その23 レフドとエルヴィン
『ここがミロスラフ王国か。嬉しいねえ。言ったかもしれないけど、実は僕は外国に来たのって初めてなんだよね。空を飛んだのもこれが初めてだし、今日は僕にとって人生で初めて尽くしの一日となったよ』
胴体内補助席から港町ホマレを見下ろして喜んでいるのは、見るからに育ちの良さそうな品のある青年。
ランピーニ聖国第一王子エルヴィン殿下である。
ティトゥは少しでもエルヴィン王子の邪魔にならないように、さっきからずっとイスの上で体を小さく丸めている。
狭い操縦席でゴメンね。
「あの、エルヴィン王子。景色を楽しんでいる所を申し訳ありませんが、ティトゥの屋敷に着陸するから安全バンドを締めてくれませんか?」
『――と、ハヤテは言っていますわ。ええと、お手伝い致しますわ』
『安全バンド? ああ、この帯の事だね。ナカジマ殿、よろしく頼む』
ティトゥは後ろを振り返ると、手早くエルヴィン王子をイスに固定した。
ていうか、今更だけど聖国の王子をティトゥの屋敷なんかに連れて来て良かったんだろうか?
第一王子って事は継承権のトップ。順当に行けば次の王様になる可能性が一番高い人という事になる。
そんな人にもし何かあったらと思うと。最悪、この国がランピーニ聖国と戦争になってしまうんじゃないだろうか?
あれ? 何だろう。つい最近も似たようなセリフを言ったばかりのような気がするんだけど。
具体的に言うと、六大部族の当主の一人、ハレトニェート家当主ことレフド叔父さんの時にも同じような事を言ったような・・・
「だったら今更か。うん。毒食わば皿まで。そもそもチェルヌィフ王朝と問題になった時点でこの国は詰んじゃう訳だし、そこにランピーニ聖国が加わった所で大した違いはないよね」
『それもそうですわね』
僕とティトゥは諦めの境地で、むしろ心穏やかに今の状況を受け入れた。
これはエルヴィン王子を味方にするためにはベストな選択。必要とされる犠牲だったのだ。そう思って割り切っておくことにしよう。
主に僕達の精神衛生上のために。
こうして僕はいつもよりも慎重かつ丁寧に、お馴染み海軍式三点着陸で着陸したのだった。
「え~、皆さま、港町ホマレに着陸いたしました。港町ホマレの天候は晴れ、気温は15度でございます。なお、機体が完全に停止するまでベルトは着用の上、お座りのままお待ちください。この先、通信用電波を発する電子機器はご使用になれますが、携帯電話の通話は周りのお客様のご迷惑になりますのでお控え下さい。本日もエアライン・ハヤテをご利用いただきましてありがとうございました。お出口は中央の1か所でございます。皆さまと、又お会いできる日を客室乗務員一同、心よりお待ち申しあげております」
『ナカジマ殿。今、ハヤテは長々と何を言ったんだい?』
『エルヴィン殿下。こういう時のハヤテの言葉は聞き流しておけばいいんですわ』
ちょ、ティトゥ。ちょっとしたノリで機内アナウンスを再現しただけなのに、それだと僕がどうしようもなく滑ったヤツみたいになるんだけど。
超恥ずかしいんだけど。
ティトゥは僕の抗議を完スルー。聞こえないフリをするのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ハヤテが戻って来ると、いつものようにナカジマ家の使用人達が出迎えのために裏庭に集まった。
「ギャウ! ギャウ!(パパ! パパ!)」
「ファルコ様、危ないですよ! 大人しくしていて下さい!」
興奮して走り出したリトルドラゴン・ファル子を、屋敷の使用人達が慌てて追いかける。
そんなファル子を、横から伸びた大きな手が素早く捕まえた。
「どれ、ファルコは俺が抱いていてやろう」
「ギャウー!(イヤー!)」
ジタバタと暴れるファル子を事もなげに抱きかかえているのは、立派な鎧を着た大柄な騎士。
チェルヌィフ王朝からの来客。六大部族の当主、レフド叔父さんことレフド・ハレトニェートであった。
「す、すみません、ハレトニェート様!」
ナカジマ家の使用人達は、客の手を煩わせてしまった事に対して恐縮しきり。
とはいえ、そこには昨日のような恐怖にも似たピリピリとした張り詰めた空気はなかった。
(これもハレトニェート様の人柄のおかげだな)
代官のオットーはホッと安堵の息を吐いた。
大陸一の大国チェルヌィフ王朝。その実質的な支配者である六大部族。そのハレトニェート家の当主。
想像を超えた高貴な客の来訪に、本気でどうなる事かと心配し、ストレスで胃に穴が開きそうな程思い悩んだものだったが、この様子なら特に何事もなく、大役を終えられそうである。
ハヤテのエンジンが止まると、オットーはティトゥの出迎えのために近付いた。
ティトゥは風防を開いて立ち上がると、直ぐには降りずに背後を振り返った。
これ自体は特におかしな行動ではない。今日のハヤテとティトゥは、聖国メイドのモニカを迎えに聖国王城まで行っていた。
ならば操縦席の後ろ――胴体内補助席にはモニカが乗っていて、ティトゥは彼女がイスから立ち上がるのに手を貸しているのだろう。
それは簡単に想像出来るのだが、それにしては妙に手間取っているというか、モタモタし過ぎなのが気になる所だ。
モニカはもう何度もハヤテに乗って、この国と聖国の間を往復している。そんな彼女が今更、一体何を手間取る事があるというのであろうか?
「えっ? 誰?」
ザワッ・・・
使用人達の間に戸惑いの声が広がった。
ティトゥの手を借りて立ち上がったのは、彼らが良く知るメイド服の若い女性ではなかった。誰も一度も見た事のない青年だった。
長い髪はやや灰色が入ったブロンドベージュ。面長の整った顔には温和な表情が浮かび、見る者に親しみを抱かせる。スラリと高い背丈。目にも鮮やかな青色のマントには金糸で大きく紋章が刺繍されている。
「ま、まさか・・・そんなまさか」
オットーはその紋章に見覚えがあった。というよりも、このナカジマ領でこの紋章を見た事がない者はいないだろう。
彼らが日常的に使う聖国通貨。その通貨に彫刻されているのがこの紋章。聖国王家の紋章だったからである。
聖国では高貴な者にしか使用が許されない青色の服。そして王家の者にしか使用が許されない王家の紋章。そして今日、ハヤテ達が出向いた先は聖国王城であった。
それらの事実から推測されるこの青年の正体は――
最悪の予想にオットーの膝から力が抜けた。
あまりのバカげた想像に、脳が理解を拒んでいた。
なんでそんな高貴なお方がここに?! というか、なんでそんな方をお連れしているんですかご当主様!
オットーが激しく混乱する中、青年は軽く周囲を見回すと口を開いた。
「私はエルヴィン・ランピーニだ。この国の者達にはランピーニ聖国の王子と言った方が通じ易いかな?」
やっぱり。
というか、よりにもよって第一王子。次期ランピーニ国王だったとは。
「「「ええええええええっ!」」」
予想外の人物に、使用人達が思わず驚きの声を上げた。
そしてオットーはショックのあまり、その場に崩れ落ちたのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『『『ええええええええっ!』』』
エルヴィン王子の名乗りを聞いて、使用人達の絶叫が屋敷の裏庭に響き渡った。
驚かなかったのは王子という立場にピンと来ていないファル子達くらいか。
カーチャも驚いているけど、君ってエルヴィン王子の顔を見た事が無かったんだったっけ?
そういや新年式に参加したのは僕とティトゥの二人だけで、カーチャとファル子達、それにナカジマ家の使用人達は、王城に割り当てられた部屋で待機していたんだったか。
――いや待った。確か新年式で王城にティトゥを運んだ時、中庭に出迎えに出て来たはずだ。
なんだやっぱり知ってるんじゃないか。単純に忘れていたのかな? まあ、自分に接点のなさそうな偉い人の顔なんて、いちいち覚えている訳がないか。
『ひ、ヒュー、ヒュー(ご、ご当主様、なんで・・・なんで突然、聖国の王子なんて連れて来るんですか・・・。なんで事前に一言言っておいてくれないんですか・・・)』
オットーが蚊の鳴くようなかすかな声でティトゥに文句を伝えた。
『キッ(知りませんわ。私だって被害者なんですわ)』
『ガクッ・・・(そ、そんなあ・・・)』
そしてティトゥの力のこもった視線によって返り討ちに遭った。ていうか、君達良くそれで意思が通じるね。伝わる僕も大概だけどさ。
それはさておき、流石に一国の王子をこのまま立たせておくのは失礼が過ぎる。
オットーがショックで動けないなら、代わりにティトゥが案内するしかないだろう。
そう思って僕がティトゥに声を掛けようとしたその時だった。ファル子を抱いた大柄な騎士が――ハレトニェート家の当主、レフド叔父さんが、朗らかな笑顔を浮かべながらエルヴィン王子の方へと歩み寄った。
『エルヴィン殿下。俺はレフド・ハレトニェート。チェルヌィフ王朝の六大部族、ハレトニェート家の当主だ。訳あって今はこの屋敷で世話になっている』
『あなたがレフド殿ですか。お名前はハヤテからお聞きしております。実はハヤテが私をここに連れて来たのは、あなたから話を聞かせて貰うためだったのです』
『俺から話を? ――ふむ、それはアレか。大災害の件についてか?』
エルヴィン王子は少し意地悪な顔でレフド叔父さんに頷いた。
『ええ。けどそれは別として、チェルヌィフ王朝の六大部族の当主と話が出来る機会なんて、普通に考えればあり得ませんからね。これもハヤテという規格外の存在が取り持ってくれたからこそ。あるいはハヤテのせい? 勿論、二つ返事で了承しましたよ』
『――! 確かに! 俺もこんな機会でもなければ、次期聖国国王と話す事などあり得んからな。ハハハハ! 確かにこれはハヤテのせいに違いない! こちらこそ願ってもない縁に感謝する』
ええっ? これって僕のせいなの? エルヴィン王子のせいじゃなくて?
レフド叔父さんとエルヴィン王子は何故か僕を出汁にして意気投合。
ポカンと立ち尽くす使用人達を残し、二人仲良くティトゥの屋敷に入って行ったのであった。
次回「自由な王子」