その20 レブロンの港町
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ここはクリオーネ島ランピーニ聖国の港町。
ランピーニ聖国にはいくつか大きな港があるが、ここは比較的大きな港の部類に入る。
それもそのはず、レブロン伯爵家のお膝元レブロンの町の港だからである。
今、その港町の平穏を脅かす存在が空から急速に迫りつつあることを彼らはまだ知らない。
レブロン伯爵夫人、ラダ・レブロンはその日港へと足を運んでいた。
今でこそ抜けるような青空だが、昨日はこの季節にしてはかなり強い嵐がこの町を襲ったのだ。
夫であるレブロン伯爵は毎年この時期は王都へ行っている。
そのため留守を預かった伯爵夫人が、港で何か被害が無いか直々に視察に来ていたのだ。
港の船や町の建物に多少の被害が出たようだが、幸いなことに人的な被害は何人かの怪我人以外認められなかった。
「いやいや、わざわざ町に出向いて被害を調べる伯爵夫人なんていませんって」
馬にまたがった優男が肩をすくめた。
拵えの良い洒落た服をいきに着こなしている伊達男だ。
「お前が代官だからな。心配でおちおち屋敷でのんびりもできんわ」
同じく馬にまたがり、男と轡を並べる女性が真っすぐ前を向いたまま答えた。
女性の年齢は30歳ほど。スラリと伸びた背は周囲にいる警護の騎士達とほぼ変わらないだろう。
伯爵夫人という話だが、髪を後ろでまとめ凛とした姿はまるで歴戦の女騎士といった風情だ。
男の方はどうやらレブロンの町の代官のようだ。
「伯爵夫人と代官」というよりは「女騎士とお調子者の従者」と言われた方がしっくりくる二人だ。
「ミュッリュニエミ帝国の船は朝一番に出航したんだよな?」
「ええ。港の使用料が一日増えたことで昨日は散々文句を言われましたよ」
せっかく良かれと思って嵐が来ていることを教えてやったんですがね。
そうぼやくと、代官の男はまるでチンピラがやるように馬上から地面に唾をはいた。
どうもこの男は代官にしてはあまり行儀が良くない男のようだ。
周りの騎士達が眉をひそめた。
「まあそう言ってやるな」
伯爵夫人もこれには苦笑いだ。
「まあ思ってたより激しい嵐だったってんで、出航前には船長から感謝の言葉と贈り物まで頂きましたがね。怒った時には言葉より先に手が出る、感謝する時にはケチケチせずに大盤振る舞い。海の男の気質ってのはどこの国でも変わりませんね」
代官の男は馬上から空を見上げた。
特に意図して取った行動ではない。
昨日の嵐がウソのような良い天気だ。そう思って見上げただけである。
だから空に浮かんだ小さな点に気が付いたのは本当に偶然だった。
代官の男はその点から目を離さないように見つめたまま、懐から小さな筒を取り出すと手さぐりでそれを伸ばした。
筒は小さな望遠鏡だった。
「ほう、それが船長からもらった贈り物か?」
夫人が目を細めて興味深気に望遠鏡を見つめた。
「ええ。なんでも帝国では国がこういったモノを作り出して金持ち連中に売ってるそうですな」
船長が言うにはコイツもバカみたいに金がかかったそうですが。
男はそう言うと望遠鏡を目に当て、空のかなたを注視した。
その様子を眺める伯爵夫人。
どこか羨ましそうだ。彼女は好奇心旺盛な女性らしい。
「・・・噂の天才錬金術師という者が作ったのかな?」
「まあおそらくは。船長の話だと本人はもう死んじまってるそうですがね」
サラリと告げられた言葉がよほど意外だったのだろう。伯爵夫人は驚きに目を見張った。
「なんでもだいぶ前に自殺したそうですよ。作り方が残っているモノは弟子によって今でも作られていますが、新しいモノはもう生み出せないんじゃないですかね」
「そうか・・・そうだな。天才の弟子が天才である道理もない。それはそうとそれは良いモノだな」
ポロリと心の声が漏れる伯爵夫人。
「ええ、良いモノですね。貸しませんよ。貴方は前にもそう言って私が貸した物を壊しましたよね。ご自分の物をご当主様に買ってもらって下さい」
代官の男の言葉に一瞬ムスッとした伯爵夫人だが、男の顔に浮かんだ驚愕にすぐさま真剣な表情になった。
「貸せ!」
短く告げる夫人の声に、男は先ほどの言葉とは裏腹に素早く望遠鏡を投げ渡した。男の目は鋭く空の一点を見つめたままである。
うかつに目を切ると見失う。まだそんな小さな点なのだ。
投げられた望遠鏡を危なげなくキャッチしてすかさず目に当てる伯爵夫人。
「どこだ?!」「防波堤に沿って右上! 小さな雲の右!」「な! なんだあれは?!」
大空に浮かぶ小さな点。それは彼らがかつて見た事もない奇妙な飛行物体だった。
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ついに僕達の前にクリオーネ島が姿を現した。
これってクリオーネ島で良いんだよね? 別の島ってことはないよね?
なんだか上手く行き過ぎて逆に不安になっている僕だった。
『間違いないわ。 スゴイ・・・本当に一日とかからずにランピーニ聖国に戻って来られるなんて・・・』
マリエッタ王女は今更ながら自分の身に起こった出来事に茫然としている。
ティトゥはそんなマリエッタ王女に問いかけた。
『あれがクリオーネ島で間違いありませんのね?』
『ええ。他の場所ならともかく、何度も訪れたレブロンの港町を見間違えるはずがありません!』
マリエッタ王女はティトゥに振り返ると自信満々に答えた。
スゴイ自信だな。僕の目には割と普通の港町にしか見えないんだけど。
王女の様子にティトゥは安堵の笑みを浮かべた。
ティトゥも僕と同じで少し不安だったようだ。
まあ知らない土地なんだからそれも当然か。
『しかもレブロンの港町に着くなんてスゴイわ! なんて幸運なのかしら!』
マリエッタ王女は大興奮だ。
王女の話によると我々の尋ね人である彼女の叔母、ラダ伯爵夫人はこのレブロンの港町のお屋敷に住んでいるのだそうだ。
なにそれ、あり得ないくらいの偶然なんだけど。
クリオーネ島は日本で言えば四国くらいの大きさはあるんじゃないかと僕はふんでいる。
つまり四国の丸亀市を目指して飛んで、四国に到着したらたまたまそこが丸亀市だった、というくらいの偶然だ。
なぜ丸亀市なのかって? 会社にボートレースが好きなヤツがいたからだ。
四国のボートレース場は「ボートレースまるがめ」と「ボートレース鳴門」。
もちろん僕が知っているのは名前だけで、それがどこにあるのかは知らない。
僕達がそんな風にのん気に喋っている間に、実はレブロンの港町では僕を発見して大騒ぎになっていたのだが、もちろん僕達はそんなことを知る由もなかった。
というか僕がその可能性に気が付くべきだったんだよね。
島国で海を挟んで複数の国に囲まれているランピーニ聖国が対空監視をおろそかにしているわけはないのだ。
無事クリオーネ島にたどり着いたことで気が緩んでいた、というのもあるだろうが、ミロスラフ王国ののどかな空気に僕も知らないうちに毒されていたのかもしれない。
今後は今回のようなミスをしないようによく肝に銘じておこう。
僕はのんびりレブロンの港町を目指して飛んだ。
と言っても四式戦の巡航速度は時速380㎞。新幹線より速い速度で飛ぶのだ。
みるみるうちに港が近づいて来た。
『どこを目指して飛べばよろしいんですの?』
『ちょっと待ってくださいね。レブロン伯爵のお屋敷は町の中心にあるので・・・』
ふむ。直接屋敷に向かうつもりでいたが、それだと止めといた方が良いだろう。
屋敷が荒野にポツンと建ってる一軒家なら、屋敷の前に直接着陸すれば良い。でも、町中にあるのなら僕が着陸出来るほどのスペースがあるとは思えない。
必然的に屋敷の庭に着陸することになると思うが、見ず知らずの人の家の庭にいきなり着陸するのは流石にマズイと思う。
僕だって見ず知らずの他人がいきなり家の駐車場に車を乗り入れて尋ねて来たらビックリするだろう。
マリエッタ王女は真剣に考え込んでいる。
でも良い考えは浮かばない様子だ。
それはそうだろう。今まで王女自ら面会の段取りを組んだことなどないはずだ。
そういう仕事は大抵周囲がやってくれるんじゃないかな。
これに関しては貴族の令嬢であるティトゥも同様だろう。
さてどうしたものか・・・。
僕はそう考えながらもついつい好奇心に負けて、初めて訪れた異国の地を興味深く眺めていた。
・・・あれ?
『なんだかスゴい騒ぎになっていますわ』
やはり初めての異国が気になっていたのだろう。ティトゥが港の様子を見て呟いた。
『あっ・・・』
マリエッタ王女は心当たりがあるようだ。というか僕にも分かった。
これ僕が原因だ。
未確認飛行物体が急接近しているのだ。
何も知らない港の人達が警戒するのも無理のないことだろう。
『ミロスラフ王国ではハヤテさんが町まで飛ぶ時はいつもどうしているんですか?』
「『・・・』」
マリエッタ王女の至極最もな質問に僕とティトゥは何も答えられない。
いつもも何も町まで飛んだことなんて一度もないからだ。
取りあえず僕は港の上空に入らないように気を付けながら海の上を大きく旋回した。
走り回って建物に逃げ込んでいた人達がおそるおそる建物の窓から顔を出している。
・・・本当にどうしようコレ。
港から離れた草原とかあればそこに着陸した方が良いのかな?
ん? 二人の人間が港の方に歩いてきたぞ。
一人は弓を持った女性、もう一人はその女性に縋り付いている男性。
いや、男の方は弓を持った女性を止めようとして引きずられているようだ。
『ラダ叔母様!!』
マリエッタ王女が驚いて叫んだ。
どうやらあの男を引きずる凛々しい女性が僕達の尋ね人、マリエッタ王女の叔母さんだったようだ。
次回「ラダ・レブロン伯爵夫人」