その12 マチェイ家の長女
ティトゥが家族と一緒に実家の屋敷に入ってからしばらく。
僕は懐かしの裏庭で、一人春の風に吹かれていた。
う~ん、のどか。
「平和だねぇ~」
あれ? これって何かのフラグだったりする?
平和だねぇ~、って言ったら、逆に騒動の元が舞い込んで来るとか、まさかね。
その時、屋敷の中から言い争いをする声が聞こえて来た。
『待ちなさいティトゥ! お前はまたそんな事を! 貴族家当主は他家との付き合いは大事だと、あれだけ口を酸っぱくして言っておいただろうに!』
『どうしたのティトゥ? アンデルス様に会うのがそんなにイヤなの?』
『アンデルスとか正直どうでもいいですわ! 私はエヴァナと顔を合わせるのがイヤなだけですわ!』
噂をすれば影が差す。
どうやら世の中はイヤな予感ほど的中してしまうようだ。
ティトゥは両親の制止の声を振り切ると、僕の下へと駆け寄った。
『ハヤテ! ホマレの屋敷に帰りますわよ! ホラ、早く!』
「ちょっとちょっと、急にどうしたの? 大災害の説明はちゃんとしてくれたんだよね? その割には随分早かった気がするけど」
『そんなものいつでも出来ますわ! それより今は緊急事態なんですわ!』
緊急事態って何なの?
戸惑う僕に業を煮やしたティトゥは、翼に飛び乗ると操縦席に乗り込もうとした。
ちょっと待った。
『ハヤテ! 風防を開けなさい!』
「ちょ、そんなにバシバシ叩かないでくれるかな。手の脂が付いたらガラスが曇るだろ。ちゃんと説明してくれれば開けるからさ」
『そんな暇はないんですわ! エヴァナが帰って来たらどうするんですの?!』
エヴァナ? ええと、エヴァナって誰だっけ? どこかで聞いた事があるような・・・
ここでティトゥの弟、マチェイ家の長男ミロシュ君がティトゥの足元に駆け寄った。
『ティトゥ姉さん、どうしたんですか? 上の姉さんが帰って来るんですよ?』
「上の姉さん? ああ、エヴァナってティトゥのお姉さんの事か。マチェイ家の長女だっけ。えっ? 今日お姉さんが帰って来るの? スゴイ偶然だねえ」
『そんな偶然、いりませんわ! 大体、ミロシュはエヴァナの事を知らないんですわ! エヴァナが嫁いだ時はまだ生まれたばかりの赤ん坊だったんですもの!』
『・・・確かに上の姉さんの事は覚えていないけど、赤ん坊って事はなかったと思うんだけど』
ミロシュ君は姉の言葉に不満そうに口を尖らせた。
ちなみにエヴァナさんが旦那さんの所に嫁いだのは七年前。ミロシュ君が三歳の時という事になる。
うん。流石に赤ん坊だったというのは言い過ぎだね。ミロシュ君がムッとするのも仕方がないと思うよ。
「ていうかティトゥ。君、いつだったかもお姉さんの話が出た時もそんな感じだったと思うけど、どれだけお姉さんの事を苦手にしてる訳?」
『苦手なんて可愛いらしい物じゃありませんわ! アレは私の天敵ですわ!』
マジかよ。
ティトゥがここまでハッキリと誰かの事を毛嫌いするのは珍しいんじゃない?
ちょっとそのエヴァナさんに興味が出て来たんだけど。
ここでマチェイ家の護衛の騎士が、中庭に駆け込んで来た。
彼は僕を見てギョッと驚くと、ティトゥの姿を見て『おおっ』と顔をほころばせた。
『どうかしたのかい?』
『あ、はい! 先程アンデルス家の先ぶれが村の入り口に現れました! 後四半刻(※約三十分)程でアンデルス家当主様のご一行が到着されるとの事です!』
騎士はティトゥパパに声を掛けられ、慌ててしゃちほこばって答えた。
ティトゥパパは彼を下がらせるとティトゥに振り返った。
『さあ、ティトゥ。お前も諦めて準備をなさい。そんな服でアンデルス殿と会うつもりかね』
『だから私は会うなんて一言も言ってませんわ!』
『ティトゥ、またあなたはそんな事を。エヴァナもあなたと会いたがっていたわよ。せっかく外に出た娘同士が再会する機会ですもの。それに今日を逃すとまた何年も会えないかもしれませんわよ』
『それは――』
ティトゥは反射的にティトゥママに反発しようとして途中で言葉を飲み込んだ。
また何年も会えないかもしれない。
いや、違う。僕達が大災害の発生を抑えられなければ、二度と生きて会う事は出来なくなるのかもしれないのだ。
勿論、ティトゥママはそんなつもりで言った訳ではないだろう。
けど、今の僕達にはその言葉は重すぎた。そう、ティトゥが思わず反論を封じられてしまう程に、だ。
『ほら、ティトゥ。ハヤテの翼の上から降りなさい。ミラダ(※屋敷のメイド長)、ティトゥの服はまだ残っていたかね?』
『ないなら私の服を着ればいいわ。少しサイズは合わないかもしれないけど、調整すれば着れない事はないでしょう』
『だから――もう。分かりましたわ』
観念したティトゥは、ティトゥママとメイド長のミラダさんの二人に囲まれてドナドナされて行った。
そうして待つ事しばらく。
やがて屋敷の外からざわめき声が聞こえて来た。
どうやら件のアンデルス家御一行様が――ティトゥのお姉さんが――到着したようだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ティトゥは屋敷の一室で、家族と共に来客の訪れを待っていた。
直前で彼女の気が変わって逃亡を計っても対処出来るよう、使用人の中でも屈強な男性が二人、見張りとして入り口に立っている。
ティトゥはそちらに恨めし気な目を向けると、服の裾を引っ張った。
「およしなさい。そんなに引っ張ったら形が崩れてしまうでしょう。せっかくあなたの服がまだクローゼットに残っていたというのに」
「服がキツいんですわ。これって何年前の物なんですの? 大体、私の服にしては見覚えがありませんわ。ひょっとしてクリミラの服なんじゃありません?」
クリミラはティトゥの二歳年下の妹である。三年前にヨナターン家の傘下のバナーク家に嫁いでいる。
ティトゥの母――エミーリエは「そうだったかしら?」と小首を傾げた。
「でも似合っているわよ」
「サヨウデゴザイマスカ」
ティトゥはパートナーのハヤテの声音を真似て返事を返した。
その時、開け放たれたドアから使用人が姿を現した。
「アンデルス家の馬車が到着致しました」
「分かった。すぐ行くよ。ホラ、ティトゥ」
「そんな風に腕を掴まれなくったって行きますわよ」
ティトゥは渋々立ち上がると、家族の後ろについて歩き出したのだった。
マチェイ家の面々が開け放たれた玄関から外に出ると、丁度アンデルス家の馬車が停まる所だった。
年季の入った小さな馬車――と感じるのは、ティトゥの比較対象が、自分が所有している聖国製の最新馬車だからかもしれない。
すかさず使用人が馬車に駆け寄ると、出入り口の下に踏み台を置いた。
「失礼します」
使用人が馬車のドアを開くと、厳めしい顔付の中年男性が、まだ幼い子供の手を引いて降り立った。
ティトゥの父――シモンが前に進み出ると、男性に握手を求めた。
「ムルベルツ殿、こうして直接お会いするのは三年前の新年式以来となりますね」
「シモン殿もお元気そうで何よりだ。最近は息子に仕事を任せて半分隠居のようなものだったからな。イルジーク、この方はお前の母の父。お前にとってはもう一人のお爺様に当たる方なのだ」
「い、イルジークです。初めましてお爺様」
幼い少年の精一杯の挨拶に、周囲は暖かい視線を注いだ。
「小さいのにしっかりしているね。今年で何歳になるのだったかな?」
「ご、五歳! 五歳です、お爺様!」
「ボソッ(げっ、エヴァナ)」
シモンは少年に言葉を返そうとして、後ろから聞こえた娘の声にふと顔を上げた。
そこにいたのは赤ん坊を抱きかかえている若い女性。
うなじでまとめられた赤い髪。つり目がちなやや細い目。高い鼻梁にわずかなそばかす。引き結ばれた口に薄い唇は、気の強さを感じさせる。
マチェイ家の長女、ティトゥの三歳年上の姉、エヴァナであった。
「やあエヴァナ、お帰り。その子が産まれたばかりの娘かい?」
「ええ、お父様。娘のティトゥナですわ」
シモンの後ろでティトゥが「はあ?!」と驚きの声を上げた。
エヴァナはティトゥに振り返った。
「ティトゥ、あなたも実家に帰っていたのね。ひょっとしてわざわざ私の娘を見に来てくれたの?」
「冗談じゃありませんわ! 何でそんな気色悪い事を! それよりその名前はなんなんですの! まさか私の名前から付けたんじゃないですわよね?!」
「まさかも何も、そうに決まっているじゃない」
「はあ?! 止めて頂戴! 家族の名前から名付けるのなら、お母様やお婆様の名前から頂けばいいじゃないですの!」
エヴァナは、呆れた、とでも言いたげな顔になった。
「その顔止めてくれない。マジムカツク」
「マジム・・・って何よそれ? あなた最近の流行を知らないの? この一二年に生まれた女の子は、みんなティトゥ、ティトゥ。あなたの名前ばかりよ。最近じゃ男の子にすらティトゥって付ける親もいるそうね」
「なっ・・・そ、それは・・・」
ティトゥも自分の領地でそういう傾向があるのは知っていた。
しかし、まさか姉が娘に自分の名前を――一部アレンジをしているとはいえ――付けているとは想像もしていなかった。
二人の会話でティトゥの素性を察したのだろう。アンデルス家当主ムルベルツが、シモンに尋ねた。
「シモン殿。ひょっとしてそこの娘は――」
「ええ、私の娘のティトゥです。今はナカジマ家の当主としてペツカ地方の領主を務めております」
「やっぱり! じゃああの娘が世間で噂の姫 竜 騎 士・・・」
驚愕に目を見開くムルベルツ。
彼の視線の先。ティトゥはまるで悪夢でも目の当たりにしているかのように、眉間に皺を寄せていた。
次回「空回りのティトゥ」