その15 転がり出したボール
ティトゥのお姉さん達、アンデルス家一家が屋敷に入ってしばらく。
僕は裏庭で悪魔料理人ことマチェイ家の料理人テオドルと料理の話で盛り上がっていた。
『ううむ。ご当主様からバターを使った料理の話は聞いていたが、油をどう使うのかと思っていた。まさかバターに塩を足して調味料として使っていたとは』
テオドルは、その発想はなかった、とばかりに目を見開いた。
昨年の夏、ティトゥが王都の屋敷(※レンタル)で開いた招宴会。
何だかんだあってドラゴンメニューのお披露目会みたいになってしまったあのパーティーに、ティトゥパパとティトゥママも参加していた。
で、二人の口から料理の話を聞いたテオドルは、自分でも再現出来ないかと時間を見付けてはチャレンジしていたそうなのだ。
『自分で口にしたのならまだしも、人から聞いた話だけでは伝わらん事も多い。こうして直接ハヤテに聞けて良かった』
『サヨウデゴザイマスカ』
まあ、僕のヒントから形にしたのは、ナカジマ家の料理人のベアータなんだけど。
僕が知っているのは、彼女が語ってくれた内容だけ。自分では食べた事すら無いので、正確に答えられたかどうかは結構怪しい所だ。
それでいいのかって? テオドルがそれでもいいから教えてくれって言うんだから仕方がないだろ。
まあ、彼だってプロの料理人なんだから、ヒントさえあればいい感じに料理を仕上げてくれるんじゃないだろうか?
そもそも、料理には正解なんてない訳だしね。
テオドルは聞くだけ聞くと満足したのか、小走りで屋敷に戻って行った。一刻も早く頭に浮かんだアイデアを形にしたいんだろう。
お役に立てたみたいで良かったよ。
僕が謎のやり遂げた感に満足していると、テオドルと入れ違う形でティトゥが姿を現した。
彼女はさっきまでのドレス姿ではなく、ここに来た時に着ていたいつもの飛行服に着替えていた。
『ハヤテ! ホマレに帰りますわよ!』
ティトゥは開口一番。さっきまでとは打って変わって、吹っ切れたようなハツラツとした表情で僕を見上げた。
僕は慌てて彼女に確認を取った。
「え? 今から帰るの? てっきり今日は泊って行くのかと思っていたんだけど。お姉さんとは数年ぶりの再開だったんだし、積もる話とかあるんじゃない?」
『何を言ってますの? 何も言わずに外泊したらみんなに心配をかけてしまうじゃありませんの』
そりゃまあそうだけど。
けど、君はそれでいいわけ? こんな事は言いたくないけど、もう二度と会えないかもしれないんだよ?
『構いませんわ。そんなものは私達で大災害を未然に防げばいいだけの事ですわ。次はもっとゆっくり出来る時に会って、昔の事で文句を言ってやりますわ』
どうやら大災害は未然に防ぐ事が既に決定されている様子。まあ実際、そのためにこうして頑張っている訳なんだけど。
とはいえ、ティトゥの中で何かの踏ん切りが付いたのは間違いないようだ。
僕が里帰りを提案した時の元気を失くした彼女はここにはいない。
気持ちを切り替えたティトゥは、前にも増してエネルギッシュで、前向きに大災害に立ち向かう決意を固めていたのだった。
いや、ホントにどうしてこうなった?
『私は今日、少しだけハヤテの気持ちに近付いたんですわ』
「僕の気持ち?」
それってどういう事?
ティトゥは僕の主脚に手を触れると、その手を見つめた。
『ハヤテの手に比べると、ホラ、私の手はこんなに小さい。ハヤテはいつだって小さな手を、小さな命を守る時にだけその大きな力を使っている。そう、それが一番大事な事。忘れてはならない事だったんですわ』
僕が? いや、確かに僕は日頃は出来るだけ戦わないようにしているけど。
でもそれはそんな大層な理由じゃ・・・いや、まだ彼女の話は続いているみたいだ。最後まで聞こうか。
『私は欲深い人間達や、身勝手な将軍達を見て、ハヤテが私達人間に対して幻滅したのではないか、人間なんて嫌いになってしまうんじゃないかと心配していましたわ。けど、それは私の思い違い。私がハヤテを理解していなかった事による勘違いだったんですわ。ハヤテはそんな人達を見ていない。なぜならハヤテが戦うのは、戦う力を持たない弱い者達のため。その小さな手の代わりに大いなる力を振るうんですわ。そしてそう理解した時、私もまた一つの気付きを得たんですわ。ハヤテのパートナーである私もまた、聞き分けのない将軍達なんて気にしている場合ではない。小さな命のために戦うべきだ。そう思い至ったのですわ』
ティトゥは鼻息も荒く言い切ると、興奮に頬を朱に染めて僕を見上げた。
そんな『私、気付きましたわ! 褒めて褒めて!』みたいな目で見られても困るんだけど。
僕はそんな立派な存在じゃないから。中身はただの一般人だから。
そして二度もディスられた将軍達って一体。気にしている場合ではない、とか言いながら、やっぱり結構、根に持ってるんじゃない?
それにしても小さな手、か。
僕はどや顔のティトゥを見つめた。
多分、ティトゥはお姉さんとのわだかまりを乗り越えた事で、自分が感情に囚われていた事に気付いたのだろう。
そしてフラットになった感情で、自分が何を成すべきかを見直した時、そこにお姉さんの子供達――守るべき小さな存在を見つけてしまった。
聞き分けのない人達を相手にしている間に忘れかけていた、僕達の本当の目的、僕達が守るべき人達の姿を思い出した、といった所か。
「つまりは、寄り道してマチェイの屋敷に来た甲斐があったって事かな」
『ええ。おかげでハヤテの気持ちに一歩近づきましたわ』
ここで中二設定に寄せて来る辺り、ホント、素直じゃないんだから。
僕が若干、呆れていると、屋敷からティトゥファミリーとアンデルス家一家が現れた。
『ティトゥ、待ちなさい。まだ話は終わっていないぞ』
『マナとか大爆発とか、それにあなた達がどう関わるというの? 分かるように説明して頂戴』
『シモン殿、カルリアの帝国艦隊の話は本当なのだろうか? もしもそうなら一大事。一昨年の帝国軍との戦いの再来となるのではなかろうか?』
『お爺様、その話でしたら、あの子とハヤテが追い払ったと言っていたではありませんの』
『お母様、叔母様とハヤテはもう帰ってしまわれるのでしょうか? もっとハヤテのお話が聞きたいんですが』
『エヴァナさん、そろそろティトゥナのミルクの時間じゃないの?』
『お母様、おトイレ』
ティトゥの話が説明不足気味だったのか、それとも唐突過ぎて理解が追いつかなかったのか。みんなは口々にティトゥに説明を求めながら彼女に詰め寄った。――後半、関係ない話も混じっていた気もするけど。
ティトゥは手を前に上げて彼らを制止した。
『今日はここまでですわ。私は大災害を止めるため、ハヤテと対策を練らなければいけないんですの。時間が出来たらまた来ますから、続きはその時にお話ししますわ』
『また来るって・・・その時は俺達はいないと思うんだが』
アンデルス家当主が釈然としない表情を浮かべた。
エヴァナさんが慌てて一歩踏み出した。
『ティトゥ。さっきの話って――』
『エヴァナ。心配いりませんわ』
ティトゥは僕を見上げた。
『大災害で大きな被害があったのは五百年前の話。今の私達にはハヤテがいますわ。ハヤテがいれば、きっと大災害を未然に防ぐ良い方法だって見つけられますわ』
『いや、そういう事じゃなくて、私達が聞いていい話だったのかって事よ。帝国の帝都の近くで大きな災害が起きるなんて、軍事機密扱い――』
『それじゃ、ホマレ目指して出発ですわ! 前離れー! ですわ!』
ティトゥはヒラリと操縦席に飛び乗ると、僕に出発するように促した。
いいのかなあ、コレ。
まあ、勢いの付いたティトゥは止められない。坂道を転がり出したボールのようなものだ。
道から外れて転落しないよう、僕がコントロールしてあげるしかないだろう。
ババババババ・・・
僕はエンジンをかけるとブースト。
みんなの声を背中に受けながら大空へと舞い上がったのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「お母様! お爺様! 見て下さい! 飛びましたよ! 本当にハヤテはドラゴンだったんだ!」
「スゴーイ! スゴーイ! ハヤテ、スゴーイ!」
目の前の光景に大興奮の子供達。
ハヤテの姿が広い青空の小さな点になると、ティトゥの父親、シモン・マチェイは大きなため息をついた。
「申し訳ありません、ムルベルツ(※アンデルス家当主の名前)殿。娘が突然、妙な話を聞かせてしまいまして」
「あ、いや。しかし、先程の話、どこまで信じて良いものなのでしょうか?」
ティトゥ――というよりも、竜 騎 士に耐性のないアンデルス家当主夫婦は、戸惑いの表情を浮かべている。
エヴァナは子供達の相手をしながら、ぼんやりと空を見上げていた。
「まさかあの子が・・・。夢見がちで、お稽古をサボってばかりいたあの子が。あれじゃ将来苦労するんじゃないかと、周りに心配をかけていたあの子が、今ではドラゴンに乗って空を駆け回っているなんて」
エヴァナは妹がハヤテという名のドラゴンのパートナーとなった事は知っていた。
世間では姫 竜 騎 士と呼ばれている事も、新興のナカジマ家の女当主となった事も知っていた。
それだけでも十分に彼女の常識を打ち壊す程の情報量だったが、今日、現実に会った妹は彼女の想像の更に斜め上をぶっちぎりで突き破る程の存在になっていた。
ティトゥの語る世界の歴史に隠された秘密。
五百年前の大災害。魔法物質マナの存在。大ゾルタ帝国誕生の経緯。喪失した過去の文明の秘密。そして今年中に発生するという五百年前と同じ大爆発。
小国の一領主が関わっていいレベルを超えた、国家規模、大陸規模の情報の数々。
ティトゥとハヤテはそれにガッツリ組み込まれているばかりか、その中心を突っ走っている状態だという。
まさか竜 騎 士がここまでの規格外の存在だったとは。
エヴァナは妹のあまりに理解を超えたぶっ飛びっぷりに、意識が遠のく思いがした。
(これはお父様が頭を抱える訳だわ・・・)
彼女はティトゥとハヤテの話をする際、父シモンが頭痛を堪えるような仕草をしていたのを思い出した。
エヴァナもティトゥの話を聞き、そしてハヤテの巨体が轟音を上げて空を飛ぶのを見た時、自分の常識がいかに矮小で、自分の知る世界がいかにちっぽけな物だったかを思い知らされた。
(一体ハヤテは、あの子をどこまで連れて行くつもりなのかしら)
ハヤテは雲の上まで飛ぶ事が出来るという。
そこには地上に縛られたちっぽけな人間には、想像すら出来ない広大な世界が広がっているのだろう。
山脈や大海という自然の障害もない。領境や国境線という人間が作った枠組みもない。完全にフリーな世界。
それは世間や貴族家のしきたりや常識という枠組みに縛られた心では到底受け入れられない広大な世界。ハヤテが住んでいるのはそういう世界なのだ。
そしてそんなハヤテと互いに互いを受け入れ合ったのは、彼女の妹のティトゥだった。
(それが竜 騎 士・・・比翼連理の永遠のパートナー)
エヴァナは妹がその名を口にする時、誇らしそうに胸を張っていたのを思い出していた。
次回「予想外の助っ人」