その10 帝国艦隊の撤退
いつものようにカルリアのミロスラフ王国軍陣地へと向かう空の下。
僕はティトゥと今日の話し合いについての相談をしていた。
「一度原点に戻ってみようか。僕達にとって最も理想的な結果は、国王カミルバルトを説得して国家のバックアップを得る事。その後、ミロスラフ王国から帝国皇帝ヴラスチミルに対して使者を出して貰い、調査員の受け入れを呑んで貰う。そしてその調査員として僕達が現地に乗り込む。これが一番波風の立たないベストな展開じゃないかと思う」
大災害の原因、マナ爆発の発生現場は、ミュッリュニエミ帝国の帝都バージャントから北北東に数十キロメートルの上空と予想されている。
僕達は叡智の苔バラクから、現地で直接データを取る事を依頼されている訳だが、僕達だけで伝手のない外国、しかも何日かかるかも分からない調査を行うのは流石に難しい。
更に困った事に、僕は帝国軍からかなりの恨みを買っている。
これは一昨年の冬、帝国軍を相手に戦ったのが原因なのだが・・・説明すると長くなるのでここでは割愛する。
ただ、こちらとしては攻め込まれたから戦っただけで、正当防衛だったとは言っておこう。(詳細は『第七章 新年戦争編』にて)
「その方針に従って、ティトゥには国王カミルバルトを説得して貰っていた訳だけど・・・今の所は上手くいっているとは言い難い状況だ」
『そうですわね』
飛行服姿の美少女当主、ティトゥは気のない返事を返した。
つまりは国の全面協力が得られるのが理想だったが、今の所それは難しいと。
「じゃあ条件を絞って、最低限これだけはして欲しい、という点を要請する所から始めようか。そうだね。先ずは大災害についての備えだ。更に可能ならば各貴族軍の将軍達にも危機感を共有して欲しい。そうすれば国からの通達という形ではなく、彼らの口から直接領主に伝わる訳だからね」
勿論、大災害を――マナ爆発を――未然に防げるのならそれがベストだ。しかし、それはそれとして、念のための備えはしておいた方がいいだろう。
食料や薬の備蓄に資材の確保。安全な避難場所の確保と国民への公布等々。動き始めるのは早ければ早い方がいい。
なにせバラクの計算では猶予は最短で今年いっぱい。もう春になっているから、既に一年の三分の一は終わっている計算になるのだ。
ティトゥは僕の言葉をバッサリ切り捨てた。
『危機感の共有はムリですわね。あの方達は最近では私の話を聞こうともしなくなりましたわ。口を開けばハヤテの話ばかり。どこでハヤテを見つけたのかとか、どうすれば自分達もドラゴンを手に入れられるのかだとか、そんなのばかりですわ』
「それでも自分達にもメリットがあると分かって貰えれば、少しはティトゥの話を聞く気になってくれると思うんだけど?」
『どうだか。ねえハヤテ。あの人達があそこまでハヤテにしか興味がないのなら、いっそハヤテの口から直接話してみてはどうかしら?』
僕から直接? その発想はなかったな。
ご存じの通り、僕の現地語は片言だし、このわがままボディーでは天幕にも入れないから、ティトゥに任せるしかないと思い込んでいたんだけど。
う~ん。それで上手くいくなら、僕の方は別に構わないかな。
「けど、王族や貴族みたいな偉い人達が、僕のような謎生物の言葉を信じてくれると思う?」
『情報の出所がハヤテという事にしている以上、今更じゃありません?』
「それもそうか。あれからもう一週間。何も進展がない訳だし、思い付く事は全部やってみるしかないか」
もし、それでもダメだった場合、それならそれで仕方がない。
僕達だけでどうにかして帝国まで調査に行くしかないだろう。
正直、成功の見通しは全く立たないが、この大陸に住む人達の命がかかっているのだ。困難だからという理由で諦めていいものではない。
ティトゥはうんざり顔でため息をついた。
『マナ爆発とやらも少しは場所を選んで欲しかったですわね。よりにもよって帝国の真ん中で発生しなくても良さそうなものですのに』
「だよね。まあだからと言ってこの国で発生されても困るんだけどさ」
取り敢えず今日の方針はこんな所か。
僕達は大災害に文句を言いながらミロスラフ王国軍の陣地を目指したのであった。
『・・・ちょっとハヤテ。いつまでこうして同じところをグルグル回っているつもりなんですの?』
「待って! もう少しだけ待って! 今、気持ちの整理をしている所だから! スーハ―、スーハー。大丈夫大丈夫。行ける行ける。大丈夫大丈夫・・・」
『さっきからそればっかりじゃないですの。全然大丈夫じゃないですわ』
ここはミロスラフ王国軍の陣地の上。
僕はティトゥにせっつかれながら、未練がましく上空を旋回していた。
ティトゥは今日は自分がプレゼンをしなくていいと分かって以来、すっかり機嫌を直している。
『一度は、自分の口で直接説明すると決めたのに、直前になって怖気づくなんて情けないですわね』
うぐっ。返す言葉もない。
けどね。これって会社で言えば一介の平社員が――いや、僕の立場だとせいぜいアルバイト? が、本社で行われている重役会議に乗り込んで、いきなりプレゼンを始めるようなものじゃない? しかも片言の外国語で。
そう考えたら急に緊張しちゃって。ううっ、存在しないはずの胃がキリキリと痛む・・・
『何を今更。ハヤテは聖国やチェルヌィフの王城に乗り付けて、そこの首脳と直接話をした事だってあるじゃありませんの。それに比べたら、この国の将軍や国王くらいどうって事はありませんわ』
いや、それはそれ、これはこれだよ。
ていうか、よく君は一週間もこんな事を続けていたね。いやマジでビビるわ。ガチでエグイわ。チョーリスペクトだわ。
『――ハヤテ、あなた緊張のし過ぎで語彙がおかしな事になってません?』
とはいえ、いつまでも上空を旋回し続けている訳にはいかない。
僕はティトゥにせっつかれて、渋々、いつもの広場に降下した。
ああっ。着陸しちゃった。まだ覚悟が決まっていなかったのに。まだ覚悟が決まっていなかったのにぃ。
『・・・なんだか周りが妙に浮ついていますわね』
ティトゥは周囲を見回して怪訝な表情を浮かべた。
「大丈夫大丈夫。行ける行ける。大丈夫大丈夫・・・」
『ハヤテ、ハヤテ。いつまでウンウン唸っているんですの。周りの様子がおかしいですわ』
「大――えっ? 何? 周りが何だって?」
僕はティトゥにペシペシと叩かれ、ようやく周囲の違和感に気が付いた。いやティトゥ、計器盤は叩かないでって、僕は何度も言ったよね。精密機械なんだから気を付けて欲しいんだけど。
今日は珍しく遅れて来たアダム特務官が、僕を見上げて謝った。
『ナカジマ殿、ハヤテ殿、申し訳ございません! 我が軍は急遽出立する事が決まりまして!』
『どういう事ですの? 帝国艦隊との戦いはいいんですの?』
出立? つまりはこの陣地を放棄するという事だろうか? 戦局に一体何が? 緊張にティトゥの眉間に皺が寄った。
『その帝国艦隊が本国に引き上げたという情報が入ったのです』
アダム特務官の話によると、昨日僕達が帰った後、ヘルザーム伯爵領を見張らせていた諜報部隊から、帝国艦隊撤退の情報がもたらされたんだそうだ。
軍首脳部は、戦いの趨勢を決しかねない重要な知らせに色めきだった。
その後、いくつかのルートから同様の報告が入った事で、国王カミルバルトは情報の正しさを確信した。
そしてこのチャンスにヘルザーム伯爵領へと攻め込むべく、今朝、全軍に進軍の命を下したのであった。
『・・・大陸の危機だというのに、まだ戦争を続けるんですの』
ティトゥの顔が曇った。
そんなティトゥの顔色をうかがうように、アダム特務官がおずおずと言葉を続けた。
『それで、あの。各領主軍の将兵達から、ナカジマ殿とハヤテ殿にも一緒に戦って欲しいとの要請が上がっているのですが・・・』
『お断りですわ!』
ティトゥはバッサリと切り捨てた。
『私はこの一週間、何度も言って来たはずですわ! 今は人間同士で争っている場合じゃないと! あれだけ言ったのに何で理解しようとしないんですの?!』
ティトゥの剣幕にアダム特務官はタジタジとなった。
ちょ、ティトゥ。落ち着こうよ。軍事行動は首脳部が決めた事で、アダム特務官はそれに従っているだけだからさ。彼に怒鳴ったって仕方がないだろ?
しかし、一度感情に火の付いた彼女は止まらなかった。
さっきまでの上機嫌から一転。ティトゥは今まで堪えて来た怒りをぶちまけた。
『戦争でこの国を手に入れたとしても、それで一体どうなるというんですの?! 半島が統一される?! 大陸への道が開ける?! そんなもの、大陸で大災害が起きてしまえば全部無意味になるだけですわ! 将軍達も将軍達ですわ! ドラゴンがドラゴンがと、口を開けばハヤテの事ばかり言っているくせに、なんで自分はハヤテの言葉を、ハヤテの忠告を聞こうとしないんですの?! 自分の話ばかりで相手の言葉には全く耳を貸さない。そんな相手をハヤテが選ぶと本気で思っているんですの?! そんなのハヤテでなくても誰だってイヤに決まってますわ! ハヤテは私達人間の事を心配して、大災害に立ち向かおうとしてくれている。それなのに、それなのになんでその人間は対策そっちのけで人間同士の争いを止めようとしないんですの?! 人間とはどこまで身勝手で欲深い生き物なんですの?! 私は同じ人間として、恥ずかしくてハヤテに顔向けできませんわ!』
ティトゥは喋っている間に最後の方は感情が昂ってしまったのだろう。半分、涙ぐみながら言葉を続けた。
周りで聞き耳を立てていた兵士達は気まずそうに目を背けている。
『同じ人間として恥ずかしい』とか言ってたけど、僕も本当は人間なんだが・・・いや、今はそれはいいか。
ふと気が付くと、テントの向こうにカミルバルトと将軍達の姿があった。
彼らの場所まで今のティトゥの声は届いていたようだ。
将軍達は何とも言えない面持ちでその場に立ち尽くしていた。
僕はそっとティトゥに声を掛けた。
「ティトゥ、もう行こう。ここにいるとみんなの邪魔になるよ」
『・・・そうですわね。時間の無駄でしたわ』
ティトゥは操縦席に座ると、背中を丸めてうずくまった。
『マエ ハナレ』
バババババ・・・・
エンジンがかかると、アダム特務官はハッと我に返って慌てて横に避けた。
なんか色々ゴメン。
僕は失意のティトゥを乗せたまま、ミロスラフ王国軍の陣地を後にしたのであった。
次回「父と母」