その6 悪あがき
確かに、ティトゥを置いて行ってしまう事に躊躇いはあった。しかし、それなら一旦、安全な空に逃げた後でまた戻って来れば良かったのだ。
これは完全に僕の判断ミス。
全ては、僕の危機感の薄さから来た失敗だったのである。
ババン! バババババ・・・
赤い炎が激しく機体の側面をあぶる。
慌ててエンジンをかけたせいで、混合気のバランスが乱れたらしい。不完全燃焼を起こした排気ガスの一部が排気管の熱で熱せられて燃焼。アフターファイヤーを起こしたのだ。
だがネライ騎士は、目の前の炎に怯む事無く、左右からそれぞれ一人づつ、僕の機体に飛び付いた。
ガツン! ガツン!
鎧の騎士が翼に飛び乗ると、金属が打ち付けられる鈍い音が響く。
ヤバイ。取り付かれた!
ていうか、風防を開けたままだった。マズイ!
間一髪。僕が慌てて風防を閉めるのと、左の翼の騎士が風防に手を伸ばしたのは同時だった。
だが、ネライ騎士は僕にホッと安心する間も与えてくれない。
騎士はガラスを叩き割ろうと、拳を風防に打ち付けた。
ガンガン! ガンガン!
『なんだこの覆いは! ガラスのくせになんという硬さだ!』
『ナイフを使え! 隙間をこじ開けるんだ!』
右の翼に取り付いた男が、腰からナイフを引き抜くと風防の枠の隙間にねじ込んだ。
キョリッ! キリキリキリ・・・
金属同士がこすれ合う、不快音が響く。
左の翼の騎士も、仲間に加勢するべく、反対側からナイフをねじ込んだ。
キリキリ・・・ギギギギギ・・・
その時、翼の先から、ドン、と鈍い音がしたと思うと、ブルドッグ顔のピカピカ鎧の騎士、この襲撃の指揮官、ネライ家のヤヒームが姿を現した。
ヤヒームはガスガスと翼の上を歩くと、ネライ騎士を怒鳴り付けた。
『お前達何をしている! 早くコイツを止めんか! 命令だ!』
『申し訳ございません! おそらくこの覆いの中にあるのが、ドラゴンを操るための手綱だと思われるのですが――』
『このバカが! それが分かっているなら何とかせんか! ええい、もういい! 俺がやるからそこをどけ!』
ヤヒームは剣を引き抜くと。上段に構えた。
騎士が慌てて翼の上に伏せる。
ヤヒームが振り下ろした剣は、風防に当たってガキンと大きな音を立てた。
僕は一瞬、ヒヤリとしたが、風防には浅いキズが一本入っただけだった。
『つっ・・・。な、なんだこれは?! ガラスのくせになんて硬さだ!』
『ヤヒーム様、ここは危のうございます! 我々に任せてドラゴンの上から降りて下さい!』
『うるさい! 俺に命令するな!』
プロペラの回転する音にエンジン音が合わさり、ヤヒーム達は大声で怒鳴るように会話をしている。
ヤヒームは再度剣を振り上げた。
その時、タイヤが地面のギャップを拾い、機体がガクンと撥ねた。
ヤヒームは慌ててバランスを取ろうと踏ん張ったが、その伸ばした足が展開した状態の補助翼を踏みしめた。
ミシッ・・・ベキッ
くっ。
僅かな痛みと共に、フラップの骨材が破損するイヤな音が響いた。
フラップとは、主翼の翼後縁に取り付けら小さな翼――補助翼の事で、低速時に展開して翼面積を稼ぐ装置の事を言う。
四式戦闘機のフラップはファウラー式と言って、薄い翼をガイドレールに沿って後方に張り出す方式になっている。
そこからも分かるように、そもそもが可動部分。更にファウラー式はフラップを構成している骨材が薄く細い、デリケートな構造をしているのである。
僕もティトゥには、絶対にこの上は踏まないように注意していた。
そんな脆い場所を鎧を着た大の大人が踏んだのだ。破損するのも無理はないだろう。
ヤヒームは壊れた足元にバランスを崩して転倒。
しかし翼の上に四つん這いになる事で、どうにか転がり落ちる事だけは免れた。
いや、むしろ転落した方が彼にとっては良かったのかもしれない。
ゴオオオオ!
速度が上がるにつれて、風圧と振動は益々大きくなっていく。
ネライ騎士は風防にねじ込んでいたナイフを引き抜くと、連続して足元に突き立てた。
ガンガン! ガンガン! ガンガン! ガスン!
おい、ウソだろ?!
一体どんな馬鹿力なのか、あるいは余程ナイフが鋭かったのか、ナイフは翼の表面を貫通。騎士が体重をかけると、深々と根元まで突き刺さった。
『ヤヒーム様!』
騎士はナイフの柄を握り、それで体を支えると、空いた方の手でヤヒームを助け起こした。
ふと気が付くと、逆の翼に乗った騎士も、同じように翼にナイフを突き立てようとしている。
ガンガン! ガンガン! ガスン!
くそっ、お前もか。お前らどんな鍛え方をしてるんだよ。
ゴオオオオ!
後で思うと、彼らの安全を考えるのならば、ここで飛行を取りやめるべきだったのだろう。
だが、この時の僕はパニックになっていた。
この世界に四式戦闘機に転生してからこちら。この時程、具体的に身の危険を感じた事は今までで一度もなかったからである。
そう。僕は怖かったのだ。話の通じないヤヒームが、そしてネライ騎士団の振るう暴力が。
僕は一刻も早く安全な空の上に逃げたくて仕方がなかった。
だから彼らの安全を無視してしまったのである。
グオ――――ン
タイヤが地面を切ると、僕はすかさず機首を引き上げた。
機首を上に機体が大きく傾くと共に、翼も傾斜した。
だが、今まで辛うじて体を支えていたネライ騎士にとって、この挙動は致命的だった。
『ぐっ、く・・・や、ヤヒーム様申し訳ございません!』
『止めろ! 止めろお! 誰か何とかしろ! 俺は、俺様はネライ家の――』
それが僕の聞いたヤヒームの最後の言葉となった。
ガスンという音と共にナイフが抜けると、ネライ騎士とヤヒームは翼の上から振り落とされていた。
僕がハッと背後を振り返ると、二つの人影が小さくなっていく所だった。
二人はアレークシ川の河口に着水。
大きな水しぶきを上げた。
これが映画やアニメなら気を失うくらいで済むのだろうが、これは現実。
この惑星リサールの重力は知らないが、地球であれば100メートルの上空から落下した時の速度は、大体、時速160キロもなる。
これほどの速度でぶつかると、水面はコンクリートの硬さと変わらないと言われている。
そして現在の高度は約200メートル。
おそらくヤヒーム達は、内臓破裂と全身骨折で即死したのではないだろうか。
「・・・・・・」
僕は自分のしてしまった事のショックで、しばらくの間茫然としていた。
ふと気が付くと、もう一人の騎士の姿も消えていた。
彼の残したナイフだけが翼の根元から生えている。どうやら知らないうちに振り落としてしまったようだ。
「僕は・・・人を殺してしまったのか・・・」
何を今更。そう言う人もいるだろう。
お前は何度も戦場で敵を殺して来ただろう、と。
だが、今までのそれはあくまでも戦いの中で行われたものである。
戦場で兵士が敵を殺すのと、そうでない場所で人を殺すのとでは全然違う。
戦場では敵を倒さなければ自分が、そして味方がやられてしまうのだ。
戦争とはやるかやられるか。勝者が敗者の命を支配する過酷な世界。
だからこそ、僕は戦争は否定されるべき物であり、行ってはいけない事だと思っているのである。
どのくらいぼんやりと空を飛んでいただろうか。
ふと陣地を見下ろすと、ティトゥがこちらに向かって手を振っているのが見えた。
彼女の後ろにはアダム特務官とカミルバルト国王の姿も見える。
「そうだった。ティトゥを迎えに行かないと・・・」
僕は着陸のため、場周経路に入った。
いつものように無意識にフラップを展開しようとしたが、そこで左のフラップが動かない事に気が付いた。
「そういえば、ヤヒームに踏まれた時に壊れたんだっけ」
曲がってしまった骨材が可動部のどこかに干渉しているのか、あるいはワイヤーを送り出す滑車が破損してしまったのか。フラップはガタガタと揺れるだけで動こうとしない。
幸い、着陸に差し障りが出る程の故障ではなさそうだ。
それでもいつもより速度を落とせないので、多少、制動距離は伸びるかもしれないけど。
僕はタッチダウン。
タイヤが地面を捉えると、そのまま動力移動でティトゥの下へと向かったのだった。
次回「失意の帰宅」