その19 虹の中のドラゴン
僕はまだ雲の上を飛んでいる。
すでに嵐のピークは過ぎたようだ。先ほどまでとは違って僕の飛行は安定している。
マリエッタ王女はティトゥの胸で泣き疲れたのだろうか?
今ではティトゥに縋り付いてすっかり大人しくなっている。
ティトゥはそんなマリエッタ王女の肩に顎を乗せ、ぼんやりと外を見ている。
燃料タンクはそろそろ残り半分まで減っている。
嵐に逆らってだいぶエンジンを吹かしてしまったせいだろう。
燃料のことを考えるなら、引き返すとすれば今が最後のチャンスだ。だが、さすがにUターンしてあの嵐の中に戻る気にはなれない。
おっと、また心に弱気の虫が頭を出したようだ。
それにティトゥならきっと「もう半分しかない」ではなく「まだ半分ある」と考えるだろう。
僕は彼女のドラゴンだ。彼女の信頼に応えるために全力を尽くそうじゃないか。
ぼんやりと外を眺めていたティトゥが何かに気付いたようだ。ハッとした顔をして風防に張り付いた。
ティトゥがいきなり前のめりになったことで驚くマリエッタ王女、と僕。
『ドラゴンですわ! 雲の中にハヤテと同じドラゴンがいます!!』
「『えっ?!』」
僕と王女の驚きの声が重なった。
慌ててティトゥが指さす方を見ると、そこは機体の下方、雨雲の中。
あれは?!
『まあ! キレイ!』
マリエッタ王女が思わず歓声を上げた。
そこに見えたのは雲に浮かんだ丸い虹。
その中にシルエットで飛行機の姿が浮かんでいる。
確かに雲の中を同型の飛行機が並走しているように見える。
その美しくも不思議な光景に僕達はしばし言葉を忘れて見入ってしまった。
特に僕は感無量だった。以前から、丸い虹というものを是非直接拝んでみたいと思っていたのだ。
僕に録画機能があれば絶対に記録に残したい光景だった。
『あの姿はハヤテと同じですわ。ひょっとして貴方の仲間なんじゃないかしら?』
ティトゥが僕に尋ねた。
マリエッタ王女も興味深そうにこちらを窺った。
確かに僕と同じ姿だ。だが残念ながらあれは仲間ではないんだよ、ティトゥ。
知っている人なら最初に気が付いただろうが、あれは「ブロッケン現象」だ。
ブロッケン現象とは太陽を背にした飛行機の周囲に光が拡散され、雲の上で虹のように見える現象の事だ。
つまりアレは雲に映った僕の影絵にすぎないのだ。
非常に珍しい現象で、僕も実際にこの目で見れるとは思ってもいなかった。
『何だか凄いですね。二頭のドラゴンが雲の上で並んで飛んでいるなんて』
『そうですわね、マリエッタ様。こんな光景を見た人間はきっと私達が初めてですわ』
少女達は大喜びだが、これをどう説明すれば良いものだか・・・。
まあ別に、もう一頭のドラゴンをマリエッタ王女のために捕まえてこい、とか言われたわけでもないから良いか。
ここは彼女達の夢を壊さないように黙って見守ることにしよう。
『あちらのドラゴンは何と呼べば良いでしょうか?』
『雲の中を飛ぶドラゴンだからクラウドドラゴン? あまり強そうじゃないですわね』
二人の間ではいつの間にか名付け話になっている。
『丸い虹の中を飛ぶドラゴン。丸い虹のドラゴンですわ!』
『とてもロマンチックな名前ですね』
ティトゥのつけた名前にマリエッタ王女が手を叩いて喜んだ。
なんだろう、少女達のこの空気。どうも何かを思い出してくる・・・
あれだ! 「赤毛の〇ン」だ!
〇ンと彼女の腹心の友、ダ〇アナの会話だ。
そのうちマリエッタ王女は通学路の白い樺の道を見たまんま「樺の道」と名づけてティトゥに呆れられる日が来るに違いない。
『ハヤテは虹を作る能力はありませんの?』
そんな能力あるわけないよ。
そういえば丸い虹の下には財宝があると言われている。
教えてあげれば喜んでくれるかもしれない。
『マル。シタ。ダイジ』
『『?』』
くそう、語彙が少ないことが泣けてくる。
僕は何とか苦労して彼女達に言葉を伝えた。
『丸い虹の下には財宝がある、ハヤテはそう言いたいんですの?』
そうそう、それそれ。やっとティトゥに分かってもらえた。
『財宝・・・。何だかせっかくの幻想的な光景を台無しにされた気分ですわ』
『そうですね・・・ロマンチックな気持ちに水を差すようなことを言うのはちょっとどうかと思いますよハヤテさん』
あれ~?! 僕の言葉は女性陣には大不評だったようだ。
僕は二人に白い目で見られて焦った。
ちょっと待って、財宝だよ? ロマンがあるでしょ?
マチェイ家長男ミロシュ君(7歳)なら絶対食いついてくる話だと思うよ?
『あ、ドラゴンがいなくなってしまいました』
『ハヤテに呆れたんじゃないのかしら?』
いつの間にかブロッケン現象は終わっていたようだ。
そして僕の評価は散々である。
せっかく苦労して伝えた結果がこの仕打ち。
女の子の気持ちは僕には難易度が高すぎる。
ちなみに丸い虹だが「丸い虹に出会うと幸せになる」とも言われているのだ。
どちらかと言うとこちらの方が有名な気もする。
こっちを教えれば良かった、と、僕は後になって気付くのだった。
残念無念。
すっかり雲も晴れ、高度を500mほどまで落として僕は海の上を飛んでいる。
一時は取り乱したマリエッタ王女だが、今はすっかり落ち着いてティトゥとおしゃべり中だ。
女の子って時間があればずっとおしゃべりしてる気がするね。
今のテーマは王女の叔母のラダさんについてだ。
元ミロスラフ王国の第一王女で、ランピーニ聖国で海賊退治をしたことにより今はランピーニ聖国の伯爵家夫人になっている女傑だ。
『私とハヤテがいれば海賊退治だって容易いものですわ』
『ティトゥお姉様とハヤテさんならきっとできますね。でもそうしたら叔母様のようにお姉様に憧れる貴族の求婚が殺到するかも』
『ハヤテが認めるお相手ならいいですわ』
なぬ。ウチのティトゥを嫁に欲しいとな?
ならこのドラゴンに勝って彼女を守れる力を示してもらおう。
もちろん全力でやらせてもらうけどな! 上空からの20mm機関砲、防げるものなら防いでみるがいい!
という冗談はさておき、いつの間にかマリエッタ王女のティトゥの呼び方が「ティトゥさん」から「ティトゥお姉様」になっている。
・・・一国の王女が他国の貴族の娘を「お姉様」付けで呼ぶのってマズイんじゃないのかな?
ティトゥも最初は困った顔をして僕の方を見ていたが、当然僕には何ともすることはできない。
今ではティトゥも諦めたようで、王女の好きにさせている。
まあ、そのうち元の呼び方に戻るかもしれないし。
などと僕達が問題の先送りをしていると、マリエッタ王女が不意に風防に手をついて下を見下ろした。
『見て下さい! 船です!』
「『!』」
慌てて僕とティトゥが見下ろすと波間に浮かぶ白い線が見える。船の航跡だ。
マリエッタ王女は良く見つけられたな。いや、こういう時は僕が見つけなきゃいけないよね。ゴメン。
『多分あれはミュッリュニエミ帝国の船です。聖国の港を出て帝国に帰るところだと思います』
マリエッタ王女が船の形から推測したことを僕達に教えてくれた。
あー、あー、あったねミュッリュニエミ帝国。
この日本人にはもの凄く発音し辛い帝国はミロスラフ王国のある半島の付け根にある大国で、領土的野心の強い国だということだ。
幸いミュッリュニエミ帝国の東には、これまた大国のチェルヌィフ王朝(この国も発音し辛いね)が国境を接している。
そのため帝国は常に東に備えなければならず、半島を攻める軍を割くことが出来ずにいるのだ。
というのがマチェイ家長男ミロシュ君(7歳)と共に学んだ僕の知識である。
教師役の家令のオットーは帝国がミロスラフ王国に攻めてくる可能性は低いと考えているようだった。
甘い、甘いよオットー君。こういう場合は常に最悪のシナリオを想定しておくべきなんだよ。
ミュッリュニエミ帝国は常にチェルヌィフ王朝に対して備えなければならない。
だが逆に言えば短期間で攻め落とせる見通しが立てばこちらに攻めてくるかもしれないということだ。
そもそも国力は相手の方が圧倒的に上なんだから、こっちの国力が下がればいつその条件が満たされるか分かったものじゃない。
国力が下がるか・・・。そのワードには何か引っかかるものがある気もするがまあいいや。
ともかく、僕はティトゥやマチェイの人達が戦争の犠牲になるのだけはまっぴらだ。
ましてやミュッリュニエミ帝国なんて発音し辛い国に支配されたら国の名前を言うたびに舌を噛みそうだしね。
『あれが帝国に向かう船だとすれば、あの航跡の伸びる方向に飛べば港にたどり着けるはずです!』
『ハヤテ、マリエッタ様の言ったことが分かりますよね?』
おっと、今はそんな事を考えている場合じゃない。
無事クリオーネ島へたどり着くことを第一に考えなくちゃね。
僕は返事代わりに翼を軽く振ると航跡の指し示す方向へと機首を向けた。
こうして飛ぶこと約10分。
僕達は水平線の彼方にクリオーネ島の島影を発見したのだった。
次回「レブロンの港町」