その3 大きな溝
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天幕の外から聞こえた声に、国王カミルバルトと武将達は顔を上げた。
帝国艦隊が姿を見せたのでない事は、その弾んだ声色からも明らかだった。
「陛下」
「ああ。ハヤテが来たようだな」
それは国王カミルバルトの言葉通り、ナカジマ家のドラゴン・ハヤテの到着を告げる歓声であった。
それから数分後。
天幕の外から連絡の兵士が駆け込んで来た。
「失礼致します! ナカジマ様がご到着なされました!」
カミルバルトは、ナカジマ家の名を――ティトゥの名を聞いた時の、将軍達の顔に浮かんだ表情の変化を見逃さなかった。
ミロスラフ王国では貴族の階級は、建国の際に功績の高かった七つの家の子孫、上士位貴族と、彼らの臣下、下士位貴族とに分けられている。
この上下二つの階級に、近年、第三の存在が加わった。
それが上士位と下士位の中間に位置する貴族。
ティトゥ・ナカジマを当主とする小上士ナカジマ家である。
小上士は奇妙で微妙な存在である。
上士位貴族にとっては、自分達よりも地位が下でありながら、自分達と同じく土地持ちの領主。
下士位貴族にとっては、自分達よりも地位が上でありながら、自分達の寄り親よりも地位の低い存在。
この中途半端な立場は、当時の宰相ユリウスが仕組んだもので、その狙いはナカジマ家をあやふやな立ち位置に置くことで、ティトゥに味方を作らせないようにするためのものである。
これは実際上手くいっていて、保守的な傾向が強い貴族程、ナカジマ家とどう付き合って良いのか測りかねている様子だった。
カミルバルトは将軍達――各貴族家から派遣された指揮官達を見回した。
(そんなナカジマ家の当主が目覚ましい武勲を上げたのだ。彼らとしては、心中穏やかではいられんだろう。いや、それどころではない。ハヤテは俺達が何十日もかけて戦って来た帝国艦隊を、ブラリとやって来るや否や、僅か半刻にも満たない時間で完全に海の向こうへと追い払ってしまったのだ。帝国艦隊の指揮官も、超大型船を二隻も沈められたのが余程痛かったのか、今日はまだ姿すら見せていない。あるいはこのまま本国に帰ってしまうかもしれんな)
そもそも、ミュッリュニエミ帝国がミロスラフ王国とヘルザーム伯爵との戦いに介入しても、得られる物は何もない。
そんな戦略性にも政治性にも欠ける戦いで、これ以上、虎の子の艦隊を失うのは馬鹿げている。
皇帝ヴラスチミルがそう考え、撤退を命じても別に不思議ではなかった。
(もしそうなれば、敵艦隊を撃退したのはハヤテ――ナカジマ家当主の手柄という事になる。これは将軍達が不安に思うのも無理はないな)
本来であれば、ハヤテ達竜 騎 士のとった行動は、完全な横紙破り。勝手に戦場にやって来ていい所取りをしたと言われても仕方がない行為である。
しかし、いい所取りどころか、ミロスラフ王国軍の劣勢は誰の目にも明らかだった。
実際、カミルバルトも、ハヤテが来るのが後ほんの少し遅ければ、全軍に撤退を命じていた所だったのである。
仮に指揮官達が「ハヤテの手助けはいらなかった」「自分達の力だけでどうにか出来た」と虚勢を張った所で、彼らの部下、戦場で何日も戦って来た兵士達を黙らせる事は出来ないだろう。
劣勢を肌で感じつつも、死に物狂いで戦場に留まり、苦しい戦いを続けて来た功労者達。
そんな兵士達が、竜 騎 士を自分達の救世主として認めたのだ。指揮官達が自分達の都合でそれを捻じ曲げるのは――少なくともこの戦場においては――不可能と思われた。
カミルバルトがふと気が付くと、連絡の兵士が困り顔でこちらを見つめていた。
どうやら考えに耽るあまり、返事を返すのを忘れていたようだ。
「うむ。話はここでしよう。直ぐにナカジマ殿を案内して来るように。おい、誰かイスをもう一脚運んで来い。急げ」
「はっ!」
こうしてカミルバルトの指示で、天幕の中にティトゥのイスが用意されたのであった。
ティトゥはアダム特務官に案内され、大きな天幕へとやって来た。
彼女が天幕の中に足を踏み入れた途端、居並ぶ将軍達から一斉に視線が注がれる。
というよりも、ここが戦場である以上、本部に将軍達が詰めているのが当たり前なのだ。
ところがティトゥは特に根拠もなく、国王と差し向かいで話が出来るものだと思っていたようだ。明らかに出鼻をくじかれた様子で鼻白んだ。
「よく来てくれたナカジマ殿。昨日の戦いでは帝国艦隊相手に良くやってくれた。ハヤテにも俺が感謝していると伝えてくれ」
「あ、ありがとうございます。ハヤテも喜びますわ」
ティトゥは慌ててお辞儀をしようとして、自分がスカートではなく、飛行服を着ているのを思い出した。彼女は咄嗟にズボンの腿をチョンと摘まんでお辞儀をした。
その奇妙な形のお辞儀に将軍達の目が怪訝そうにすがめられる。
「みんな座ってくれ。それで? ナカジマ殿とハヤテは何でこの戦場にやって来たのだ? 勿論、ナカジマ家が手を貸してくれるのは有難いのだが――」
「そ、それなんですが、陛下。私は――いえ、ハヤテは陛下にどうしても聞いて頂きたい事があるんですわ」
「ハヤテが俺に?」
ティトゥはカミルバルトの言葉にハッと我に返ると、慌てて説明を始めた。
五百年前にこの惑星を襲った未曽有の大災害。その原因となった魔法物質マナの大量発生。
説明の言葉はティトゥの口から淀みなく流れた。
カーチャにオットー、それにユリウス老人にモニカにジャネタと、何人もに説明して来た事もあり、彼女にとって今や手慣れたものであった。
しかし、説明が進めば進む程、ティトゥは何とも言えない手応えの無さ。目に見えない大きな溝のような物を感じるようになっていた。
彼女は不意にその理由に思い当たった。
(誰も私の言葉を理解しようとしていませんわ)
そう。彼女が感じている手応えのなさ。
それは興味のなさから来る無関心だったのである。
今までに彼女が説明して来た相手は、全員ハヤテの事を良く知る者達。竜 騎 士の被害者? 関係者達? であった。
今更言うまでもないが、ハヤテの正体は現代日本からの転生者である。
彼はその高度な学歴(と言っても、現代日本においては平均的な学歴なのだが)とそれに付随する豊富な知識に未来の価値観。そしてそれらを生かす知恵を持っている。
そんなハヤテを知る者達にとって、ティトゥの語る話の内容が――ハヤテの言葉の翻訳が――どんな荒唐無稽に思えるものだったとしても、十分信じるに値する。
そしてまた、彼らがそう思えるだけの事をハヤテとティトゥは成し遂げて来た。
だが、ここにいる将軍達はハヤテの事を良く知らない。
確かにハヤテは自分達が苦戦していた帝国艦隊を何の苦もなく追い払ってのけた。
その事自体には、腰が抜けそうになる程のショックを受けたが、言ってみればそれだけだ。
彼らにとってハヤテは恐るべき力を持つ存在。強力な兵器としての認識でしかなかったのである。
そしてティトゥはたまたま運よくその兵器を手に入れだけの小娘に過ぎない。
その小娘が国王陛下を前に何を言い出すのかと思ったら、五百年前の大災害だとか、魔法物質だとか、にわかに理解しがたい話ばかり。
自分達は一体何を聞かされているのだろうか?
というか、この小娘は一体何が目的でこんな雲を掴むような話を続けるのだろう。
ここは命のかかった戦場であって、小娘が夢物語を語るような場所ではないのだ。
将軍達は戸惑いと呆れ、そして苛立ちに表情を曇らせていたのであった。
ティトゥの話は終わった。
天幕の中にはどうしようもなく白けた空気が漂っている。
人間は無理やりタチの悪い冗談に付き合わされた時、こんな雰囲気になるのかもしれない。
そんな中、国王カミルバルトだけは真剣な面持ちでティトゥを見つめていた。
「・・・ナカジマ殿。今の話はハヤテから聞いたものでいいのだな?」
「そうですわ」
カミルバルトは「なる程」と、一言呟くと黙り込んだ。
周囲の将軍達は、なぜ国王がこんなバカげた話を最後まで許したのか、そもそも、下らない話をした小娘に文句を言うどころか、難しい顔をしているのが理解出来ずにいた。
(正直に言えば俺も半信半疑。それ程荒唐無稽なバカげた話だった。しかしあのハヤテが言ったのであれば、全てをウソと切り捨てる事は出来ん)
もしもカミルバルトが、今の話をティトゥ以外の人間に聞かされていたとしたら、「もう良い」と途中で話を遮っていただろう。
そして、いたずらに人心を惑わす噂を流す輩として、衛兵辺りに突き出していたかもしれない。
しかしカミルバルトは、この国の中でもハヤテの持つ力を理解する、数少ない人物であった。
とは言っても、流石に限度はある。
大陸規模の天変地異。しかもその発生が帝国の王都のすぐ近くとなると、信じる信じない以前に、どう受け止めればいいかにすら困る話であった。
(全く、面倒な事になったものだ。ハヤテの話を信じるのであれば、急いで本国に戻り、食料の備蓄なり備えるべきなのだろうが・・・今、ここで兵を引く事は出来ない)
苦しい戦いを乗り越えて、ようやく帝国艦隊を追い払った所である。
ここで撤退するのであれば、今まで一体、何のために戦って来たのか分からない。
将軍達が納得するとは思えない。
というより、将軍達の返事を聞くまでもなく、彼らがティトゥの話を――ハヤテの話を――全く信じていないのは明白である。
いかにカミルバルトが兵士の人望を集めているとしても、兵を従える指揮官が彼に従ってくれないのではどうしようもない。
各貴族家の軍は、各貴族家の所有物。国王ですら彼らの頭越しに自由にする権利はないのである。
(かと言って、ハヤテの話を無視するのも危険だ。ハヤテは人知を超えたドラゴン。おそらく俺達人間には分からない仕組みで大災害の予兆を察したのだろう。幸い、ハヤテはこの災害に対抗するつもりのようだ。このままではパートナーの少女にまで危険が及ぶからだろうが、正直言って有難い)
ハヤテの飛行能力なら、大陸の外。予想される災害の範囲外まで逃げる事も余裕で可能なはずである。
それをしないのは、パートナーのティトゥ・ナカジマがこの国にいるためだろう。
ハヤテという超生物が協力してくれるという幸運。これをみすみす手放す手はない。
(そのためには、先ずは各貴族家から遣わされた将軍達を動かす所から始めないとならない訳だが・・・)
カミルバルトは今も白けた顔をしている将軍達を見回し、説得の困難さにため息をつきたくなるのだった。
次回「常識の壁」