その20 ご当地グルメ
僕がテントの中でのんびりしていると、急に外が騒がしくなって来た。
なんだろう? と思っていると、見慣れた顔がテントの外に姿を現した。
チェルヌィフからのお客さん。レフド叔父さんだ。
次いで姿を現したのは代官のオットーと・・・あれは宿舎団地警備隊のザイラーグ隊長だろうか?
今からここで一体、何が始まるんだろうか?
僕は良く見ようと、適当な使用人に声を掛けてテントの外に出して貰ったのだった。
一体何事かと使用人達が集まる中、レフド叔父さんと若手の騎士は訓練用の木剣を手に向かい合った。
この様子。模擬戦でも始めるつもりなのかな?
オットーはお客さんの体に何かあってはとハラハラしている。
レフド叔父さんは審判役? のザイラーグ隊長に振り返った。
『これでいいだろう。始めてくれ』
『分かりました。では――』
ザイラーグ隊長はレフド叔父さんの対戦相手の騎士に振り向くと――体を低くして襲い掛かった。
ていうか、ザイラーグ隊長が戦う訳? てっきり審判なのかと思ってたよ。
『――つっ!』
『遅い』
騎士は咄嗟に剣を突き出すが、ザイラーグ隊長は頭を下げるだけでそれを躱す。
ザイラーグ隊長は騎士の懐に飛び込むと、そのまま相手の腰に組み付いた。
ドサッ!
次の瞬間、ザイラーグ隊長は騎士を地面に押し倒していた。
総合格闘技の教本にお手本として載るような、鮮やかな両足タックルだ。
騎士は慌てて起き上がろうとするが、ザイラーグ隊長は素早く相手の腰に馬乗りになり、それを許さない。
次いで相手の喉に上腕部を押し付けると、気道を圧迫する。
『・・・まっ、参った』
騎士はたまらずギブアップ。ザイラーグ隊長の勝利が決まった。
使用人達の間から『お~っ』と感嘆の声が上がる。
ザイラーグ隊長が騎士に手を貸して立ち上がらせると、レフド叔父さんは感心しきりといった様子で手を叩いた。
『見事だ』
『ありがとうございます。もしも相手が意地を張って降参しない場合、あのまま意識を刈り取ります。最も重要なのは出来るだけ体を低くしながら相手に組み付く事です。大抵の場合、兵士も騎士も自分の腰より下に位置する相手に対して、剣を振るった経験がありません。そのため攻撃が来たとしても鎧でどうにか防げることがほとんどです』
ここで周りで見ていた野次馬達も、『なる程。お客さんがザイラーグ隊長の腕前を見て見たいと言ったんだな』と理解したようだ。勿論、僕も。
さっきからずっと青ざめた顔で見ていたオットーも、何事もなく無事に終わった事で大きな息をはいた。
この場に安堵のざわめきが広がる中、レフド叔父さんは『では』とザイラーグ隊長に告げた。
『では次は俺の番だな。さあ、今のを俺にも仕掛けてみるがいい』
オットーの体が絶望に力なく崩れた。
『ハハハハハ! こうも簡単にやられてしまうとはな! というか、分かっていたはずなのになぜこうも耐えられないんだ?』
『これのコツは組み付いた時、相手の太ももの裏に腕を回して引き寄せる事です。こうすれば――こうなります』
『おおなる程。道理で堪える事が出来んわけだ。――つまりはこうだな?』
『そう。その通りです。流石に筋がいい。そう、そして相手が倒れたら、そのまま体重をかけて――』
ザイラーグ隊長はレフド叔父さんをあっさりと押し倒して勝利。
今は二人で、ああでもないこうでもないと熱心に技術談義を繰り広げている。
微笑ましいというか暑苦しいというか、何とも反応に困る光景だが、気の毒なのはオットーだ。
チェルヌィフの要人が自分の部下とくんずほぐれつしているという衝撃的な光景に、今にも死にそうな顔になっている。
ここで屋敷の中からティトゥが姿を現した。
『なんだか外が騒がしいと思ったら、みんなここにいたんですのね。ハレトニェート様。食事の支度が出来ましたわ。食堂にいらして下さい』
『そうか、分かった。ザイラーグ隊長、また時間が出来たら相手を頼む』
『はっ。喜んで』
レフド叔父さんは土で汚れた顔をグイッと拭うと、晴れ晴れとした顔で屋敷に引き上げて行った。
その後ろにザイラーグ隊長と部下の騎士が続く。
次いで野次馬をしていた使用人達も、三々五々、自分達の仕事に戻っていく。
後に残されたのは、まるで魂が抜けたようになってしまったオットーだけ。
こうして裏庭には静寂が戻ったのだった。
『オットー・・・』
『・・・確かにご当主様からはハレトニェート様の人となりは聞かされいました。ですが、まさかあれ程豪快なお方だったとは。完全に予想外というか何というか。ハヤテ様にも心配をして頂き申し訳ございませんでした』
オットーはそう言うと乾いた笑みで僕を見上げた。
ああ、うん。勿論、オットーの事も心配していたんだけど、それはそれとして、誰かに僕をテントに戻してくれるよう、手配してくれないかな?
頼もうにも、もう周りに誰もいなくなっちゃったし、このままだと野ざらしで夜を迎える事になっちゃいそうだからさ。
僕のお願いに、オットーは無言で天を仰いだのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ハレトニェート家当主レフドは、部屋で汗を拭って着替えると、ナカジマ家の使用人の案内で食堂に入った。
屋敷の主人。ホストのティトゥは先に食堂で待っていた。
レフドに席を勧めると、ティトゥは思い出したように彼に尋ねた。
「そう言えば、ハレトニェート様は内陸の土地の方でしたわね。海の食材には馴染みがないんじゃありませんの?」
「俺がまだ子供の頃の話だが、ウンターズの港町に行ってそこの地元料理を食べた事ならある。割と美味かったという記憶はあるな」
ウンターズはデンプションに次ぐチェルヌィフ第二の港町である。
そもそもレフドは帆装派サルート家の生まれのため、海産物に全く馴染みがないという訳でもなかった。
ティトゥは『それなら大丈夫ですわね』と納得した顔になった。
そのまま二人が食前酒を口にしながら軽目の雑談をしていると、メイドが前菜の乗った皿を持ってやって来た。
食事の始まりである。
前菜を片付けると次はスープとなる。
レフドは白いスープに軽く目を見張った。
「これはヤギか牛の乳のスープか? 港町で酪農とは珍しいな」
「いえ、こちらは豆乳と春野菜のスープとなります」
豆乳という耳慣れない単語に、レフドは怪訝な表情を浮かべた。
しかしティトゥにとっては普通の料理なのか、本人は当たり前のような顔でスープを口にしている。
レフドは『食べてみれば分かる事か』と匙を手に取ると、具材と一緒に口に運んだ。
(ほう。変わった味だ。だが不思議と悪くない)
予想していた獣臭さはなかった。ヤギや牛の乳ではないというのは本当のようだ。
代わりに感じるのは野菜から染み出した甘味と、あっさりしながらも濃厚な味わい。
ホロリと砕ける具材は白身魚だろうか? いかにも港町らしい食材である。
レフドの母国チェルヌィフでは、どちらかと言えば香辛料の味付けが濃い料理が好まれる。
だがこれは次の一口が待ち遠しくなるような、いくら口にしても飽き足らないような、上品でありながらそれでいて癖になるような絶妙な味わいだった。
新鮮な感覚に夢中になってスープを口に運んでいるうちに、いつの間にか皿は空になっていた。
もう少し量があっても良かったのに。
レフドは物足りなさそうに空いた皿を見下ろした。
「ナカジマ家では腕の良い料理人を雇っているのだな。このスープの味なら王城でも出せると思うぞ」
「ベアータが聞けば喜びますわ」
料理人はベアータというらしい。一見すると女性の名前だが、本当に女性なのか男にしては珍しい名前なのかは分からない。
そうこうしているうちに次の料理が運ばれて来た。
「白身魚のムニエルでございます」
「むにえる?」
またも聞いた事のない単語に、思わずレフドは聞き返した。
皿に乗っているのは、一見すると焼いた魚の切り身。ただ普通に焼いたものではない事は、まんべんなくきつね色になった色合いと、強烈に食欲を誘う匂いからも明らかだった。
レフドは三十代前半。屋敷でデスクワークをしているよりも、馬に乗って現場に出ている方が性に合う所からも分かるように、まだまだ食が細って来るような年齢ではない。
というよりも、むしろガッツリ系のメニューに目が無い方だった。
そんな彼の食欲が、本能レベルで『目の前の料理は絶対に美味い』と激しく訴えていた。
「ムニエルとはドラゴンメニューの特別な調理方法なのですわ」
「う、うむ、そうか」
折角のティトゥの説明だが、残念ながらレフドの耳を右から左に抜けていた。
それ程、料理から立ち昇る匂いは彼を激しく刺激し、魅了していた。
彼はソワソワしながら料理に手を伸ばした。
カチャリ
ナイフが皿に当たって小さな音を立てる。香ばしい塊が口に入った瞬間、レフドに衝撃が走った。
(美味い! 美味いぞオオオオオオオオオ!)
これがアニメなら口からレーザー光線を出していたかもしれない。
レフドは夢中になって目の前の料理を平らげた。
彼にとっての未知との出会い。初めてのドラゴンメニューとの出会いはこうして幕を開けたのであった。
次回「謎の荷物」