自分で出向かれるおつもりなのですか?!」
護衛の騎士は驚きに目を見張った。
「もしやとは思うが念のためにだ」
かつてハヤテを手に入れようとして、短絡的な手段に訴えた【ネライの手余し者】ヤヒーム。
流石にあのような暴走をする者は他に出て来ないと思いたいが、ここは敵地。理性のタガが緩んで予想外の行動を起こす者が出ないとも限らない。
「最悪には備えておく必要があるだろう。・・・ボソリ(またナカジマ殿を怒らせる訳にはいかんからな)」
怒る怒らない以前に、単純に大人として、少女に対して情けない所を見せたくないという見栄もある。
だが、それよりもカミルバルトはハヤテの不興を買うのが恐ろしかった。
あの恐るべき超生物が国家の敵に回る。それは可能な限り避けねばならない最悪の未来だった。
(ここでまたやって来たという事は、ようやくあの時の気持ちを整理出来たのだろうな。とはいえ、時間が空いた事は双方にとって幸いだった。あの時とは違い、将軍達も少しは彼女の話に耳を貸す心構えになっているに違いない)
カミルバルトの脳裏に、あの日、自分達に向けて涙ながらに訴えたティトゥの姿が思い浮かんだ。
あの時のティトゥの言葉はあの場にいた者達の心に刺さり、見えない棘を残していた。
国を超え、この大陸に住む全ての者達のために、契約ドラゴンと行動を共にしている一人の少女。
その華奢な腕では、剣一本、振り回す事すらままならないだろう。
それでも少女は、そのちっぽけな体で史上最悪の災害に立ち向かおうとしている。この大陸に住む全ての命の運命を背負おうとしている。
そんな少女の助けを求める声に自分達は背を向け、伸ばした手を振り払ってしまった。
そういった後ろめたさに加え、戦いにも終わりが見えた事で、今は将軍達の気持ちも保守的な方向へと傾きつつある。
(あの時はあまりに急過ぎた。そもそも大陸を襲う大災害の話など、突然聞かされて信じろという方がムリがあるのだ。それに対して、今は機が熟しつつある気配を感じる。おそらく次の話し合いの席では、以前とは異なり、前向きに捉える者も出るに違いあるまい)
カミルバルトは、そんな確信めいた予感を覚えながら建物を後にしたのだった。
常日頃であれば人や馬車で賑わっている街道も、敵軍が町を占拠している状況とあって閑散としている。
ハヤテはそんなひと気のない街道の、町のすぐ外れに着陸していた。
カミルバルトがアダム特務官を引き連れ、馬で現場に到着すると、そこには既に大勢の兵士達が集まっていた。
人混みの中に主だった将軍達の姿を認め、カミルバルトは内心で苦笑を浮かべた。
(どうやら俺が思っていたよりも、将軍達にとってナカジマ殿の言葉は堪えたようだな)
あちらもカミルバルトの姿を認めたらしく、居心地が悪そうに目を逸らした。
そんな彼らの視線の先。今まで締め切ったままでいたハヤテの背中の透明な覆いが――操縦席の風防が――後方にスライドした。
次いで若い少女が立ち上がる。
その美しい姿に、兵士達の間から「姫 竜 騎 士」と、憧憬を含んだ声が漏れた。
カミルバルトの見た所、ティトゥの顔には、あの日に感じた怒りの様子も苛立ちの感情も見られない。やはり日を置いた事で精神的に立ち直ったようだ。
双方共に良い傾向だ。
カミルバルトはそれを確認すると馬を前に進めようとした。
「?」
しかしティトゥはそのままこちらに背を向けると、その場にかがみこんだ。
やがて奥から頭が一つ、ひょっこり姿を覗かせた。
どうやら彼女の背後にもう一人、誰か別の人間が乗っていて、彼女はその人間が出て来る手伝いをしていたようだ。
ザワッ・・・
突如現れた見た事のない、それでいてひと目で高貴な存在である事が分かる青年の姿に、兵士達の間に戸惑いの声が広がった。
青年は二十代半ば。長い髪はやや灰色が入ったブロンドベージュ。面長の整った顔にスラリと高い背丈。目にも鮮やかな青色のマントには金糸で大きく紋章が刺繍されている。
その紋章を認めた瞬間、将軍達の間に衝撃が走った。
例え兵士達は知らなくても、彼らは全員その紋章を知っている。いや、この国の貴族で知らない者などいようはずがない。
「聖国の・・・王家の紋章」
誰かが思わず漏らした声に、周りの兵士達がギョッと目を見開いた。
当然だが、王家の紋章の使用が許されているのは王家の者だけ。もしもそれ以外の者が使用した場合、その本人だけではなく一族郎党全ての首が体と泣き別れする事になるだろう。
それ故に必然的にこの青年はランピーニ聖国の王家の人間と考えられる。
だがだとすれば当然疑問も生じる。
なぜそんな立場の人間が、護衛の一人も連れず、しかもドラゴンの背に乗って現れたのだろうか?
彼らが激しく混乱する中、カミルバルトはあまりの絶望に自分が馬に乗っている事すら忘れてその場に倒れそうになっていた。
「え、エルヴィン殿下・・・」
信じられない名前に、アダム特務官が主君の正気を疑うような目を向けた。
「間違いない! あれはエルヴィン殿下だ! しかし信じられん。よりにもよって・・・よりにもよって、聖国の王太子殿下を引っ張り出して来るか・・・」
カミルバルトは、婚約者である聖国王女パロマから、聖国王家の者達の特徴と人となりを聞いていた。
ハヤテに乗って現れた青年の姿は、その時に聞いた聖国の王太子、第一王子エルヴィンの外見上の特徴と完全に一致している。
聖国の王子がなぜ? どうしてここに?
それを考えた時、カミルバルトは脳天にガツンと一発、特大の衝撃を食らった気がした。
「ハヤテがこのタイミングで聖国の王太子を引っ張り出して来た理由・・・そんなのは決まっている。だが、まさか目的のためにここまでするのか? ドラゴンという存在は、これ程までに人間社会の常識という物が通用しないものなのか?」
ハヤテが聖国の王子を連れて来た理由。それはパートナーの少女を助けるために違いない。
王子の口からミロスラフ王国の者達に対して、自分達の調査に協力するように言わせる。それ以外には考えられない。
確かに、ミロスラフ王国の者達に言う事を聞かせるためには、これ以上無い人選だ。確実にこちらのウイークポイントを突いていると言っていい。
昨年夏の即位式の時の事。メルトルナ家当主ブローリーが二列侯への勅諚を掲げ、カミルバルトの即位に対して反旗を翻した。
ネライ家領地がそれに追随する動きを見せた事のあり、あわやこのまま内乱勃発か? と、王都には緊張が走った。
この危機的状況をひっくり返したのが、カミルバルトと聖国王女パロマとの婚約である。この発表により貴族達の心が一気にカミルバルトへとなびき、結束を固める結果となったのである。(第十五章 四軍包囲網編 より)
あまり名が通っているとは言えない第六王女のパロマですら、ミロスラフ王国ではこれ程の影響力を持つのだ。
聖国王子の、ましてや継承権の第一位、次期国王のエルヴィンがどれ程の影響力を持つか、あえて言うまでもないだろう。
カミルバルトは後悔していた。
過去の自分に対して、やりきれない怒りを感じていた。
なぜ自分は将軍達の気持ちを推し量って、ティトゥへの対応を後回しにしてしまったのか。
もしもこうなる事を知っていたら、あの時将軍達をぶん殴ってでも、真面目にティトゥの話を検討するように言い聞かせていたというのに。
(ていうか、聖国の王子を引っ張り出すとか、普通そんなバカげた事を考えるか? 見てみろ、俺と同じ考えに思い至った将軍達の絶望に満ちたあの顔を)
カミルバルトの視線の先、将軍達は顎が外れそうになる程あんぐりと口を開け、顔面を蒼白にしている。
それも当然だ。
エルヴィン王子がティトゥに力を貸すという事は、ティトゥの口からいかに自分が手を焼いているかという事を――いかに将軍達が聞き分けがなく、身勝手であるかを――聞かされているという事になる。
あの日、ティトゥから向けられた怒りと失望の言葉を覚えていない者はこの場にはいない。
あの言葉を目の前の聖国の王子は聞かされている。
それを想像するだけで、自分の立場がどうなるか・・・いや、自分自身はまだいい。それよりも部下の立場は。実家の親兄弟だってどうなるか分からない。いやいや、更に言えば自分が仕える領主様だって・・・。
ゴクリ。
最悪の想像に彼らは緊張に喉を鳴らした。
(((・・・どうしてこんな事に)))
将軍達の心は完全に一つになっていた。
エルヴィン王子はそんなお通夜状態の将軍達の顔を興味深そうに見回した。
「私に会えた事を喜んで欲しい、などと自分の口から言うのは流石に面映いが、そんな顔をされたのは初めてなので何と言えばいいのか。先ずは自己紹介をさせて貰おうか。ランピーニ聖国の第一王子、エルヴィン・ランピーニだ。ミロスラフ王国の諸君にはお初にお目にかかる」
その言葉にカミルバルトはハッと我に返り、弾かれたように馬から降りた。
あまりの衝撃に気を取られ、他国の王族の前で乗馬したままだった事を忘れていたのである。
その姿を見て将軍達も慌てて主君に倣う。指揮官達が右往左往する姿を見て、兵士達も『これはマズい』とばかりに急いでその場に膝を付いた。
ザザッ・・・
この光景にハヤテは、『流石は聖国の王子様。一声かけただけで全員ひれ伏してしまうんだもんな』と感心しきりであったという。
次回「ありえない客(だがまだ他に来ないとは言っていない)」