その8 周囲の目
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ミロスラフ王国軍の天幕。
国王カミルバルトは、部下のアダム特務官から報告を受けていた。
「そうか。ヤヒームは死んでいたか」
ネライの手余し者ことヤヒーム・ネライ。
ヤヒームはドラゴン・ハヤテを手に入れようと強硬手段に出た挙句、配下の二人の騎士と共にハヤテによって大空へと連れ去られ、行方不明となっていた。
「はい。死因は落下によるものとの事。強い衝撃に鎧ごと体が潰れておりました」
ヤヒームと騎士の死体は川の中に沈んでいた。
飛び立ったハヤテから人が落下したのを見ていた兵士も多かったらしく、アダム特務官が現場に着いた時には、既に救出作業が行われている最中だった。
「それについてネライ家の者達は何か言って来たか?」
「今の所は何も。ただ、こちらで捕えた騎士達を引き渡すよう要請はありましたが」
ネライ家もヤヒームが勝手な事をしでかしたのは分かっているのだろう。こちらの調査に対しては慎重に様子を見ているようだ。
それでも、拘束中の騎士団員の引き渡しを希望しているのは、あちらでも今回の件について詳しい事情を知りたいからだと思われる。
「いずれは引き渡すが今はダメだ。証拠隠滅を図られるかもしれんからな」
騎士達はヤヒームに――上の者の命令に従っただけであり、自分の仕事を行っただけである。そこには悪意もなければ計画性もない。
実際、アダム特務官が彼らに対して行った聞き取りでも、そういう結果が出ている。
とはいえ、ネライ家がどういう判断をするのかは分からない。
死人に口なし。
今回の不祥事を隠蔽するため、関係者の口封じをする可能性は十分に考えられた。
カミルバルトはアダム特務官が何か言いたそうにこちらを見ているのに気付いた。
「なんだ?」
「あ、いえ、その。この事でハヤテ殿――ナカジマ殿は、何か咎を受ける事になるのでしょうか?」
ネライ家の貴族。しかも完全なお飾りとはいえ、軍事行動中の軍の指揮官の命を奪ったのだ。
普通に考えるならば、それ相応の罪に問われるべきであろう。
ではその罪は誰が負うべきか? ハヤテか? それともハヤテの飼い主? ないしは管理者? であるティトゥか?
カミルバルトは眉間に皺を寄せると大きく息を吐いた。
「現場で見ていた兵士も大勢いるんだぞ。そんな裁定を下してヤツらが納得すると思うか? 大体、お前だって昨日のバカ騒ぎを見ているだろうが。逆に俺の方が吊るされてしまうわ」
「い、いえそんな。陛下に対してそのような事をするはずが――」
「今回の件は事故として処理するつもりだ。それでネライ家がナカジマ家に対して何か言って来るようなら、代わりに俺が矢面に立とう」
カミルバルトは、今回の件はヤヒームの身に降りかかった不幸な事故。ヤヒームは身を挺して主人を守ろうとした二人の騎士達と一緒に命を落としてしまった。そういう筋書きで収めるつもりのようだ。
「なんだ? まだ何か気になる事でもあるのか?」
「あ、いえ。それでナカジマ殿が納得してくれるのかと思いまして」
「・・・あれはえらい剣幕だったからな。女にあれだけ詰め寄られたのは、数年前に嫁との約束をすっぽかした時以来かもしれん」
カミルバルトは王族の生まれである。臣籍降下していた時も、ヨナターン家の次期当主という立場もあって、面と向かって人から怒鳴られた事などほとんどなかった。ましてや相手が女性ともなれば猶更だ。
今までに彼を怒鳴り付けた事のある女性は、今は本国で隠居している母親。それと妻と娘。そして聖国のレブロン伯爵家に嫁いだ腹違いの姉くらいではないだろうか?
ティトゥは栄えある五人目となった訳である。全く名誉な事ではないが。
「納得出来なくても納得して貰わねばならん。ネライ家とナカジマ家が揉めるなど、考えるだけでも頭が痛い」
帝国艦隊はハヤテによって敗走したとはいえ、艦隊のほとんどは健在のままである。
このような状況下で、最大戦力であるネライ軍と、敵艦隊に対しての切り札であるハヤテが揉めるのは、カミルバルトにとっては悪夢でしかなかった。
そもそも、今や上士位筆頭となったネライ家と、小上士位のナカジマ家では格が違う。
本来であればネライ家はナカジマ家が噛みつけるような相手ではないのだが・・・
「あそこは聖国が随分と肩入れしているからな。意外とどうにかしてしまいそうなのが困る。というか、経済力ではなまじっかな貴族家では足元にも及ばんだろうしな」
「噂ではチェルヌィフの大手商人ギルド、水運商ギルドにも顔が利くという話ですが」
「・・・そいつは初耳だ。バラートめ。あいつがナカジマ家を軽視しているのは知っていたが、それでも限度と言うものがあるだろうに」
バラートはミロスラフ王国の宰相である。ナカジマ家の客分、ユリウス老人の長子で、現在は遠征中のカミルバルトに代わって王城で政務に携わっている。
良く言えば仕事の出来る常識人だが、悪く言えば頭が固く視野が狭い所がある人物である。
カミルバルトは冗談抜きで、一度ハヤテに頼んで彼を乗せて貰い、あの男の中の常識を粉微塵に破壊して貰った方がいいのではないかと考えた。
アダム特務官は自慢のヒゲをしごきながら呟いた。
「明日、私の方からもハヤテ様に話してみる事にします。ハヤテ様は争い事を好みませんから、こちらが誠意をもって説明すれば、ネライ家に対して恨みを持つ事はないのではないかと思います。ハヤテ様さえ納得してくれれば、ナカジマ殿も事を荒立てようとはしないでしょう」
「頼んだ。それにしても、帝国艦隊を一人で撃退する程の力を持つハヤテが、争いを好まない平和主義者と聞けば、将軍達は一体どんな顔をするだろうな」
カミルバルトは、ハヤテを見つめる将軍達の顔を思い出した。
ネライの手余し者、ヤヒームの暴走。
その事情を聞いた彼らの顔に浮かんでいたのは、『先を越された』という焦りの感情だった。
そう。実は彼らもハヤテを狙っていたのである。
それ程ハヤテが示してみせた力は大きく、将軍達に強いインパクトを与えていた。
是が非でも手に入れたい。どうにかしてあの規格外の力を自分達のものにしたい。
軍を率いる立場にいる彼らが、ハヤテの持つ圧倒的な武力に魅力を感じたのは当然だった。
カミルバルトがティトゥに今日の所は領地に帰る事を勧める程、将軍達がハヤテを見つめる目は欲望の色に染まっていたのである。
「ハヤテは何も変わってはいない。だが周囲の目が変わってしまった。バカげた話だ。ナカジマ殿以外の誰にもあの規格外の生物の手綱が握れるはずはないというのに」
カミルバルトは吐き捨てるように言い放った。
彼も人の上に立つ立場の人間である。もし、自分がハヤテを所有していたら。そう考えてみた事が無いわけではない。
だが、その度に彼は、『制御のあてのない力に頼ってどうする』と自戒していた。
「ハヤテは人間ではない。人間の言葉を理解し、人間と生活を共にしているが、本質的には価値観の異なる別種の生き物なのだ。相手が人間であれば、その者の持つ力に相応しいだけの金や地位を――実利と名誉さえ与えてやれば、懐柔する事が可能だろう。
だが、ハヤテは人間社会の名誉を必要としない。人間ではなくドラゴンなんだからな。金だって別にいらんだろう。つまり俺達人間にはハヤテに与えられる物が何も無いという事だ。
俺達はハヤテを縛り付ける事は出来ない。そしてハヤテはどこからやって来たのか分からない。案外、大海のどこかにドラゴンだけが住む島でもあるのかもしれん。そしてハヤテは、気に入らなければ、いつでもこの国から離れ、元の仲間のいる場所に帰る事が出来る。そしてもしそうなってしまっても、俺達には空を飛ぶハヤテを止める手段はない。
確かにハヤテの力は魅力的だ。非常に強力である事も間違いない。だが、いつまであてに出来るかも分からない不確かな力を最初から計算に入れてどうする。政には賭けの要素を持ち込むべきではないのだ」
カミルバルトの言葉に、アダム特務官は咄嗟にどう答えていいか分からなかった。
戸惑うアダム特務官に、カミルバルトは自嘲の笑みを浮かべた。
「少し喋り過ぎたな」
「あ、いえ」
アダム特務官はカミルバルトの言葉に納得させられていた。
しかし彼は納得すると同時に、それでも将軍達はハヤテの事を諦めないだろうな、とも思っていた。
(陛下の言葉は正しい。正しいが、誰もがこの方のように正しく物事を考えられる訳ではない。ましてや理屈で己の欲望を抑える事の出来る者などほんの一握り。本当に才能に恵まれた人間だけではないだろうか? 自分のような凡人にはハヤテ殿の力は眩し過ぎる。あまりにも欲望を刺激し過ぎる。そしてそれは将軍達にとっても同じなのではないだろうか)
人は手に入らない物に対して強い憧れを抱く。
カミルバルトという大きな器であれば、ハヤテを収める事も可能だろう。
しかし、彼はハヤテを収める事のメリットとデメリットを考慮した上で、割に合わないと判断し、手に入れずに静観すると決めた。
では他の人間、将軍達はどうだろうか?
彼らにはハヤテを収めるには器が足りない。しかし、みすみす見逃すには、あの力はあまりにも魅力的過ぎる。
手に入れたいのに手に入らない。彼らはハヤテという強い光に心を奪われ、熱に浮かされたようになっているのである。
そう言えば――
アダム特務官はふと思った。
(そう言えばナカジマ殿はどうなのだろう? あの方はハヤテ殿のパートナー。人間の中で唯一、ハヤテ殿から認められた存在だ。今の理屈で言えば、ナカジマ殿は陛下よりも器が大きな人間という事になるのだが・・・)
アダム特務官はティトゥの輝く美貌を思い浮かべた。
そして内心でかぶりを振った。
(流石にそれはないな。それならまだ巷で流れている噂通り、あの方の美貌にハヤテ様がやられたという方が納得出来る)
ドラゴン乙女好き説。
これはハヤテのもう一人の契約者、ランピーニ聖国のマリエッタ王女が口走った事で広まった噂である。
もし、ハヤテがアダム特務官の心の呟きを聞いていたら、全力で否定したのは間違いないだろう。
こうしてアダム特務官はカミルバルトの前から下がった。
この時、二人の頭の中はネライの手余し者の起こした事件と、それをいかに収拾するかによって占められていた。
そう。ティトゥが国王カミルバルトに伝えに来た本当の目的。
大陸中央部で起きるマナ爆発については、すっかり忘れ去られていたのだった。
次回「女性の長電話」