その21 ラダ・レブロン伯爵夫人
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「ええい、離せ! 歩き辛い!」
「アンタが一人で行こうとするからでしょうが! そんな弓一本担いで何をするつもりなんですか!」
昨日の嵐による混乱もようやく落ち着いたレブロンの港町。
多くの人々で賑わう港に突如謎の飛行物体が襲来した。
襲来、と言うのは大袈裟で、実のところ飛行物体は何が目的なのか港の上空には入らず、入江の上をグルグルと旋回しているのだが。
たまたま港に視察に訪れていたレブロン伯爵夫人・ラダ・レブロンは、どうも相手のそれを挑発行為と受け取ったようだ。
自身の護衛の騎士から弓をひったくると一人港へと歩き始めた。
慌てて彼女を止めるのはレブロンの港町の代官の男。
洒落た服を着た伊達男だ。
伯爵夫人の護衛の騎士達はうろたえて二人を見ているしかない。
最初は代官の避難勧告に慌てて建物の中に逃げ込んでいた港の人達も、今では興味深気に窓から空を見上げている。
実際、危険さえなければ今まで目にした事もない珍しい出来事なのだ。
彼らが話のネタに少しでもよく見ておきたいと思っても仕方がないことだろう。
「まずは一矢、放っておくだけだ」
「ちょ・・・正気ですか?! あんな訳の分からないモノを相手に、いきなり敵対してどうするんですか?!」
慌てる代官に伯爵夫人は、お前は何を言っているんだ? という目を向けた。
「先に殴って上下を思い知らせる。相手に素直に言うことを聞かせるための交渉術じゃないか」
「どこのならず者ですかアンタは! 本当にそれでも伯爵夫人なんですか?!」
もう良いどけ! と伯爵夫人は代官の男を蹴り飛ばした。
ゴロゴロと転がる代官の男。
港町の住人は拍手喝采だ。どうにも血の気の多い住人達である。
伯爵夫人は謎の飛行物体を睨むとキリリと弓を引き絞った。
まるで英雄を描いた絵画から抜け出してきたかのような凛々しい姿である。
大きく引き絞られた弓から矢が・・・
「やめろおおおおお!」
放たれることは無かった。
別に代官の男の叫びが通じたわけではない。
彼女の鍛えられた視力が、謎の飛行物体に彼女の良く知る者の姿を見付けたのだ。
「マリエッタ王女殿下?」
代官の男が伯爵夫人の言葉に唖然とした。
もちろん彼もマリエッタ王女のことは知っている。自ら港まで案内したことだってあるのだ。
代官の男は懐から望遠鏡を取り出すと目に当てた。
謎の飛行物体の背中? に見えるのは特徴的な銀色の髪を持った少女。
「マリエッタ王女殿下?!」
「私がそう言っただろうが!」
まさか信じてなかったのか? 伯爵夫人は呆れ顔で驚愕に固まる代官の男を見下ろすのだった。
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『あの方がマリエッタ様の叔母上ですか?』
『叔母様・・・まさかあの弓でハヤテさんを射るつもりだったんでしょうか?』
マリエッタ王女が呆れ顔で地上の女性を見た。
まあ僕はこう見えても今も時速300kmほどの速度で飛んでるからね。ライフルで狙ってもそうそう当たらないんじゃないかな?
そもそも高度500mに届く弓があるとも思えないけど。
それにそんな弓があっても人間には引けないと思う。
マリエッタ王女が手を振ると地上の女性、王女の叔母のラダさんも手を振り返した。
『ハヤテさんあそこに降りることができますか?』
少し狭いけど、丁度人もいないから問題ないだろう。
僕は港の空きスペースに向かって進入降下角を取った。
問題ないだろう。と言ったがあれは嘘だ。
意外とごちゃごちゃと色々な物が置いてあったようで、僕はそれらを薙ぎ払いながら豪快に着陸を決めた。
辺りに野菜だの魚だのが派手にぶちまけられる。
いつもこんなでスミマセン。これらの食材は後でスタッフが美味しく頂いたらいいなぁ。
『ラダ叔母様!』
ティトゥが僕の風防を開けるのももどかしく、マリエッタ王女が立ち上がった。
危なっ! お客様、機体が止まってから席をお立ち下さい。
ティトゥが勝手に開けられないように風防をロックすることって出来ないんだろうか?
『マリエッタ王女殿下! 一体これはどういうことですか?!』
ラダ叔母さんが王女に問いかけ・・・ながらティトゥを見て警戒している。
ティトゥは立ち上がったマリエッタ王女を支えながら会釈をした。
貴人に対する作法ではないが、手が離せない状況なんだから仕方がないだろう。
マリエッタ王女はさっと周りを見渡した。
『ここで話せることではありません。大至急場所を用意して下さい。時間が無いんです』
ラダ叔母さんはマリエッタ王女の表情に何かを感じたのだろう。
自分の足元で座り込む洒落た服を着た伊達男の襟首を掴んで立たせると、王女の意向に沿うよう命令した。
彼はいい服を着てるし、実は結構偉い人なんじゃないかと思う。
ラダ叔母さんに顎で使われているけど。
僕はなんだかマチェイ家の家令のオットーを思い出してホロリときた。
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会談場所はすぐに用意された。
港に近い大手商会の二階の一室だ。
二階は全て代官の貸し切りとなり、商会の人間は席を外している。
今はレブロン伯爵夫人の付き添いで港まで来ていたメイドが王女の服装を整えている。
ティトゥは壁際に立ってマリエッタ王女の後ろに控えている。
王女と元王女である伯爵夫人の会談に下士位の娘であるティトゥの席は無いのだ。本来は。
「ティトゥお姉様にもイスを用意するように」
しかし王女の鶴の一声で急きょ席が用意された。
座り心地が悪そうに席に着くティトゥ。
「待たせたね。コイツは同席させても?」
レブロン伯爵夫人が代官の男を伴って部屋に入って来た。
マリエッタ王女は迷わず小さくかぶりを振る。
レブロン伯爵夫人と代官の男の顔に驚きが浮かんだ。
代官といえ彼は男爵位を持つれっきとした貴族だ。その彼にも聞かせられない話とは一体・・・
代官の男が席を外すと、マリエッタ王女はレブロン伯爵夫人にミロスラフ王国で起こった一連の出来事を報告した。
路地裏での誘拐未遂からメザメ伯爵の疑惑、招宴会に絡んだ様々な勢力の陰謀。
王女は包み隠さず簡潔に話した。
話を全て聞き終えた伯爵夫人は一つ大きく息を吐いた。
マリエッタ王女とティトゥが見守る中、王女の話が始まってから一言も話していなかった伯爵夫人の口が開いた。
「それで?」
伯爵夫人の一言に、それだけで部屋の空気がピリリと引き締まり緊張感に包まれた。
ティトゥがゴクリと喉を鳴らす。
「・・・それで、とは?」
マリエッタ王女の言葉に伯爵夫人は
ガタン!
音を立てて行儀悪く足を組むと、港の方に顎をしゃくった。
「それで、いつあのデカブツの話をしてくれるんだい?」
どうやら夫人は興味のあること以外は歯牙にもかけない性格のようだ。
自分の祖国で画策されている陰謀より自身の好奇心を優先させる。
その図太さに何とも言えない頼もしさを感じて王女とティトゥの顔に自然と笑みが浮かぶのだった。
「何だって! あれが物語に登場するドラゴンだって言うのかい!」
「ええ。ハヤテさんとおっしゃいます。」
ドラゴンの説明が始まると、伯爵夫人は先程までとは違ってガッツリ話に食い付いて来た。
ティトゥの解説も交えた王女の話に、伯爵夫人は前のめりで聞き入りながら終始興奮気味だった。
「今日の昼にミロスラフを発っただって? 冗談を言っちゃあいけないよ!」
「本当なんです。ハヤテさんは嵐の上だってひとっ飛びなんですよ」
嵐という言葉に伯爵夫人は目を見開いた。
確かに昨日の嵐は夜には東の海へと抜けた。王女の話と状況も一致するのだ。
こうしてハヤテの話をしているのは楽しいが、時間は押し迫っている。
マリエッタ王女は一つ咳をすると気持ちを切り替えて彼女の叔母に向かった。
「それでラダ叔母様には」「分かっている。私もドラゴンに乗ってみたいと思っていたトコロさ!」「はっ?」
マリエッタ王女はポカンと大口を開けて固まった。
レブロン伯爵夫人は気にせずティトゥへと問いかけた。
「ドラゴンは人間の言葉が通じるんだろう?」
「ええ。私達は彼の言葉が分かりませんが」
「聖龍真言語だっけ? さすがはドラゴン様だ、御大層な言葉を喋るもんだね」
ハヤテが褒められてティトゥは頬が緩むのを抑えられない。
ようやくマリエッタ王女が我に返ったようだ。
慌ててレブロン伯爵夫人へと詰め寄った。
「あの、叔母様がご自身でミロスラフ王国へ向かわれるんですか?!」
「その方が手っ取り早いだろ」
レブロン伯爵夫人はさも当たり前のように言い放った。
「それにドラゴン様に乗れるチャンスだ。みすみす見逃す手はないね!」
あ、これは止めないとマズイやつだ。
ノリノリの自分の叔母の姿に王女はこっそりとため息をつくのだった。
次回「あれは”双炎龍覇轟黒弾”」