その26 心に残った見えない棘
すみません。予告とタイトルを変更しました。
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帝国海軍の誇る黒竜艦隊の退却を確認したミロスラフ王国軍は、ヘルザーム伯爵領に向けて進軍を開始した。
この動きにヘルザーム家は領地の東、守りの要とも言えるリーグ砦に守備隊を派遣した。
その数約五千。
これは領都アルピナを守るための戦力を除けば、現在、ヘルザーム伯爵軍が動かせるギリギリの数と言えた。
しかし、そう考えたのはヘルザーム伯爵家とその重鎮達だけで、実際に部隊を預かる指揮官達はこの決定に激怒していた。
「五千だと?! しかも半数近くは金で雇われた傭兵だと言うではないか! 話にならん! そんなもので帝国艦隊を退けて勢いに乗るミロスラフ王国軍を防げるはずなどないではないか!」
「領都アルピナを守るための戦力を残すと言うが、リーグ砦が抜かれてしまえば、敵軍を遮る物は何もないのだぞ? ここは全戦力をもって砦を死守すべきであろう。それに領都を守るための戦力を残すと言っても、そんなものが一体何の役に立つ? 伯爵家の重鎮達はまさかアルピナに立てこもって籠城戦をするなどと言い出すつもりではあるまいな」
辛辣な内容だが彼らの言葉にも一理ある。
領都アルピナにも城や城壁はあるにはあるが、それはこの地がいくつもの勢力に分かれて争っていた大昔に作られた物で、今となってはせいぜい伯爵家の権威を示すものでしかない。
それも老朽化が激しく、手入れもろくにされていない状態で、まともに使えるかどうかも怪しい所である。
つまりは張子の虎。いわば歴史遺産であって、実用的な施設ではありえないのだ。
伯爵家が戦力を出し惜しみする理由はただ一つ。自分達を守る部隊がいなくなってしまっては不安になる、ただそれだけの事。
つまり彼らは自分達の保身のための心の保険が欲しかっただけだったのである。
こうしてリーグ砦に派遣された守備隊だったが、そもそも半分が人数合わせのための傭兵の時点で結果はお察しである。
彼らはミロスラフ王国軍相手になすすべもなかった。
砦はなんとわずか五日で陥落。
ミロスラフ王国軍はこの勝利の勢いを借り、瞬く間に領都アルピナに迫った。
事ここに至り、ようやくヘルザーム伯爵家は自分達の尻に火が付いている事を悟ったらしい。屋敷内は上を下への大騒ぎとなった。
「リーグ砦の守備隊は何をしていたのだ!」
「ミロスラフ王国軍はもうそこまで来ているぞ!」
「誰か! 誰か何とか出来る者はおらんのか! 帝国艦隊は?! 帝国艦隊はどうした!」
慌てふためくだけで、何一つ有効な指示が出せないヘルザーム伯爵家の重鎮達。
そんな無様な上層部に愛想をつかした者達がいた。
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領都アルピナから東に約五十キロに位置するテツネの町。
ミロスラフ王国軍はこの町を占拠すると、来るべき決戦に向け兵を休ませていた。
そのテツネの町の中央に位置する代官の館。ここは現在、ミロスラフ王国軍によって接収され、国王カミルバルトの仮の住まいとなっていた。
「・・・そうか。ヘルザーム伯爵家当主は逃げ延びたか」
国王カミルバルトは部下から報告を聞くと小さく頷いた。
「分かった、その使者に会おう。ここに呼べ」
「はっ」
部下は頭を下げるとカミルバルトの前を後にした
「わずか二ヶ月程の当主の座か。周囲の都合で担ぎ上げられただけとはいえ、哀れなものだな」
現在のヘルザーム伯爵家当主がその座に就いたのは、ほんの二ヶ月程前。
その頃、ヘルザーム伯爵家は、この地に進軍して来たミロスラフ王国軍にどう対処するかで、意見が二つに割れていた。
無駄な争いを避けてミロスラフ王国に恭順するべしとする穏健派貴族と、侵略者に対して徹底抗戦を続けるべしとする強硬派貴族。
結果、強硬派がクーデターを実施。
当時の当主を粛清し、彼の孫を――自分達の意見が通り易いまだ幼い当主を――新たな当主として担ぎ上げたのだった。
その後彼らがミュッリュニエミ帝国に救援を求め、皇帝ヴラスチミルがその要請に応えて黒竜艦隊を派遣したのは知っての通りである。(第二十一章 カルリア河口争奪戦編 より)
こうしてヘルザーム伯爵家を掌握した強硬派貴族達だったが、黒竜艦隊が敗走した事によって大きく風向きが変わった。
更には先日、この地の守りの要、リーグ砦が陥落した事により、ヘルザーム伯爵家はあっという間に土俵際にまで追いやられてしまう事となった。
見苦しく慌てふためくばかりで、何ら有効な解決策を見いだせない強硬派貴族達。
これ以上、無能な彼らに任せていては、この地がミロスラフ王国軍によって焦土とされてしまう。
そんな思いから、すっかり力を失っていた穏健派貴族達に協力を申し出た者達がいた。
それが今まで散々、無能な上層部の思い付きに振り回されて来た、軍の指揮官達であった。
かつてヘルザーム伯爵家には、他国にも名の通った優秀な武将がいた。
本人に派手な活躍こそなかったものの、まるで塩のようにその場に無くてはならない存在から、彼は【塩将軍】と呼ばれた。
【塩将軍】自身は十年程前の戦いで戦死してしまったものの、彼の薫陶を受けた将兵者達は今も現役で、現在のヘルザーム伯爵軍の中核を成す存在となっていた。
そんな現役指揮官達が、現在の上層部を見限り、穏健派と手を結んだのである。
彼らはヘルザーム伯爵家の屋敷を襲撃。強硬派の中心人物のことごとくを処断した。
つまりはクーデターである。
クーデターで政権を得た強硬派貴族は、今度は自分達がクーデターによって滅ぼされてしまったのである。
因果応報とでも言うべきか。初めにクーデターという強硬策を用いた彼らは、その行いによって相手にも同じ手段を使う正当性を与えてしまったのだった。
この混乱の中、一部の強硬派貴族は、まだ幼い当主を守って屋敷を脱出した。
旗頭を失ってしまったら、自分達が賊軍になってしまう。それが分かっているからこそ、彼らは命がけで当主の身柄を保護しなければならなかったのである。
こうしてヘルザーム伯爵家は保守派貴族達によって掌握された。
彼らは急ぎ、和睦のための話し合いの使者をミロスラフ王国軍に送ったのであった。
報告を持って来た部下の姿が部屋の外に消えると、カミルバルトの側に控えていたヒゲの武将がおずおずと声を掛けた。
「陛下。わざわざご自身で会われたりしなくとも。私が代理で会って話を受け取っておきますが」
「構わん。少し長く国を空け過ぎた。今は出来るだけ早くこの戦いを終わらせてしまいたいのだ」
ヒゲの武将――アダム・イタガキ特務官は、少し困った顔になった。
「しかし、使者の目的は明らかです。彼らは何が何でもこの場で事を収めたい。つまりは自分達の本拠地であるアルピナに我が軍の侵入を許したくない、という事です。負けていながら勝者に譲歩せよとは、随分と身勝手な考えだと思いますが?」
「なんだお前、まるで将軍達のような事を言うじゃないか」
カミルバルトは小さく鼻を鳴らした。
「実際、少し前までのヤツらなら、間違いなくそう言ってアルピナまで攻め込みたがっただろうな」
「今は違うとおっしゃるので?」
「その通りだ。というか、お前も気が付いていると思っていたが?」
カミルバルトの指摘にアダム特務官は無言で背筋を伸ばした。
「下々の考えをそれとなくお伝えするのも、陛下から命じられた私の仕事ですので。ですが本当に将兵達から不満が出ないとお考えですか?」
「むしろ国に帰りたがっているのは俺ではなく、彼らの方だろうな」
カミルバルトは王族という権力の頂点の生まれではあるものの、若くして臣籍降下していた時期があったせいか、意外に苦労人気質があると言うか、部下や周囲の空気を読む能力に長けている。
昨年末、ミロスラフ王国軍は、国王カミルバルトの指揮の元、意気揚々とこの小ゾルタに乗り込んだ。
しかし、ヘルザーム伯爵軍はカメニツキー伯爵領から撤退。領地に籠って守りを固くした。
ミロスラフ王国軍の進軍は遅々として進まず、やがて雪が降り始めると、打ち捨てられた王都バチークジンカに入って冬を越さなければならなくなった。
せっかく武功を上げようと張り切って参戦して来た領主軍にとっては、すっかり水を差された形である。
力を持て余した彼らは、あちこちで衝突を繰り返し、アダム特務官に悩みの種を振りまいた。
そして雪もとけ、そろそろヘルザーム伯爵領に向けて進軍開始かと勢い込んでいた矢先に、例の帝国艦隊の到着である。
領地軍の将兵達は強大な敵を相手に良く戦った。
数多くの犠牲者を出し、陣地の一部も敵に奪われ、あわやこのままでは敗北か? と諦めかけた所に颯爽とハヤテが登場。
彼らが苦労し続けていた帝国艦隊をあっさりと打ち破った。
「結果的に勝ちはしたものの、たまたまハヤテが来なければ負けていた訳だからな。初めての大戦に、すっかりのぼせ上っていた将兵達の心を、帝国艦隊はものの見事にへし折ってくれたという訳だ」
そして今回の進軍である。
ミロスラフ王国軍は苦戦が予想されたリーグ砦を、たったの五日で攻略する事に成功した。
苦しい戦いを経験した直後のこの勝利に将兵達が何を思うだろうか。
「勝ったんだからもう十分。これ以上、戦ってまた負けそうになるくらいなら、今回はもう十分な武功は立てたし、ここで終わりにしておきたい。とまあ、そう考える者が多いだろうな」
ハヤテ辺りが今の話を聞けば『そう言えば僕のパチンカスの後輩も、朝からパチンコで五万円以上溶かして「もうダメだ」と半分フラフラになりながら打ってたら、最後に座った台でたまたま大当たりを引いて、三万ちょっと取り返した事があったらしいね。その時は「実質勝ち」だって胸を張ってたけど、本当は二万円負けてるんだけどさ』などと言ったかもしれない。
「とはいえ、兵士達が戦いはもういいと思う理由は、それだけではないかもしれないが」
カミルバルトはそう言うとふと窓の外を見上げた。
彼の脳裏に浮かんだのは、あの日、ナカジマ家当主ティトゥ・ナカジマが、戦いの準備を始めた将兵達に向けて涙ながらに叫んだあの言葉。
『戦争でこの国を手に入れたとしても、それで一体どうなるというんですの?! ハヤテは私達人間の事を心配して、大災害に立ち向かおうとしてくれている。それなのに、それなのになんでその人間は対策そっちのけで人間同士の争いを止めようとしないんですの?! 人間とはどこまで身勝手で欲深い生き物なんですの?! 私は同じ人間として、恥ずかしくてハヤテに顔向けできませんわ!』
あの言葉は間違いなく、あの場にいた全員の心に突き刺さり、見えない棘を残していた。
我々は自分達の命を救ってくれた英雄にあんな顔をさせてしまった。人間同士で醜い争いを続け、竜 騎 士達の声を聞こうとしなかった。
そんな後ろめたい気持ちがミロスラフ王国軍の将兵達の心を縛り付け、厭戦気分に駆り立てている――
「――そういう部分も多少なりとはあるだろうな」
「かもしれませんな」
カミルバルトの言葉にアダム特務官はしんみりとした表情で答えた。
彼らは理解していなかった。
ハヤテとティトゥ、二人の竜 騎 士は、常人の予測を飛び越えてその遥か斜め上を行くという事を。
竜 騎 士は普通じゃない。
カミルバルトの見上げる空の遥か先。
そこでは今正に、ハヤテが彼らが想像すらしえない客を乗せ、こちらを目指して飛んで来ているという事を。
その恐るべき事実を彼らはまだ知らない。
次回「お初にお目にかかります」