その36 艦隊壊走
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ヴーン・・・
ハヤテの飛行音が遠くに響き渡ると共に、その翼からパパッツと赤い火箭が伸び、帝国海軍の船に命中した。
「「「わああああああああっ!」」」
兵士達の歓声が雷鳴のように轟く。
「「「竜 騎 士! 竜 騎 士! 竜 騎 士!」」」
彼らは喉も裂けよとばかりに、目の前の奇跡を生み出した立役者の名を連呼する。
ドドドドド・・・
兵士達の踏み鳴らす足音が地響きとなって辺りに響き渡る。
アレークシ川の河口、ミロスラフ王国軍の陣地は、異様な興奮に包まれていた。
竜 騎 士。
それはミロスラフ王国軍に勝利をもたらす者の名。彼らの救世主の名だった。
興奮の坩堝と化したミロスラフ王国軍陣地。
そんな味方の後方。戦場を見下ろす高台で、国王カミルバルトの幕僚の将軍達は、まるで魂でも抜かれたような顔をしていた。
「バカな・・・我らは一体何を見せられているんだ・・・」
「帝国海軍が・・・あの帝国海軍が、たった一匹のドラゴンにいいように翻弄されているだと」
彼らが呆けている理由は言うまでもない。
帝国海軍精鋭、黒竜艦隊。
その黒竜艦隊が、彼らの目の前で壊走しようとしているのだ。
この一ヶ月近く、散々敵に苦しめられ続けて来た指揮官達が信じられない気持ちでいるのも無理はなかった。
まさかドラゴンの力がこれ程のものだったとは・・・。
ナカジマ家のドラゴンことハヤテは、一昨年の帝国南征軍との戦い。その半年前の小ゾルタ軍との戦いと、二度に渡って戦場で大きな活躍を見せている。
しかし、どちらの戦いにおいても、ハヤテの戦いを実際に見たのは、当時騎士団団長だったカミルバルトと、彼が率いていた兵士達だけだった。
今回、参加していた将軍達も、彼らが率いている兵士達も、ドラゴンの事は噂話や芝居の演目でしか知らなかったのである。
ニュースもSNSも無い世界では、情報は人から人に伝わる噂話でしか知る事は出来ない。
そして大抵の場合、噂というのは聞き手の興味を惹くように面白おかしく大袈裟に伝わるもの。つまり、将軍達はドラゴンの活躍を話半分にしか信じていなかったのである。
「ウソだろ・・・あれがナカジマ家のドラゴン。まさか兄貴はこれを知っていたって言うのかよ」
そんな中、比較的ハヤテについて事実に近い話を聞かされていた者がいた。
目の前の光景に愕然としているこの男。”ボハーチェクの鮫”ことガルテンである。
ガルテンの兄はオルドラーチェク家の当主ヴィクトル。彼は御用商人のジトニークから、ナカジマ家とナカジマ領の港町ホマレの情報、そしてドラゴン・ハヤテの話を詳しく聞いていた。
その上で彼は、「ナカジマ家を小上士位と侮るな」。「というか、絶対に揉めるな」。「むしろ可能な限り恩を売っておけ」。と、周囲に強く念を押していた。
ガルテンは内心、そんな兄を「弱気だ」と嘲笑っていたのだが、今や兄の認識の正しさを認めざるを得なかった。
「化け物だ。あ、あれは正真正銘の化け物だ。・・・ナカジマ家はあんなヤバいヤツを飼っていたのか」
ガルテンの口から思わずこぼれた呟き。しかし、これはほとんどの将軍が抱いていた思いと同じ物だった。
人は自分が理解出来ない物を恐れる。
彼らはこの日、遅まきながらようやくドラゴンを現実に存在する脅威として認識したのである。
ミロスラフ王国軍の兵士がハヤテの活躍に沸き返り、将軍達がハヤテの脅威に青ざめていたその頃。
黒竜艦隊は混乱の只中にあった。
四隻の大型輸送船のうち、二隻はハヤテの250キロ爆弾の直撃を受け、その巨大な船体を大きく傾けている。
残りの大型船もハヤテに散々追いかけ回され、散り散りに逃げ惑っている。
そんな中、まだ無事な大型輸送船は、最初の場所で錨すら上げずにいた。
「艦長! もう限界です! 一刻も早く退避の命令を! このままでは艦隊に置いて行かれてしまいます!」
まだ若い副長が、必死の形相で艦長に詰め寄った。
しかし初老の艦長は、チラリと副長の方を見ただけで、泰然自若とした態度を崩さなかった。
「艦長!」
「副長、落ち着きたまえ。上に立つ者がそれでは下の者達が動揺するだけだ。それよりも命じておいた兵の収容は進んでいるのかね?」
「それは――勿論です。今も艦内総出で行わせております」
「うむ。積み荷の投棄も急がせよ。少しでも多くの兵を収容しなければならんからな」
船長がこの場から船を動かさない理由。それは、今も沈みつつある大型輸送船から脱出しつつある兵士を、この船に収容しているためであった。
艦長は副長から目を切ると、やはり錨を下ろしたままのもう一隻の大型輸送船を見つめた。
「あちらの艦長も同じ考えらしい。そもそも、大型輸送船に積み込めるような兵士の数は、大型輸送船にしか積めん訳だからな。我々だけが逃げ出して、あちらに苦労を押し付ける訳にもいかんだろう」
「し、しかし、我が艦の船速では、艦隊に追いつくのは難――」
「副長」
と、艦長は副長の言葉を遮った。
「良く耳を澄ませてみたまえ。化け物の飛行音が少し遠くなったように思えんか?」
「あっ・・・」
そう言われてみれば確かに。さっきまで聞こえていた、ヴーンというあの耳障りな音が随分と小さくなった気がする。
副長は慌てて指揮所から身を乗り出すと空を見回した。
果たして化け物は、ずっと離れた沖を逃げている大型艦を追いかけていた。
「おそらくだが、あの化け物は逃げ回る我が艦隊を追いかけ回すのに夢中で、全く動いていないこの船が目に入っていないのではないかな」
生き物の中には擬死と言って、動かない事で捕食者の目から逃れる生態を持つ者達がいる。
自分達の行動がたまたまそれと同じような効果を持ったのではないか?
この艦長の指摘に、副長の青ざめていた顔にやや赤みが戻った。
ちなみにこれは完全に彼らの勘違い。化け物は――ハヤテは決して逃げる獲物に目を奪われて、大型輸送船の存在に気付いていなかった訳ではなかった。
ハヤテの狙いは黒竜艦隊の殲滅ではなく、敵に痛撃を与え、撤退を促すことにある。
極力人殺しを嫌う彼は、大型輸送船が救出作業をしているのを見て、手を出さなかっただけだったのだ。
こうして二隻の大型輸送船は、可能な限りの兵士を収容すると、一番最後にこの海域を後にした。
艦長達の英断によって、黒竜艦隊は多くの兵士を失わずに済んだのである。
しかし、彼らにも救えなかった者達がいた。
「ああ・・・船が行ってしまった」
「弱気になるな! ハイネス艦長はきっとすぐに戻って来られる! それまで俺達でこの陣地を死守するのだ!」
それはアレークシ川河口に橋頭保を築いた、黒竜艦隊陸戦隊の兵士達であった。
彼らは艦隊が引き上げた事で、敵陣の中、孤立無援の状態に追いやられてしまった。
文字通り背水の陣。いや、それよりも状況は悪い。周りはどこを見回しても敵だらけなのである。
そんな彼らに更なる逆境が襲い掛かる。
ヴ――ン!
「ば、化け物だ! さっきの空飛ぶ化け物が戻って来た!」
「ひいいいっ! お、お助けえええ!」
そう。黒竜艦隊を蹴散らしたハヤテが戻って来ると、低空で彼らの頭上を通り過ぎたのである。
「「「わああああああああっ!」」」
救世主の帰還に、ミロスラフ王国の兵士達の士気は天を突かんばかりである。
これにはさしもの精鋭、黒竜艦隊陸戦隊もどうする事も出来なかった。
彼らは最後の抵抗を試みたが、それもかなわず、やがて武器を捨てて降伏したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
僕が街道に着陸すると、兵士達のシュプレヒコールが響き渡った。
『『『姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士!』』』
「ギャウー!(うるさい!)」
桜色のリトルドラゴン・ファル子は、顔をしかめると、イスの下の隙間に頭を突っ込んだ。
メイド少女カーチャが、不安そうな顔でおずおずと主人のティトゥに声を掛けた。
『あの、ティトゥ様』
『・・・分かっていますわ、カーチャ』
ティトゥは覚悟を決めると、『えいや』と勢い良く風防を開いて立ち上がった。
『あの、誰か――』
『『『わああああああああああっ!』』』
その瞬間、兵士達の声が大気を震わせた。
『『『姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士!』』』
ティトゥは困り顔で僕に振り返った。
いや、そんな目で見られても、僕にだってどうしようもないんだけど。
ティトゥは誰かにカミルバルト国王の所まで案内して貰おうと思っているのだが、兵士達の声は一向に止む気配がない。
僕達が途方に暮れたその時だった。人混みの一部が割れると、馬に乗った騎士達が現れた。
彼らが開いた道から現れたその人こそ、僕達の尋ね人。ミロスラフ王国の現国王。
国王カミルバルトだった。
ここが戦場のせいだろうか。彼の姿はいつもよりも薄汚れて見えた。
『・・・・・・』
ん? 何だって?
カミルバルトの口がパクパクと動いたが、周りの声がうるさすぎて何を言ってるのか全然聞こえない。
カミルバルトはティトゥの困惑した顔を見て、手を振って兵士の声を静めようとしたが、興奮している兵士達は彼のコントロールを受け付けない。
『『『姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士! 姫 竜 騎 士!』』』
これ、どうすりゃいいの?
ティトゥとカミルバルトは兵士達の声の中、しばらくの間困り顔で見つめ合うのだった。
次回「冬の時代」