その1 ユリウス老人の懸念
夜。
ここはティトゥの屋敷の僕のテント。
屋敷のみんなはすっかり寝静まり、たまに夜番の騎士の見回りの足音が聞こえる程度だ。
この惑星リサールで四式戦闘機の機体で転生してから大体二年。
睡眠を必要としない僕にとって、夜はいつも一人きりの退屈な時間だった。
この一日の約三分の一程の時間を、僕は物を考えたり、前日の出来事を思い出したりして、孤独に過ごして来た。
そう、最近まではね。
「ほうほう、開発が三菱重工って事は、じゃあエンジンは金星の発展型の火星辺りかな? この頃の三菱って大抵、火星を乗せてたし」
「1097機と最も生産量の多い二型のエンジンは瑞星15型。611機と次に生産量の多い三型は金星62型となります」
「へ~、二型から三型になった際に機体だけじゃなくてエンジンまで変わったんだ。金星って陸軍ハ番号で何番だっけ?」
「ハ112-IIです」
「ハ112-II? それって五式戦闘機に積まれてたヤツじゃん。僕の機体のエンジンは中島製のハ45で、他だと海軍機の紫電改なんかも同じなんだよな。それに――」
『・・・ハヤテ、あなた何の話をしてるんですの?』
レッドピンクのゆるふわヘアーの美少女が、呆れ顔で僕を見上げた。
ふと気が付くと、テントの中は薄っすらと明るくなり、使用人達の働く音が聞こえている。
どうやら、夢中になってスマホに話しているうちに、いつの間にか朝になっていたようだ。
「おはよう、ティトゥ。いやあ、小バラクのデータバンクにある大戦中の飛行機の話を聞いてたんだけどさ。自分でも思ってた以上に記憶の抜けが多くて、良い勉強になったよ」
僕は徹夜明けの(だから僕は眠らないんだって)テンションでティトゥに答えた。
ちなみにさっき僕が小バラク――僕の計器盤に固定されたバラクの複製ことスマホ――から聞いていたのは、旧日本陸軍の一〇〇式司令部偵察機についての解説である。
バラクは地球のインターネットにこそ繋げられないものの、かなりの知識をそのメモリー内に残している。
僕は最近では一人の時間はこうやって、読書代わりに彼と話をしながら過ごしているのだった。
ティトゥは小さくため息ついた。
『久しぶりの自分のテントだし、話し相手が出来て嬉しい気持ちは分かるけど、夜更かしまでしていたら小バラクに迷惑なんじゃないですの?』
ああうん。そう言われると確かに我ながらアレだったかも。
趣味の話に長々と付き合わされるのって、興味のない人からするとドン引きだよね。
本当に小バラクに嫌われても困るし、少しは自重しようかな。
ちなみに自慢じゃないが、僕は大戦中の兵器――特に戦闘機についてはそこそこの知識を持っているつもりだ。
過去にプラモデルを作った際、色々と資料を集めているうちに覚えてしまった結果である。
逆に偵察機や爆撃機についてはほとんど専門外。勿論、名前くらいなら知っているが、その情報には結構抜けや怪しい部分がある。
ん? 偵察機のプラモデルを作る時には資料を集めなかったのかって?
いやあ、双発機(エンジンを左右の翼に積んでいる飛行機)って翼が大きいからね。置き場所にも困るから、ほとんど作っていなかったんだよ。
何度、置き場所が原因で欲しいキットの購入を断念した事か。何なら大型機って、組む前の箱状態の方が、場所を取らずに済むくらいだし。
モデラーなら多分、僕の気持ちを分かってもらえるんじゃないかな?
「ギャウ! ギャウ!(パパ! パパ!)」
開けっ放しのテントの入り口から、桜色ドラゴンのファル子が飛び込んで来た。
「うわっ! ファル子、お前どこに行ってたんだ?! 泥だらけじゃないか! ちょっとティトゥ、ファル子を捕まえて! そんな体で操縦席に乗られたら汚れちゃうから!」
僕は慌てて風防を閉めると、ティトゥに助けを求めるのだった。
僕の機体が屋敷の使用人達の手によって外に運び出されたのと同じタイミングで、ティトゥがいつもの飛行服に着替えて屋敷から現れた。
「ギャウギャウ! ギャウギャウ!(ママ! ママ! 私も行きたい!)」
『こら、ファルコ! 今日はあなた達はお留守番だと言ったでしょう?!』
腕白なリトルドラゴン、ファル子がティトゥの足元に絡みついている。
『あなたはハヤブサのお姉さんなんだから、少しは弟の聞き分けの良さを見習ったらどうなんですの?』
「ギャウー!(イヤーッ!)」
ティトゥはヒョイとファル子を抱き上げると、ジタバタと暴れる彼女をメイド少女カーチャに預けた。
ちなみにハヤブサはカーチャの足元に大人しく座り、大きなあくびをしている。
『カーチャ、二人を頼みますわ。全く、今日は遊びに行く訳じゃないっていうのに』
ティトゥはブツブツと文句を言いながら僕の翼に上った。
彼女の今日の話し合いの相手は、この国の国王、カミルバルトだ。
僕達にとっては割と顔馴染みの相手とはいえ、この国における最高権力者との面談に、ティトゥのテンションはいつもより低目であった。
ティトゥは背後を振り返ると、見送りの顔ぶれの中に、ナカジマ家のご意見番、元宰相のユリウスさんの姿を見つけた。
『何か言いたそうな顔をしてますわね。仕事なら戻ってからやりますわよ?』
『そんな事を心配している訳ではないわ。――ご当主殿は本当に国王陛下に昨日の話をするつもりでいるのか?』
『? 当たり前じゃないですの。そうでなかったら、何のために私達ははるばるチェルヌィフ王朝まで行ったんですの?』
どうやらユリウスさんは、カミルバルト国王にマナ爆発の話をするのに反対のようだ。
『反対ではない。ただ、大陸規模の大災害などという荒唐無稽な話を聞かされて、信用する者が一体どれほどいるかと思うとな・・・』
『だからと言って何もしなくても良いという理屈にはなりませんわ。それに私はハヤテがこの危機から人々を守ると決めた以上、パートナーの私が手伝わないなんてあり得ませんわ』
『そうは言っても――あ、いや、確かにこれ以上は詮無い事だな。今の言葉は忘れて貰えると助かる』
ユリウスさんはティトゥに反論しかけた言葉を途中で飲み込んだ。
ティトゥはどっちでもいいとばかりに小さく肩をすくめると、ヒラリと操縦席に乗り込んだ。
『前離れー! ですわ!』
バババババ・・・
プロペラが回り出すと、みんなは少し下がり、距離を空けた。
僕はエンジンをブースト。タイヤが地面を切ると、大空へと舞い上がったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ハヤテの姿が小さくなると、使用人達は三々五々、それぞれ元の仕事に戻って行った。
ユリウス老人はいつまでもハヤテの去った北の空を見上げていた。
(カミルバルト陛下は聡明なお方だ。あの方であればきっとハヤテの言葉を頭から無視するような事はあるまい。陛下に直接訴えるというのは、ハヤテが言い出したそうだが、流石はハヤテ。良く人間の事を見て、理解しておるもんじゃわい)
大陸上の全ての生物が危険にさらされる程の大爆発が、しかも、早ければ後一年以内に起きる可能性が高い。
例えそれを言い出したのが、人類を超えた叡智を持つドラゴンであったとしても、本気でそれを信じ、対策に取り組む事が出来る人間が一体どれだけいるだろうか?
それが出来るのはハヤテと同じドラゴンか、あるいはハヤテを受け入れる事の出来る大きな器を持つ者だけ。
この国でその条件を満たすのは、ユリウス老人が知る限りでは、国王カミルバルトくらいしか思い当たらなかった。
次点としては、前王后ペラゲーヤも候補には上がるのかもしれない。
(まあ、ナカジマ家のご当主は例外じゃがな。ハヤテを妄信しているあの娘なら、仮にハヤテがどんな荒唐無稽な事を言い出したとしても、手放しでそれを信じ込む姿が目に見えておるわい。後。それに当主のお付きのメイド少女――カーチャと言ったかの。あの娘と代官のオットーも。始めは疑問や戸惑いを感じるかもしれんが、最終的にはハヤテの言葉を信じるじゃろう。あの二人は真面目な常識人じゃが、それだけに、ハヤテというデタラメな存在は自分達の物差しでは計れない非常識の塊という事を、今までの経験で骨身にしみて思い知らされておるじゃろうからな)
ユリウス老人のイメージの中のハヤテが、『非常識って・・・。僕の中身は平凡な日本人なのに』とショックを受けている気もするがそれはさておき。
(辛うじて――それでも半信半疑ではあるが――ワシもハヤテの語る警告を信じる事が出来た。じゃがそれは、一年以上、ナカジマ領でハヤテを間近で見て来た経験によるものじゃ。じゃが、権力闘争でいかに相手を出し抜くかにしか頭を使っておらん宮廷貴族達や、自分達の領地が全ての各貴族家の当主達が、この事態に本気で取り組もうとするとはとても思えん)
ユリウス老人は優秀な宰相だったが、だからこそ、立場が人の考えや価値観を縛るという事を良く知っていた。
そもそも彼自身も、国の宰相であった頃は自分の常識の枠にハヤテという特大の非常識を無理やり当てはめ、彼の存在自体を矮小に捉えていたからである。
(我ながら愚かな人間だったものじゃ。いや、それでワシが恥をかくだけで済むのなら別にいい。だが、ワシはワシの近視眼的な判断で、危うくハヤテを敵に回し、この国を滅亡の危険に晒してしまう所じゃった)
宰相だった頃のユリウス老人は、ハヤテを過小評価し、更には彼のパートナー、ティトゥに対しても、粗略な扱いをしてしまった。
もし、あの時、ハヤテがパートナーの少女の待遇に怒りを覚え、感情のままにこの国に対して持てる力を振るっていたらどうなっていただろうか?
一昨年冬、帝国軍五万を撃退したドラゴンの圧倒的な武力が、半島のいち小国に向けられるという最悪の事態。
もしそんな事になっていたら、ミロスラフ王国は歴史上初めてドラゴンによって滅ぼされた国として、歴史にその名を刻んでいたに違いない。
(いや、今は自分の犯した過去の過ちを悔やんでいる時ではない。今度の天変地異は、あのハヤテをもってして最大限の警戒を要するほどのもの。最悪の場合、大陸はズタズタに引き裂かれ、あらゆる命が失われるという。もしそんな事態になるのなら、事前に一体どんな対策を打てば良いのか想像すら出来ん)
ユリウス老人は優秀な宰相として、このミロスラフ王国を長年に渡って支え続けて来たが、これ程の規模の天変地異に対しては、正直、どう対処すれば良いのか想像すら出来なかった。
ユリウス老人ですら思考停止してしまう程の絶望的な状況。そもそも、河川の氾濫や日照りによる不作すら克服出来ないような小さない人間が、大陸規模の災害をどうこうしようと考える方が無謀なのだ。
しかし――
ユリウス老人は、北の空を見つめた。
しかし、竜 騎 士は立ち止まらない。
そう。あの二人はまだ自分達に出来る事が何かあると信じ。大陸の全ての生き物を守るため、この大災害に立ち向かおうとしているのである。
(カミルバルト陛下であれば、あの二人の――ドラゴン・ハヤテの言葉を言下に退けるような事はなされないだろう。だが、国の政というのは、国王一人で行える物ではない。それは陛下本人が一番良く分かっておられるだろう)
例え国王カミルバルトがハヤテの警告を信じ、対応に乗り出したとしても、彼の手足となって働く部下達がその声に従わなければ意味がない。
いや、流石に面と向かって反対するような者はいないに違いない。
だが、国家というのは鈍重な巨獣に似ている。一度動き出せば大山を乗り越え、大湖をも渡るが、そうなるまでには大きなエネルギーが必要となる。
しかし、今回、時間は限られている。
この国の者達が、来るべき大災害に向けて一丸となって動き出す頃には、災害の発生が目の前に迫っているかもしれない。
それどころか、そうなってもまだ危機感を覚えていない可能性すら十分にありえる。
だが、時の流れは待ってはくれない。
滅びへのカウントダウンは、静かに、そして人知れず始まっているのである。
次回「予言の壁画」